浜さんのつぶやきです。

平成25年1月22日
平成25年1月19日
すごい会に参加させて頂いた。
同人誌『鬼ヶ島通信』の30周年パーティーである。
じつはこの会には前会も、前々回も参加させて頂いているが、毎度すごいのだ
この同人誌はかなりの子供達が子供の頃に手にしたことのある(私もその一人) お話の作者の方、画家の方、それに携わる方々が寄って出している本である。
ようするに童話界の巨匠の方々の同人誌なのだ。

お話しを読んで、話に興味を持っても、作者のには無関心な人と、こんなお話しをどんな人が書いたのだろうと興味を持ったり、憧れたりする人がいる。
私は後者である。
そんな憧れの人に会えるのだからこんなに凄い事はない。
で、参加者は私のような一読者も参加させて頂ける
同じ思いの読者同士の交流、楽しくないわけがない。

今回の一番の凄いは、あの『かさじぞう』の岩崎先生にお会いできたことだ。ご高齢なのにとてもお元気で、私のような者とも気さくにお話しをして頂いた。緊張しながら、心臓をバクバクさせながらの会話でした。(端から見るとそうは見えないらしいけど、本当に緊張してました)
ファンのサインのお願いにも快く応じていらっしゃいました。
その時に密かに覗いていると色紙には「本の中にはあなたがいる」と
メッセージ
なにげない言葉ですがやっぱり凄い。感動だな

もうひとつの凄いは、柏葉先生
柏葉先生のおばあちゃんのお話しが大好きである。そして、やられたとばかりにうならされるラストが大好き、何度かお会いしたことがあるが、いつも緊張してさほど会話したことがない、それでもちゃんと覚えていてくださり、「浜さん」とよびかけてくれました。感動だな。
娘さんも久々に会うと大学三年生だって、驚き{^_____^}
将来は英語の道にだって、頑張ってるな。

ももの山本さんも相変わらず若いし、久々に会うももの顔、顔{^_____^}
もう、興奮して何を話したやら

同じ思いの読者仲間とお話するのも楽しい。
会場に着いて、はじめてお会いするしいなさん(作家志望だそうです)
名刺交換までして頂きありがとうございます。
ストーンヘンジさんとも久々にお会い出来たし、お友達のお嬢様とかの素敵な女性もお連れで参加されていました。この方とあまりにも親しげに会話していたので、「あの人奥さん」と、誰かに言われてしまいました。{^_____^;}アセ ゴメンこんなジジイが・・・

ジジイは若い女性には目がないのです。
お二人でいらしていたAKB(灯台守さんに名前だけでメンバーの名前とか顔とか知らないだろうと言われてしまいました。もちろん知りません)と同年代と思われる女性と会話(ごめんなさい、お名前うかがわなかったかな?)なんと娘や息子と同年代
自分の娘は親父となんか、こんなにしゃべってくれないのに、きっと我慢してお話ししてくれたんだな。でもこっちは楽しかったんだから仕方ない。
以前にもお会いしていたんだって。重ね重ねゴメン
二次会からの帰り道も飯田橋までご一緒v{^_____^}
早く彼氏が出来ますように・・・祈っています。

ッてな感じで凄がったり、感激、感動したり、興奮したり、所沢の田舎から東京に出たのもあり、家にたどり着いた頃には、心地よい疲れでいっぱいでした。


平成23年10月20日

さて、心臓のほうである。
頚椎の手術にあたり、色々検査した中で、心電図で引っかかってしまった。
以前 『カテーテールアブレーション』(↓下の方に書いてあります)の手術を受けた事を話すと
「これだと手術に影響があるかもしれないので、心臓の手術した先生に聞いてきてください」
との事で、国際医療センターにて診察を受けた
案の定、再発である。術前の心電図と同じで症状も同じである。
(頚椎の手術には影響ナシ)

実は心臓の違和感や息切れは前から感じていて、近くの病院で受診、何度か心電図を取っているが、
異常は見付からなかった。
不整脈はやっかいである。出たり出なかったりと気まぐれなのだ。
調子悪いので、受診しても心電図を取る時には治まっていたりする。
症状が悪化すると頻繁になり、その数が増える
と言う事で、様子を見て、調子悪い時にもう一度などとやっていたが、異常なし
そこで、心臓ではなく肺かも知れないと思い
呼吸科の『息切れ外来』を受診してみた。かなりの検査をしたが、こちらも異常なし
そんな訳で、体力が落ちたり、お年ごろのホルモンのバランスが崩れたり、肋間神経痛
とも考えられるので、気にしないことにしていた。
それでも、調子は悪かったが、異常データーが見付からない限り、どの病院でも薬すら出すことができないし
治療も出来ない。そんな事をしている間に月日がたってしまった。

さてこの度めでたく、心電図で異常が出たため、手術をする事になった。
頚椎の手術後、落ち着いたらと言うことで次の予約を取り、検査
10月25日に入院、26日に手術の予定である。
同じ手術が二度目なのでいくらか気が楽だが、今年は手術続き
(頚椎の手術の前にも腱鞘炎の手術をしている)
気落ちするばかりである



平成23年10月17日

頚椎手術
首(頚椎)椎間板ヘルニアの手術を8月5日にした。
正確な病名は『変形性頚椎症』
手術名は『脊椎固定術(顕微鏡下、前方椎体固定)』と言うらしい

数年前から寝ている時に両手に痺れを感じるようになる
この痺れは、長い時間正座して、痺れた足の感覚が腕から指の先に感じると言ったら理解いただけるだろうか
それ以前からも首痛や肩こりがひどく握力が落ちたり、偏頭痛がある
腰痛でペインクリニック通っているが一緒に首も治療することが度々だった。
腰も首もMRを撮り、ヘルニアがある事が判明している

腰も辛いが、首も天気の悪い時、特に梅雨時や仕事がきついと非常に辛い
思い切って先生に手術出来る病院が無いかと相談する
数々の術後の症例を知る先生は、進めることができないと・・・
今の現状だと確実に治る保証のある手術に至っていないらしい

