2004年12月19日(日)  第40回鎌倉歴史探訪ウオーク 波と遊ばん名越切通しコース 12km

今日は、久しぶりにウオーキング大会に参加しました。昨年も参加した鎌倉歴史探訪ウオークです。
この大会は、「いざ鎌倉へ」と切通しを通って鎌倉まで歩くもので、JWAのラストウオークでもあります。
今回私が歩いたのは、全11コースの中で名越の切通しを歩くコースで、距離も12kmとショートですが、山や砂浜を歩いたため、
体力的にボリュームのあるコースでした。
今回のコースは、鎌倉市の南側に隣接する逗子市からスタートして南向きに山を歩き、海岸に出てから北上して名越切通しを歩き、
鎌倉市のゴールに向かうものです。
今日は、冬だと言うのに素晴らしい秋晴れと汗ばむくらいの暖かい陽気で、ジャケットを脱いで半袖で歩きました。
今日は、久しぶりに楽しく歩けました。

〔ウオークデータ〕
歩行年月日 2004年12月19日(日)
名   称 第40回鎌倉歴史展望ウオーク
主   催 JWA
主   管 JWA幹事会、千葉県・埼玉県・神奈川県各ウオーキング協会
コース等 全11コース 11km〜20km(コースによる)
歩行形態 自由歩行
参加人数    名
歩行ルート 亀ヶ岡八幡宮(逗子市逗子)−(田越川沿い)−蘆花記念公園−逗子海岸一披露山−名越切通し−安国論寺−鶴岡八幡宮−
鎌倉海浜公園(鎌倉市由比ガ浜) 
歩行距離 12km
歩行時間 スタート09:30 ゴール12:40 歩行時間 3時間10分
天   候 晴れ

 
私の歩くコースは逗子市の亀ヶ岡八幡宮に集合です。
ただ今、準備運動中であります。



9時30分頃、朝日を浴びながら亀ヶ岡八幡宮をスタートしました。



 
まずは、田越川沿いに南へと歩いていきます。




さて、ここから上り坂です。
皆さん息を切らせながら上っていきます。



 
途中、逗子の海が展望できる場所がありました。
ここは三浦半島の西の付け根付近です。
海は相模湾。正面に江の島が見えます。


そして、下り坂です。
突起物が落ち葉に隠れていそうで怖いな〜
おっかなびっくり慎重に下ります。


 
山を下りて逗子海岸に出てきました。
これから鎌倉に向かって北上します。



逗子海岸の波打ち際を歩きます。
砂に足がとられてけっこう疲れます。



 
これは、不如帰の碑と言われるものです。
徳富蘆花の「不如帰」にちなんだ碑だそうです。
この碑石の下には、蘆花が不如帰執筆に使った
筆と硯が収まっているそうです。

再び山歩きです。ここは披露山です。




 
今回のメインである名越切通しにやって来ました。
ここを越えると鎌倉市に入ります。



両側に岩肌がむき出しの切通しを歩きます。
勾配も緩やかで快調に進みます(今のところは…)



 
突然、道を塞ぐ大きな岩に出くわしました。
元々切通しは道であるとともに外敵な侵入を阻む軍事的な目的もあり、
道幅を狭くしたり、崖上から岩を落としたりと要塞的な造りになっています。
そのような意味で、この岩もわざとここに置かれていると言われています。

大木が斜めに生えています。歩きにくいな〜
これも外敵の侵入を防ぐためかしら……



 
今度は倒木です。これも外敵を……(以下略・笑)
それにしても段差の大きな下り階段で接地衝撃がキツイ。
膝か壊れそうです〜


名越切通しを抜けました。
眼下に横須賀線が見えます。



 
アロエの赤い花が咲いています。




カエデもきれいに赤く染まっています。




 
安国論寺にやって来ました。
ここは日蓮上人が草庵を結んだ所と言われています。



ぼたもち寺とは面白い名前ですね。
捕らえられた日蓮上人に、ぼた餅を差し出したことが由来とのこと。
正式には常栄寺と言います。


 
妙本寺の総門前を歩きます。
源氏に滅ぼされた比企氏を弔うために建てられたと言われています。



鶴岡八幡宮に到着。境内を歩いています。
コース外ですが、これから本殿に向かいます。



 
大階段を上って本殿に向かいます。




大階段上から参道方向を見ます。
ここから一直線に正面方向に歩いたところがゴールです。



 
鳩と戯れるファミリー。ここは鳩が多いのです。
しかも人に慣れていて、体のいたるところに止るのです。



鶴岡八幡宮の参道を歩いてゴールへと向かいます。




 
鎌倉海浜公園に到着。ゴールしました。
コースごとにゴール受付が用意されています。
お疲れ様でした。


ゴール会場では鳥海ツーデーマーチの山形県遊佐町の
ご協力で豚汁が振舞われました。
とても美味しかったです。


 
来年も良い年でありますように




でも私のウオークはまだまだ続きますよ。




【雑談コーナー】
来年の大河ドラマは源義経。
そして、ここ鎌倉で鎌倉幕府を開いたのは義経の兄の源頼朝です。
しかし、源氏は頼朝−頼家−実朝と3代で終わり、その後は北条氏が執権となって幕府を運営していきます。
でもですよ、源と北条と言う呼び方はおかしいと思うのですよ。
この手の話に詳しい人はピンと来ると思うのですが、源は氏の名で、北条は家の名(家名)です。
氏とは同じ血縁を持つ一族の苗字みたいなもので、源、平、藤原、橘、大江などがありますが、
この一族が各地に分散すると、その土地の名前などを家名として名乗るようになります。
たとえばこれらの家名、足利、徳川は源、織田は平、毛利は大江が氏の名です。
では北条の氏の名は……、実は平なのです。
源平の合戦で平氏を討った源氏が、また平氏に政権をとられるとは皮肉な話ではありますが、
源と北条。かたや氏の名、かたや家名で呼ばれるのがどうしても合点がいかないのです。
整合をとるのであればですよ、両家を源と平と呼ぶとか、○○(源頼朝の家名。一説には石川。)と北条と呼ぶべきではないかと思うのです。
それがとうしたの?  と言われると困ってしまうのですが……すみません。長い雑談になってしまいましたm(__)m