トキワタルカミ 〜渡行時空神〜

 

彼はこの世のどこでもない場所に一人佇んでいた。


あの者たちに出会ってから一体幾つの年を越えたのだろうか。
いや……わしにとって幾年月経とうが一瞬のことでしかない。
この身は短い年月で命が消えるヒトではないのだから。

 

 

 

 



トキワタルカミ
〜渡行時空神〜

 

 

 

 



彼の名は珀。
四海龍王を先祖にもつ龍神の眷属。
時空(とき)を自由に駆け、その時代その時代の世界を見守る役割を担っている神。
しかしながらその性質は、天上天下唯我独尊。
神というものの基本的な性質。
珀は閉じていた瞼を上げる。
その奥にはヒトにはない、獣の瞳が宿っていた。
そう。
前述したとおり、彼はヒトではない。
本性は龍。
「たまにはあやつらの顔を見に行くのも悪くはなかろう」
ポツリと呟くと、佇んでいた場所を後にする。

 


夜の闇。
ヒトは古来から闇を畏怖の存在として認識していた。
その闇夜に、どこからか響く琵琶の音。
かすかに、そして心の内が温かくなるような、そんな音色。
珀はその琵琶の弾き手が誰であるのかよく知っていた。
「今宵は神子の元で奏でておったのか」
簀子で柱に寄りかかりながら琵琶を奏でている男に声を掛ける。
すると男は突如何もない空間から現われた珀に驚くわけでもなく、弾くのをやめずに軽く頷いて見せた。
恐らくこの部屋の奥…御帳台では神子が夢路を辿っているのだろう。
再び男に声を掛けようと身を乗り出した途端。
「わあ、可愛い〜」
驚きに目を見開く珀の前で御簾が跳ね上げられ、鉄砲玉のようなものに抱き締められた。
それは一人の少女。
龍神の神子と呼ばれる存在の少女だ。
そして今までその部屋の前・簀子に座して琵琶を奏でていたのは橘友雅。
珀の興味を受ける人間である。
庭に咲く木蓮の香りが風に乗ってここまで届く。
咄嗟に反応できなかったのは、珀が友雅に集中していたから。
神だというのに、それだけを見ると普通の子供のようだ。
思わず友雅は吹き出しそうになり、手で口を押さえた。
抱きつかれた珀はというと。
簀子にもろに後頭部を打ちつけ、うめいている。
そして抱きついた少女はいまだに珀に抱きついていた。
「神子殿。そろそろ彼を解放してあげなさい」
うんうんと唸り続ける珀を気の毒に思ったのか、友雅が声を掛けた。
その時になって神子……あかねは珀が後頭部を打ち付けていることに気付き、慌てて起き上がる。
「神だというのにもう少し周囲に気を配ったほうがいいのではないかい」
頭をさすりさすり起き上がった珀に、そう声を掛ける。
「油断しておったのだ」
「神が油断…ねえ」
「あ〜〜……髪が崩れてしもうたのう」
頭に手をやってぼやく珀。
見事にぼさぼさとなっている髪形。
だがあまり気には留めないらしい。
「友雅さん…。この子、神様なんですか?」
二人の会話を聞いていたあかねがようやく口を開いた。
「神子殿はまだ一度も彼と会ったことはなかったね」
「わしの名は珀。四海龍王の子孫であるれっきとした龍神の眷属だ」
いや、髪が乱れて言ってもらっても威厳が……ねえ。
「珀くん。そこに座って」
どこから取り出したのか、あかねが櫛を手にしていた。

 


