“インド放浪”

 

Y・Wとたかし・Yに               

                                森野寛

夜は深い緑色に塗りこめられていた。

デリー空港から一歩外に出たとたん、僕を包んだのは、夜の闇ではなく、この途方もなく重くねっとりと澱んだ深緑の空気であった。そのなかに、空爆の直後ででもあるかのように、崩れかかったような泥の家々が洞穴のような口を開けていた。ランプが吊るされたぼんやりとした明るみのなかで、目つきの鋭い男たちが、幾人も、何をするでもなくたたずんでいた。ところどころ陥没しているアスファルトの道を(これがハイウエイなのだ!)、運転手はウインカーも出さずに、手品のようにスルスルと車線変更をしては、トラックだのバイクだのを追い抜いてゆく。そのトラックの大部分にはドアがないのだった。

地獄の一丁目。そんな気がした。強盗に襲われ、背中をナイフで刺し貫かれる幻が脳裏をかすめる。インドで死ぬ。それも悪くないか。道端にころがって、泥まみれになって、どぶに顔突っ込んで・・・・・・。

ホテルに近づく。な、何だこれは? 牛が悠然と歩いているのはいいとして、豚もいる。犬もいる。山羊もいる。果てはサルまで! そして勿論人間。だが、人間が一番汚いのはどうしたわけだ? 大きなゴミの袋、と思いきや、それがモゾモゾっと動く。頭からすっぽり布を被って寝ているのだ、路上に。まるで埃まみれのミイラだ。お祭りがあるらしく、もう午前零時を回っているのに、大通りには人があふれ、茶色の制服の警官が、容赦なく警棒で人を殴りつけている。ヒンズーの女神像が輿に乗せられ練り歩き、その周囲をどよめく群衆が取り囲んでいた。ここでもやはり空気は深緑だ。そして重たい。脳髄がしびれ、激しく渦を巻くのを感じる。ウパニシャッドもバガヴァッド・ギーターもサーンキヤ哲学も、僕のなかにあった知識のインドが一瞬にして粉微塵に砕け散った。これが、初めて見たインドの夜だった。

僕のインドは、動物とゴミと排泄物と乞食とライ病患者から始まった。ヴァラナシ(ヒンズーの聖地)の朝、黒目がビー球のように光っている少女を見た。彼女はつかつかと道の脇のほうへ歩いてゆくと、そこにのっそり立っている牛と並び、いきなり服をまくってしゃがむと排泄を始めた。ぼろをまとった、杖をついた物乞いがいた。顔が顎のあたりから、かじられた林檎のように欠けていた。足を見ると指がまるでなくなっていた。どうやって歩くのだろう。あれでバランスは取れるのか? 日が昇るにつれ道は、車、バス、オートリクシャー、サイクルリクシャーであふれる。これが乗り物のヒエラルキーだ。車は傍若無人に、クラクションをこれでもかと鳴らし続けて、すべてをどかしながら通ってゆく。次にバス。ドアも窓ガラスもない、10回くらいスクラップになったのではと思えるような鉄屑が乗客を満載し、やはりけたたましくクラクションを響かせて走り過ぎる。日中には、道路はこのクラクションの交響楽で満ち満ち、僕は、この音で、音だけで!酔ってしまうのだった。路面は無論舗装されてはいない。でこぼこの乾いた泥の道。信号機は大通りの交差点に数箇所あるだけ。しかもたいてい故障している。乗り物はすべて運転手の判断のみで動く。だからクラクションは徹底的に鳴らす。真昼の太陽は文字通り肌を焦がす。インド人が布を身にまとうのは理にかなっている。あの直射を受けてはどんなに強靭な皮膚もひとたまりもない。匂い。音。熱。これがインドを構成している三大要素だ。色はないのかって? 勿論あるが、日中、戸外で風景のさまざまな彩りを愉しむ余裕は、残念ながら僕にはなかった。

この三要素の混じり合った毒気に当てられて、ほとんど放心状態にある僕は、インド人の恰好の「餌食」だった。僕は彼らに騙され続け、どんどん金をせびり取られていった。インドで死んでもいい、なんて思っていた僕は、手痛い洗礼を浴びたのだ。僕がインドで見たのは、救いがたい貧困のなかで、本能によってしか生きられなくなってしまった(しかし、それが当然だ。インドでは頼れるのは自分の本能だけなのだ)人間の〈畜生〉としての姿であった。

