約束

 

「ここで待っていてくれ。」

それだけ言うと泰継は花梨を一人その部屋に残し、サッサと奥の部屋へと姿を消してしまった…

 

花梨が先代の地の玄武である泰明の書付を見てみたいと言ったのはつい先日のこと。

今までは怨霊退治やら明王の課題やらでやたら忙しく、そんなことを考える余裕などまったくなかった花梨であったが、何とか課題もやり遂げ、大方の怨霊も封印したころ、ふと泰継に以前に聞いた先代の地の玄武の書付を自分の目で実際に見てみたくなったのだ。

そこでそれを泰継に告げたところ、それならとこうして散策の帰りに花梨を自分の庵まで連れて来てくれたのである。

 

初めての家で一人で待つというのは何だか落ち着かない。

それが自分の好きな人の家ときたら、なおさらである。

この庵の中には、言葉で言い表すのはちょっと難しいが、何と言うか“泰継の香り”というようなものが満ちている。花梨はまるで泰継に包まれているかのような初めて味わうその感覚に嬉しさを覚える反面、何だかちょっと何とも言えないくすぐったさのようなものも感じていた。

 

花梨は気を紛らわせようとキョロキョロと庵の中を見回した。

するとふと棚の上の方にある一つの紫の包みが目に止まった。

「あれ? 何だろう?」

花梨は立ち上がると手を伸ばしてそれを取ろうとした。だが、それはかなり高い位置にあったので、花梨の背ではそのままでは届きそうもない。花梨はつま先立ちになると懸命に腕を伸ばした。そして、やっと指の先がその布に触れたかと思った次の瞬間

「いたっ!!」

花梨は思わず声をあげた。

あろうことかその包みというかその中味がずれ落ちて、花梨の頭を直撃したのである。

花梨はそのはずみでバランスを崩し、そのままその場で尻餅をついた。

「いた〜い」

頭を片手でこすりこすり、花梨は床の上に転がっているそれにもう片方の手を伸ばした。

「笛?」

首を傾げながら花梨がそうつぶやいた時、血相を変えた泰継が花梨のいる部屋に飛び込んで来た。泰継は奥の部屋から抱えて来た書物の山を急いで近くにあった机の上に置くと、花梨の横に跪き、声をかけた。

「神子、どうした!?」

「あっ、何でもないです。これが落ちて来たんでちょっとびっくりしちゃって…」

そう言いながら笛を拾い上げると、花梨はパンパンと服の汚れを払いながら立ち上がった。

泰継も花梨に気の乱れがないことを感じ取ると、安心して、立ち上がった。そして、花梨の手の中にあるものに視線を移すと、とっさに少しだけ表情を変えた。

「これは…」

「この笛、泰継さんのですか?」

続けて「ぜひ吹いて欲しいな〜」なんて言おうかな?などと思いを巡らしながらちょっぴり期待をこめて泰継の答えを待っていた花梨であったが、そのささやかな思惑を続く泰継の言葉がすぐに打ち消した。

「いや、私のものではない。これは預かり物だ。」

「えっ!? 預かり物?? うわ〜、落としちゃって大丈夫かな〜」

花梨は自分の手の中にある笛をまじまじと見つめた。その笛は一見シンプルそうに見えるがよく見ると細部にわたって一つ一つ見事な細工が施されていることがわかり、それ相当の品であろうことは容易に想像がついた。こんな高そうな笛だったら、さぞかし身分のある人の持ち物に違いない。花梨の顔が一瞬にして青ざめた。パニックに陥りそうになっている花梨の手の中から泰継はそっとその笛を抜き取った。

「問題ない。」

「で…でも…大事な預かり物なんですよね?? もし、キズなんてついてたら、私…」

「問題ない。」

泰継は同じ言葉を繰り返した。

「この笛の主はもうどこにもいないのだから…」

泰継は瞳を伏せながら静かな声で言った。

泰継のこのような表情を見るのは初めてである。

そのまま黙ってしまった泰継に花梨はおそるおそる声をかけた。

「泰継さん?」

泰継はその声にハッとして、花梨の方を見た。

「何でもない。おまえが案ずることではない。」

花梨に向けたほのかな笑みがかえってとても淋しそうで…花梨は胸の奥がズキンと痛んだ。

「私がおまえを不安にさせたのか? すまない。」

泰継は花梨にそう言うと、その笛のことについて少しずつ語り始めた。

 

