アンへレス陽炎日記3 〜 「バリバゴ奇人館★K君の物語

                         寄稿:ブルゴス伊藤
 ◆バリバゴ(フィールズ)◆

アンへレスに足しげく通っていると、現地で実に奇妙な日本人に遭遇することがある。
奇妙とは相対的な認識であろうから、周囲からはこのオレもどう思われているかわからないのだが、それはともかくオレの目に奇妙に映る人物には驚くほどたくさん出くわすのである。

アンヘレスという町自体、常識はずれなところもあるので、そんなところにわざわざ日本から出かけようと発想する人間に、どだい凡人は少なかろう...。そういう意味で、アンヘレスという町は底知れず詩的であり、ジャズっぽく、そこにうごめく人々は詩人であり、またジャズアーティストたちだと言えなくもない。

これから紹介しようとするその人物を仮にK君と呼ぶことにしよう。
K君とは2001年の年の瀬、マウンテンビューのとあるホテルが主催する「ウェットTシャツコンテスト」の会場で偶然知り合った。
そのときホテルのプールサイドは観客でごった返していた。コンテスタントの踊り子たちも、すでに最高潮に盛り上がっていた。会場は立錐の余地もなかった。うろうろしていると、プールサイドに面したカウンター席のど真ん中、これぞ絶好の場所に、なぜか一席だけ空席があるのにオレは気づいた。
(やったぜ!)
オレは狂喜して、さっとそのカウンターの前の丸い長いすの上に尻をのせ、目の前に迫りくるダンサーを仰ぎ見ていた。しばらくすると、誰かが背後からおれの肩を突っついて言った。

「あのー、ここ僕の席なんですけど」
「ええっ!?」
振り返ると、カメラを大仰に構え、獲物を捕り終えたハンターのように満足顔をした30代後半とおぼしき男が立っていた。
「ここ審査員席なんです」
「あ、スイマセン」
審査員席とは!どうりで絶好の場所なはずだ。そのとき彼は、写真を撮りにたまたま席をはずしていたのだった。

そのどたばたがK君との出会いの始まりだった。彼は大胆なポーズで迫り来るダンサーに、長尺のレンズを装備したカメラを向けて嬉々としていた。そのときオレはK君が、プロのカメラマンだろうと思った。しかし、実際には、写真を趣味にしている「カメラ小僧」であることを知る。
というのは、このとき真剣な顔をして撮影していた写真を後日見せられ、その多くがピンボケか露光不足であったことを確認しており、それを見て瞬間にアマチュアだろうと思ったのだ。

その後オレは、K君がフィールズ沿いのいくつかのバーで、ステージの前にかぶりついている姿をたびたび見かけるようになった。そのたびに彼は、長尺レンズの一眼レフカメラをしっかりと手に抱えていた。

K君はカメラのほかに黒い肩掛けバッグをいつも持ち歩いていた。そしてときどきバッグに手を突っ込んでは、中から小さな菓子や酒のつまみなどの乾き物を取り出して、ダンサーたちに上げていた。それは手渡しの場合もあれば、鳥に餌をまくようにステージにバラバラと撒き散らすときもあった。オレはK君のその行動を見て、奇妙なことをする人だといつも思っていた。
K君はどちらかといえば人間嫌いのように見えた。バーで遭遇するたびに、オレのほうからK君に声をかけた。そのたびにいつもめがねの奥で目を丸くして、悲しいことに(あんた誰なのさ?)というような無言の冷淡な表情を返された。

それから半年ほどたって、フィールズで何度か遭遇するうちに、K君とは主語述語のそろった会話らしい会話を交わすようになり、彼について少しだが断片的な情報が集まるようになった。
・もともとタイ派だったが、いまはフィリピンのアンへレスにはまっている
・ホテルはココモスの裏の安宿に泊まりそこにカメラ道具一式を置いている
・アンブレラまで持ち込んでBFしたオンナの写真を本格的に撮っている
・次回アンヘにきたとき写真をババエにあげるのが趣味である
・インターネットはやっていないのでメアドはもっていない
などの周辺情報が、ようやく分かりかけてきたのだ。その頃でもまだ、お互い名前を名乗りあうこともなかった。しかし、オレたちが遭遇する頻度と時間から推し量るに、K君はフィールズの老舗のバー「L」に最も長く入り浸っているだろうことがわかり、そのバーに特別な思い入れを持っているようすだった。

