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山を下りて逗子海岸に出てきました。
これから鎌倉に向かって北上します。
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逗子海岸の波打ち際を歩きます。
砂に足がとられてけっこう疲れます。
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これは、不如帰の碑と言われるものです。
徳富蘆花の「不如帰」にちなんだ碑だそうです。
この碑石の下には、蘆花が不如帰執筆に使った
筆と硯が収まっているそうです。
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再び山歩きです。ここは披露山です。
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今回のメインである名越切通しにやって来ました。
ここを越えると鎌倉市に入ります。
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両側に岩肌がむき出しの切通しを歩きます。
勾配も緩やかで快調に進みます(今のところは…)
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突然、道を塞ぐ大きな岩に出くわしました。
元々切通しは道であるとともに外敵な侵入を阻む軍事的な目的もあり、
道幅を狭くしたり、崖上から岩を落としたりと要塞的な造りになっています。
そのような意味で、この岩もわざとここに置かれていると言われています。
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大木が斜めに生えています。歩きにくいな〜
これも外敵の侵入を防ぐためかしら……
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今度は倒木です。これも外敵を……(以下略・笑)
それにしても段差の大きな下り階段で接地衝撃がキツイ。
膝か壊れそうです〜
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名越切通しを抜けました。
眼下に横須賀線が見えます。
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アロエの赤い花が咲いています。
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カエデもきれいに赤く染まっています。
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安国論寺にやって来ました。
ここは日蓮上人が草庵を結んだ所と言われています。
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ぼたもち寺とは面白い名前ですね。
捕らえられた日蓮上人に、ぼた餅を差し出したことが由来とのこと。
正式には常栄寺と言います。
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妙本寺の総門前を歩きます。
源氏に滅ぼされた比企氏を弔うために建てられたと言われています。
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鶴岡八幡宮に到着。境内を歩いています。
コース外ですが、これから本殿に向かいます。
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大階段を上って本殿に向かいます。
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大階段上から参道方向を見ます。
ここから一直線に正面方向に歩いたところがゴールです。
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鳩と戯れるファミリー。ここは鳩が多いのです。
しかも人に慣れていて、体のいたるところに止るのです。
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鶴岡八幡宮の参道を歩いてゴールへと向かいます。
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鎌倉海浜公園に到着。ゴールしました。
コースごとにゴール受付が用意されています。
お疲れ様でした。
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ゴール会場では鳥海ツーデーマーチの山形県遊佐町の
ご協力で豚汁が振舞われました。
とても美味しかったです。
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来年も良い年でありますように
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でも私のウオークはまだまだ続きますよ。
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【雑談コーナー】
来年の大河ドラマは源義経。
そして、ここ鎌倉で鎌倉幕府を開いたのは義経の兄の源頼朝です。
しかし、源氏は頼朝−頼家−実朝と3代で終わり、その後は北条氏が執権となって幕府を運営していきます。
でもですよ、源と北条と言う呼び方はおかしいと思うのですよ。
この手の話に詳しい人はピンと来ると思うのですが、源は氏の名で、北条は家の名(家名)です。
氏とは同じ血縁を持つ一族の苗字みたいなもので、源、平、藤原、橘、大江などがありますが、
この一族が各地に分散すると、その土地の名前などを家名として名乗るようになります。
たとえばこれらの家名、足利、徳川は源、織田は平、毛利は大江が氏の名です。
では北条の氏の名は……、実は平なのです。
源平の合戦で平氏を討った源氏が、また平氏に政権をとられるとは皮肉な話ではありますが、
源と北条。かたや氏の名、かたや家名で呼ばれるのがどうしても合点がいかないのです。
整合をとるのであればですよ、両家を源と平と呼ぶとか、○○(源頼朝の家名。一説には石川。)と北条と呼ぶべきではないかと思うのです。
それがとうしたの? と言われると困ってしまうのですが……すみません。長い雑談になってしまいましたm(__)m
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