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東京夜話(Tokyo Night Walker's Eyes)
取材秘話と断片スケッチ









秘話その4  OS・2000・「2・18事件」



  WindowsNTの後継といわれる基本ソフトWindows2000の発売の日に、私は敢えて狙いを定めたように、このメモを書いている。謎めいたタイトルを付したのにはそれなりのわけがある。

ここでいう「OS」は基本ソフトとはまったく関係がない。ましてや場末のヌード劇場でもない。「2000」というのも、基本ソフトや「事務用の統合ソフト」とは関わりがない。「2・18事件」。これには少しモジリが込められている、が、だからといってあまり受けを狙っているわけではない。
 太平洋戦争が終り、日本の植民地から解放されたあと、中国大陸から蒋介石の国民党が台湾に乗り込んできて引き起こした大虐殺事件「2・28事件」のパロディかもしれない、とそれとなく気づいてくれる人には感服。まさにそのとおりだからだ。

早々と謎を解き明かせば、ここでの「OS」とは、「オーバーステイ(over_stay)」、つまり「不法に」日本に滞在し就労している外国人のことをさしている。「2000」とは、2000年の今年であることはいうまでもない。「2・18」とは2月18日のこと。この日、OSたちとその周辺に起こった水面下の出来事を、以下に報告したいと思う。

1999年の暮れも押し迫る頃、繁華街で就労する東南アジアや中国出身の外国人の「帰国ラッシュ」がにわかに始まった。クリスマス前にそれは目立った動きになり、年が明けた2000年2月に入ると高潮になり、17日までピークは続いた。2月18日から、「入国管理制度」が一部改正になり、長期不法滞在の外国人に厳しい罰則が課されることになったため、緊急避難で自主的に帰国する人々のラッシュが続いたのである。帰国者は、ほぼ全員が繁華街でホステスとして働く外国人女性と、一部その家族や近親者たちである。

「彼女たち」は、昨年の10月ごろからすでに「イミグレーション・チェンジ」の情報をひそかにキャッチしてしていて、口々に不安をもらしていた。制度の変更の中身は、おおむね以下のようにまとめることができる。(2月18日以前の制度を「旧制度」、以後の制度を「新制度」と呼ぶことにする)。
旧制度では、不法滞在が発覚して捕まった場合、十条の入管に拘留(in jail)されるが、「自首」した場合には穏便に航空券などを自分で手配して一般人と同様の扱いで帰国できた。しかし、新制度では「捕まった場合」はもちろん「自首した場合」でも拘留(期間不明)され、いわば犯罪人として強制送還の扱いを受ける。
旧制度では罰金はないが、新制度ではすぐに支払いが不可能なほどの罰金が課される(金額は不明だが30万円説が有力)。
帰国後、再度日本に入国する際のビザの受給について、旧制度ではペナルティとして「最低1年間」は受給できない規定だったが、それが「最低5年間」に延長される。
「偽装結婚」に対する監視の目がいっそう厳しくなる。
入国管理官以外に通常の警察官も職務質問ができる。

かいつまんでいえば、以上のようになる。

私が知っているフィリピンクラブの例で話そう。昨年の暮れ「フィリイピーナたち」の口コミによる情報交換が活発になり、クリスマス前に、まず現地に子供を残して働きに来ているベテランの母たちが大挙して帰国した。彼女たちをひいきにして店に通いつめている客の間に、なんとなく落着かない空気を感じ取った男たちもいるだろう。親しい客にさえ絶対に口を割らないのが彼女たちだ。
 
「クリスマスだからちょっとフィリピンに帰るだけ、すぐ戻るから待っててね」
と口々に言い残して、その実「完全撤退」した女性たちが多い。
 
(数日間帰るだけなのに、なぜ彼女たちフィリピンの実家の連絡先をわざわざメモに書き残したんだろう)
不思議に思った客は、最終的には「カモ」の道から脱出できる資質をもった男たちだ。
 
(ああやっぱり自分を大事にしてくれてるんだ)
と、あらぬ勘違いをする人間は危険だ。こういう輩は「PPP(フィリピン・パブ・パラノイヤ)」の先輩たちに早めに相談をしておかないことには先々が心配だ。
 
(しばらく来れないし、いつまた会えるか分からないから、フィリピンに電話くれるか、フィリピンに来たら連絡ちょうだいね)
という言外の意味をしっかり読み取って命綱を託したのだと直感した客はつわものといえる。
 しかし、たいていの「一般客たち」は、年が明けた今も
「帰りが遅いのはなぜか」
と、「岸壁の母」の思いでフィリピーナの帰りを待ちわびているはずである。