自分でもインターネット等で調べてみるが、先生の言うことはもっともな事である
体全体の神経がこの首を通る、それを傷つけでもしたら、神経麻痺をおこす、
かなり難しい手術らしいのだ。
無事成功する事が当り前だが、後遺症が残る事も多く、リスクの多い、賭けのよう
な手術と言う声も多い

しかしながら、自分の病状も少しづつ進んでいるのが解る
これ以上辛くなるのは避けたい
そこで、インターネットで見つけ出したのが『西島脊椎クリニック』だ
西島院長先生は金沢医科大学教授をへて『西島脊椎クリニック』を
調布に開業された。著書も数多くあり、脊椎のエキスパートだ
また、この手の手術をこなす数少ない一人とのことだ

と言う事でこの病院には、日本全国から患者が集まる
(入院した時も治療に沖縄、九州、四国、名古屋、大阪と遠方からこられた方が多い)
かなり迷い、意を決して予約を入れるが、予約日は三年後の
平成24年8月だった。
ところが、キャンセルがあり23年7月13日となり、なんと1年も
早まった。
診察を受け手術日が8月5日と決まった。
ただ気になるのが、心電図
これに引っかかってしまった。
実は平成19年5月に心臓のカテーテル手術を受けている
その手術を受けた先生にこちらの手術が可能かを確認するようにいわれた。
結果はOKだったが、この話は又他の機会に詳しく書くことにする。

どんな手術を受けるか先生から説明を受け、ビデオも観せられる
ところが、実際は全身麻酔のため、本人は全く解らないまま麻酔から覚める
付き添いは、手術室の隣の部屋でリアルタイムで手術の映像が見られ、音も聞こえる
また、その映像は実費を払えばDVDにして貰える(ただし音は無し)

手術の流れはこうだ
手術台にあおむけに寝かされ、全身麻酔の後、やや左側の喉にメスを入れる
凝固止血器(ピンセットの先に電気が流れジッと焼く)で止血しながら
切開、万力のような保持枠で患部を広げ喉を寄せて、さらに切り進みついには
頚椎に、ドリルで頚椎上下に穴を開け保持金具を取り付け椎間板の間を広げ
このあたりから顕微鏡下での手術となる
突起した椎間板や骨を神経を傷つけることのないように細心の注意を計りながら
歯科医の使うような機器で削る。これがこの手術の重要部分で、突起した椎間板
にて神経を圧迫している部分を開放させるのだ。
削りカスは取っておき、チタンの網でできた、やや広い指輪状の筒に摘め
椎間板の位置に進入、
その後、チタンで出来たプレートを頚椎前方(前から見て、ちょうど喉の裏側)
にドリルで下穴を開け。頚椎上下2ヶ所をビス止めし頚椎を安定的に保持する
これにより、術後も首を固定する事も無い
これで、患部にドレンを入れ、閉じれば終了
ここで驚くのは、中の部分を三針ほど縫うが皮膚表面は特殊なテープで張り合わせるのみこうすると傷口に縫い目は残らず、奇麗になるらしい


どんな手術かと言うのも問題だが、術後の経過も大変興味ある事ではないか
手術からこれを書くのに大部時間がたってしまった。
何故かと言うと大変辛い時期があったからである。
実を言うと『失敗』の言葉が浮かんでいたのである

8月5日に手術、退院は10日とわずかな期間の入院
術後は痛み止めなどの投与で痛みを押さえられていたのか、全然痛くないと言うことは無いが、なんとか過ごせた。
ところが、退院、自宅療養中は傷はさほど痛みはしないが、左首筋から肩、腕にかけて鈍痛が襲う
誰かと話をしていても会話が耳に入らないほどずっしりと左肩にのしかかるような痛みである
この時点では術前より辛い日々である
『失敗』が脳裏に浮かんだのはこの頃である
この鈍痛は頻度が減り、時間的にも短くなるが1ヶ月ちょっと続いた。
考えてみればあれだけの手術、はやく退院できたが、中身はかなりのダメージのはず
これはしかたない事かもしれない

最近は痛みは劇的に無くなったと言える
しかし、寝ている時は両手が痺れる時もあり、左手の握力は10〜15Kg程度だろう
先日、2ヶ月検診を受けた。
CTとレントゲンを撮影
映し出された画像には、チタンもしっかり固定され神経圧迫部分も開放されている。
画像診断では成功といえよう。気になるのは、寝ている時の手の痺れと、左手の握力である
先生よにれば、手術のストレスで、まだ多少の腫れなどがあるため、それが刺激されているのだろう、時間が経てば徐々に回復に向かうだろうとの事

まあ気長に意識的に腕を動かし、リハビリに励もう。
次回の検診は6ヶ月検診2月である




平成19年5月26日
体調3

5月22日入院、23日に手術
予定通り22日の朝10時に『埼玉医大 国際医療センター』に
息子と到着
ここは、埼玉医大の新設病院で5月オープンしたばかり、毛呂と
日高の境にキャンパスと共にある。
この真新しい病院と最先端設備で私は手術する事になる。
緊張しながら、入院ラウンジで受付を済ませると、病棟の可愛い
ナースが丁重に迎えに来てくれ病室に案内され病衣に着替え、色
々と説明を受ける。
手術承諾は毛呂の病院で済ませていたが、新病院になった為(担
当の先生は変わらない)
再度必要との事で先生より説明を受け再サインする。
その後昼食を取り、レントゲン、むだ毛処理とつづく・・・手術で何が
いやだと言うとこれだ、恥ずかしいのでシャワー室にこもり自分で処
理、これが済むとあとは夕食を待つばかり、禁煙ガムを噛みながら
読書の時間、入院したら読む為に佐藤多佳子さんの『しゃべれども 
しゃべれども』を購入していた。
ところが入院前から読みたくなって我慢するのに大変だった、本であ
る読みはじめるとすぐに引き込まれてしまった。
あまり面白くて一気読みしたくなるが、大切に大切に読まないと入院
中、退屈な時間を作ってしまいかねないので、ゆっくり読むことにする。
夕飯は普通に食べられるが、朝食はハーフ食と言われる、普段から
結構食べる方なので、普通量でも普段の私のハーフ量の様な気が
する。
夜が来た、病院の夜は早い、普段は遅寝で朝はぎりぎりまで寝ていた
い私は、寝酒無しで寝れる物でもない、おまけに隣のベットの患者さん、
昼間はそうでもないのに夜になるとうめきはじめる、ひどく咳き込む、
何度もナースコールをする、でかい声で何かしゃべりはじめる(寝言か
も知れない)どんな爺かと見れば私より若い30代後半か40代前半の
男性である。