ガンジス河に臨む、マニカルニカーガート(火葬場)で、僕は、美しい極彩色の布にくるまれた遺体が焼かれるのを見た。焼き終わって灰になった遺体もあった。その灰の脇で犬が寝そべっていた。男が現れ、僕を「死を待つ人の家」に案内した。薄汚れた暗い階段を上がった最上階に、二人の、もう骨と皮ばかりで息も絶え絶えの老婆がいて、虚ろな眼で僕を見つめた。「彼女等は死を待っている。自分の遺体を焼く薪が買えないので、お金を寄付してやってほしい」――やはりここでも、この人生の最期に来ても、問題になるのは「金」だった!(実際、遺体を焼く薪は高いのだ。石油で焼くこともできるのだが、それでは天国に行けない。ガンジスの森で伐り出された薪でなければダメなのだ) 僕は、一人に10ドルずつ寄付した。そのときだ、老婆は、もうほとんど向こうの世界を見ている眼差しで(その眼差しは人の心を突き通す崇高さを持っていた!)、僕の額に手を当て、祝福してくれたのだ。異様な感動が僕を襲った。

四日間、サイクルリクシャー(自転車の後ろに幌つきの座席をつけた乗り物)で案内してくれたバーバは不可触賤民だった。一日ニ、三百円を稼ぐために、必死に自転車をこぐ。二日目、悟りを開いたブッダが始めて説法をした仏教の聖地サールナートに行くことにした。ヴァラナシから片道十キロある。「どうやって行ったらいいだろう?」と僕はバーバに訊ねた。「私が連れて行く」「えっ? この自転車で? だって片道十キロあるんだよ」「大丈夫。何度も行っているから」――その自転車は、日本でなら粗大ゴミにしかならないシロモノなのだ。当然、変速機なんか付いてはいない。これで、しかも後ろに人を乗せて、往復二十キロも走れるのか? まさに「痛い」という形容がピッタリの肌を射し貫く日光を全身に浴びながら、バーバはひたすら自転車をこぐ。坂道になると、立ちこぎ。僕の眼の前で、真っ黒に日焼けしてやせ細った身体が、首筋に玉の汗を浮かべながら渾身の力をこめてペダルを踏む。その若い男の後ろ姿を見つめている僕のなかで何かが音を立てて崩れてゆく。「敗北」という言葉が浮かんだ。

ろくに学校も行っていないバーバは、路上で覚えた英語で言うのだ。「ワタシハマズシイ。ワタシノカゾクハイツモハラペコ。アナタハオカネモチ。アナタハワタシヲタスケテクレルヒト・・・」 なぜ世界はかくも悲しみに満ちているのだろう。豊かすぎて虚無に陥っている人間もいれば、豊かさのカケラも手に入れられない人間もいる。豊かさの過剰が人間を荒廃させ、豊かさの欠乏が人間を卑屈にする。シアワセはどこにもない。あるのは果てしもない悲しみだけだ。ゴッホの臨終の言葉が頭をよぎる。「無駄なことさ。悲しみはけっして終わらない」そう、確かにけっして終わらない。――

夕方、ホテルに戻ろうとすると、カトリック教会があった。僕は自転車を止めさせ、吸い込まれるように中に入った。広い礼拝堂には、座って一心に祈っているシスターが一人いるだけ。中央の通路を進み、僕も腰を下ろす。そして正面を見上げた。そこには十字架にかけられたイエスが血を流していた。それを見た瞬間、涙があふれてきた。「ああ、僕は、結局あなたにここで会うために、何千キロも旅をしてきたのですね。それにしても、あの外の世界の悲惨さはいったい何でしょう? あんなになっても人間は生きるしかないんでしょうか? 僕には解りません。人間の生っていったい何でしょう? ただ、飢えと貧困に苦しむためだけに生まれた命って、いったい何ですか?・・・・・・僕は問い続けたが、そのひとはただ血を流して沈黙したままだった。ステンドグラスを通して赤や青の夕陽が礼拝堂に射し込んでいた。僕は、ずっとここで修道士になって暮らしてもいいな、という思いに一瞬捕われた。それほど、教会内は平安に満ちていた。一時間ほどもそうしていて、やっと外に出た。バーバが待っていた。Good?と彼が訊いた。僕は悲しくなって、Yesgood。と答えた。

南インド、マドラスでのこと。三月なのに焼けつく陽射し。街を歩きながら、やたらにミネラルウォーターとコカコーラを飲む。聖トマス教会で一休みしたあと、その教会の裏手から海岸に続く階段があり、下りてゆく。目の前三百メートルくらいには、紺碧のベンガル湾がぎらぎら照りつける太陽の下で輝いている。「ああ、海だ。なんて広いんだろう!」僕は感激して、石段を下りきった。と、異臭が鼻を突く。「むっ、何だこの匂いは?」――そこはスラムなのだった。掘っ立て小屋ともつかぬただ板を組み立てたようなところに、多くの家族が住んでいた。異臭は彼らや家畜の排泄物と腐った野菜や果物の混じり合った匂いだったのだ。汚水があふれて辺りはぐちゃぐちゃだ。奈落の底に突き落とされたようだった。絶望を通り越してほとんど虚無を感じた。すぐ眼の前には、全身が染まってしまいそうな広大な海の青。だのに、その手前に地獄がパックリ口を開けているのだ。昔読んだ伊東静雄の詩の一節が浮かんだ。「自然は限りなく美しく永久に住民は貧窮していた・・・」小走りにそこを抜け、砂浜に出た。白い細かいきれいな砂だ。が、あちこちに点々と赤黒い塊が見える。素っ裸の子供たちがやって来て、「ジャパニー、ジャパニー」といいながら金をせがみ、腕時計を取ろうとする。僕はガキどもをひっぱたき追い払った。金品をせびる子供等を嫌悪し、その子供等をひっぱたく自分を嫌悪する。この国では嫌悪は常に倍になって返ってくるのだ。海の青は瞬時に消え、現実のどす黒さに閉ざされてしまう。「畜生! この国ではどこへ行っても現実がオレに復讐する」 悲惨さのなかに安住し、ほとんど無感覚になって動物化してしまった人間ばかりを見続けることに、僕は耐え切れなくなっていた。「オレはこの国に施しに来たんじゃない。憐れむために来たんじゃない」 僕は心のなかで虚しく叫び続けた。

