■10代の頃に読んだのが太宰か三島か?なんて、青くさーい話題ではあるけれど、 それでも、本の趣味が合う人と飲むお酒は美味しいなぁ。 何故か今まで周りにいなかった、クラフト・エヴィング商會を知ってる人に出会ったのも嬉しいし。
■と、そんな風に飲んだり遊んだりしてたもんで、その分、今日は仕事に行くハメに。 別に休出するのは自分のスケジューリングだから構わないんだけど、 うっかり電話取っちゃったりすると、どんどん仕事が増えるのが困りモノなのよ。 社内を含めた顧客主義指向は素晴らしいことなんですけどねぇ、だったらシフト制にすべきだよなぁ。 今日の東京は夕方から激しい雨になって、密閉されたビルの中に居ても雨音が耳にざわざわと触って、 いっとき、フロアに一人になった時はちょっと怖いくらいでした。
■ってのは、単なるグチでして、えーと、おとといから何か書こうと思ってたんだよね。 えーと、えーと。あ、そうそう、営団地下鉄の駅で配布してる『metro
min.』のことでした。 この冊子、スターツ出版が作ってるだけあってフリーペーパーとは思えないほどにクオリティが高いんですよ (もう一つの『メトロポリターナ』はサンケイリビング新聞社発行のせいか、タイアップ色が強過ぎてイマイチ)。 その2月号巻頭のインタビュー記事で、「悲しい」「美しい」について何か思うところがあるか?と 訊ねられたユーミンが、こんなことを言っておりました。以下引用。 「私の中では、同義語かもしれない。美しいものは悲しいもの。 同時に、美しいものっていうのは強いもので、強くないと美しくない。 日本人は特に、儚いとか、か弱いものを美しいって考えるかもしれないけれど、それは一瞬のものなんですよね。 で、確かにそれは美しいんだけど、それを表現し続けるためには、スゴい強さがいるんですよ」 インタビュアーとユーミンの意図を全く無視した発言をさせていただくならば、 これは、そのまんま秀雄先生とみどり先生のことだし、一瞬を表現し続けるクサナギツヨシのことだ、などと思ったり。
■そんな風に私をポエマーにしてしまうクサナギツヨシさん・28歳は、2月25日付けの剛のダイアリーで、 「お腹が減ったので、今日はこれでおちまい。」とかなんとか、確信犯的なブリッ子(死語)ぶりを発揮。 でも、新宿伊勢丹で買物してることとか、中華屋のオヤジにSMAPなのを気付かれていないこととか、 相変わらずな生活ぶりが窺えるのはファンサービスの趣きもあるので、その気持ちは受け取っておきましょう。 「ぷっ」すま本編でも、ゴロちゃんにビビリ王のことを「なんで、あんなことするの?」と言われたと報告してましたが、 ダイアリーにもゴロちゃんの話題が。この2人の楽屋トークって、1時間に1分位の割合で面白い瞬間がありそうな感じ。 アルプス一万尺が楽しみだなぁ(や、1時間に1分じゃ、番組になりませんて)
。 今回のビビリ王決定戦はナギスケの叫びがスタッフに届いたのか、音系・火薬系が無いだけにマッタリした雰囲気で、 何にビビったって、貴方のまくった腕の血の気のない白さにビビリましたよ、クサナギさん。 一瞬、マジで贋モノかと思いましたもの。
■チョナン・カンには、秀雄先生の教え子・女生徒5人からコメント。 そっか、考えてみれば、矢田ちゃんだけじゃなくて、こんなに可愛い子たちとも日々お仕事してるわけやねー。いいねー。 ま、ボールと戯れるチョナンシも可愛いけどね!
■で、慎吾ちゃんが大河主演とな。 去年、新撰組の青春群像劇だと聞いた時には、ならば主演とは言わずとも何らかの役どころが… と、クサナギ先生の大河出演に仄かな期待を寄せてしまった私でしたが、 まさかスマさんから、ど真ん中が出るとまでは思っておりませんでした。 いえ、考えてみれば三谷さんだし、どうやら以前から噂もあったらしいんで、つまり私がニブいだけだったのねー。 近藤勇と云えば、どうしても若山先生の太ももが浮かんでしまう私。来年までにリセットしておかねば… そういえば、去年の今頃は、『利家とまつ』から脱落して、『武蔵』に過大な期待を寄せていた私。 それが既に2年続けてリタイアの兆し。大河フリークの私が、いったいこれは、なんとしたことか! っていうか、視聴率が良い大河にはどうも相性が悪いのよー。視聴率が低い大河に好きな作品が多いのよー。 ってことは、来年は一体どういうスタンスで見ればいいのでしょう
(悩)。 だから、慎吾ちゃん、どうか私のジンクスを破ってください。でもって、体には気をつけて。 精神的なグチは、ほら、訊いてくれる白い人が居るからダイジョブよ。
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