23日朝
お決まりの検温、血圧測定、朝食と続く
今日は1時から手術の予定、その準備、採血をして点滴が始まる
手術中の排尿の為、管を挿入する
「これははじめてですか?」
「はい」
「そうですか、ちょっと痛いですが、すぐ治まります。それにちょっと残尿感
があるりますが少し我慢すると治まりますから大丈夫ですよ」との事。
なるほど装入時嫌な痛みと何とも言えぬ不快感に襲われる。
その後もこの感覚は続く、気をまぎらす為に『しゃべれどもしゃべれども』
を読みはじめるが、ものすごい尿意を感じるが、少しも袋にたまらないし、
痛みも増すばかり、読書どころでは無い、そのうち火汗が出るほどの激痛に
かわる。たまらずナースコール、先生が飛んで来て、管を抜いてもらう
すぐにトイレに飛び込み排尿するとやけ火箸が尿道の中を通る程に激痛が
走るが、それを止められないぐらい、あとから、あとから尿が出る。
やっと落ち着いて、ベットに戻った。
もう管を入れるのは勘弁、手術中は尿瓶で取ってもらう事にして貰った。

やがて、手術の時刻、1時ちょっと前、病棟のナースに手術室へ、申し送り
をして手術台に
胸の上にはリアルタイムで見られるレントゲン装置らしきもの(リモコンによ
って向きが変わる)が角度を変えて何台かある。
そのモニターは足元左側、足の付け根からカテーテルを進入するのだから
ちょうどドクターの真っ正面になる。60インチ程のモニターはこれまた数台が
連結され天井からぶら下がり、リモコンによって角度か変わるようだ、これに
はレントゲンの映像や心電図が映し出されていた。
私が手術台にのってから、かなりの数のスタッフが入れ代わり立ち代わりと、
せわしく準備をはじめ、ついに
「足の根元に麻酔の注射をしますよ。ちょっとちくりとしますよ」と声と共にちくり
耳元からは「ちょっと眠くなる薬を投与しますからね。ちょっとちかちかするかも
しれませんよ」と声がする。
少しもうろうとする感じがするが眠くもないし、しっかり意識はある。

「じぁ、カテーテルを入れて行きますからね」
胸元のレントゲン装置が角度を変える為に動き、モニターを見ると黒い線がど
んどん動いて行く。これがカテーテルが進入して行くところだなと思う。
その線は何本かモニターに見えるのでどうやら一本だけでは無いようである。
傍らにナースが付いて居て、色々声をかけてくれる。
「大丈夫ですか?今、何々をしています」とか「おしっこ大丈夫ですか」などと気
を使ってくれるのがすごく安心出来る。
こちらも「皆美人に見えるから大丈夫です」とこたえると
「それはちょっと大丈夫じゃあ無いかもしれませんよ」などと冗談も言える余裕も
ある。途中何度か、うとうとしているようだ、それから2度ほど尿意をもよおし、取
ってもらう。
どのくらい時間がたっているのだろう・・・
時々体に何かストレスがかかるような事をする時は
「造影剤を入れますので体がかーっと熱くなりますよ」などとドクターからも声がか
かる。
いよいよ本番のようである
「では悪い所を焼灼します」
「30度○○秒、40度・・・60度○○秒」
同時に胸のあたりから首あたりまで痛みとも熱さとも付かぬ不快感を感じるが我
慢出来ない程でもない
ドクターの様子だと、多分思うような結果が出なかったのだろう・・・
しばらく又何やら作業が続き、また焼灼の声がかかる
同じ不快感に襲われる、今度は先程よりやや時間が長いようである
しばらくすると「不整脈、消えたようですよ」との声がかかり「ほっ」
なんとか終わったようである。これからは手術の後かたずけみたいな作業
ドクターの顔からも緊張が消えたように見える
カテーテルを抜いた両足の付け根の傷穴をドクターとナースが向かい合いで指を
強くあて圧迫止血をする
これが結構長い20分程かかるらしい、ドクターとナースが世間話をはじめる
傍らのナースに時間を尋ねると「6時20分です」見ている方向を見ると大きな時計
があったのにはじめて気がつく。
「あーぁ腹減った」そのはずだ、なんと5時間を越える大手術だったのである
ふっと、患者も大変だが、それを行うドクターをはじめスタッフ達は大変な仕事であ
る。感謝の気持ちが込み上げて来る

病室にもどると手術前に駆け付けてくれていた姉達と息子が笑顔で迎えてくれた時
は本当に嬉しかった。
姉に腹が減ったので夕食を頼んでもらうように頼んだが、まだだと言われたと戻って
来る。手術が終われば夕飯を食べて良いと言ってたのに・・・{;_;}
しばらくして、ドクターからの許可がおりたのか食事が来た
絶対安静なので、身動きが出来ない、姉に食べさせてもらい食事を済ませる
やがて息子と姉達は安心して帰宅
術後3時間18時30分から21時30分  =  絶対安静 
次の3時間21時30分から0時30分    = 他動体位交換可能
0時30分から6時30分           =  自動体位交換可能
6時30分から18時30分          =  車いす
18時30分から                =  歩行可能

絶対安静中 担当医が傷口を見に来てくれた
見ると右の傷口から出血している様子。おそらく腰痛持ちの私は長時間同じ体位で居
るのが辛く無意識に動いてしまったのだろう
また、20分の圧迫止血のやり直し、ガーゼを取り替え、圧迫帯をし直し、テーピンクの
やり直し

朝、ドクターに傷口を見てもらうと、右の傷口は大きく内出血してしまっていたが、腫れ
がでたりしなければ大丈夫と言われ一安心。
食事を済ませ、車いすで洗面、 空いた時間はもちろん読書{^_____^}
夕方には歩行もOK、夜傷口を見てもらい明日の朝食を済ませ退院許可となりました。