マドラスからさらに南の海辺の町、ポンディシェリ。そこでファリウさんと会った。そして二人で、その近郊にあるカトリック系のアシュラム(僧院)に滞在した。そこで、インドに来て初めて僕は心の安らぎを得た。フランス人のドミニク神父はじめ、修道士の人たちや、これから修道士なろうとしている青年たち、それに僕のように旅行で滞在しているオランダ人やアメリカ人の若者たち、みなが心優しく親切だった。インドに来て二週間、ささくれだった僕の精神は、ここに来てやっと落ち着きを取り戻した。赤いレンガ造りの簡素な建物は回廊になっていて、その中庭にも外の庭にも色とりどりの花が植えられ、多くの樹木が茂っていた。ベッドと机と椅子、それに隅に小さな洗面台があるだけの質素な部屋は、しかしながら、とても清潔で、外庭に面した窓から赤や黄の花々、眼に染みる木々の緑が見られた。机の上には聖母子を描いたイコンが置かれ、正面の壁には磔刑のイエス像が掛かっていた。夜になると、どこからともなく薄い黄土色のまるでゴムでできたようなトカゲが数匹壁を這う。僕はそいつらを見るのを楽しみにしていた。朝夕のミサには参加した。僕はキリスト教徒ではないが、イエスの存在はずっと心の中にあったし、ヴァラナシの教会で血を流すイエスに出逢ったときは、ほんとうに深い懐かしみを感じたのだった。ドミニク神父の祈りのラテン語は、勿論さっぱり解らなかったが、茣蓙の敷かれた小さな礼拝堂に座ってじっとしているのは、それだけでどれほどか心が和んだ。夜のミサでは、蝋燭だけのわずかな灯かりのなかで、修道士たちが跪いたり、突っ伏したりして、長い時間じっと動かず祈っていた。僕は隅のほうで、坐禅の形に脚を組んで瞑想した。

数日後、ファリウさんと一緒に、僧院の敷地内にあるホスピスを見学に行った。末期エイズ患者の「看取り」をしているのだった。ここでまた僕は、人間の〈悲惨〉を目の当たりにすることになった。もう起き上がることもできない痩せ細った重症患者から、雑用ができるほどの患者まで十数人がいた。ファリウさんは、そうした重症患者のベッドの脇に行って、患者の手を握ってやっていた。僕にはどうしてもできなかった。ファリウさんは看護婦のシスターと薬のことなどいろいろ話をしていたが、僕は病室の空気に耐え切れず、外に出てしまった。中庭ではたくさんの美しい花々が咲き誇っていた。比較的元気な患者がホースで水を撒いていた。空は眼がいたくなるほどにどこまでも純粋な青だった。僕は、何も考えられず、植物の生命力に見惚れて、ただぼんやりとたたずんでいた。しばらくすると、さっきの水を撒いていた男性が、僕の傍に来た。「疲れるでしょう。どうぞ」そう言って彼は僕に椅子を勧めた。あっけにとられた僕は「ありがとう」というのが精いっぱいであった。動けるとはいえ不治の病におかされている人間が、見知らぬ一人の男、どこにも病気のない健康な男を気遣っているのだ。その初老とおぼしき浅黒いインド人の眼は、慈愛に満ちていた。インドに来て初めて出逢った〈眼〉であった。「この人に会えてよかった」と僕は思った。これまでのすさんだインドの印象が、日向に置いた氷のように融解していくのが心地よかった。

「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」(『ガラテヤ人への手紙』)

聖書の言葉を実感することなど、これまでになかったが、この時ばかりは、人間のなかに神がいると感じた。

 生きよう、と思った。どんなにぶざまでかっこ悪くても、与えられた〈生〉を精いっぱい生きなければならない、と思った。で、なければ、この人たちに申しわけない。                  

 その人は、僕が椅子に腰掛けると、またホースを取って水を撒きはじめた・・・・・・。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           




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