アンへレス陽炎日記5

                        寄稿:ブルゴス伊藤
◆バリバゴ(フレンドシップ)◆
ダウのバスターミナルからホテルに向かう途中、オレはふとあることを思い出した。前日タクシーのドライバーから「地元の人々が利用する腕のいいマッサージ屋がある」と聞いたのだ。
午後の早い時刻、フィールズの中心街に戻ったところで、特にすることはなにもなかった。オレは好奇心から、そのマッサージ店を探してみることにした。

この街のマッサージ屋には、ことごとく失望させられてきた。期待して足を踏み入れると、いつもいかがわしい施設ばかりだった。
約束の半分の時間も過ぎていないというのに、マッサージはそこそこに放棄して、途中から頼みもしない余計なサービスの押し売りをされるのが常だった。
バリバゴは世界に冠たる「風俗の街」。だから、そうした店がはびこるのは致し方ないとしても、ほんとうにマッサージだけを期待する客だっているだろう。うろうろしているのはよそ者や旅行者ばかりではないはずだ。地元の住民だって相当な数でいるだろう。そういう人々のためのマッサージ店がこの街に皆無というのは信じられなかった。絶対どこかにあるはずだ。その場所をいつかは突き止めてやろうと思っていた。そうした矢先に、運良く冒頭に述べたタクシー・ドライバーに出会ったのだ。

昼下がりのダウ・バスターミナル。構内は、遠出する人々でごった返していた。人が多く集まる場所には、自然に物売りが近寄る。そして自然に市のようなものができ、それがやがて常設の店に変わっていく....。まるで自然の法則のように、ダウのバスターミナルも周辺にさまざまな商店が軒を連ねている。

店先では威勢のいい客引きの声が飛び交い、さながら庶民が群がる市場のような風情だった。その賑わいに混じって、バスの案内人がそれぞれの行き先を大声で告げ乗客を呼び込んでいた。
ターミナルの構内の出入り口周辺には、大きな荷物を抱えて降りる乗客をターゲットに、無数のバイタクが客待ちしていた。

前日ジープニーの中で、不覚にもオレは両替したばかりの4000ペソ近い現金を入れた札入れを、スられたばかりだった。日が変わっても、悔しさが晴れない。油断した自分が情けなく、また乗り物の中で旅行者を食い物にするこの国の悪党どもへの怒りは収まらなかった。

そういう輩に何が何でも「報復」したいという恨みがましさがあった。オレはバイタクの運転手に、だれ彼となく懲らしめてやりたくて、フレンドシップまで50ペソで行くよう意地になって掛け合っていた。しかし、当然のごとく断られ続けた。それでもむきになって50ペソだと言い張った。妥協せず粘りに粘っていると、最後に人のよさそうな初老の男が近寄ってきて、いったんは「ノー」といって去りかけたものの、何を思ったか戻ってきて、ついに不承不承オレを乗せてくれたのだった。

バイタクはマッカーサーハイウェイを南下し、やがて右折し西に向かった。クラーク基地の施設を右手に見ながらただひたすらフィールズを疾走した。マルガリータ・ステーション、アメリカ・ホテル、クラークトンホテルなど、見慣れた建物を左手に見やりながらバイタクはうなりをあげて風を切った。しばらくして、やがてバイタクはフレンドシップゲートの前で急にスピードを落とし、少しばかり左折したところでうなりを鎮め停まった。

案の定降りぎわにドライバーはひとくさり何やらごね出したが、オレはそれに取り合わず無視し、毅然として50ペソを払いバイタクを離れた。背中の方で運転手はまだぶつくさと捨て台詞のようなことを言った。それから腹いせのようにアクセルを何度も空吹かしして元来た道を引き返していった。

フレンドシップ・ゲート前。ものものしい警護の兵隊が内と外とを隔絶するために威圧している姿を想像していたが、あにはからんや内と外の境界もわからぬほど「無防備」で、オレは拍子抜けした。まわりの人々も、驚くほどのどかに歩いている。