帰国の大移動は、年が明けて1月下旬から津波のようにうねり、2月の最終週、つまり14日から17日までの期間がピークとなった。罰則規定の緩やかなうちにひとまず帰ろうということで、2月に入ってから成田や羽田を飛び立つ東南アジアや中国便は満席状態になった。
飛行機に乗るまでにはもろもろの手続きがある。入管に自首し、その足で各国大使館に行く。一連の手続きを一日で済まそうとすれば、入管の開所時間を待たずに門の前に長蛇の列ができる。幸いにして、お役所が空いている時間と彼女たちの仕事時間とはまったく逆になっていて都合がいい。朝3時に仕事が終るとすぐその足で、不法滞在者を扱う十条の入国管理事務所にかけつけ、真っ暗な寒空の下で9時の開門を待ち列に並ぶのだ。
管理事務所も「鬼の目に涙」ということか、雨風をふぜぐための形ばかりのテントを彼女たちのために用意している。中国人、イラン人、バングラデシュ人、コロンビア人、ブラジル人、マレーシア人、韓国人、台湾人、フィリピン人。まるで人種、民族の博覧会だ。その各国人がすべてルイ・ビトンやシャネルやフェンディやクリスチャン・ディオールに身を包んでいる。
開門後の入管の中は香水と人種の臭いでむせ返るようだ。階段や通路やら、空いているところに誰もが座り込んでいる。いつもなら爆睡している時間なのだ。彼女たちの疲労もピークに達している。
入管の手続きを済ませ、その足ですぐ各国大使館に行き、さらに帰国の手続きをする。すべてを日中に済ませて、夜にはまた働きに出る。借金を抱えている彼女たちに、一日たりとも「休む」ということは考えられない。

「入管のラッシュ」は、2月14日の最終週には、潮が引くように消滅した。かわって「成田のラッシュ」へと引き継がれたのである。さて、フィリピーナたちが(他の国の女性も同じだが)水面下で着々と帰国の準備を進めていたというのに、「ひいきの客」たちは何が起こっているのかまるで知らされずに店に通いつめていたのである。
17日には店から忽然と姿を消すフィリピーナがたくさんいるのだ。

「ちょっとフィリピンに帰ってまたくるネ」
と、かわいらしく言い残すやさしい女もいれば、
「明日もちゃんとまた店来てね」
と登校拒否の子供を励ます口調で言い含めながら、得意の「すっぽかし戦術」を最後の最後まで使い、「シームレス」に消えようという不敵な女もいる。

悲しいかな、私の親友のM氏は、事情をまったく知らされずにいる不幸なグループの一員だとわかった。一時熱病に罹ったようにほぼ毎日クラブに通いつめ、店でも評判の「客」というよりは「カモ」だった。その彼の気も知らず、指名を受けていたフィリピーナの「A」は突然姿を消す残酷な道を選択した。あわてて帰国する女性たちが、「入管制度」の前にあえなく屈したということではない。そんなやわな「タマ」たちではない。帰国して、再入国する次なる戦術を画策・準備するために、早めに帰っただけなのだ。運が悪くても、一年後には再度日本に入国できる可能性がある。だが、それまで待とうという気は毛頭ない。1月末に帰国して、早々と2月初旬に「結婚」した「M」という女性がいる。同じ飛行機で帰国した「R」も「結婚」の手続きを進めている。したたかといえばしたたかだし、そこまでやり遂げるエネルギーには脱帽だ。仕事帰りの未明4時に入管に並ぶだけあって、根性が違う。

しかし、入管もそこは十分先を読んでいるわけだ。この時期に帰国し、にわかに「結婚」した女性への監視を厳しくするという噂も流れている。フィリピーナの入管にまつわる噂というのは、信頼できる筋から流れていることが多いので、確度はきわめて高い。「偽装結婚」だけでなく「パスポートの偽造」という手も使うだろう。入管と「不法滞在常習者」との攻防は、これからますますエスカレートすることになる。
女性たちは、帰国にあたって何百万円もの大金を持って帰った。フィリピンにいる間、「失業状態」におかれるわけだが、だからといって巨額の借金の返済は待ってくれない。どんなことがあっても、日本に舞い戻らなければならない事情がある。

首尾よく帰国できた女性以外に、やむを得ず「不法滞在」のままでいる道を選択したフィリピーナたちも数多くいる。彼女たちは、いわば「腹をくくった」のだ。
「人殺しや麻薬やってるわけじゃないんだし。捕まったら捕まったでしょうがない。そんなに、悪いことしてるでもないんだから。何かあれば、自分の国に帰るだけデバ(でしょ)」
滞在決意組みのあるフィリピーナが、ぽつりと本音をもらした。
「でも、こんど警察もつかまえるらしいからね、それがとてもこわい」
入管は密告や良からぬ噂で店に踏み込む。ほうっておけば沽券にかかわるから踏み込まないわけにいかない。
しかし警官は、ちょっと悩ましい。おぼつかない腰つきで自転車に乗っているだけで、(盗難自転車かもしれない)と声をかけてくる。日常生活の中に深く入り込んでいるのだ。店と家の行き帰りにも油断できなくなったことを、彼女たちは嘆いている。
「2000_2.18_OS_事件」。それは盛り場の女たちのつつましい平和を動転させるほどの大事件だった。しかし、多くの日本の男たちは、そのことに気づかないまま、忽然と消え、いつ戻るか分からぬ女たちをいまも待ちつづけている。
「Aちゃんどうしたのかな」
こんなはずはない、と不安顔でM氏が店の女にたずねた。
「きょう休みだと思うよ」
と得意のなにくわぬ顔でとぼける女たち。
(いや、いや、休みならばいつもちゃんと事前に電話があるよ。きっと何かがあったんだ。想像がつかない。情報もなければ手がかりもない)
みるみるM氏の脳みそからアドレナリンが血管に噴き出してくる。
「Aちゃん、なんかあったのかネ、やっぱり?」
聞いても仕方がないことだが、ふと視線から消えた母の姿を子が追うような悲しい目で、押さえきれずにまたほかの女に聞いてみる。
「知らないよ、今日病気かもしんない。すぐ来るんじゃない....」
フィリピーナの「知らない」は、往々にして「知っている」の言い換えである。

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