聞いてはいたが、なんとわずか四日間で退院となった
私の母も病状は(WPW)は違うが同じような手術を受けたが、その頃はわざわざ遠方
の金沢医大まで
行き、開胸肋骨を切り、心臓を取り出し(場所が裏側の為)悪い信号の出ている電気経
路を断ち切ると言う2ヶ月もかかる、大手術だった。
今はこの『カテーテル心筋焼灼術』(カテーテルアブレーション)で四日間程の手術出来
るようになったのである。
自分で受けてもまだ信じられない
技術の進歩にはおどかされるばかりである。

この場を借り担当のドクター、ナースをはじめ、多くのスタッフに感謝の意を表したい。
(ここを誰も見ることはないと思いますが)
また、多くの方々にご心配をお掛けし、暖かいお言葉をいただき、御礼を申し上げます。


平成19年4月30日
体調2
手術日は5月22日入院、23日に手術となった
相変わらず息苦しく、圧迫感がある
どうなる事やら・・・


平成19年4月10日

体調
以前の健康診断で、心臓、不整脈で要精密検査と出たので検査したが
「あまり気にすることはない」と言われて一安心していたが、去年の12月の健康診断で
再度『要精密検査』だった、それまでも心臓が重い感じがしたり、違和感があったので
病院に行き(内科)検査したがまたも同じ「あまり気にすることがない」と言われた。
しかし、ちょっと不調だったし、思えばちょっとした動きで息切れがする事がある。
そこで、会社の近くに心臓専門の病院があるので、そこで検査をして見た。
するとかなり珍しい不整脈である事が解り、不整脈に詳しい先生の居る某大学病院に
紹介状を書いてもらい行くことになる
そこでも検査、検査、不整脈を抑える薬も効かない様子で、カテーテル治療をする事になった。
カテーテルとは足のつけ根の動脈、血管を辿り心臓までに管を進入して、先端のセンサーで
心臓内部から心電図を取ったり、先端で風船状の物を膨らませ血管を広げたり薬剤を投与したり
高周波通電により50度から70度の熱を発し心筋を焼杓したりすると言うことである
私の場合『促進型 心室固有調律』と言う訳の解らない病名で、医師の説明によると、
心室に脈を乱す信号が出ていて心房と心室の動きが連動せずバラバラに動いている状態らしい
その脈を乱しているところを探し出してピンポイントでその箇所を焼杓すると言うことらしい
今の状態は放っておいても心臓停止等の直接命に拘わることはないらしいが、運動には制限があるし
辛い事も多々ある
と言う事でめでたくカテーテルアブレーションをする事になったのである
これも立派な手術になるらしいし、それなりにリスクが大きいらしいし、費用も半端では無いらしい
さて、さてどうなる事やら・・・
ちなみに今の所、手術は5月17日の予定である

平成19年2月12日
前回のつぶやきの車屋さん、なんとか会う事ができて、交渉
しっかり返金してもらえました。

で、トレーラーの車検ですが他の車屋さんに依頼なんと次の日に車検が取れて
車検の時出した以前取った車庫証明は1ヶ月経過で期限切れ(なんとすったもんだで
1ヶ月たってしまったんだな・・・)それを申請し直し住所変更で完了
その後は船検
2月の7日に船検予約、エンジンの点検やら安全備品、書類の点検
午前中仕事を休み、いざ新木場の『日本小型船舶検査機構』へ

自宅から出発


『日本小型船舶検査機構』へ到着
到着して書類点検後、即検査に
若い検査官で、親切に対応して頂いた。約15分程で終了
書類作成後、無事船検終了
これで、10日には釣行できそうである
なんかとても大変だった海への復帰でしたが、無事に海に浮けますように
願うばかりです。



平成19年1月22日
引っ越しからあっと言う間に二年を越してしまった。
と言うことは3年近くも船を出していないことになる
一端、出航出来なくなると、なかなかふんぎりも付かず
なにかと物入りで予算も取れず、だらだらと月日が過ぎてしまった。
それに、釣行もしないとサイト更新もおろそかに、悪循環である

去年から息子と「海に行きたい」と話をしていたので
今年こそは復活と去年の暮れから勢い込んでいた。
少ないボーナスの中からその予算を確保、
トレーラーも車検切れ、船も船検切れなので
まずはトレーラーの車検
以前にも車やトレーラーの車検を頼んだこともある
車屋さんに車検を頼んだ
ここは、以前は二人で仕事をしていたが、一人は他へ移り
今は一人で仕事をしている。
まあそれでも、あまり忙しくは無いようであるが・・・
(ここからが本題)
「申し訳ない、保険、やら諸経費だけでも・・・預からせてもらうと助かるんですが」
気前の良い私は5万円を預けた
「車検が済んでまとめて領収書書きますので」
「おーいいよ」とこんな感じのやり取り
ところが、ところがである
次の日
「予約がズレてもう一日時間下さい」
次の日
「住民票が・・・」
と一向に車検が出来ない
しまいには
「すみません、大変な事が・・・じつは財布を盗まれて」
と来たもんだ。そんな事をいわれても私には関係ない
車検をなんとかしてくれと催促
次の日も
「金なんとしようと集金に回ったのだけど・・・」
いい加減頭に来て
「そんな車屋、ねぇだろ、借金してもやれ、今日出来ないと怒っちゃうよ」(もうすごく怒っていましたが)
その日仕事が終わって電話しても通じず、車屋に行って見るとシャッターは閉まっており、私の車がぽつんとある
これでは車とトレーラーを預けていてもらちがあかないので、引き上げてしまおうと、
車の中を見ると車検証も無いので断念、
次の日、仕事の途中寄って見ると、シャッターが開いており、知らぬ顔が、聞いて見ると自分も客で息子が
シャッターを開けてくれたのでちょっとオイル交換をしているだけだそうである
車を見ると車検証があり、シャッターが開いているので車の鍵も取り返し、息子が又来るそうなので、その事を
告げてもらう事に
その夜、車とトレーラーを取り返したが、残るは預けた5万円・・・
何度電話しても店に行っても居ない。雲隠れである