それから数ヶ月して、ふたたび「L」で出会ったK君は様子が違っていた。
人間嫌いだと思っていたのだが、話し相手に飢えていたかのように彼のほうから近づいてきて、ビートのダンス音楽をも突き破るような大声を出し、オレの耳元で長い時間話すようになった。
その多くは支離滅裂なことだったが、無口だったはずのK君は、知らぬ間にすっかりおしゃべりなK君に変貌していた。

その頃のオレも、午後の早い時間に開店する「L」に居心地の良さを感じ好んで通うようになっていた。するといつもそこにK君がいた。K君はオレを見つけると自分の席を移動して、決まってオレの隣に来てあいかわらず一方的に話しかけてきた。
オレの横にいるオキニのロエナも、さすがにK君のとめどないおしゃべりには閉口していたようすだった。


K君は「L」で踊る自分のオキニと危機的状況にあった。

それを修復するためにか、彼は「L」に開店から閉店までずっと居座るようになっていた。しかし、肝心のオキニはもはやK君と口を利こうとしなかった。いつも彼の席には背なかと尻を向け、反対側の客のほうに立って踊っていた。K君もその辺の事情を少しずつ打ち明けるようになったが、目の前で踊っているはずの彼のオキニがどのダンサーなのか、ついに最後までオレに教えようとはしなかった。
そのくせ、さんざんオレの耳元で彼女に冷たくされていると文句をいった。そのたびにオレが、ダンサーのほうに視線を向けると、なぜかK君は激しく取り乱して制止しようとした。

「あのさ、わざと日本語でいうけどさあいつ、おれんこと無視しやがってよまあいいんだけどさほかにもつき合ってるのいるからさオンナあいつだけじゃねえしヨまあいいんだけどね
「彼女って?いまあそこで踊ってんの?」
「まあいやあそのへんはいいからさ、あえて日本語でしゃべるけどさ、まあいいから」
横にいるオレのオキニに聞かれたくないことでもあるのだろう。かれは日本語で品のない言い方をし、口をとがらせながら会話にならないことばを発していた。
「彼女ってどのコなんだよ、教えてよ!」
彼の潔さのない態度をからかいたくなって、オレはいじめるような気持ちで追求した。

「あああ、見ないで、見ないで、いいからこっち見て、オレがなにかいってるのバレるでしょあああ見ないでってばだから、いいのいいの、その、あの、ああ見ないで!!」
複雑で屈折した胸のうちを収拾できずに、彼はヒステリックな声を出し続けた。
それからも彼は、こちらが聞きたくもない話を何度もした。そのたびに、かれは真意をはかりかねる前置きを繰り返した。
「今から日本語で話すけどさ、あっち(踊っているダンサー)のほう、絶対見ないでよ、いいね」
そういっては、元彼女のことを、K君はストーカーのようなこだわりで執拗に話した。

よほどいいオンナだったのだろう。しかし、彼女とK君との関係は、もはや修復の見込みもないほど冷え切っていた。
さらに気の毒なことに、バーのダンサーたちも実は全員が結託していて、誰一人としてK君に味方するものがいなかったのだ。つまりこのときK君はすでに「L」で、総スカンを食らっていたというわけだ。
そうこうするうちにK君の元彼女は、彼がバリバゴに来るらしいという情報を入手したとたんに、その日から店を休むようになった。店のオンナたちはK君がバーに現れたら「彼女プロビンス(田舎)に帰ったよ」と口裏を合わせるようにしていた。
K君はそれでも、彼女のいないバー「L」で修行僧のようにじっと入り浸っていた。
「L」の同僚で、オレのオキニのロエナが、実はK君の彼女とは親友の間柄だった。オレとロエナとの間に信頼関係がうまれてきたある日、ロエナはK君と元彼女とのあいだの一部始終を話してくれた。部屋をひとつ隔てて、ロエナとK君の元彼女は同じ長屋アパートに住んでいた。彼女は、プロビンスに帰ってはおらず、K君がバリバゴを離れるまで、じっと我慢強く自分のアパートに潜んでいる覚悟だった。

