紫陽花情話

 

しとしとと雨が降る。
お昼過ぎから降り出した雨に今日の外出を中止にしたあかねは、部屋からじっと雨に打たれる紫陽花を見つめていた。
湿った空気に、土の香りがする。
雨が『しとしとと降る』こと、土に『香りがある』こと。
あかねは京に来て初めてそれを知った。
あのまま、京に召還されることがなければきっと、そんなことを知ることはなかっただろう。
それは、幸せなことなのか、それとも・・・・

そんな思いにぼんやりとしていると、いつの間にか紫陽花の植え込みの前に女童が立っていることに気がついた。
肩で切り揃えられた濃い藍色の髪が紫陽花に鮮やかに映える。
女童はゆっくりとあかね部屋の下まで来るとにこりと笑った。
その笑顔にはっとすると、あかねは慌てて階を駆け下りる。

「そんなところにいちゃ濡れちゃう!早くこっちにいらっしゃい」

 

女童の小さな手をとると、あかねは自分の部屋へと少女を上げ、近くにあった手拭で雨の露を含む髪を拭く。
深緑色の着物は、何故かあまり濡れてはいなかったが、あかねはそれに気づくことなく髪を拭き終わると女童を座らせた。

「いったいどうしてあんなところに・・・・それより、見かけない子ね?近くに住んでいるの?」

あかねの問いに、女童は小さく首を振ると紫陽花の植え込みの方を指差す。

「あっちの方に住んでいるのね?夜になる前におうちに帰らないとみんな心配するよ?後で頼久さんにお願いして送ってもらおうね?」
「ありがとう・・・・お姉さんのお名前は?」
「私はあかねよ、あなたは?」
「私は・・・・」

しばし逡巡すると、女童は大きな蒼色の瞳を2つほど瞬かせる。

「私は『さあい』」
「さあいちゃん、可愛い名前!よろしくね?」

あかねにそういわれると、さあいと名乗る女童はにっこりと嬉しそうに笑った。

外の雨が気にならないくらい、あかねの対からは笑い声が漏れ聞こえてる。
あかねが話すもといた世界の話を、さあいが興味深げに聞き入っている。
時々する質問に答えながら、あかねは久し振りに心から笑っていた。

「ねえ、あかねお姉さんは、どうしてここにいるの?前は違うところに住んでいたのでしょう?」

じぃっとあかねを見つめながらさあいが尋ねる。
うん・・・・と、あかねは頷くと、しばらく考えてから口を開いた。

「私はね、お役目があってここに来たの」
「おやくめ??」
「うん、お役目。大切なお役目なの。最初はびっくりして・・・・怖かったし逃げたかったけど・・・・」
「・・・・けど?」

ゆっくり立ち上がり広廂に出ると、あかねは降り続く雨の雨脚が少し弱くなって、西の空が少しずつ明るくなってくるのをじっと見つめる。

「けどね、すごく大切なものを見つけたの。その為にも・・・・逃げたくない・・・・負けたくないの。いつも私を護ってくれる・・・・だから私も護りたいの」

徐々に雲が割れ、幾筋もの光の帯が天空から駆け下りてくる。

「これからも、いっぱい怖い思いもしないといけない・・・・きっと、傷つくこともあると思う。でも、負けたくないの・・・・ここにくることはきっと、運命で決まっていたかもしれないけれど、その運命にただ流されるだけじゃ嫌なの」

ぎゅっと両手を握り締めて、あかねは遠ざかっていく黒雲を睨む。

「絶対に・・・・負けない」

光の帯の中、いつしか止んだ雨の名残が、庭の木々を虹色に彩っていく。
しばらく無言で庭を見詰めるあかねに、神気が集まってくる。
その神気に晒されて、緑が、小鳥や虫たちが、喜びの歌を歌う。

「雨、止んだね?」

いつの間にか、あかねの傍にさあいが立っていた。
さあいの声に、あかねははっとして無意識に握り締めていた手を解く。

「・・・・ありがとう、あかねお姉さん」
「え?」

自分を見上げてくる蒼色の瞳をあかねは不思議そうに見つめる。

「お姉さんに逢えて嬉しかった」

蒼色の瞳が、そしてさあいの身体がふいに差し込む光に虹色に輝く。

「さあいちゃん!?」

慌てて伸ばしたあかねの手をすり抜けて、さあいはゆっくりと空気に溶けていく。

「これからも、その気持ち、忘れないで・・・・これからも、負けないでね・・・・龍神の神子様」

一陣の風と共に、さあいの身体は空に溶け、消え去る。
そして、さあいがいた場所に、一枝の紫陽花だけが残されていた。



「今のは・・・・」

呆然と足元の紫陽花を見詰めていたあかねは、はっとして気配に振り返る。

「泰明さん?」

広廂の外、簀子縁の柱にもたれていたのは八葉の1人、陰陽師である安倍泰明だった。
泰明はあかねの足元に落ちていた紫陽花を手に取るとあかねに差し出した。
しかし、あかねに差し出された手も肩も、そして若緑色の髪も、しっとりと露を含んでいる。