ここ何日もため息混じりである
あーあ疲れた














平成17年8月15日
我が家に去年の暮れにやって来たゴン
実はゴンと命名するのは三代目です。
思い返すと初代のゴンに似ているかもしれません。
初代、二代目は茶系でしたが、三代目黒系。
犬は飼い主に似るものだと言うので皆性格が似てるような気がします。

さて、前回は12月に紹介してだいぶ経ってしまいました。8ヶ月ちょっとです。
彼は立派な青年となってしまいあのあどけなさが嘘のようです。





       大人顔負けの視線ですね
  

上記三枚は3月19日撮影  まだほんのちょっとですがあどけなさが残っています。

  

4月3日撮影  カメラ目線でドアップ  





5月3日撮影 (身体障害者入所授産施設 たましろの郷にて)
大好きなお友達シロと追いかけっこ

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平成16年12月6日
なんと更新をサボっているのでしょうか(^_^;)アセ
今年は色々な事がありました。一番がなんと言っても引っ越し、家造りでした。
これが落ち着くまでは釣行も出来ませんし、落ち着いてパソコンにも向かうこともできません(でした。(^_^;)アセ)
今日やっと家造りの更新が終了、実は新居に入居出来たのは10月の半ばで更新をサボっていたのでした。
で、
ニュースです
我が家に同居が増えました。
紹介します。

 

 
ゴン 生後二ヶ月 雑種 でーーーす

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平成16年8月16日
新年の挨拶をしてからもうお盆になってしまいました。
ある現場で、雑談の中。
住んでいる所を売って、ちょっと不便な所でも良いから広めの土地を買い
新築したいと母が生きている時に言っていたが、土地を探している最中、゜
病が悪化それを果たせず他界してしまった。
そのような話題になった。
それがきっかけで、まず土地を売り、そのお金をストック、予算に合う土地を
ゆっくり探してはと言うことになり、思い切って長年住んだ(生まれた時からですから
40うん年)土地を売り払った。
同時に土地探し何箇所も回ったが帯に短し、たすきに長し
そうこうしている間になんとか気に入った土地が
機を逃さずすかさず契約(色々ありましたが)
と言う事で、雑談の中から出た話が実現してしまい、超多忙に突入してしまいました。
安普請の家ですが、家造りコーナーを作り少しずつ紹介していけたら等と思っています。
コーナーが出来?たあかつきには、よろしかったらご参考にしてください。

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平成16年8月16日
新年の挨拶をしてからもうお盆になってしまいました。
ある現場で、雑談の中。
住んでいる所を売って、ちょっと不便な所でも良いから広めの土地を買い
新築したいと母が生きている時に言っていたが、土地を探している最中、゜
病が悪化それを果たせず他界してしまった。
そのような話題になった。
それがきっかけで、まず土地を売り、そのお金をストック、予算に合う土地を
ゆっくり探してはと言うことになり、思い切って長年住んだ(生まれた時からですから
40うん年)土地を売り払った。
同時に土地探し何箇所も回ったが帯に短し、たすきに長し
そうこうしている間になんとか気に入った土地が
機を逃さずすかさず契約(色々ありましたが)
と言う事で、雑談の中から出た話が実現してしまい、超多忙に突入してしまいました。
安普請の家ですが、家造りコーナーを作り少しずつ紹介していけたら等と思っています。
コーナーが出来?たあかつきには、よろしかったらご参考にしてください。

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平成16年8月16日
新年の挨拶をしてからもうお盆になってしまいました。
ある現場で、雑談の中。
住んでいる所を売って、ちょっと不便な所でも良いから広めの土地を買い
新築したいと母が生きている時に言っていたが、土地を探している最中、゜
病が悪化それを果たせず他界してしまった。
そのような話題になった。
それがきっかけで、まず土地を売り、そのお金をストック、予算に合う土地を
ゆっくり探してはと言うことになり、思い切って長年住んだ(生まれた時からですから
40うん年)土地を売り払った。
同時に土地探し何箇所も回ったが帯に短し、たすきに長し
そうこうしている間になんとか気に入った土地が
機を逃さずすかさず契約(色々ありましたが)
と言う事で、雑談の中から出た話が実現してしまい、超多忙に突入してしまいました。
安普請の家ですが、家造りコーナーを作り少しずつ紹介していけたら等と思っています。
コーナーが出来?たあかつきには、よろしかったらご参考にしてください。

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平成16年8月15日
某サイトで富士見市に『コロボックルの碑』と言うものがあると言う事で
休み中なのに雨が降っていて、やる事もないし、思いの外近いので行ってみる事にする。

カーナビに住所を入力すると『コロボックルの碑』と出る
そのカーナビを頼りに小雨の中車を走らせた。
30分弱で現着
ナビによると第三保育所と言う保育園の東側にあるらしい
保育園を一周して見たが見当たらない行きすぎてしまったらしい
もう一周する事に、ありました。道路より一段高い10坪程の土地にひっそりとたたずんでいる感じです。


                この保育園(第三保育所)の東側にひっそりとたたずむ

 


 


       


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平成16年1月3日

明けましておめでとうございます
今年も『浜さんのホームページ』をよろしくお願いします

去年11月、またまた腰を痛めてしまいしばらく動けない状態でした。
この腰なんとかならないものかと思いますが、上手にお付き合いするしかないようです。

腰痛でめげてしまい、釣行もサイト更新もサボってしまいました。
毎年同じような事言っている気がしますが、(^_^;)アセ
今年こそは頑張って釣行を増やしたいと思っています。

