翌朝オレは9時近くになってようやく目覚めた。起きあがる気力がなく、しばらく白い漆喰の天井を見つめながらただベッドの中に身を沈めていた。チェックインしたときから気づいていたのだが、この部屋の天井には、土地の人々がいう「リサール」が一匹住みついている。リサールとはヤモリのことだ。人間に危害を与えないといわれるが、それでも不意に現れ、壁や天井を這い回る生成り色の生き物はやはり不気味というほかはない。
(取りあえずオロンガポ方面に行こう)
昨夜寝入る直前に出した結論だった。
オレは気力を振り絞るようにしてようやく起きだし、シャワーを浴び、それから荷物をまとめ始めた。時刻はすでに9時45分を過ぎていた。
そのときふと、枕もとの携帯電話が鳴った。
それはロエナからの電話だった。
「ハニコ!ゴメンね、イカウ怒ってる?私少し前にバハイに着いたばかり。トラブルたくさんあったの。で、どうする?イカウ、来る?」
飛びこんで来たのは、いつもの屈託の無い明るいロエナの声だった。TEXではなく直接電話をしてくるのは、重大な用件のときだけだった。
「アップ・トゥー・ユー(君にまかせるよ)」
「じゃあ、おいで。すぐに。待ってるわ」
「会いたいの?」
ほっとして気が緩んで、反動で何だか拗ねたような聞き方をしてしまった。長い間待ったオレにすれば無理もないことだった。
「ホヮイ・ノット(当たり前でしょ)」
「いま何してる?」
「荷物の整理をしてる、これから洗濯するところなの」
「眠ってないんだろ。あとにすればいいじゃないか。ランドリーで」
「お金がもったいないでしょ。手洗いのほうが好きなの。それより、早くおいで」「わかった。すぐ行く」
オレはロエナの電話ですっかり機嫌を直していた。
日本の大手コンビニのビニール袋に、日本製の50円と100円のチョコレートを5個、それに前回撮ってプリントをしてきた写真を入れ、オレは浮かれた少年の気分でホテルの部屋を飛び出した。
フィールズを東に向かいマッカーサー大通りを左折。そしてすぐに右に折れマウンテンビューに入る。ここでふと思い立ち、通りの角の「ミスター・ドーナツ」に立ち寄り、ドーナツを5つほど買った。そしてその先のトライシクルステーションでトライに乗った。
記憶に新しいアパートの部屋に足を踏み入れると、真っ先に飛び込んできたのは、まばゆい表情で洗濯をしているロエナのうしろ姿だった。それはなつかしさと愛くるしさの塊だった。
そばにはルームメートのカティもいた。前に同居していたルームメートは、客の指名が少なく仕事が思うようにいかなくなったらしい。月々の家賃の分担分さえ払う余裕がなくなり、やむを得ず店のドミトリーに移っていたという。ドミトリーは、家賃こそ無料だったが居住環境としては劣悪だった。
ロエナは、この数日間に起こったことを少しずつ話してくれた。二日前の昼ごろ突然彼女からの音信が途絶えたのは、携帯電話のバッテリーがなくなったからだった。今朝、アパートに着くなりバッテリーをチャージして、すぐオレに電話をかけてくれたのだった。電話が途切れた理由は、オレの妄想とは裏腹に実に単純なものだった。
旅程が予定時間を大幅に超過したのも、陸路でバスがたびたびエンストを起こしたからだとわかった。修理のたびに長い時間足止めを食っていたのだった。途中からエアコンも効かなくなり、バスの車内は蒸し風呂のようになり、最悪の旅になったといった。TEXの謎の略語の意味がやっと解明された。オレは、自分でも経験したことのあるフィリピンの長距離バスのトラブルを思い浮かべ、ロエナを気の毒に思った。
プロビンスから帰る日が予定よりも遅れたのは、ロエナが病気をしてしばらく家で寝こんでいたからだった。ロエナはもともと呼吸器が弱かった。一人息子の誕生祝に帰省してから、なぜか微熱と咳が続き、二日前にセブの港を発ったときも体調はまだ完全に復調してはいなかった。
レイテでバスと船を乗り継ぎ、ようやくマニラに到着したのは未明の3時だった。そこからEDSAのVICTORY
LINERのバス・ステーションまで歩いたのだという。
ロエナは22歳。小柄で童顔なため年齢よりは若く見える。その彼女が、病み上がりの体をおして重い荷物を抱え、未明の暗闇の中を30分近くも歩き続けたと聞き、オレは胸が傷んだ。
幸運にも、港からバスターミナルまで同じように歩いて向かう旅行者が二、三人いて、その後ろを必死で着いて行ったのだと語った。EDSAのバスステーションまでの道のりは、オレにもいくぶん土地勘があり、そのあたりの物騒さはよく知っていた。その暗い道をうら若き女のロエナが急ぎ歩く姿を想像してオレは涙が出そうになった。無事ターミナルに着いたとき、彼女は気を失うようにベンチに倒れこみ、そして朝まで眠ったのだという。