フィールズをゲート前で左折すると、それが「フレンドシップ・ハイウェイ」。二車線の道だ。当地の人々は、少しでも大きな公道には何が何でも「ハイウェイ」という名前を付けたくてしかたがないらしい。だが、道は舗装されておらず、砂埃の舞う田舎道だった。その白っぽい砂はきめが細かく、恐らくピナツボ火山の噴火で撒き散らされた火山灰ではないかと想像した。

ゲートの斜め前には、ゴーゴーバーが主流のバリバゴには珍しいカラオケの店があった。「KIM’SカラオケTV」。バリバゴではちょっと名の知れた店だった。以前から評判は聞いていたので、いつか覗いてみたいと思っていた店だった。こんなところにあるとは知らなかった。

見回すと、このあたりの店には必ずといっていいほど「ハングル文字」の看板がかかっている。おそらく韓国系の住民が多いのだろう。「KIM’SカラオケTV」の建物にもハングル文字の表示があった。きっと韓国人の経営だろうと思う。残念ながら、オレはこのカラオケ店のシステムがどうなっているのか知らない。

マッサージ店の情報を提供してくれたタクシーの運転手は「ハラホテルを目ざして行け。するとそのの斜め前にバーバーショップがあり、それと同じ建物のなかにある」とかなり具体的に教えてくれた。ハラホテルはすぐに見つかった。フレンドシップゲートを背にして「ハイウェイ」を少し下った右手にあった。ホテルの建物の一階部分にはドラッグストアとレストランらしき看板も出ている。

オレはドラッグストアの方に入り、レジ前で退屈そうにしていた女に「この辺りにマッサージ屋はないか」ときいたが、知らないと言われた。なおも執拗に尋ねたら、露骨に迷惑そうな顔をされた。ここまできて引き下がるわけにはいかないという気持ちがあった...。

手がかりを失い、オレはがっかりしてしばらくハラホテルの前に立ち尽くしていた。あきらめきれず、気を取り直してもう一度冷静に場所を確認しようと思った。気分転換に、ホテルと同じ建物の中にあるレストランで、軽く昼食を摂ることにした。ドアを開け足を踏み入れてオレは驚いた。表通りの静けさとは裏腹に、店内はすべての席が客で埋まっていた。しかも、このレストランは全体が焼肉レストランで、あちらこちらのテーブルには炉が切ってあり、もうもうと肉を焼く煙が立ちこめていた。焼肉レストラン特有のあの肉汁とにんにくのにおいも、部屋中に充満していた。
オレはとっさに店を退散し、外に出た。

それにしても奇妙なホテルだった。建物の道に面した側に、ホテルの入り口が見当たらなかった。オレは好奇心に駆り立てられ、建物の横に回ってみた。すると安アパートの二階に通じる鉄階段のようなものがあり、その下で韓国系の顔立ちをしたオトコがゴムホースを使いクルマを洗っていた。このホテルのフロントはどこかとそのオトコに尋ねると、ハングル語らしき言葉を口にしながら頭上の階段を指差した。どうやらその簡単な鉄階段を上がり中に入った二階部分にフロントがあるらしい。オレはためらわずに階段を駆け上った。

バンコクのカオサンのゲストハウスあたりで見たことのある猫の額ほどの狭いロビー。その、小さなカウンターの内側に、若いフィリピーナがひとりいた。まわりには風体の良くないオトコがふたりほどソファに体を投げ出して寝転がっている....。
「あのー、料金教えてくれる?」
オレは無造作にたずねると、意外な答えが返ってきた。
「ショートでUS40ドル、オーバーナイトで.....」
「(ええ?ショート?)................」
どうやらこのホテルは旅行者の泊まるホテルではなく、いわゆる連れ込みホテルのようだった。そういわれてみると、造りがやけに怪しい。そういう意味だったのかと納得した。それにしても40ドルとは高すぎるぜ!

