本田宗一郎 生誕100年
 
夢 挑戦 実現


2006年11月4日〜19日まで浜松市の天竜で、本田宗一郎(現 本田技研工業K,K創立者)
の生誕100周年記念事業として、記念祭、遺品展、記念式典、ASIMOショーなどの
イベントが開催されているため、今日11月12日(日)に行ってきましたぁ〜


1922年東京のアート商会入社後、1928年アート商会浜松支社設立、1946年本田技術研究所創立。
1948年本田技研工業を設立、1955年二輪車生産国内第1位にまで成長。


最初は自転車に原動機を取り付けた二輪車から夢は始まり、改良に改良を重ね、夢は世界に・・・
なんと1959年ヨーロッパのマン島TTレースの125ccクラスに初挑戦、なんと6位入賞の快挙
を成し遂げたんです。

その時のレーサー谷口尚己さんが今日会場に来賓していましたぁ〜 ラッキー♪
当時は今みたいな契約レーサーって事じゃなく、社内からの抜擢だそうです。
この8番のバイクが、初挑戦、6位入賞のバイクと谷口尚己さん本人です。
左の写真は当時のホンダ社報です。本田宗一郎さんのコメントでまだ上に
5番から1番の上があると・・・。勿論この世界初挑戦、6位入賞を心から喜んでの言葉です。
でも夢は世界一なんです。そして2輪車で世界一を成し遂げていくのです。

左の写真は、右に(故)本田宗一郎さんの奥さんだと思うんですねっ。
そして左は谷口尚己さんの奥さんなんです。
若々しいよねっ♪ 右の写真は1990年頃に発売されたHONDAドリーム50にまたがる
谷口尚己さんです〜 ドリーム・・・夢なんですね〜
HONDAドリーム50、手に入れたくなっちゃったぁ〜(ニコ)

それから1962年軽4輪車(クルマ)発表、クルマでも世界一の夢は膨らんでいくのです。
このF1マシーンはF1初優勝する前のF1マシーンだと思いますが、クルマの生産始めて
わずか3年でF1も初優勝する快挙を成し遂げていったんです。

本田技研工業の社長退任後して最高顧問の要職に在られる時、俺、本田宗一郎さんの
講演聞きに行った事あるんです。
印象は町工場のおやじ(失礼かな(笑))って感じだったけど丁度その時F1の開催期間で
講演最中でも秘書の方に質問してF1どうなったぁ?って聞いていたのが印象に残っています。
心底レースが好きで常に夢を追い求めていたんだなぁって感じた講演でしたぁ〜
それから1986年、F1コンストラクターズチャンピオンに輝いたんです。
でもエンジン供給でのコンストラクターズチャンピオン

第一期、第2期とF1に挑戦して、一時撤退して、そして第三期として4年前からまたF1に
挑戦しているんです。エンジンだけじゃなくフレームもすべてまさしくオールHONDAで・・・
そして今年、オールHONDAとして40年?ぶりの優勝を遂げたんです。
まだまだ夢は続いています〜、オールHONDAでワールドチャンピオンの夢が残っています!

バイク、クルマと世界一を成し遂げ、夢はまだまだ膨らむばかり・・・
ロボットの開発でアシモ君が、そして空の部門では飛行機が開発されましたぁ〜
アシモ君や飛行機は見ることなく1991年この世を去った宗一郎さんですが
夢は後世に引き継がれています。HONDA DNAとして・・・。
こう書かなければいけないよねっ! 本田DNAとして引き継がれています〜。

夢、挑戦、実現