ロエナのその一連の話を聞きながら、オレは教会のミサで牧師の説教でも聴くように、ただ頭を垂れているばかりだった。ロエナの話が嘘ではないことは自明だった。それにしても、これまでオレはずいぶん彼女の人格を傷つけるような妄想に明け暮れていた。彼女の後姿を見つめながら、オレはいたく反省した。
「ハニコ、どこか行きたい?」
ロエナは洗っているシーンズの上の水を手刀で手際良く何度も弾きながら、笑顔でこちらを振り向いていった。その姿は、まるで手洗いの洗濯を楽しんでいるように見えた。ランドリーはお金がかかるから嫌いだといった。しかし、本当の理由は、彼女の洗濯の職人技を、それが越えることはできないからだと知った。主婦とは生まれながらに「職人」なのだと直感した。そのことをオレは目の前のフィリピーナから教えられたのだった。
オレたちは、今度会ったらどこかに遠出しようと約束していたのだった。そのことをきっと思い出したのに違いない。
「ロエナがそうしたいならいいよ」
オレは、彼女の体をいたわる気持からいった。いつものように明るく振舞ってはいるが、長旅の疲れは極限まで溜まっているのに違いない。オレの意向に合わせようというのなら、無理に行くことはないと思った。
ひと眠りしてからオレに電話するなり、洗濯をしたりすればいいものを、と思った。彼女の芯の強さは、知り合ったときから気づいていたことだった。
「ロエナ、オレもう帰るよ。ひと眠りしたら、あとで電話ちょうだい」
オレはそう言い残して、いったんホテルに引き返した。ひとりでオロンガポに行くという計画はひとまずすっかり脳裏から消え去っていた。
その日の午後早い時刻に、オレは「L」でロエナと待合わせをし、ママさんに5000ペソを支払った。5日間の拘束料だった。それからオレたちはまたバーホッピングを楽しみ、いろんな話をしながら、落ちついた時間を過ごした。このとき初めて、ロエナは青春時代の辛い経験から今日にいたるまでの出来事の一部始終をオレに打ち明けてくれた。それは、聞く側にとってもつらい話だった。
大晦日の前日、ロエナがある興味深い提案をしてきた。明日の大晦日、ルームメートのカティの実家にみんなで行ってそこで新年を迎えるのはどうかというものだった。たった一泊二日の旅だけれど、オレが差し支えなければそうしたいというのだった。
それは、オレの好奇心を刺激するアイデアだった。アンへレスの正月は一度経験していた。軒を連ねるゴーゴーバーも、大晦日には夜の10時か11時頃には閉店し、ダンサーは休みを取って大挙してプロビンスに帰るのだ。残ったダンサーはそのまま大手チェーン店のフラッグシップ・バーに集合し、そこでカウントダウン・パーティが始まる。零時を過ぎるとフィールズは、爆竹がいっせいに炸裂し、爆弾かと見まごうほどの激しい轟音に包まれる。度が過ぎて怪我人にとどまらず死人が出たりもする。オレはその正月をすでに体験していた。そして、それは一度の経験で十分だと思っていた。
ルームメートのカティの実家は、アンへレスからバスで3時間ほどのバタアンにあった。カティは郷里に帰る交通費がないのだという。それをオレが出してあげれば、3人で楽しい旅ができるというのがロエナの提案だった。
もともとオレは、フィリピンの庶民の暮らしに紛れ込むのが好きだった。ダウのバスターミナルから安心して長距離バスに乗れるというのも魅力だった。そして、未知のバタアンに行ける…。交通費はいくらだと聞いたら、3人で600ペソほどだった。オレは笑って、そして二つ返事でロエナの提案を呑むことにした。
ロエナはオレの傍らでカティに電話をした。それから、ふたりは嬉々として何やら慌しく行動し始めた。マーケットで買い物をしなければならないという。オレは、女の買い物にだけはつきあいたくないので、あとで会おうと言ってロエナと別れた。別れるときオレはロエナに買い物の足しにと500ペソを渡した。交通費の問題だけでなく、正月の手みやげの経費もカティの悩み事だと知っていたからだ。
その夜10時ごろ、ロエナはスーパーの買い物用バスケットひとつにさまざまな品物を山ほど買いこんで、カティと腰をかがめてそれを抱えながらホテルの部屋にやってきた。何かで覆うこともしないため、円筒状の「プリングル」のパッケージなどが外から丸見えになっている。
おまけにふたりとも背中に小さなリュックを背負っている。カティはいったん帰るものと思っていたのだが、こちらの意思を確認するでもなくそのまま部屋に留まり、服を着たままベッドの縁で背中を向けた姿勢で寝てしまった。遠慮なくしたいことはおふたりでどうぞ、とでもいわんばかりのポーズだった。
ロエナも、明日の朝目覚めたらすぐに飛び出す態勢らしく、ジーンズをはいたままオレとカティの間に体を横たえている。翌朝5時起きだというので、オレたち3人と、そしてこの部屋のあるじのリサールは、明かりを全て消して早々に眠ることにした。
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