雲をつかむ話 〜SMAPおでかけ記
<< 黄泉がえり >> 初日舞台挨拶 '03. 1/18 有楽町・日劇1




いつもの土曜日なら、これから寝る時間だよ…と思いながら午前6時15分起床。
せめて5時間は寝ておきたかったんだけどなぁ、クサナギさんの映画で寝てしまったら申し訳が立ちません。
でも、今回は整理番号順の入場なので、ヘタレな私には大変ありがたい。
要徹夜なんてことになったら、間違いなくリタイアしていたでありましょう。

午前9時過ぎから入場開始。
パタパタと席に座ってから、ふと考えると、これって、もしや映画を見るには適さない位置じゃぁありませんか?
…ということで、スクリーンの中のクサナギさん、もとい平太さんは、
首を痛くしながら、ちと空間が捻じれた状態で観ることになったわけですが、
そんなことは次第に気にならなくなり、まずは右目から、最後には両目から、ポロポロと涙を零してしまった私です。
そんな『黄泉がえり』鑑賞記については、また後日。

映画の余韻に浸る気持ちと、いや、これから生ツヨをこの眼に焼き付けなければ…と思う気持ちと、
なんとも言い難い気分に陥っている私に関係なく、会場にはゾロゾロとマスコミの皆さんご入場。
最前列の席をすべて埋め尽くし、振り向くと後方の壁際にも沢山のカメラが。

まず、TBSの安住アナが登場して前振りのご挨拶。目がクリクリ。
「あずみー!」と呼びかけられて、「ありがとうございます…呼び捨てにされたのは初めてですけれども」
取材陣の準備が整ったところで、いよいよ出演者の入場です。
お、極楽の山本さんだ、お、翔さまだ、あ、ゆり子嬢だ、わ、結子ちゃんだ、
ひゃー!クサナギさんよっ、や、ジモンさんだ、おぉ、邦衛さんだ、
塩田監督、髪がすごい茶色いなぁ。

クサナギさんは、『王様のブランチ』と同じく、Tシャツに白いジャケットを羽織って、
白いパンツ、ステッチや鋲の飾られた白い靴。
髪はゴロちゃんも真っ青のくりんくりん外ハネで、前から見ると、まるで80年代アイドルのようで、
もひとつ言えば、女優さん2人と並ぶと、6頭身な感じが人形チックでもあり (や、可愛いんですけども)。
でも、あれはなんでしょう、ライティングの力なのか、メイクの技なのか、それともアイドルのスイッチONが為せる技なのか、
その顔は、最近の画面を通して見るクサナギツヨシの数倍も綺羅綺羅しく、白く輝いているのでした。
伏し目がちに塩田監督の挨拶を聴いている顔は、なんかもう、ほんと拝みたくなるくらい穏やかなんですよねぇ。

監督に続いて主演俳優さんのご挨拶。だったわけですが、なにしろ、その顔に釘付けだったもので、いまひとつ記憶が…
「本日より封切りということで、ワタクシ自身、待ちに待ったといいますか、とても嬉しく思っています」
「めいっぱいエネルギーを使いまして、渾身の作品になったと思っております」
「台本を開くと一番最初に名前がありまして、嬉しくて、開くたびにニコニコしてました」
「みなさん、"映画、良かったよ"と3人以上にメールしてください。ちなみに、ボクの携帯は今でもメールが使えません」
ちゃんと考えてきたのか、澱みなく落ち着いた声で話していて、その声の響きだけでちょっとウットリ。

でも、一度話を締めてから、安住アナに「ここでちょっとクサナギさんに質問してみましょう」と言われて、
キョトンとした顔は、可愛い系クサナギツヨシなのでした。
初主演のいうことで…と訊かれて、
「あの、建前上、ワタクシが主演ということになっておりますけども、
  ホントに、みなさん、それぞれとてもステキなストーリーになっていまして、渾身の作品となっておりまして」
と、安住アナに向かって一生懸命訴える目も可愛い系。
「ここで、もう一度、今日いらしてくださった観客のみなさまにご挨拶をお願いします」
「はい、えー、えーと…えーとですね」と言葉を探す様子に、くっ、可愛いぞ、とほくそ笑んだのは私だけじゃないすよね?