ホテルを出てフレンドシップハイウェイをもう一度ゲートの方に引き返した。道を歩くたびにサンダル履きの素足が、乾いた白い砂土にめり込んだ。強烈な日差しが、顔の皮膚をじりじりと音を立てて焦がすようだった。

あたりは、まるでゴーストタウンのように静まり返っている。軒を連ねる商店は、どこもかしこも錆びついたシャッターを下ろしていた。朽ち果てた店構えからは、そこが閉店しているのか廃業しているのか判断がつかない。とにかく、人通りはまばらで、買い物客らしき人影もなかった。

「基地の町」。それは、米軍が去った後のこの町の歴史を物語るような荒涼とした風景だった。オレはジーンズのポケットからデジタルカメラを取り出し、人目もはばからず荒れ果てた街の景色を夢中で切り撮った。
そんなオレを見つけては奇妙なやつだとでも思ったのか、ときどき通るクルマの運転手が、急に徐行してしばらくこちらを観察しては去っていった。空のバイタクも立ち止まり、ものめずらしそうにオレを見ている。

ゲートに向かってとぼとぼと歩いていると、ある店の前に初老のやせたオトコが座っていた。オレはすぐにそのオトコに近づいていき、なれなれしく声をかけた。
「あんたの店かい?」
「................」
オトコは、人のよさそうな顔をしていたが、見慣れぬ顔の日本人に身構えているのがわかった。

店の奥は薄暗く、なにを扱っているのか見分けがつかなかった。商売がうまくいかず倒産して、家主不在のままスクワッターにでも占拠されているのではないかと想像した。
オレはまたオトコに声をかけてみた。
「ここで何してるの」
「......ベース.....ベース...」
オトコはなにやら口ごもった声を発した。
その中で「ベース」という言葉を何度か使った。

(そうかベース<基地>に勤めているのか。大変だろうな。でもなんでこんな所にいるんだろう....今日は基地の仕事は休みだというのか...)

オトコの意味不明の言葉を、オレは気にも留めずに聞き流した。そして、廃墟の町にふさわしい、アル中やヤク中の連中を想像していた。ふとそのときオレは、オトコの横に生木で作られた奇妙な形のものが置いてあることに気づいた。
「ベース、ベース」
オトコはその物体を指差して、ふたたび同じ言葉を繰り返した。
(そうか、楽器のベースだったのか。基地じゃなかったんだ!)
目の前のオトコは、このベースを作る職人に違いない。オレはこんな場所で思いもかけぬものを発見し、驚喜した。
「あんたが作ってんのかい?」
オトコは、ようやく分かってもらえたうれしさで目を細め、そしてオレの質問に答えて深くうなづいた。朽ち果てた建物の奥は商店ではなく、楽器の工房だったのだ。

「中を見せてもらってもいい?」
オトコはカメラを手にしているオレのそのひとことを期待していたようだった。腰をおろしていた縁台からさっと降りてスリッパを履き、工房の暗がりにオレを案内した。

足を踏み入れると中は真っ暗だった。人影らしきものはなかった。オトコは壁に近づいて手を伸ばし、部屋の明かりをともした。突然眠りから起こされた奇妙な造形物の世界。ものめずらしいおもちゃ箱の中に紛れ込んだ少年のように、オレは興奮した。

いくつかの場所に作りかけの楽器の同じ部分が散乱していた。何人かの職工が工程を手分けして、専門に部品を作っているようすがわかった。その狭い空間には、木の自然な香りが充満していた。そして歩くたびに、木のカンナくずがひんやりと素足にからみついた。

オトコはいちばん奥の小部屋にオレを案内し、そこでも部屋の証明のスイッチを入れた。そこはまるでベースの博物館のように見えた。オトコは自慢気に完成したベースの前に立ち、雷神のような勇ましい格好をしてオレの方を振り向いた。それはまさしく絵になる光景だった。

「ここにあるのは、アメリカやヨーロッパ、日本から注文を受けているベースなんだ」
説明を始めたオトコの姿は、穏やかな息遣いで自信に満ちあふれていた。職人特有の静かな輝きがあった。

かつて、浅草近傍、千束に近い国際通りあたりで出会った仕立て屋のオヤジをオレは思い出していた。
なんということだ。さっきまでオレは、このオトコを廃墟の前のアル中オヤジだろうと想像していたのだ。恐ろしいことだが、同時にオレはこみ上げてきたおかしさを抑えられなかった。

