4416、まだ若い頃。横は「selfish」のメンバーで作曲家・編曲家の大坪直樹氏の妹さん。 |
HISTORY |
スーパーカーブームに育ち、スポーツカー好きの私が憧れていたのは、国産唯一のミッドシップ、それもマッドマックスのインターセプター号が搭載していたスーパーチャージャーがついている、さらになんと屋根が開くTバールーフになっている、そして羽根やサイドステップまで装備している「MR2 G−リミテッド スーパーチャージャー Tバールーフ」でありました。 下は、それまで乗っていた、初めての愛車「スズキ マイティーボーイ」 黒い2シーターという点はAWと同じです。 ドアには「SOHC 6valve」、 リアゲートには「NonTurbo」とステッカーを張っていました。 当時の新車価格は約200万円。いろいろ合わせると(結果的にそうなったのだが)250万円以上の車。就職して1年目に無理して買っちゃった。だって、2000ccでガタイのでっかいSWがデビューしそうだったんだもん(でかい車嫌い)。 購入を決め、トヨタオートで交渉開始。まずは、「スープラの黒じゃなきゃ買わないよ!」。本当はすっごくほしいのに強気でいきます。新車で全塗装する人間は、まず私だけだろう。さらには、モールの色やデカールの色を細かく指定し「ブラックリミテッドもどき」の完成です。 納車し、まずはホイール交換。 あこがれは、金のメッシュ・・・ところが、知識の無かった私はトヨタなのに「INPUL」のホイールを買ってしまった。それも14インチで4本とも6j +33・・・あ〜情けない。 それでも、リアに205/55−14(ピレリP7)を履いたりしてました。 と、友人”PROST 70”のAE92後期型S/C(下:ノーマル)に乗ってビックリ。「なんて早いんだ! くっそ〜。」 現在は赤いFDに乗ってます。 右:友人”PROST 70”(リードギター) 左:4416(リズムギター) このAE92に負けたくないという気持ちが、チューニングの世界に入ったきっかけでした。 独身は金持ちです。 近所のショップで ・フジツボマフラー(当時出始めていた検対のもの) ・クスコプーリー ・クスコ過給圧コントローラー ・ARCインタークーラー ・HKS F−CON ・HKS パワーフロー を一気に装着。 とても速くなりました。 しかし、抜けの悪さと音の貧弱さで、中古の競技用フジツボマフラー(爆音)+タコ足に交換。 さらに、速くなりました。 と、職場の先輩が「足がノーマルじゃな〜」と、ありがたい?アドバイス。 ・乗り御心地重視、ビルシュタインが生産中止だったので、KONIのショック ・リジェのショートサス に交換。 低くてかっこよくなりました。 しかしその後、車検の度にサスの交換をするのが面倒くさくなり、 ・クスコのローダウンサス(検対) に変えます。 と、職場の先輩が「14インチの60か〜。役不足じゃないか?」と、さらにありがたい?アドバイス。 ・ボルクレーシング グループC+ピレリP700z(f:6.5j +37 195/50−15、r:7.0j +25 215/45−15) と、なりました。 このころ悩まされていたのが、S/C乗りなら誰でも経験する「ベルトの鳴き」。 6000くらいから「ギャ〜ッ」と鳴きまくります。 ある日、某CARB*Y誌に「いやと言うほどきつく締めればよい」と載っていたので、通勤道にあるショップで張ってもらいました(このころはすべてショップ任せ)。 おかげさまで、スムースな過給&回転上昇となりました。 これがきっかけで、このショップとのおつきあいが始まります。 そして、いろいろ教わりながら、自分でも簡単なメンテナンスに取り組むようになります(特にアイドラープーリーの交換!)。 事故・・・どういう訳か、私が止まっているのにも関わらず、いろいろなお車がAWに突撃してきます。おかげで現在に至るまで、ドア・フェンダー・フロントバンパーなどいろんな部分が交換されています。 そんな時の修理は、私が扱っていた商品の製造元が修理工場なので(私の職業を知っている方は意味が分かりますね)、そこにお願いします。 ある時、オーバーフェンダーをつけたいと思い、中古でフェンダートリムを購入しました。そのフロント用(リアより膨らんでいる)をリアにリベット付けで装着するというすばらしいアイデアです。 工場に持って行き、その旨を社長に伝えたところ「うちでやったって言うなよ(当時は違法改造)」と言いながら、塗装〜加工〜取り付けをものの2時間くらいでやってのけました。 先日、社長さんは亡くなり、このフェンダーは私にとっての形見となってしまいました。 あくまでも通勤快速仕様の私にとって、エンジンの内部に手を入れるのは禁じ手。 しかし、「ハイカム」という高回転まで伸びる魔法の杖の魅力に負けてしまいます。 