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平成15年10月9日

15年前の夏
母、女房、娘、息子、私と家族で千葉のある浜に海水浴に出掛けた。
この幸せが恐いほど幸せな時だった。
帰りにはこの幸せな家族に1匹が加わった。
ちょこちょことわんぱくに歩き回るが、まだ母の乳を欲しがる小さな犬である
この浜に住み着く野良犬が数匹の子供を産み里親を探しているとの事
この中からかわいらしく、元気な雄の子犬の里親となることにしたのである
と言うのは帰路に着いてしばらく走ってから母から聞いたのである。
母が私達に内緒でそんな話を決めそっと車に持ち込んでいた。
しばらく走ってから母がそっとふところに隠していた犬を差し出し悪戯ぽく
私達に打ち明けた。
もちろん全員一致で大賛成である。
『ゴン号』と命名
彼はすくすくと育ち、一時、私達家族の幸せな時に居た
やがて別れがある
私と共に可愛がってくれたゴンの育ての親とも言うべき女房が
我が家から去った。
その後も我が家族はこれ以上幸せを壊さぬようにと一致団結で生活して来たが
もともと心臓の持病を持つ母が入退院を繰り返すようになる。
そして、娘も精神的に落ち込む事が多くなる。
やがて、我が家を出て自立への一歩へと踏み出す事になる・・・

そんな中母の病状もおもわしくなく、さらに入退院が増え、次第に入院期間が延びて行く
ある夏に胃が痛いと床に就き、私も就寝するが、夜中にふっと目を覚ますと母のうなり声が聞こえる
あわてて、様子を見ると脂汗をかき苦しんでいる。かかりつけの病院へ急ぐ
即入院、翌日病状急変、他の病院に搬送、救急車での搬送途中、呼吸停止、心臓停止
搬送された病院で運良く蘇生するが、依然危ない状態が続く
数ヶ月後には退院出来るまでに回復したが、いっぺんに年を取ってしまった母

その後も入退院を繰り返す中、すい臓にガンらしき反応
1度倒れて3年のおまけ人生を送り、平成10年1月に他界する

幸せな時、悲しい事、色々なことが我が家をめぐる
そんな家族の色々な場面を見て来た『ゴン』も15才
かなりの老体である。

平成15年9月の28日早朝
釣り友との釣行である
艇庫の横に犬小屋があるので、嫌でもゴンは私を見送らざるおえない。
そんな、律儀なゴンの頭をなでて私は出発
夜7時頃帰宅、
律義なゴンは私が帰宅すると、必ず小屋から出て出迎えてくれる。
風邪など引いて具合が悪い時でも必ずである。

おかしい?ゴンのお迎えが無い。
よく見ると鎖が傷んでいて、つなぎ目からはずれている。
耳も遠くなり目も老犬特有の白内障でわずかに見えるのみなので
最近は好きな散歩も嫌がっていた。
さらに足腰も弱りふらふらと歩いて居る始末。
彼はそんな体で、鎖を引きずり放浪の旅へと出てしまったのである。
いつもの散歩コースを探してみるが見当たらない。
耳の良い時の彼は、「ぴーっ」と口笛を吹けば何処かで聞きつけ飛んで来るのだったが
今ではそれも無理である。

翌日、警察と保健所、わずか歩くと東京都なので都内の動物保護施設にも連絡
いずれも彼らしい老犬の保護はない
その後もうろうろ探してみるが・・・

今だに戻ってこない。

我が家の一員であり、沢山の事を見て来てくれた『ゴン号』心ある方に保護され何処かで無事で居てくれ
そして、残り少ない命を安らかに過ごしてもらいたいものである。





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平成15年6月23日  カウンター20000突破

約十ヶ月で1万人のご来客。感謝のひと事である。

今後とも『浜さんのホームページ』をよろしくお願いいたします。

なお、キリ番20000をゲットしたのは『ふうたんたんぼちぬ』さんでした。
記念品を贈り感謝の意を表します。

このコーナー『浜さんのつぶやき』も怠けてばかり
少しずつ更新して行こうと考えています。



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平成14年11月13日  1周年

そう言えば、ここの開設は平成13年11月2日
「あーーぁ!!一周年。過ぎてしまった!!」
皆様、1年間ありがとうございます。

振り返って見ると1年間はあっという間でした。忘れてしまうほど早かったのです。
カウンターもたった今12860
アクセスの多いサイトには比べ物になりませんが、大満足です。
だって、こんな拙いサイトにも訪れてくれる方が1年間に一万以上もいるのですから
感謝感謝です。
今後もマイペースですが更新を続け参ります。
皆様、時々は覗いて下さいまし。

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平成14年8月15日  カウンター10000突破

5000突破が4月19日 およそ4ヶ月で5000人のご来客。感謝のひと事である。
その間色々な出来事もありました。
私のミスで掲載したものが問題あり削除したこともありました。
(関係者各位、ご迷惑おかけしました)
また、たくさんのメールも頂き、励まされたりもしました。
こんな拙いサイトから、たくさんの方々と心の交流もてる事を感謝する
10000です。
今後とも『浜さんのホームページ』をよろしくお願いいたします。

なお、キリ番10000をゲットしたのはKingさんのお嬢様『夕貴』さんでした。
記念品を贈り感謝の意を表します。


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平成14年4月24日  佐世保からしげさん

SASEBO FISHING INFORMATION』でおなじみの
しげさんがお仕事で東京に、仕事の合間をぬって(その逆と言う噂も)
こちらのボート仲間と精力的に交流を深めていました。
我が家にも21日のお昼ごろご訪問頂きました。
前日は、天気が良く相模湾でまささんの操船する船で『
アカムツ』を
ゲットしたとか、流石のしげさん


今日は朝から雨。
雨の中しげさん所沢駅到着、駅近くのうどん屋さんにご招待
ここはそばもうどんもおいしいので両方盛られてざるを注文、これが
結構盛りがよく、二人とも腹一杯になってしまった。
その後、我が家に、まずは艇庫にご案内、自慢の艤装をご覧頂、次
はもちろんお酒、天気が良ければ庭のテーブルでお日さまを浴びな
がらと計画していたのですが、残念な事に、雨脚が強くなったので、
家に上がって頂き、雑談をしながらお酒を、そのうちにインターネット
にもアクセス、パソコン談義にも花を咲かせました。
そして、楽しい一時はあっという間に過ぎ、7時過ぎに帰られました。
いつの日か、佐世保にも行ってみたいと思います。その時はよろしく
お願いします。
そして、こちらにおいでの時は是非又おいで下さい。