ロエナの話では、K君の彼女は本気で彼に惚れていた。特別な感情を持ちはじめたのは、2001年の10月ごろ。ちょうどオレがK君と知り合う少し前のことだった。それからK君は月に一、二度渡比し「L」にたびたびに顔を出すようになり、BFを通じてふたりの関係は急速に進展していった。なんらかの将来の約束もしていたようだった。
しかし、それから数ヶ月して破局は突然訪れた。
K君は特定の「彼女」ができかけていたにもかかわらず、あくまでも意識は「旅行者」のままでバーホッピングを繰り返していた。時には目立たぬようにほかのダンサーをもバーファイン(BF)していた。
K君にとっては、はるばる日本からバリバゴまで来ている旅行者なのだから、それは当然の行動だという論理だったに違いない。

あるとき、K君は「彼女」に内緒で、大手のバー「CH」のババエをBFし連れ歩いていた。それをバー「L」の、早番で引けたダンサーに目撃され、K君の本命の「彼女」にさっそく告げ口されてしまったのだ。
この不貞行為を「彼女」は許さなかった。K君が釈明をしたのかどうかは知らない。しかし、「彼女」のほうはそれ以後「絶交」を決意した。ひとたび会わないと決めた「彼女」は、フィリピーナ特有の意志の固さでK君を完全に拒絶し無視した。

後日バリバゴをふたたび訪れたオレは、やはり「L」でK君を見かけた。オレが行くたびに会うことから想像すると、彼は相当な頻度でバリバゴに来ているにちがいないと思った。
彼はカメラ小僧を廃業したらしく、すでにカメラを持ち歩いてはいなかった。客が撮影するダンサーの写真がさまざまな場所で公開され、トラブルが頻発していた。そうした事情があったのか、バリバゴのバーでは店内での写真撮影を一切禁止にしたようだった。
K君は、オレを見つけると懐かしそうに席に近づいてきた。そして相変わらず口角泡を飛ばししゃべりまくった。ロエナとオレの間には、K君についてすでに核心の情報交換がなされていた。
K君が耳元で必死に何かしゃべりまくっているあいだ、私服のロエナは座っているオレの目の前に立ち、ダンスミュージックにあわせてカラダをくねらせながら、じっとこちらを見つめている。その瞳の奥には、K君に対する同情というより軽蔑の意味が込められていた。同僚を裏切った男に対する敵意のような激しいものも感じた。

「なんのかの言ったってさあ、ここのダンサーは、ないしょでオレにバーファインしてもらいたがってるんだよ。あいつと付き合う前なんかさほらあのコとか、こっちのコなんか持ち帰ってるしねいまでも、あそこのコなんかから、バーファイン頼まれてんだよ」
相変わらず、自信家のK君ではあった。元彼女がいない気安さがあったのか、K君の会話はやや落ち着きを取り戻していた。オレとしては、「ああ、あっち見ないでよ」の耳障りな指図がなくなった分、神経への負荷が減ったのはうれしいことだった。
自信家にはときどき不発もあったようだった。
「あの前の列の右から三番目のオンナいるだろ。あいつ、オレにだいぶまえヌード写真とって欲しいなんていいやがってさ。オレ部屋で全部セッティングして来るの待ってたんだけど、約束の時間になっても来やしねえのよふてえやつだよ、ホント」
カティのことを言っているのだ。カティだって、K君の元彼女の親しい友人だ。K君あきらかにおちょくられただけに違いない。ほかにBFして欲しがってるダンサーだって、いざとなりゃ「今日は生理だ」とかなんとかいって断られるにきまってるだろう

「ねえ、ねえとなりのオキニ名前なっていったっけ」
「ロエナ」
「このコほんとにかわいいよね」
………
「オレあいつがいなかったら、ロエナにしたいと思ってたんだ、ほんとほんと、でも、いや、だいじょうぶ邪魔しないから