共演した感想を訊かれた結子嬢 (やっぱり女優さんって美しい)は、
真横を向いて向き合ったクサナギ氏(「面と向かわれると緊張しますね」)に、
「いつも場を和ませてくださって、なんていうか、こう (両手を一生懸命グルグルして可愛い)、
  まわりの空気をキレイにしてくださるっていうか…」
そんなクサナギさん@人間空気清浄器は、「ビンタの件では、申し訳ありませんでした」とペコリ。
「あの、直後には、ちょっと空気が悪ーくなったんですけども、
  すぐにニコやかに接していただきまして、その後はその…和気あいあいと…」
確かにあのシーンはすごいっすね。テレビで見てはいたけれど、スクリーンで見た時は息を呑みました。
「女優魂を見せていただきました。ワタクシも見習って、日々是精進させていただきます」と、またペコリ。
会場の900人、大喜び。

ゆり子嬢 (やっぱり女優さんって美しい・その2)の挨拶は伏し目がちに微笑みながら聴いており、
翔さん (や、ホントに翔さんは翔さんでした。あの喋りは翔さん以外の何者でもない)の番は、
口元に笑みを浮かべながら楽しそうに。
「端に立っていますが、気持ちは真ん中にいるつもりで」な山本さんには、口を緩めてニコニコと。
翔さんの、「クサナギくん、良かったねー。彼の映画に対する想いを現場でもすごく感じました」が、嬉しかったなぁ。
ジモンさん。 「クサナギくんの演技がとても自然なので、ぼくも自然に演じることができました。
  クサナギくん、最初はぜんぜん喋ってくれなかったんですよ。
  後になって、あれは梶原とは最初は硬い感じだから、わざと喋らなかったんですよって言ってくれて、
  すごい、やっぱり役者なんだなぁと思いました」 ほんと?(笑)

邦衛さんは、これまたホントに邦衛さんだわぁ。
「ここにいらっしゃる皆さんとご一緒できなかったのが残念で…」
「邦衛さん、記者会見の時、"クサナギくん、お手柔らかに"とか仰ってましたけど、
  その時点では台本読んでなかったってことですかね?」と嬉しそうに突っ込むクサナギツヨシに、
「……………う…うるせぇっ」
おぉ、イイもの聴かせていただきました。


で、私はと云えば、他の出演者の方のお話を聴きながらも、
どうしても常に目の端でクサナギ観察をしてしまう哀しいファンの習性を如何なく発揮してしまい (とほほ)。
観察対象は、首をカクンと後ろに倒したり、きゅっと肩をすくめたり、
上目遣いで会場を見渡したり 、右手で目頭をおさえたり。
終始、薄っすらと微笑みを浮かべているか、ニコニコしていたクサナギさんですが、
邦衛さんが映画についての想いを語り始めた時、ものすごく真摯な視線にスッと変わったのが印象的でした。

それから、可笑しかったのは、マイクの受け渡しですね。
安住アナがクサナギさんに話を振ってるのに気付かないで、ジモンさんにマイクを一生懸命渡そうとしたり、
ジモンさんが目の前で渡そうとしてるのに気が付かないで、伏し目でぱちぱちと手を叩いていたり。
微妙に天然入ってて、なんとも微笑ましい28歳男子。

挨拶が終るとマスコミの撮影会。
私の席から見ると、ちょうどカメラマンの人垣の間にぽっかり空いた空間から真っ直ぐにクサナギさんの顔が見えて、
その顔は、さらにキラキラ度を増しており、なるほど、オーラのスイッチMAXだとこうなるんだなぁ、と。
この時ほど、あぁ、やっぱり、この人は雲の上のスタアさんなのだと実感したことはなかったかもしれません。
そして、最後には、ちゃんと肩の高さで両手をヒラヒラと振って去っていく姿は、
平太でも秀雄でもない、紛れもなく"アイドル・クサナギツヨシ"なのでした。
うぅむ、魔物に騙されないように気をつけよう。下手に触ると低温ヤケドするぜ!



【2003/1/19 UP】





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ネタバレ満載ご注意!









<< 黄泉がえり 鑑賞記>>


反則だわ、と思いました。この映画。
誰でも、出来ることならもう一度逢いたい、黄泉がえってほしい誰かとの想い出を抱えているはずで、
そこを衝かれたら、もうどうしようもないではないですか、と。
でも、それこそが、クサナギさんの云うところの「ピュアな想いをストレートに描いている」ということなのでしょうか。

正直言うと、内容に関して大きな期待は持っていなかったのです。
塩田監督については評判を聞いていただけで、作品を観たことはなかったし、
インタビューの言葉と予告編の映像を繋ぎ合わせたら、ストーリーについても大方予想がついてしまっていたし。
それに、"なんだかんだ言ってコマーシャルベースに乗った邦画だし…"っていう偏見もあったのかもしれないな。

