異常無いはずだけど痛い感

 

 

 とある病院、診察室でこんなやりとりがあったとしよう。

「頭が痛いんです。猛烈に痛いんです」
「はい。頭が痛いと」
「それから、吐き気もするんです…ウップ」
「はい。なるほど吐き気もある、と」
「実は腹痛も頻繁に」
「腹痛……っと」
「どうなんでしょう先生。やっぱり重病なんでしょうか。入院でしょうか即手術でしょうか」
「とにかく検査をしましょう」
「検査ってあの」
「精密検査をね。血液検査と、レントゲンと、CTスキャンもやっときましょう」
「そうですか。お願いします。ウップ」

 そして検査が行われる。患者は頭痛に吐き気、腹痛に耐え、検査結果の報告を受ける。
 その結果はこうだ。

「異常ありませんね」

 どうだろうか。あなたがこのようなやりとりの当事者(もちろん患者の方)だったとして、残るのは依然痛いままの頭と腹、そして大いなる不安感なのではないだろうか。
 この場合、医者に問いただしてもムダであろう。仮に医者がいわゆるヤブだったとすると、あなたの体の異常がどこから来ているのか、原因をつきとめることが出来ないのだから何度聞いても同じことだ。
 名医だったとしてもやはりムダである。名医が検査した結果が「異常無し」なのだ。何度聞いてみたところで答えは同じである。答えが変わったらその医者は名医ではない。
しかし自分の体がどうにもおかしいのは自覚しているので、更に食い下がってみると一体どうなるだろうか。

「先生っ…そこをなんとか。痛いんです苦しいんです」

そこをなんとかはないだろうが、とにかく食い下がる。それに対する回答はこうだ。

「うーんそうですね。とりあえず薬でも出しときますか」

間違いない。この医者はヤブである。
 異常無いならそれでもいいから何か薬とかくれよ、と言う人もいるかもしれないが、私に言わせればそれは意味が無い。その薬が頭痛を止めてくれるならば別だが。この場合に考えられる答としては他に「もう少し様子を見ましょう」というのも考えられるが、この回答も不安感を増殖させそうだ。

 そしてさらに不安なことにスゴスゴ家に帰った後、あれほど酷かった頭痛も吐き気もなんだか治まっている。
 時々思い出したように再発はするものの、痛みは酷いが一日耐えればなんとかなってしまう。

 このような場合に沸き上がる不安感を「異常ないはずだけど痛い感」と呼ぶことにする。この感覚は日常の様々な場面に潜んでいる。いるのだ。

 あなたはパソコンを使用している。ところがある日、とある操作をすると必ずメッセージとともにアプリケーションが閉じる、あるいはパソコンがフリーズしてしまうことに気付いてしまった。とある操作とは、例えば「2つのボタンを両方押したままグルグルとマウスを回す」だったりする。
 macユーザーには申し訳ないが例え話なのでお許し頂きたい。とにかくこんな操作は普通やらないので普段の使用には全く差し支えない。だがこれをやると確実にパソコンがフリーズするとしたら。あなたはどうするだろうか。
気になってしょうがなくなり、システムの再インストールくらいやりかねない人もいるのではないだろうか。

 職場のS君が乗っている車はカーブを曲がる際にゴリゴリという音を発生させる。
「車検のときに大丈夫だって言われたからいいんですよ」と言い切っていたが、いいのかS。
「普通の車も皆音は出てるらしいですよ。僕の車は音を防ぐカバーかなにかが外れたかなにからしいですから」
なにか、とか、らしいが一杯並んでいるが本当に大丈夫なのかS。

 ちなみにSの車はエアコンが壊れていて、夏は窓全開だ。剛の者である。学生の頃はこんな奴が結構いたけどなあ。


 さて、実は一昨日家のブレーカーが落ちた。家の中にあるあのブレーカーではない。大元の奴である。
 関西電力が電柱からブレーカーまで調べたが異常なしとの事らしい。電気工事店に調べてもらわないといかんかな。どうしよう。異常なしって言われたら。

 そこをなんとかって食いさがってみようか。


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