誤植チェッカー

 

 

 私がMacを売りつけ、ネットワーク接続も果した事で、快適なインターネットライフを送っているのだろう、父から数日置きにメールが届く様になった。
 その上達ぶりはなかなかのもので、どうもあちこちのページを渡りあるいているようだ。
 Qに「ボロマック」と呼ばれていた元愛機もバリバリの現役であるようで喜ばしい限りである。

 さて、釣りに行けない私を嘲笑うかのような釣り自慢メールをよく送りつけてくる父であるが、最近になって4kコラムの誤字脱字を指摘してくれる事が数回あった。

>「王貞治を知るとは関心な〜」は「感心」の誤りである。

ああ。それは誤変換ですねえ。直しておかねば。

>「心機臭い〜」は「辛気臭い」だ。

あいたたた。またやってしまった。

 こんな私でも誤植チェッカーとしての能力は高いと自負していた時期があった。但し、多くの方は同様の経験をお持ちかと思うのだが、その能力は自分の書いた文章には適用されない。要するに「人の書いた文章については誤植が良くわかるが、自分の文章に存在する誤植は発見し難い」ということである。

 入社して2〜3年位までの間は、高槻市在住ハンドルネーム未定Opera座の客人ことNさん(当時はまだ課長ではなかった)が作成した文書(もちろん仕事)の誤植を見つけ出しては、キングオブチェッカーの名を欲しいままにしていた(つもり)。当時は「間違った部分が点滅して見える」とまで豪語していた私なのであった。若かった。

 しかし、私の文書(もちろん仕事の)は、実は隙だらけであって、逆にNさんに誤りを指摘されまくりでもあった。困った社員である。
今は代わりにS君が私の文書(仕事のだってば)にチェック入れまくり、上司のN室長も赤ペンで補足しまくりである。本当に困った社員である。
 これは結局、自分で書いた文章というものは作成過程で何度も見ているものなので、チェックも雑になりがちであるというただそれだけの事なのだろう。とにかく自分の文章も、しっかり見直すことが大事なのだ。
 そういえば小学生の頃に先生から、テストのときは必ず答案の見直しをしなさいと事あるごとに言われていた。せっかちで間の抜けた、おっちょこちょいな子供であったのだ。
 ん?その頃から全く成長が無いということか。全く困った奴である。

 そういった訳で今回の4kは割と念入りにチェックを入れたつもりだ。でも大丈夫かな。

 最近になって父からメールがくるたびに、誤植がないかどうか見ることにしたのだが、まだ間違いは発見できていない。
 まあ、勝負はこれからだと思っているが。


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