細かいこと云えば、ん?と気持ちが止まる場面も結構あったんですよ。
こんな夜遅くに少年を川辺に置き去りにしていいんですか、厚生労働省!とか、
RUIのライブ会場へ向う必然性とか、
結局黄泉がえりは原因不明なんですか?とか、
最前列の観客のノリノリ具合にダメ出しは無かったんですか?とか(笑)
(っていうか、私もスマコンであんな風にノリノリなのだろうか?と思うと恐ろしくなってしまったのねー。ほほほ)。
こういうとこを見逃してもいいか…と思ってしまうのは、もしかして期待値が低かったせいかもしれなくて、
それって作品に対して失礼なことなのかな?ちょっと分かりません。


でも、冒頭で葵の黄泉がえりについて分かりやすく表現してしまっていたことは、
あ、わかった上で見てもいいんだ…と、ちょっとホッとしたりして。
そうすると、切ないんですわ。部屋での会話も、おでん屋での2人も。
それから、病室でのビンタ応酬も。
自分で自分の頬を張ったり、壁に頭を打ち付けたり (バカになっちゃったら、どうすんのーっ)、ハンドルを殴ったり、
痛みで自分の気持ちを確認するようなところがある平太だけれど、
一番大きな確認である遣り取りの相手は、本当はもうこの世にいない人なんだもんなぁ。
でも、痛みは感じる。それって、生きてる実感なわけで。けっこう残酷。

プログラムの相田冬二さんの解説にもあったけれど、浜辺のシーンはすごくいいなぁと思いました。
現在の平太がスルリと過去に滑り込んで、過去の平太として過去の俊介と会話を交わす。
境界線上の葵も飛び込んでくる。で、眠っている現在の平太に画面が戻る。
なんだか、映画っぽい手法だ!と、思いまして。おぉ、クサナギさん、映画撮ってるぜ!みたいな(笑)。

それから、これもクサナギさん言う通り、すべてのストーリー一つ一つも綺麗でした。
「かあちゃんたい!」。斉藤医師夫妻の静かな手話のシーン。シールがペタペタ貼られたテレビでビデオを見る周平。
綺麗なだけではなくて、直美の部屋の内鍵とか、英也が部屋でたてるグローブの音とか、
ざらっと引っかかるディティールもあって、こういう部分が塩田監督の得意とするところなのかな、とも。
某おすぎさんが言っていたように、数千人が黄泉がえってきたスケール感には乏しいのだけれど
なんていうんだろう、この映画が描きたいのはそういう部分じゃないんだよな、と
(まぁ、それなら、あのクレーターを中途半端に映す必要はなかったかもしれないけども)。
RUI の歌も長過ぎるとは思いませんでした。
消えていく彼の分も刺青を残した手と、振り返る大きく見開いた瞳で彼らのストーリーが語られて、
歌は黄泉がえった人々と黄泉がえらせた人々の想いを語る。
あれが1曲だけだったら、それこそ中途半端だし、なにより平太と葵の距離感も伝わらないでしょう。


クサナギさんは不思議な人で、
あらためて思い起こすと他の役の時にも同じような立ち姿で、同じような歩き方をしているような気がするのに、
何故か、平太は平太の、若い官僚としての立ち姿と歩き方になっているんだなぁ。
それから、例えば、車の中で報告書の内容を確認する時の礼儀正しくも微かに尊大な態度とか、
梶原さんに"噂は放っておきましょう"と言った時の最後に付けた 「ね」が、
いかにも年上の県庁職員に対する中央官僚の「ね」だったりとか
(私は、この「ね」に結構ヤラれてしまったのでした。ツボ、細かすぎ(笑))。
でも、葵と2人の時の普通の男の子っぽさも、クサナギツヨシではない川田平太の普通っぽさで。
部屋で座布団を足でずらしてから座ったり、テーブルの上のおもちゃをふと手にとっていじったり。
(でも、「うぃっす」。あれは絶対照れてたね、オヤビン。くすくすくす。
  ついでに言えば、おでんシーンも可愛い子を隣にして照れてたっしょ、オヤビン?)

昔は「必殺棒読み作戦」がホントに棒読みに聞こえることが多かったような気がするんですが(ごめんよー)、
今回は、棒読みの中にちゃんと棒読みたる根拠が息づいているかゆえに、
棒読みには聞こえず、心に届く棒読みになっていましたね (分かりづらいなぁ)。
そして、全編を通して、クサナギさんの声がとても深くて、沁みました。