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平成14年4月20日  カウンター5000

4月19日、カウンターが5000を越えた
こんなHPでも訪れてくれる人がいる。5000のうち私もかなりアク
セスしているし、検索エンジンのロボットもやって来てるので、実際
に覗きに訪れる人の正確な数字ではないにしても、これだけの方
々がこのHPを見ていてくれる。「感謝!感謝!」の気持ちでいっぱ
いです。
さて、5000番ゲットの方は現れないようです。
カウンターを気にせず、何の気なしに覗いて頂いた方かもしれませ
んし、ロボットかもしれません。
そこで、前後賞を設けました。前後賞ゲットは
4999は沼津の『 さわやん
5001は横浜の『エイプリルさん』でした。
これからも『浜さんのホームページ』をよろしくお願いいたします。

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平成14年4月7日  意外な浜さんの活動の部2

3月25日のつづきです。
さて、3月25日の下見をへて、いよいよお手伝い
お手伝いの内容は、テラスの屋根が今までシートだった為風や
大雨時に大変。
そこでしっかりした屋根を設置しようと言うことでした。
かんりにんさん(末吉暁子さんの旦那さん)と私で各材料の手配
4月6日いよいよ工事日、朝7時出発9時ちょっと前到着
まずは、工事前の現場撮影

 
シートの屋根

かんりにんさん沓石を買うの忘れていました。買い出しに
その間私は、墨出し、早い時間なのであまり音のでない仕事を
そうこうしている間に、かんりにんさんが沓石を無事購入して到着
「羽子板つきのピンコロ」とお店の人に聞いた所、
「羽子板とサイコロはお正月用品なので今はありません」だって
建築用語?で羽子板は羽子板のような形をした金物を指します。
ピンコロは四角いコンクリートのサイコロのような床束の土台に使う
ものですが、お正月用品とは知りませんでした。

だいたいの骨組みが終わり、お昼ご飯をすませ午後の部
垂木を流し、透明な波板を張ります。


だいぶ出来てきました。

5時頃にはほぼ完成、あまりしっかりしてないのと軒を出し過ぎたので
波板を張るのに恐怖
なんとか完成後掃除を始めるかんりにんさん


その後照明設備設置


と言う事で完成
今出来上がったテラスの屋根の下でまたもや豪華お食事会
なんと夜中の12時頃までお邪魔してしまったのでした。


隣人の木村さん親子(右) 私(右奥)
そして、末吉暁子さん 撮影はかんりにんさん

またもやお邪魔して豪華お食事ありがとうございました。
ご自分の作品、色々な方の作品の裏話などもお聞かせいだき
とてもハッピーで充実した1日となりました。

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平成14年3月25日  意外な浜さんの活動の部

童話関係も好きと自己紹介にちらっとふれてありますが
24日の日曜日、ひょんな事(下記HP おたよりコーナー 参照)
から童話作家の『末吉暁子』さん宅へ遊びに行くことになりました。

目的はちょっとしたお手伝いの為だったんですが、お手伝いそっちのけで
なんとお昼をご馳走になり、さらに酒盛りが始まり、夕飯へと突入、夜の
11時ちょっと前までお邪魔してしまいました。

ご自宅は、戦前の建物にプラスαの洋風のちょっと洒落た造り
さて、ご馳走になった
場所、これが一風変わっており、なんと桜が咲いたと
は言え、まだ夜風が冷たいのにお外(テラス) でした。
お外?「なんと物好きな」とおっしゃるなかれこれがまた素敵でした。
ご主人の(HP『末吉暁子童話マップ』の管理人さん)の手造りのテーブルに
コタツのようにキルティングの掛け物をして、足元にヒーターの温風を吹き込
む仕掛け、またその温風がベンチの下まで回りお尻までホカホカ


ここでライトアップして夜中まで

ここで、末吉さんご夫婦、お嬢さん、お隣の博学な元パイロット紳士、私の
5人でご馳走を囲み、うん年物のワインを頂き語らい続けたのでした。

暁子さんの優しさのにじみ出るお話し、ご主人の『おおぼら』に惑わせなが
らですが、内容の濃いお話し、お嬢様のおっとりとした語り口、お隣の博学
元パイロット紳士のバミューダー海域の飛行体験、上空から見る虹やオー
ロラのお話し、途切れる事なく次から次と出る豊富な話題に感応し、私もそ
れにつられていつの間にか、ハイテンションに
何十年分かの楽しく幸せな一時?(長々とが正しいかな)を過ごす事が出
来ました。
帰り際、末吉暁子さんの本 『雨ふり花 さいた』(サインいり{^_____^})
『ごめんね さとしくん』それにあの『ざわざわ森の がんこちゃん』の
お人形、お茶(お茶を頂いた時になにげなく「あっ このお茶おいしい」と言
ったのでそっと忍ばせてくれたんですね。なんか催促してしまったような)
沢山のおみやげまで頂、家路につきました。

HP『末吉暁子童話マップ』はこちら http://www5b.biglobe.ne.jp/~akikosue/

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平成14年3月17日  腰痛、膝痛 道具

持病の腰痛がいっこうに良くならないでいる
釣行にも辛いものがあり、ずっと出掛けていなかったが久々に釣行した
やっぱり辛い、一生懸命に治療しなければ・・・
で、釣行出来ない時間、以前へち釣りの時に竹竿を作っていたが、しば
らく作っていなかったので、1竿カワハギ用の竿をありあわせの材料では
あるが作ってみた。それに暮れに奮発して買った私にとっては高価なリ
ールを付けて釣行、それを1尾も釣らずに海に奉納してしまった。
とにかく健康でないと、何をやってもうまくいかない気がする

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平成13年12月31日 『今年は』2


色々ありました。
中でも『マイボートは車に積んで』に掲載紹介いただい事
これで海の上で声をかけて頂いた方もあり感謝
それに『カートップ釣り大会』に参加
私のボートはあそこから出航は出来ず、陸からの応援でしたが沢山の方
々との交流楽しいばかりではなく、参考になる事ばかり
もう一つHP開設
沢山の方がご来訪、私にしっかり更新出来るか、しっかり皆さんにRE出
来るか不安でしたが、そんな不安をよそに皆さんに応援頂、感謝
焦らずぼちぼちマイペースで『良い加減に』やっていきます。
皆さん来年もよろしくお願いいたします。