もし、声もかけずにあのまま素通りしていたら、アンヘレスはバリバゴ、フレンドシップの、この世界を相手に勝負している偉大な職人の存在に気づかずにやり過ごしてしまっていたかもしれない。オレは目の前の、世界の音楽シーンを人知れず支えている名も知らぬオトコの生きざまに出会い、ただ感慨深く立ち尽くしていた。一期一会、オレはいまこの場で、人生の圧縮された出会いの瞬間を与えてくれた不思議な力に感謝した。

かつてミャンマーの奥地、パガンという謎の町に分け入ったとき、街道筋にあった「漆職人」の工房を気まぐれで訪問した。そのとき、オレの目の前にスカート(ロンジー)を履いた老人が現れ、笑顔で迎えてくれた。にいっと口を開けたその瞬間、奥が噛んでいたビンロージュで真っ赤に染まっていて不気味だった。こちらが日本人だといったら、その老人は驚いて言った。

あろうことか「去年日本の文化庁の招きで世界の選ばれた職人として東京と大阪にいきましたよ」と言い出し、仰天したことがあった。
世界は遠くて近い。そして広くて狭いものだと思った。

一期一会は、生きていることの不思議と感動に満ち溢れている。オレは自分自身の好奇心の強さに、われながらあらためて感謝した。一期一会は、必ずしも神が与える瞬間ではないと思う。それは飽くなき人間への興味と、臆せずに場に飛び込んでいく勇気と冒険心のたまものにほかならないのだ。幸運なことに、オレはそうした力に恵まれて生まれつき、そして今日まで生きつづけてきたのだ....。

気がつくと、いつのまにかほかの職人たちもどこからか姿を現していた。オレは目の前のベース職人に感謝の言葉を述べ、お礼のしるしに丁寧に写真を一枚撮った。それがどんな謝辞に当たるのかはわからなかった。しかし、なぜか心の襟を正し彼を写真に収めたいという衝動に駆られたのだった。こんどアンヘレスを訪れるとき、必ずプリントした写真を届けにこようと心の中で誓った。

すがすがしい気持ちでオレはふたたびフレンドシップハイウェイに出て、ゲートの方角に向かって歩いた。するとある店の前に、なんと床屋の螺旋状のシンボルが飛び込んできたではないか。そして、そのすぐ上にマッサージの表示が出ているではないか。
(ここだ!)
オレは小躍りした。さっきから何度もこの店の前を通り過ぎていながら、それを見過ごしていたのだ。何という幸運!オレはためらわずに店の中に踏み込んだ。店員も予期せぬ日本人が飛び込んできて、驚いたようすだった。まさに探していたマッサージ店に間違いがなかった。料金を聞いたら1時間200ペソだという。
床屋スペースの奥に明るい小部屋がある。ベッドがふたつ隣り合っていて、互いの間にカーテンが降りている。そのようすを見ただけで健全なマッサージ屋だということがわかる。
セラピストは男だった。いやもしかしたら、床屋と併設のマッサージだから、いわゆるバクラ(おかま)だったのかもしれない。しかし、外見からそれとはわからないし、あまり言葉もかわさなかったので確認はできなかった。テクニックはツボの指圧方式でややハード。しかしかなり細かく丁寧に全身のツボを刺激するので気持ちがいい。これはクセになるなと思った。

このときは飛び込みですぐにできたが、翌日もその翌日も来てみると、ふたつしかないベッドが先客で埋まっていた。30分以上待たなければならないというので引き返した。夕方からは地元民が利用するので込み合うようだ。平日の午後の早い時間に行くのがお奨めである。

フレンドシップあたりは、バリバゴの周縁。あまり日本人が立ち入ることのないエリアだが、よく目を凝らして歩き回ると庶民の暮らしと暖かさに触れることができそうである。諸兄も、フィールズの中心街に飽きたらぜひフレンドシップあたりに足を伸ばしてみてはいかがかと思う。