「いつからそこにいたんですか!?」
「問題ない」
「問題大有りです!!風邪ひいたらどうするんですか!」

あかねは泰明の手をとると、ぐいぐい引っ張って部屋の中へと入っていく。
そして新しい手拭を取り出すと、泰明の髪を解き、ごしごしと頭を拭きだした。

「・・・・・神子、痛いのだが・・・・」
「当然です、痛くやってるんですっ」
「何を怒っているのだ?」

あかねの手を掴むと、泰明はその琥珀と翡翠の瞳であかねを見つめる。
当のあかねは、見つめられて紅くなりながらも、泰明をじっと睨んでいた。

「泰明さんの務めは何ですか?」
「八葉として神子を護る事だが・・・・」
「それは、『八葉のお仕事』でしょう?私が聞いてるのは・・・・」

小さく溜息をつき、そしてふいっとそっぽを向くと、あかねは小声で呟く。

「・・・・『泰明さん』のお仕事です」
「『私』の?・・・・それは、神子、お前を護ることだ。私の目の前にいる神子を護ることだ」
「じゃあ、もし風邪をひいてお勤めできない時に、私に何かあったらどうするんですか?他のみんなに私を任せちゃうんですか?」
「それは・・・・たとえどんな状態でも、私は神子の傍に行く」
「そんなの、嫌です!」
「神子、わからぬ。私は神子の道具だ。神子が危機に晒されれば、それを救いに行って何が悪いというのだ」

あかねは涙ぐみながら激しく頭を振ると、泰明に抱きつく。

「違うよ!泰明さんは道具なんかじゃない!!ちゃんと生きてる人間なんだよ?無理して、身体壊しちゃったら・・・・私、その方が心配なんですよ・・・・」
「・・・・」
「泰明さんが、私に何かがあればどんな時でもすぐ駆けつけてきてくれるのは嬉しいよ・・・・でも、それで泰明さんが身体を壊しちゃったら・・・・そんなの、嬉しくなんてない」

泰明に抱きつく腕の力が、零れる熱い涙が、あかねの想いを伝える。

「今は戦いが続いてる。そんな中でもし泰明さんが倒れても、看病に行くこともできないんだよ?だから、お願いだから、無理しないで・・・・」

伝わってくる熱い想いに、泰明はあかねをそっと抱きしめると小さく頷く。

「わかった・・・・神子、だから泣くな。神子の気が乱れると私も胸が苦しくなる」
「本当ですね?もう、さっきみたいに雨に濡れたままなんてこと、やめてくださいね?」
「ああ、わかった」

泰明の返事に少し安心したのか、あかねはそっと泰明の腕からすり抜けると涙を拭って微笑む。
離れてしまった温もりに名残惜しそうにしていた泰明も、その微笑に、一瞬あかねにしか見せない微笑を浮かべる。
泰明の微笑みを真っ赤になって見つめていたあかねは、そう言えば・・・・と、渡された紫陽花を傍の器に生けながら泰明に尋ねる。

「・・・・泰明さんはどうしてあそこにいたんですか?今日はお休みだったはずなのに」
「神子の傍に、尋常ならない気があった。何かあれば祓うつもりできたのだが・・・・問題なかったようだな」
「尋常ならない気?さあいちゃんのこと?」

うむ、と泰明は頷くと、庭の紫陽花を指差す。

「『さあい』とは『真藍』・・・・青い花のことだ」
「青い、花・・・・!?」
「紫陽花とは『真藍』の『集まり』・・・・つまり、『あづさい』が変化したものだと言われている」
「じゃあ、さあいちゃんって・・・・紫陽花の変化?」
「恐らく」

庭に、今を盛りと咲き誇る紫陽花。
そして部屋に生けられた小さな一枝。
さあいが消えるときに残した言葉が蘇る。

『これからも、その気持ち、忘れないで・・・・これからも、負けないでね・・・・龍神の神子様』

きゅっと瞳を閉じて、自分の言葉を思い出す。
この京で見つけた大切なもの。
それを護りたい。
今、自分の傍にいて、護ってくれる、この人を。

「泰明さん」

そっと瞳をあげて、あかねが泰明を見つめる。

「これからも・・・・私を護ってくださいね?私も、泰明さんを護るから・・・・」
「ああ。神子の望むままに・・・・」

泰明にそっと寄り添って、あかねは空を見上げる。
いつしか雨が上がった空に、美しい虹がかかる。
差し込む光の中、雨粒を抱いた紫陽花が小さく揺れて二人を見守っていた。

日下部葉月様『月下の祈り』

http://haduki.milkcafe.to/gekka/index.html

葉月さんからいただいた物語の中に出て来る“さあいちゃん”のイメージイラストですv

 

 

≪日下部葉月様コメント≫

お世話になっている神凪涙様のサイトの10000Hitのお祝いとして書かせて頂きました。
リクは『ほのぼのとした泰神子』のはずだったのですが・・・・・なんか、違うような(大汗)
とはいえ、久しぶりの泰神子、楽しく書かせて頂きました。
こんなのでよろしければ、どうぞご笑納下さいませ。
サイトのますますのご発展をお祈りしています(*^-^*)

[涙のひと言]

当サイトの10000HITのお祝いとして、日下部葉月

様が贈ってくださった作品です。

この中に出て来るあかねちゃんはとっても強くてやさしく

て本当に素敵な女の子に描かれています。小さい子にやさ

しいお姉さんとしてのあかねちゃん、龍神の神子としてそ

の胸に使命と決意を帯びたあかねちゃん、そして、泰明さ

んを愛する一人の少女としてのあかねちゃん。どれもとっ

ても魅力的ですね。オリキャラのさあいちゃんもとっても

かわいいですし、泰明さんもとても泰明さんらしくて、そ

れでいて、あかねちゃんをとっても大切に思っているのが

伝わって来て、思わず嬉しくなっちゃいます。

葉月様、ステキな作品をありがとうございました。

 

 

 

日下部葉月様のサイトへは『リンクのお部屋』からどうぞ

 

 

 

戻る