出生

 

「米作〜、おめえんとこのカカアややこが出来たんだってな〜っ」

米作がいつものように自分の畑を耕していると、ちょうど通りかかった田吾作が声を掛けた。

「ああ、やっと授かった子でな〜」

米作は土に汚れた顔をほころばせながらそう返した。

 

米作の家は摂津の国水尾村にある貧しい一軒の農家である。カカアとふたりで食べて行くのが

やっとといったありさまなので、ひとり食いぶちが増えると言うのは正直言ってたいへんであ

る。しかし、それでも夫婦になって10年目でやっと授かった我が子である。嬉しくないはず

はない。米作とカカアのふたりはまだ見ぬ我が子の誕生を待ちわびていた。

 

ところが、臨月になっても一向に子どもの生まれる気配がない。まあ、少しぐらい延びること

などよくあるよと回りの人達が言うし、確か向こう隣のやや子もかなり遅れて生まれたと聞い

ていたので、最初のうちはそれほど心配してはいなかった。しかし、それから二ヶ月経っても

三ヶ月経ってもやはり生まれる気配はない。米作はさすがに不安になって来た。そして、さら

に四ヶ月過ぎ、五ヶ月が過ぎた。カカアのお腹ははちきれんばかりに膨れていた。

「カカア、大丈夫か? 苦しくないか?」

米作はカカアに聞いた。だが、気丈な百姓女である。

「大丈夫だ。わたしも元気だし、やや子もハア元気だよ。耳当ててみるか?」

米作はカカアのお腹におそるおそる耳を当ててみた。すると規則正しい心音がトックントック

ンと聞こえてきた。

「確かに元気だな。安心した。」

それからさらに一ヶ月が過ぎ去ったころ、やっとカカアに陣痛が来た。しかし、すでに妊娠か

ら十六ヶ月も経っていたのだから、カカアの苦しみようは尋常ではなかった。

「大丈夫だか?」

米作が声をかけても返事をすることもできずにカカアはうめき声を上げていた。先ほど隣の

カカアが隣町の産婆を呼びに行ってくれているのだが、その産婆もまだ到着していない。

「いったい産婆は何をしてるんだ。はよ来んかな…」

米作がそう言って、戸口の方を見やった時、

「ギャーッ!!」という悲鳴と「オンギャーッ」という産声が同時に聞こえてきた。

米作はその声に振り向き、

「生まれたか?」

とつぶやいた。しかし、その生まれた子を見て、米作は思わず凍りついた…

 

生まれた赤子はまだ生まれたばかりだというのにへその緒を自分で噛み切っていたのである。

そう…その赤子は不思議なことに生まれながらに歯がすべて生え揃っていたのである。

そして、まだその血まみれの赤子は、動けずにいる米作の目の前でスクッと立ち上がると

ヨチヨチと歩いて米作の方に近寄って来た。

その時、カカアが弱々しい声で米作に聞いた。

「やや子は…わたしのややは…」

その声を聞いて赤子はカカアの方にクルッと振り向き、鋭い眼光でカカアを見据えると

血まみれの顔でニタッと笑った。

それを見てカカアは大きな悲鳴をあげた。そして、難産で弱りきっていたカカアはあまりの

恐ろしさのためにそのままショックで死んでしまったのである。

 

「カカア? カカア〜ッ!!」

米作は妻の亡骸を抱きかかえると大声で泣いた。

赤子は不思議そうにそれを眺めていた。

 

何時経っただろうか、米作は泣いてばかりはいられなかった。いくら鬼子のようなこども

とはいえ、カカアが残してくれた愛しいたったひとりの我が子である。米作はお湯で赤子

の身体を拭いてやった。すると赤子はキャッキャッと笑った。用意していた産着は小さす

ぎて着られないので、自分の着物を赤子に着せてやった。着物を着せて改めて見ると、

赤子はなかなか整った顔立ちをしている。自分にもカカアにもどちらにも似ていないよう

に思えた。とても見目麗しい男の子である。

「なんて美しい子だ。」

米作は思わずつぶやいた。赤子はまたキャッキャッと笑った。

 