 

その笛は花梨がこの世界に来るずっと前に先代の神子に仕えていた八葉の一人永泉という老僧から今際の際に預かったものであるということを…

そして、その老僧から先代の地の玄武である泰明に渡してほしいと懇願されたということを…

 

 

「死ぬる前の世迷いごとだ。」

泰継は笛を握り締めながら言った。

「泰明は人となって先代の神子とともに神子の世界へ旅立ったと聞く。私が泰明に会うことなど未来永劫あろうはずがない。」

泰継は笛を見つめながら、淋しそうな瞳で自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 

「会いに行きましょう!」

突然花梨が声をあげた。

「なに!?」

「だから、泰明さんに会いに行きましょうよ!」

花梨はさらにはっきりとした強い口調で泰継に言った。

「おまえまで詮ないことを…」

「私が連れてってあげます。泰継さんを泰明さんに会いに連れてってあげます、絶対!」

泰継は驚いた顔で花梨を見た。

「先代の神子は泰明さんと一緒にもとの世界に帰ったんでしょ? だったら、私も泰継さんを連れて一緒に帰ります!」

泰継はますます目を見開いた。

 

――神子は今何と言った? 私を連れて…

 

「そうしたら、万事問題ないでしょ?」

花梨は笑顔で泰継に言った。だが…

「神子、めったなことを言うものではない!」

泰継は花梨の両腕をつかむと厳しい表情で言った。

「い…痛い、泰継さん」

「すまぬ…」

花梨の言葉に泰継はつかんでいた手をすぐに離した。

「私のためにおまえが力を使う必要などない。その力はすべておまえ自身のために…」

泰継の声を遮って花梨が言った。

「“私が”泰継さんを連れて帰りたいんです。だめですか?」

「だめではないが…しかし…」

泰継はとまどいの表情を見せた。そんな泰継を花梨は自らの両腕で思いっきり抱きしめた。

「私、泰継さんと一緒にいたいんです。今も…これから先も…ずっと…」

「神子…」

泰継は最初とまどったものの必死におのれにしがみついているその小さなからだをおそるおそる抱きしめた。

「本当に私でいいのか? 後で後悔せぬか?」

「泰継さんだからいいんです。ここで泰継さんと離れたら、きっとその方が、私、後悔する!」

「神子…」

泰継の目から涙が一筋こぼれ落ちた。

「ありがとう…神子…」

 

しばらくそのまま抱き合っていた二人であったが…

 

「あーっ!!」

花梨が急に声をあげた。

「どうしたのだ、神子?」

「先代の神子って私と同じ時代の人なのかな? もしかしたら、私より100年前に生きてた人だったりして…」

花梨は「う〜ん」と小さな声を出して少しだけ考えていたが、またすぐにもとの笑顔に戻った。

「うん! いいや!! その時は泰継さんと一緒に100年前の世界に行こうっと!」

それを聞いて泰継は驚いて花梨をその胸からひきはがした。

「神子、おまえはおまえの世界に戻るためにここまでやって来たのだ。おまえが私のために犠牲になることはない!」

「私、犠牲なんてちっとも思ってないよ?」

花梨はまっすぐ泰継の目を見ながら言った。

その視線から逃れるように

「だめだ。」

泰継はそう言うと横を向いた。

「泰継さんは泰明さんに会わなければならないんでしょう? その永泉さんというお坊さんとの約束を果たすために… ううん、私もそうしなくっちゃならない気がする。何だかよくわからないけどそれって絶対に泰継さんに必要なことなんだよ。泰継さんが行くなら私も一緒に行く。たとえそれがどこであろうとも…」

