・葉隠侍へようこそ!
ここでは、葉隠侍城主「杢之助」が健康や介護、ゲームなど私の身の回りにある雑多な話題を詰め込んで、書かせて頂いています。
介護に関して、私はまだ「へなちょこ」なので、皆さんからお知恵を拝借できれば、これに勝る喜びはありません!
そして、今度は私のHPが、介護を必要とされた皆さんに何らかのお力になれたら幸いです。
当、HPは一見堅いようでいて、その実ふんわか柔らか仕立てです。
色々な話題など、徐々に更新を続けて磨きをかけてゆきますので、どうぞいつでもお気軽に足をお運び下さい!
・葉隠とは?
「葉隠」は以下2人の佐賀藩士が生み出した書物です!
山本神右衛門常朝 (1659〜1719)
田代又佐衛門陣基 (1678〜1748)
佐賀鍋島家に伝わる歴代の事跡、武士としての心構えを常朝が語り、これを陣基が書き留めたものが「葉隠」です。
武士道を説いたされるこの「葉隠」ですが、佐賀藩の奇書といわれるほど、その内容は偏ったものとして世間から認知されていました。
有名な一句・・・
「武士道と云は、死ぬ事見付けたり」
侍そのものをイメージさせるこの言葉が、却って「葉隠」の真に伝えたいことを退けてしまったのです。
人はパンのみを食べて生きるに非ず。世間的な見方のイメージだけが専攻してしまい、「本質」を掴めていないことは意外と多いそうです。
では、「葉隠」は何を伝えたかったのでしょう?
それは、「真剣に生きること!」
「死」という大仰な言葉が、大上段にポンっと出てしまったため、見誤った形で広がってしまいましたが、私が岩波から出されている「葉隠」を
時間をかけて通読した結果、こうゆう思いに達しました。
常朝はその後、出家して「じょうちょう」と名乗りました。お坊さんが生き急ぐ侍を捉まえて、更に死へと無下に追いやることを果たしてするで
しょうか?答えは否。やはり考えられません。
では、何故わざわざ、誤解を生むような「死」という言葉を使用したのでしょう?
私見ですが、それは多分、「覚悟」を学ばせるためだったのではないでしょうか。
「生」を真剣に考えれば、自然「死」へと考え至りますが、まだ若い侍には、このような考え方は直ぐに得られるものではないはずですよね。
ですから、あえて逆に、先に「死」を学ばせ、そこから侍の生き方としての「生」を各個人に掴んで欲しかったのかもしれません。
・・でも、私の読み方もはっきり言って、粗雑さ極まるものですし、古典の基礎的なことも既に頭からすっぽ抜けています。
これが、正式な「答え」か!と聞かれれば、違うよ、と即答します(^o^)。
これは、あくまでも私の「葉隠」解釈ですから。
でも、私、思うのですけど、どんな歴史書も個人の逞しい想像力とちょびっとの知識があれば、語れるものではないかと、そう思うのです。
自分なりの物語の解釈として・・・。
ごめんなさい、学者の皆さん。素人の独り言ですから、どうかお気になさらずに〜♪
・隆慶一郎氏の「葉隠」
私が「葉隠」という書物に出会うきっかけを作ったのは、この方の本からでした。
隆慶一郎さんの「死ぬことと見つけたり」。
隆さんが描く「死人」。始めてこの本を読んだ時、今まで読んできた時代小説からは感じたことのない戦慄を覚えました。
おこり、とでもいうのでしょうか?
格技で技を繰り出す寸前の緊張感。刹那の閃きと動き。
これと同じ感覚を本を読んでいて感じました。私にとっては、それほどまでに衝撃的な小説でした。
私のハンドル・ネーム「杢之助」は、この作品の主人公から頂いています。
(「葉隠」原本ですと、中野杢之助さんという方がおりますけど、私は隆さんの作品に惹かれましたので・・・)
皆さんは、この「葉隠」読まれたことありますか?
御意見、御感想がありましたら、聞かせ下さい!
お待ちしております。