「やや子に乳をやらねば」

と米作は赤子を背にもらい乳をするために赤子のある家を探し歩いた。やがて一軒の家に

着くと、米作は事情を話し、乳を分けてくれるように頼んだ。

「それは、たいへんだったな。いいとも、わたしの乳でよければいくらでもあげるよ。」

とそこのかみさんは快く米作の申し出を受けてくれた。

「すまんな。」

と米作が言うと

「困った時はお互い様だよ。」

と気のいいかみさんは笑いながら答えた。

かみさんが赤子に乳を与えると赤子は勢いよくその乳首に吸い付いた。

「よっぽどお腹が空いていたんだな。」

最初のうちは微笑ましくその赤子を見ていたかみさんであったが…

赤子があまりにも勢いよくいつまでも吸いつづけるものだからかみさんは声を上げた。

「さっ、もういいだろう? お腹いっぱいになったはずだよ。」

そう言って、赤子をそっと離そうとした。だが、赤子はなおも乳房にしっかりとしがみつ

いたまま乳を吸いつづけているのである。かみさんはだんだん苦しくなってきて悲鳴を上

げた。

「だ…誰か、この赤子を離しておくれ!!」

その悲鳴を聞きつけて、その家の旦那と米作がふたりがかりで赤子を離そうとしたが、

赤子はすごい力で乳房にしがみつき、離すことはできなかった。

 

やがて、赤子は乳首から口を離した。

かみさんはとうに失神していた。見ると、大きく張っていたかみさんの乳房はすっかり

しなびて、まるで老女のそれのような哀れな姿に変わっていた。

 

「この疫病神め!!」

米作と赤子は塩を投げつけられ、その家から追い出された。

米作は呆然として腕の中の赤子を見た。赤子はお腹がいっぱいになって満足したのか、

米作の腕の中でスヤスヤと眠っていた。

 

狭い村である。翌日にはこの赤子の噂は村中に広がっていた。

そこで、米作がもらい乳を頼みに赤子のある家を訪ねるとどこの家でもすぐに塩を撒いて

追い返された。それどころか、今まで親しくしていた村人たちも米作と赤子に冷たい目を

向け、誰ひとり相手にしてくれなくなったのである。あの仲良かった田吾作までも…

 

もともと貧しかった上にこのようなありさまでは、これからいったいどうやって生きてい

けばいいのだろう…米作はすっかり途方に暮れてしまった。

赤子には仕方なくおも湯を与えたが、それだけでは到底足りるはずもなく、赤子はお腹を

空かせてビィービィー泣いてばかりいる。

 

カカアの葬式をひとりで淋しく済ませるとカカアのまだ新しい墓石、と言っても大きな

丸石が一つ置いてあるだけだが、その墓石の前でカカアに言った。

「カカア、すまねえ。せっかくおまえが残してくれた子だ。おらの手で育ててやりたかった

 が、このままではおらも赤子も共に死ぬしか道はねえ。仕方ねえんだ。許してくれ。」

 

その日の夜、赤子が眠ると、米作は赤子をそっと籠に入れた。米作が覗き込むと、赤子は

籠に入れられたままスヤスヤと寝息を立てている。米作はホッと安心してその籠に縄をかけ、

背負った。そして、静かな足取りで小屋を後にした。

 

かなりの時間歩いたと思う。やがて、米作は茨木村の九頭神の森に着いた。そこで、静かに

背負ってきた籠を下ろした。まだ、赤子はスヤスヤと眠ったままである。

「許してくれ!」

そう言うと米作は赤子の小さな首に手をかけた。するとちょうどその時、赤子が

「んんっ」

と小さな声をあげ、寝返りを打ち、仰向けになった。

その赤子のあどけない顔を見ていると米作はどうしてもその手で赤子を殺すことはできな

かった。

「だめだ!」

米作は顔をそむけると、赤子の首にかけた自分の手を離し、また、その籠を背負った。

 

「赤子をまた自分の村に連れて帰ることは絶対できない。」

米作は村とは反対の方へと赤子を背負って歩いて行った。森を抜けるとやがて米作の村

より多少大きな村が見え始めた。

「村だ!」

米作は足早に村へと下りて行った。

 

米作は一軒の家の前に来ると背負った籠を下ろした。そこは髪結床屋の前であった。

「すまねえな。おっとうを許してけれ。」

とまだ眠りの中にある赤子に言うと、小さな布袋を手に握らせた。

そして、米作は後ろを振り向かないようにして足早にその場から駆け去った。

 

赤子は大きな寝息を立てたまま籠の中で眠り続けていた…

 

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

サイト開設から約一ヶ月…やっと茨木童子の創作を一本あげました。

伝説をベースに人名とか多少手を加えてありますので、完全に伝説

通りとは行きませんが、かなりそれに近いものではあるはずです。

こちらの方は『遙か』よりずっとゆっくりペースで作品をあげて行

きますので、気長に続きをお待ちください。

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