「しかし…」

「なんでわかってくれないの? 泰継さんと一緒にいられる世界が私のいるべき世界なんだよ。」

「神子…」

泰継は一瞬花梨の方を見たが、また視線をそらせた。

「やはりだめだ。おまえはおまえの世界に帰るのだ…」

「泰継さん…」

花梨は泰継の方に手を差し伸べようとしたが、泰継はそのおのれに向かって差し伸べられる手を無意識に払いのけた。

それに驚いた花梨は少しバランスをくずし、すぐそばにあった机の端にぶつかってしまった。そのショックで机の上にあった書物がバサバサと床にこぼれ落ちた。

「あっ、ごめんなさい。」

花梨はとっさにそう言うと床に散らばった書物を拾い上げようとした。だが、ふとあるものが目に入ると花梨はその手を止めた。

「神子?」

花梨の気の変化を感じて泰継が声を掛けた。

「ふふっ、泰継さん、すべて問題なしですよ。」

そう言うと花梨は1枚の紙を拾い上げると立ち上がった。そして、

「ジャーン!」

とわけのわからぬ呪文のようなものを大声で叫びながら、泰継の前にその拾った紙を笑顔でつきだした。

「これは?」

そこに書いてあった文字は京人が書いたもの…というよりはどこかぎこちなくどちらかと言うと花梨の字に似かよっているような…

「泰継さん、見てください。ここに“平成十二年”って書いてありますよね?」

「ああ、確かにそう読めるが…それがどうかしたのか?」

「この“平成十二年”というのは私がこの世界に来る前の年なんです。」

「!」

「これ、この“元宮あかね”っていうのがおそらく先代の神子の名前ですよね? つまり先代の神子は私と同じ時代から来た人だったんです!」

花梨は目を輝かせながら泰継の方を見た。

「これで問題なしですよね、泰継さん?」

「ああ。」

そう答えると同時に泰継は花梨を力いっぱい抱きしめた。

「おまえについて行く…いや、おまえの世界へ私を連れて行ってほしい…花梨…」

「泰継さん!?」

久々に泰継の口から発せられた自分の真名に花梨は思わず顔を上げた。

「龍神の神子だからではない。花梨…おまえだからこそ私はそばにいたいと願うのだ。」

「嬉しい…」

花梨の目にうっすらと涙が浮かんだ。

「きっとこれが “愛しい”という思いなのだな。今、初めてわかった…」

泰継の目にもうっすらと涙がにじんで来た。

「絶対…絶対一緒に行こうね、私たちの世界へ。約束だよ。」

「ああ、約束しよう。いつでもどこへでもおまえとともに…」

二人はどちらからともなく唇を重ねた。お互いの気持ちを確かめあうような長い長い口付け…

 

――永泉、おまえにはこれがわかっていたのかもしれぬな…

 

泰継はうっすらと目を開けると永泉に託された笛の方に目をやった。

その笛は天窓から射し込む光を受けて泰継に応えるかのようにほのかに輝いた。

 

――ありがとう、永泉…

おまえとの約束は必ず果たす。

 

泰継は再び目を閉じ、花梨を抱く腕に力をこめた…

 

 

最終決戦まであと数日…

固い絆で結ばれた二人が先代の地の玄武とその神子に逢える日はもうまもなくである…

 

Rui Kannagi『銀の月』

http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/


[あとがき]

大分雰囲気は違いますが、このお話はさりげに

「ガラスの器」の続編だったりします。

最初は笛の部分をもっと長く書き綴ろうかと思

いましたが、最終的には必要最低限に留めまし

た。「ガラスの器」を読んだことのない方に変

な先入観を与えてもいけないかと思いまして。

もちろんこのお話単体でも楽しんでいただける

かと思いますが、「ガラスの器」の6話〜9話

をお読みいただけるとより楽しんでいただける

かと思います。(さりげにCM♪)

実際にはゲームの世界には“何年”という明確

な設定はなく流動的なものなのですが、話の都

合上必要だったので、『遙か』のゲームの発売

年を採用しました(笑) ああ、このお話の場

合、もちろん「この世界は過去の日本じゃなく

て異世界なのでは?」というつっこみもなしで

すよ。そのへんはまあ頭を柔らかくして広〜い

目で見てやってくださいませ。

 

この作品は2004年2月末日までフリーとし

て配布しておりました。お持ち帰りくださった

神子様方、本当にありがとうございます。

 

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