優一と英也のキャッチボールあたりから右目で泣き (山本さんは予想以上にハマリ役)、
「違う、違うの!」と平太の走る姿で両目から涙で、平太と葵の最後の遣り取りでボロ泣きです。
「ブス!」「バカ」には一本とられました。2人の関係がこの二言だけで全部分かってしまうんだもの
(でも、泣きながら、「女優さんて、こんなに歪めた泣き顔しても、可愛くってキレイでいいなぁ」
  などと、羨ましく思う私も居たりなんかして)。
で、この映画のすごく良いところは、こうやって観客を泣かせても、それ以上語り過ぎないところではないかと。
平太の両手が葵を捕まえられずに空を切るという、この映画一番の劇的な場面の後に、
自分を抱きしめて嗚咽する平太の背中だけを残して、すぐに阿蘇の朝の山並みに画面が切り替わってしまう。
この潔さが、すごく心地良く感じました。
ラストシーンの淡々とした仕事風景と、花と、平太の微笑みで、ぽんっと終わるのも好きでした。


むー、また長いだけで結論のない感想になってるなー。

えー、つまり、なんだろう。

そう、公開前に撮影風景を見るにつけ、平太の乱れた髪型が気になって仕方なかったのに、
映画の世界に入ってしまうと不思議と違和感が無く。
これは 『DOCUMENT 草なぎ剛 in 「黄泉がえり」』を見ていても強く感じたことなのですが、
平太=クサナギツヨシは、すごく生っぽい感じがするのです。
もともとが無機質な顔立ちなのに、ちょっとした陰影や、目尻のシワシワや、目の光が加わることで、
すごく生身な感じがする。それは、乱れてくしゃくしゃになった髪によるところも大きかったりする。
そんな感じ。
だから、私もずっとずっと平太が好きだった、そんな気がしてしまうんだな (やっぱり分かりづらいなぁ)。


【2002/02/01 UP】




おまけ
花の散る里、袖の香り (名前に関する超無責任な一考察)


ほんの少しではありますが、この作品には日本上古・中古時代のエッセンスを感じるような気がします。
タイトルの「黄泉」しかり、RUIの歌詞しかり。
…となると、「橘葵」という名前にも、意味を見出したくなってしまった余計なお世話な人、約一名。

「懐かしい昔の人を想い起こさせる」ものとして数多の和歌や物語に使われてきた「橘」。
一番有名なのは、古今和歌集のこの歌でしょうか。
    五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする (よみ人しらず)
ま、伊勢物語に登場することもあって、ちょっと色好みなイメージもありますけども。
私は万葉集のこの歌の方が好きかなぁ。
    風に散る 花橘を袖に受けて 君が御跡と 思ひつるかも (作者未詳)
源氏物語の「花散里」の段でも、橘を使って桐壺院を懐かしむ歌が詠まれていますね。
    橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ
そんなわけで、「想いが人を甦らせる」映画のヒロインに、とても似合う名前だと思うのです。

また、「橘の実」は、日本書紀に「ときじくのかくのこのみ」として登場します。
「常世の国の木の実」、永遠の時間が流れる場所の果実。
「黄泉」という言葉からイザナギ・イザナミの話を連想してしまうと、ちょっと怖いのだけれど、
この映画における「黄泉」は、むしろ「常世の国」という言葉の方がぴったりくるような気がします。

そして何より、橘の清々しい香から感じるイメージは、
今はいない昔の人を想うといっても決してジットリしたものではなく、
ちょっと切なくも爽やかな、透明感のある心持ちなのが良いな、と。
それは、この映画を観終わった後の気分にも通じるものがあるように思うのです。
そして、そんな果実がなっている場所へ往くことは、決して哀しくて恐ろしいことではないような気さえして、
だから今生きている私たちは、そこへ旅発つ日まで真っ直ぐ前を向いて歩いていけばいいんじゃないかと、
ちょっと、ポエマーなことを考えてみたりするのでした (後で読むと恥ずかしいぞ、きっと)。

「葵」には、橘ほどの象徴性はないと思うのですが、
その時代には「あふひ」と発音されていたことから、
「逢う日」に掛けられた歌が万葉集にあります。
    梨棗 黍に粟つぎ 延う葛の 後も逢はむと 葵花咲く (作者不詳)
葛の弦が別れてはまた繋がるように、いつかまた、貴方に逢いたい。

そして、これは私の勝手なイメージですが、
梅雨の始まりに下から上に向かって咲き出して
一番上の花が咲くと梅雨が明ける意の「梅雨葵」という言葉から、
ラストシーンの、新しい人生を歩き始めた平太の顔を連想するのでした。
や、ここまでくると、ほんともう、コジツケそのものなんすけどね!


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えー、お断りしておきますと、ワタクシ、一応、卒業証書には文学士と書いてありますが、
「優の数は友達の数」という格言(か?)を地で行って卒業できたような典型的ダメ学生でしたので、
上記の学問的正確性については、全く少しも自信がございません。
日本の大学教育とは、そんなレベルなんすねー。すみません、教授〜。
ってことで、あしからず(にげっ)。

【2003/01/24 UP】





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