早い時間から、サンミゲルを飲みすぎたせいかK君も節操のない言葉を吐くようになってきた。
このとき彼は、珍しく自分の身の上話を名前も知らないオレにした。

K君は、去年の三月で会社を辞めていた。
その直前には有給休暇を消化していたらしく、1月の半ばから会社には出ていなかった。だから、12月の最後のボーナスをもらったあとの年末年始、ちょうどオレたちが出会ったころから、K君はほとんどバリバゴに来ていたのだった。
日本からはるばる来て、何度も顔を出してくれるK君に、元彼女は本気で誠実さを感じ取ったのにちがいない。(自分のために、ここまでしてくれるなんて)と、勘違いをしたのかもしれない。
しかし、実際には会社をやめ、失業状態で、たまに失業手当をもらうためだけに日本に帰っていたというわけなのだ。
月々に直せば18万円ほどになる失業手当があれば、飛行機のチケット代とホテル代を払っても、バリバゴでなんとか遊んで暮らせる。誰もが考えそうな話を、K君は実際に実行していたのだった。しかし、バリバゴにはまり、ダンサーにはまり、仕事も辞めてさあこれからというとき、K君はもうすでに元彼女からは「三くだり半」を突きつけられていた。
もともと日本での生活基盤をたたんで、あれだけバリバゴでの出現率が高くなると、地元民にもちょっとは顔を知られてくる。過ごしている時間を考えると、それは半ば住み着いているのとさほど変わらない生活になる。結婚して住み着いている男の窮屈さは、想像に難くない。ましてやバリバゴとは「遊び」の街であるからして、バリバゴのオンナと結婚しバリバゴに住むというのは自己矛盾とまでは言わなくても、「ひとつのシャレ」に聞こえてしまうのである。
それはともかく、K君は意識と行動は「観光客」のまま、バリバゴの「半定住者」として暮らし、彼女の手痛いしっぺ返しに遭ってしまった。それでも、彼はパルパロから足を洗えず、「N」や「BN」、「CH」などの大手バーのババエの尻を追いかけ続けている。

K君と最後に会ったのは2003年の1月1日、いつもの「L」でだった。このときK君は初めてしんみりした口調でオレに言った。

「次はメキシコに渡ろうと思ってるんだ」
K君のその言葉を聞いて、オレは驚いた。
「2月上旬で失業手当も終わるしさ、わずか5万円くらいの金だけど、いちおうもらいに日本に帰るつもりなんだ。いままでのマイレッジも三往復分くらい貯まってるから飛行機代はただだからネ」
「もうバリバゴ、やめるの?」
…………、会社にいたころのたくわえも少しはあるんで、しばらくは何とかやっていけるとは思うけど
彼は、オレの質問とは違うちぐはぐな答えを返してきた。おそらく、これから先の生活のことが急に心配になってきたのだろう。
あとさきのことを考えず、会社を辞めバリバゴに入り浸った30代の日本男児、K君。遊び疲れて日が暮れて、急に家路に帰らなければならない子供のように、さびしそうな顔をした。
「でもね、オレもいろんなところ歩いてきたけど、ここみたいにいい場所はもうどこにもないんだよ。安いってのもあるけどね、安さだったらカンボジアなんかだってあるじゃない、けどさ、いくら安いからってあんな小汚ネェ奴ら抱いたって面白くもなんともねえじゃん。それに比べりゃさ、こんなかわいくてきれいなコなんて、ほかじゃあちょっといないんだよなあ。もしかしたら世界中でもうココしかねえんじゃねえかなあ <>…この街なくなったら、オレもう行くところなくなっちまうよなあ…

K君は、もうすぐ遠くに行ってしまうようなはかない表情をした。柄にもなく回顧なんかしちゃって、何かをまとめにかかっている彼の口調が、オレはやけに気になった。
しかし、このときばかりはK君のことばが妙に説得力をもって聞こえた。正直いって、オレもK君と同じ意見だった。パッポンでもタニヤでも、ナナプラザやEIEC、それにブルゴスでもできないことが、バリバゴではできる。まだ荒らされていない地上の楽園、桃源郷、そしてそこには、ささやかだが夢ではない「恋」の感触がある....。見た目もかわいいが、心もきれいなオンナたちがまだ無数にいる。オレはそう思っている。

このバリバゴがなくなったら、あるいは別なものに変質してしまったら、オレを含む世界中の男たちはきっと嘆き悲しむしかない。バリバゴは、オトコの精神世界に天地創造の神が与えた「世界遺産」なのだ。そこまででなくとも、魂がねぐらに帰る恐山の「賽の河原」のようなものなんだ。
柄にもなくやけに息遣いの荒い言い方をしてしまったが、K君の言葉を聞いてオレはしんみりとなっちまった。
彼が本当にメキシコに行くなんて到底信じられないが、絵に描いたようなハマリのパターンを生きていることだけは確かだった。これから先どこでどんな人生が待ち構えているのか、考えるだに寒々としたものを感じざるを得ないが....。それにしてもあれだけバリバゴにはまり込んだら、きっとオトコ冥利に尽きるといえるのではないだろうか。
20代30代を世界中の風俗街を駆け抜けてきて、いま目の前で燃え尽きようとしているK君。愚かしくもありまた羨ましく、そして物悲しくもあるキミの半生に、オレは心から喝采を贈りたいと思っている。