古本ねこや・写真版「ぬき穂」              トップへ


「ぬき穂」・・昭和天皇(皇太子時代)のために編纂された雑誌型書籍
殿下成年(18歳)の大正7年1月から10年3月まで毎月刊行された。東宮職編纂によるもので、内容は新聞、雑誌からの転載ほか外務省政務局、参謀本部、海軍軍令部からの報告を掲載、時の東宮大夫・濱尾新氏の厳選によって殿下の学課程度を尊重して抜粋されている。
判型は四六倍版、表紙絵は東宮侍従長・入江為守氏(土佐絵で著名)による、活字は殿下の近眼を配慮して全て2号以上を使用。
引用雑誌・・少年、日本少年、少年倶楽部、中学生、少年世界、教育画報、農業世界、理学界、科学世界、化学工芸、太陽、理科教育、東洋学芸雑誌、偕行社記事、財政経済時報、通俗学術講演集、歴史地理、地学雑誌、史学雑誌、外交時報、実業之日本、ローマ字少年、東亜之光、飛行界、有終、大観など
引用新聞・・東京日々、読売、国民ほか
この時期は第一次世界大戦と重なり、欧州戦線の報告が図表付きで刻々報告されている。
全39冊の内、9・10・12・13・32号の5冊欠、34冊一括にて。頁数は最多の15号(345頁)、最少は38号(92頁)、巻頭に口絵入り。背に痛みある号あり。
この書籍には奥付がなく、上記の文は「皇室と新聞・藤樫準二」文芸春秋・昭和10年7月号を参照しました。


この書籍の由来は、大正天皇の時(18歳)は新聞の切抜きが供されたが、昭和天皇には東宮で編纂、印刷、製本されたものを供した。簡単に言うと、新聞閲覧の準備運動。この後昭和天皇は半年間の欧州視察を終え帰国、それからは何の加工もない新聞を御覧になった。

大正天皇の健康がすぐれず昭和天皇は20歳で摂政役、「ぬき穂」の内容をみると高度な文章が多く、この辺りにも殿下に対する周りの期待がわかるような気がする。「カゴの鳥」を自覚されていた天皇はできるだけ多くの外部情報を入手するため新聞をよく読まれ、昭和10年当時は毎日26紙の朝刊・夕刊を御覧になった。(藤樫氏による)

「ぬき穂」19号の目次からは、学苑・軍事・内外政情・雑叢・時事日報に区別された編集になっている。海外情報や軍事などの硬いものばかりでなく、毎号には必ず動植物・自然科学が掲載され、東宮の殿下に対する気遣いが感じられる。

★めでたく嫁ぎました。

軍事関連の図表が多く折り込まれている。

この書籍の身元調査中、ご教示を頂きました宮内庁書陵部にもこの書籍の揃いは所蔵してないということでした。