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「人によって、それはもちろん違うだろう。でも、たいていの
人には、青春が終わってしまったと、感じる瞬間があるんじゃ
ないだろうか?その時、人生はひとつの終着点にたどり着き、
後ろを振り返れば燃えるような風景が輝き、前を見ると漠たる
荒野が果てしなく続いているように思える、そんな瞬間が。。。
“男たちは変わったか?−全共闘世代の20年後”(鈴木泰子著/
第三書館/1992)という本がある。森田童子が“あの時代”と呼ぶ、
1970年前後の激しい日々に青春を過ごした10人の男たちの
その後の人生を、彼らと同世代のひとりの女性がインタビューしている。
彼らの世代の人々の生き方を、かいまみる事ができる気がする。
“あの時代”の中で、彼らは連帯し、共に闘った。しかし時が移り、
熱い季節が終わった時、彼らはひとりひとりの個に立ち返り、
個としてその後の人生をひきうけた。それぞれの人生の、
個であるが故の重さが、この本を読むと痛いほどよくわかる。
それからどう生きるのかが、本当にたいへんなんだ。
森田童子の歌が、普遍的価値を持っていることを十分に
承知した上で、それでも僕は思わざるを得ない。
童子はまず第一に、この世代のこのような人たちのために歌ったのだと。
彼女が歌う“友よ・・・”とは、このような人たちのことなのだ、と。
彼女がかつて共に生き、共に闘ったけれど、時代の変化の
中で去っていった“友”たち、あまりにも純粋でひたむきで
あったからこそ傷ついて、それでもひとりで立ち上がって、
歩き始めるしかなかった“友”たちへの、限りなくやさしい呼びかけなんだ、と。
そしてある時期がきて、彼女自身、歌う事ををやめて、
匿名性の彼方へと去っていった。“個”としての人生を引き受ける
ために。他の“友”たちみんながそうしたように。」

今日、散歩をしながら、上に書いたような事を考えていたら、
潔くて、こんなにもやさしい森田童子の人間としての偉大さ
に気がついて、胸が熱くなってきてしまった。

                    1999年10月14日


(森田童子研究所伝言板にかつて書いた言葉。
特定の政治的立場を念頭に置いたものではありません。
あの、困難な時代を生き抜くために戦ったすべての人たちに、
森田童子はやさしく歌いかけたのではないかと思っています。)

2002.7.21 たかし