さらさらと蒼味がかった銀髪に櫛が梳き通る。
見た目では分からないが、絹のように上等な生地を触っているかのような、そんな感触。
髪をおろした珀は、おろす前以上に可愛く、あかねは抱き締めたくなるのを堪えながら髪を梳いていく。
一方、面白くないのが友雅だ。
あかねをとられて半眼でじとっと珀を見つめている。
「神子殿。ひとつ言っておくがね、彼は男神だよ」
「おがみ……ですか?」
言っている意味が分からず小首を傾げて見せる。
「男の神のことだよ。あまり優しくし過ぎると求婚されるかもしれないから気をつけるのだよ」
「でも珀くんってまだ子供じゃないですか」
どこまで純粋な少女なのだろうか。
思わず溜息を漏らす友雅。
「だからね、神子殿。今のその姿は他人を欺くための仮の姿であって、実際は―――――」
「わしはヒトを欺く為にこのような姿をしているわけではない」
友雅に顔を向ける。
その拍子にくいっと櫛に髪が引きずられ、声が少々うわずる結果となる。
「ではその真意は?」
「このほうが何かと便利だからだ」
子供の姿の方が便利?
神通力が殆ど封じられているというのに?
ますます神というものがわからなくなってきた。
「あれ?」
鼻歌まじりで髪を梳いていたあかねは首筋に何かがあるのに気付く。
それが何であるか聞こうと思ったが、珀は友雅と話しているので聞くに聞けない。
「そうだ、神子。わしの逆鱗には触れてくれるなよ」
思い出したかのように珀が言う。
だが時既に遅し。
珀が言うのと、あかねが触れるのとが同時だった。
バチッと静電気が発生したような音がして、あかねは驚いて手を引っ込める。
眩い白銀の光が珀を中心として溢れ、凄絶なほどの神力が辺りへと広がる。
「やれやれ……神子は手が早いな」
光の中心にいる珀が立ち上がった気配がした。
だが、先ほどまでとどこか違う。
先ほどまでは子供のように少々高い声音だったが、今の声は……。
光は徐々に収まってゆく。
そのあとに残ったのは、凄絶なほどの神気を纏う青年ただ一人。
身長は友雅よりも少し低いくらいだが、整った顔立ちは他のものを魅了する何かを秘めていた。
まさしく神。
「その姿を見たのはこれで二度目かな」
先ほどまでと同じようにゆったりと柱にもたれかかる友雅が笑いを噛み締めながら口を開いた。
「突然のことで驚かせてしまったようだのう」
腰を抜かしたのか呆けて自分を見上げるあかねに、青年……珀は見下ろし、困ったように笑みを浮かべてみせる。
「この姿だとどうも神通力が強すぎてな、呼ばんでもいいモノを呼んでしまう恐れがあるから、普段は力を封じておるのだ」