ショップの親父に相談し、HKSの256度コンカムを入れることとなりました。 いや〜回る回る。気持ちのよいくらい回転してくれます。 ・・・しかし、アイドリングはベロベロ。アクセル・クラッチオフでエンジンストールの嵐。 例のネジを回し、調整しながら乗り続けることとなります。 そんなこんなで10年。 私にも2人目の子どもが生まれ、AWは一旦眠りにつくこととなります。 ナンバーのはずされた我がAWは、妻の実家で3年後の復活まで埃をかぶるのでありました。 AWが眠りについているある日、ネットオークションであるものを見つけます。 欲しくても手に入らなかった「フジツボ競技用4本出しマフラー」です。それも、8000円! このマフラー、実はNA用なのですが、とりあえず購入。 そして、2001年夏。AWを所有できる条件が整い、いよいよ復活です。 復活に際して、マフラーの加工。 切った張ったの大作業(私は見ていただけ)で、S/C用に変身です。 大口径1本出しが主流の昨今、時代に逆行しているルックスが最高です。 また、ふと立ち寄ったガソリンスタンドで目にした「DNA」というタイヤのサイズ。 「195/45−16:215/40−16」 履くしかない。 ホイールは、ロータスエスプリS300についている「OZのペガソ」・・・16インチはない、さらに最近は100の4穴自体が市場にないではないか。 探す、探す・・・そして発見したのが「PIAAの5本スポーク 中島悟モデル?」。まさに、なんちゃってペガソ。 晴れて、再びAW乗りとなれた約1ヶ月後、大変なことが起こってしまうのでありました。 クスコクランクプーリーの破損・・・・によるクランクシャフトの破損。 ネッツトヨタに持っていき、状態を見てもらうと「エンジン降ろさないとダメですね。」 ガ〜ン。 そのままO/Hもやることにし、さらについでに92後期用S/Cプーリー・TRD0.8ガスケット・TBSのクランクプーリーを入れることにしました。 ところが、エンジンを組んだところでS/C自体が壊れていることが発覚〜交換。 また、エンジンの仕様が変わったことで燃調もおかしくなり、3ヶ月の入院となってしまいました。 なんとか退院はしたのですが2000回転付近で異常燃焼。 「ボッボッ」と息つく感じがあります。 「かぶっているな」と思い、各種調整ネジを駆使して調整、またF−CONにGCCUをつけ燃料を薄くしてもダメ。 もしかしたら・・・と、発想の転換で2000回転付近をGCCで思いっきり濃くしたら、直りました。 なんともカッコ悪いお話です。 ここまで来て、ふと思いました。 「ちゃんとアイドルして、エンジンの止まらない車に乗りたい。もう37歳だし、あんまりブン回したりしないし、トルク重視の車に戻そう・・・。」 そして、2002年3月某日、10年の月日を経て我がAWはノーマルカムに戻ったのでありました。 ノーマル最高! エンジンが止まらないんだから。 満足満足・・・としばらくこの状態で乗っていましたが、 交換時にOTAさんが残していった言葉が頭をよぎります。 「この運転の仕方なら、すぐ満足できなくなるよ・・・」 すみません。その通りでした。 しかし、2度とアイドル不安定な車にするのはいやだったので、 ちょっとだけ作用角の大きな86用240度カムにする事にしました。 紆余迂曲説した結果、また、OTAさんにお世話になることになり、現在の仕様に至っています。 カム交換と同時期、運転席側のパワーウインドウのモーターギア&ワイヤーが破損。 ゴールデンウイークにもかかわらず、共販が開いており、在庫もあったので部品購入〜交換。 6月に入り、以前から異音がしていたセルモーターがとうとう寿命。 たまにバッテリーが上がったようになりセルが回らなくなりました。 ネットで安く(新品は4万以上します)セルモーターを手に入れ、交換・・・・できませんでした。 セルモーターのボルト&ステーボルトがそれはもう力一杯しまっており、はずそうとしたらボルトをなめなめ状態。 私には手に負えなくなり、ご近所のプロにお願いしました。 現在、元気よくエンジンがかかります。 そろそろ、アイドラープーリーのベアリング交換時期(異音あり)、 エアコンのクラッチプーリーベアリング交換時期(異音あり)、 ついでにオルタネーターのブラシも交換予定。 2002年6月22日現在。 そろそろ、アイドラープーリーのベアリング交換時期(異音あり)、・・・済 エアコンのクラッチプーリーベアリング交換時期(異音あり)、・・・・・・済 ついでにオルタネーターのブラシも交換予定。・・・・・・・・・・・・・・・・・済 フロントスピーカーが劣化のため、バリバリいい始めたので交換しました。 2002年8月16日現在。 あとは、更新履歴の順に変わってます・・・多分。 このページ終了(笑) |