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平成13年12月31日 『今年は』1

仕事納めをして帰りに上州屋により帰宅、私のディスクの上に配達証明の
封書、カード会社からのもの 「なんだろう」と開封して見ると
『ご当選おめでとうございます』と書いてある???
2ヶ月前に車にETCを取り付け、当然カードも作った。その時のキャンペー
ンで「カード入会後3ヶ月以内に、2000円以上ご利用されると毎月抽選で1
00名様にギフトカード3万円分プレゼント」と言うのに当選したらしい
「やったー」 ETC器械を取り付けた金額がほぼ戻ってきたことになる
この運で釣りにいけば間違いなく大漁と勇んで30日釣行
ところが大風で出航出来ずブルーな気持ちと疲労感で帰宅
さてさて、来年はどうなる事やら・・・・

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平成13年12月18日 『今年もわずか』

今年も2週間足らず
膝が調子悪く釣行できないでいる。何としても今年中にもう1回は
釣行したい、来年の釣果を占う『竿納め』である
このところ不調な釣りばかりなので今年最後に好釣果を味わいた
いものであるが、なんせ膝が不調なので無理も出来ない。
そう言えば、今年の初釣りは、海に着いて大風で出航断念、それ
でも堤防で投げ釣りをしたのを思い出す。
貧果で始まり、貧果で終わってしまう、不安がつきまとう(^_^;)アセ
何より膝をなおすのに専念するのみ・・・
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平成13年12月2日  『1ヶ月で』

当HP開設から1ヶ月
カウンターが気になります。1300を越えています。
一日あたり43回以上のアクセスとなります。
自分でも驚いています。
こんなHPでも訪れてくれる人がいる。本当にうれしいと思います。
いざ開設して見ると、なかなか更新出来ず。諸先輩のHPには感心
するばかり、私も自分に負担にならぬ程度に少しずつ更新したいと
思います。
実は色々更新したい事があります。
スパンカーの制作の為の寸法や部品リスト制作手順等もその一つ
この他に艤装の改造(おもて差し舵の取り付け部分etc)もあります
し、もちろん釣行もしなければならないので本当に少しずつですので
ご了承お願いします。

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平成13年11月12日  『10日を過ぎて』

開設が2日だからもう10日を過ぎた
カウンターも545を越え自分でも驚き(感謝!!)
開設前から使いたい掲示板が在ったのだが、設定、導入方法が
解らず一人で四苦八苦していた。とりあえずと導入したものが使
いづらく、すぐに切り替え、そうこうしている内に、使いたい掲示
板がなんとか動くようになり、即設置
後先を考えず、行動が先に立ってしまう私の悪いくせだ
沢山の方々が書き込んでくれているのに、掲示板をころころ替え
てしまうのは非常に失礼にあたる。しかしどうせ切り替えるなら
早いほうが、皆さんに快適な環境で利用してもらえる。
と迷いながらも思い立ったら止まらない私は失礼を省みず新掲示
板を設置しまった。
この場をお借りして失礼をお詫びすると共にこれからもこのホーム
ページを末長く訪れて頂きたいと思います。
ご来訪の皆さん、こんな 『浜さんのホームページ』 ですがよろし
くお願いいたします。

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平成13年11月9日   『118の日?』

今日は119番の日だそうです。(ラジオで言っていました。)11月9
日だからだそうです。と、すると昨日は118番の日だったんでしょう
か?
118に救助を求める時に現在位置を伝えないと当然ですが救助
に来てもらえません。海上保安官の方によるとGPSでの位置確
認が正確で一発で解るそうですが・・・
ミニボートに装備されているかたは少ないようです。
そんな時は、釣行場所(出航場所)の県名から住所等をしっかり
メモし『○○県○○町○○漁港 沖○○○m 』と言えるようにし
て置くのは最低限必要です。
また、釣行場所を前もって海図で確認し経・緯度を調べメモして
置きましょう
ピンポイントの位置確認は出来なくも近くに来てもらえば法定備
品の信号紅炎などで知らせることもできるでしょう
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平成13年11月7日   『立冬』

今日は立冬
いよいよ冬ですね、防寒対策に頭が痛い時期です。
また、風邪の季節でもあり、風の季節でもあります。
どちらも我々には辛い事ですね。
私は海が遠いので、出航場所に到着して風が吹き荒れ、海が
荒れているととても辛い何せ3時間近くもかけて行くわけです。
それも、高速代も、燃料代も馬鹿になりません。
しかし、ここで無理は禁物、思いとどまる勇気が大切
でも、辛いですね(^_^;)アセ
しかも只今風邪を引いてしまって体が本調子ではありません。
今週末の出航は思いとどまるしかないかな?
とにかく『安全第一』『安全釣行』
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平成13年11月5日   『勉強』

「画像が見えない」と何人かの方からメールを頂いたり、ご指摘を
頂きました。私のところではしっかり見えていた(どうしてだろう?
??)ので気がつきませんでした。
見えないのはファイル名を全角で付けていたためらしいです。
ご指摘ありがとうございました。こんな基本的な事を勉強すること
なくHP作りを始めてしまったのが恥ずかしい
これに懲りずに皆さんよろしくお願いします。
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平成13年11月4日  『3日目』

HPを開設して3日目
じつは風邪をひいてしまい2日は仕事を休み、2、3、4日と3連休です。
休んであまりにも暇なので以前から考えていたHP開設を未完成な
がら公開する事にしました。
昨日は天気も悪く、まだ体もすぐれないので、外出せず、艤装部分
や写真サイズが大き過ぎて表示に時間がかかる点、等をなおしたり
し、同時にいくつかの掲示板に宣伝させて頂きました。
早速カウンターの数字も上がり、掲示板にも書き込みがあり、さらに
はリンクの承諾も頂きうれしくてうれしくて
皆さん本当にありがとうございます。
これからも少しずつですがボート釣りライフの向上と共に更新をして
行きたいと思います。

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平成13年11月2日 『開設』

シンプルなHPですが今日始めてたちあげました。
掲示板はレス式のものがほしいのですがどうすればいいのだろう・・・
他未完成なページがたくさんありますが少しずつ完成させていきたい
とおもいます。

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浜さんのつぶやきです。