ざわり。


闇が動いた気がした。
何かが近づいてくるのを感じ取って、珀は鋭い視線を前方の闇に投げる。
一瞬遅れて友雅も、立ち上がった。
その時、渡殿の方から聞きなれた声が聞こえてくる。
「藤姫」
「神子様。さきほどの恐ろしいほどの神力は――――」
幼い少女が数人の女房を引きつれてこちらに渡ってきたのだ。
だが、珀の姿を認めた直後その場に縫いとめられたように足が動かなくなってしまう。
慌てて駆け寄るあかね。
「神子殿。藤姫と女房たちを連れて奥へ入っていなさい」
「友雅殿! これは一体何事です!?」
問いただそうとするが、邸に張ってある結界が大きく歪んだのに気付いて言葉を詰まらせる。
「ここでは少々手狭だ。それにあの結界を壊してしまっては再び張り直すのにも手間がかかろう」
土御門邸の周囲に張られている結界は安倍晴明が張ったものであり、それを愛弟子であり八葉でもある安倍泰明が維持している。
人間の都合などこれっぽっちも考えていない神だが、珀はここだけは違った。
「妖魔を呼び寄せたのはわしの不注意だからのう」
「それに付き合わされる私の身にもなってもらいたいがね」
軽い会話をしながらも、二人の瞳には鋭いものが宿っている。
「…………降魔の太刀」
呟いた珀が右手をかざし、振り下ろす。
と、眩い光がその手に集まり、瞬時に太刀へと変わった。
「龍神。結界を一時解く」
聞きなれた声に友雅が首をめぐらせると、いつの間にやら階のたもとに泰明が立っていた。
結界を解くとは、何か意図があるのだろうか。
「一瞬で片をつけろ」
神ならばそのようなこと、朝飯前だろう。
その言葉を聞くや、珀は不敵な笑みを浮かべた。
「というわけだ。友雅、お前はそこにいろ」
ひょいと高欄を飛び越え庭に降り立つ珀。
妖魔の狙いは自分。
この邸の結界越しで感じられる視線が全て己に向けられているのでも分かる。
ならば――――
「解け!」
結界が大きく撓んだのが肌で感じられ、次の瞬間、霧散した。
と同時に、妖魔が邸になだれ込んでくる。
珀めがけて。
そしてあっという間にその姿はその妖魔に囲まれ見えなくなってしまう。
ぞわぞわと肌が粟立つほどの妖気が辺りに充満しはじめ、泰明は小規模ながらも結界を張った。
「珀……」
神だから無事だろうが、それでもこの状態では……
嫌な予感が脳裏を掠める。
と。
珀を包み込むように小山ほどの大きさとなったモノの隙間から白い強烈な光が漏れ、一瞬にして全てを白一色に染め上げた。
思わず袂で目を覆うほどだ。
だが目を覆っても光の残像が残り、暫くの間そこから動けなかった。
「私は一瞬で片をつけろと言った筈だが」
「妖魔の量が多かったのだ。仕方なかろうが」
既にことが終わり、泰明と珀がなにやら話しているのが耳に入った。
いや、泰明が一方的に文句を言っているようにも聞こえるが。
目が慣れてきたらしく、徐々に二人の姿が視界に入り始めた。
「泰明殿。結界は?」
「問題ない。既に元通りに修復してある」
「友雅。この朴念仁に何とか言ってやってくれ。あの場合、仕方がなかったと」
神通力を封じ、少年の姿となった珀が泰明を指差して口を開いた。
「泰明殿の言うとおりだと私は思うよ。もしかして、と思ったしねえ」
「わしが呼び込んでしもうた妖魔は思ったより数が多かったのだ。全てを一瞬で消滅させるにはああするしかなかったんじゃ!」
お陰で力を使い果たしてしもうた。
足元が危ういなと友雅が思った次の瞬間、珀の身体が傾ぎそのまま地面に向かって倒れこんだ。
だがその直前に泰明に受け止められる。
「これが神か? 力の加減も知らぬ小童が」
神に対して暴言を吐きつつも、抱き上げる。
部屋へと入るとあかねが藤姫に寄り添っていた。
が、腕に抱かれている珀を認めると、駆け寄ってきた。
「泰明さん」
「神子が心配することでもない。ただ疲れて寝入っているだけだ」
すやすやと眠り続ける珀。
顔を覗き込んだあかねが苦笑を漏らした。

 


「で」
ここに不機嫌な表情をした男が一人。
「なぜいまだに君がここにいるのかな?」
その視線の先にはあかねに髪を梳いて貰っている珀の姿があった。
「神の役得というものだ」
「友雅さん、妬いちゃだめですよ〜」


のどかな昼下がり、この三角関係はしばらく続きそうである。

 

 

沖継誠馬

http://okitsugu.hp.infoseek.co.jp/

 

[涙の一言]

沖継誠馬様が相互協力サイトに限定で配布してくださいまし

た年末年始フリー創作です。

この龍神様珀がまたいい味を出しているのです。珀が子ども

の姿をしていることにはちゃんと意味があったんですね。

そして、さりげに登場する泰明さんがまたよいのですわvv

龍神様と一緒に魔を祓うところなんか思わず映像が目の前に

浮かんで来ます。龍神様相手でも全く臆することなくさらっ

と文句を言えちゃうところがまた泰明さんらしいですね♪

誠馬様、素敵な創作をありがとうございました。

 

沖継誠馬様のサイトへは『リンクのお部屋』からどうぞ

 

 

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