1月25日ベトナムとカンボジアの旅から帰国した私は、翌日から会社勤めに復帰した。頭の中はベトナムとカンボジアで体験した数々の刺激的な出来事の興奮からなかなか醒めなかった。
デジタルカメラで約600カット。現像に出した24枚撮り写真で約10ロール。それらの画像を写真屋に出して、次の週末に出来上がるのを待ちわびていた。いよいよ週末にそれらの写真を改めて見返しながら、楽しい日々を振り返っていた。
ふと、私は衝撃的な画像に遭遇した。
あのとき私は、ドライバーの配慮で、徐行するクルマの窓ガラス越しに、サムダッチ・ソテールゥ通りとトゥールコック通りの売春街に無我夢中でカメラのレンズを向けていた。私の著書の舞台となった場所の「変わり果てた姿」を記録しておこうという思いで必死だった。その写真の中に、あのとき自分では気づかなかった「少女」の姿が数多く写っていたのだ。
はじめそれは、売春婦の子供たちが偶然木戸の陰から顔をのぞかせているものとばかり思っていた。しかし、なぜか少女たちの表情は重く暗く、「人目を避ける」臆病な視線があった。(もしや)と思い、カンボジアのコン君に電子メールで確認してみた。彼は数時間後に返事をくれた。彼の答えは、私が「まさか」と案じていた内容そのものだった。
少女売春___。話には聞いていたが、その現実は期せずして私のカメラが捕らえていた。それにしても、なんと幼い少女たちではないか。私は自分の目を疑った。
カンボジアは「少女売春」のメッカだと聞いた。ガイドのコン君は、あのときその事実を話さなかった。ためらいがあったのかもしれない。売春少女にはカンボジア人もいればベトナム人もいるという。成人よりもはるかに客の人気が高いから、いい商売になっているのだという。
少女たちは、プノンペンではなくタイやラオス国境地方の村に住んでいる教育のない子供たちが多い。貧しい家の娘で、「プノンペンに行けばいい仕事がありますよ」と甘言を弄する売春屋のブローカーにだまされて売られてくるケースが多い。親が受け取る金額はたった100USドルから300USドル程度。これで娘は、なにも知らずに買われていく。
まだあどけない顔をした少女が客を引く姿を見れば、通りすがりの人間は親が自分の娘に売春をさせているように思う。だから誰も口出しができないのだという。しかし、実際はブローカーを通じて買った他人の娘なのだ。
少女売春は、現在法律で厳しく処罰されることにはなっている。しかし、業者は「袖の下」などを使って官憲とのコネをつけており、取り締まるのがなかなか難しいという。この少女たちの未来を救う方法はないものだろうか。[戻る] [トップに戻る]
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