アンへレス陽炎日記8

                        
寄稿:ブルゴス伊藤
◆アンヘレス〜バタアン◆

夜明け前のダウのバスターミナルは、おびただしい人々とバスとでごった返していた。ターミナルの車寄せに着けられないバスが何台かいて、 敷地のはるか手前の空き地に斜めに停車し、次々にまとわりつく乗客を飲みこんでいた。その一台のバス ダウの長距離バスターミナル にぎりぎりまで接近しさらにアクセルとハンドルの微妙なさばきで、オレたちのトライシクルは乗車口の間近まで迫り急停車した。

大晦日の朝、家族が待つ郷里に向かう人々は、それぞれに車内の通路をふさぐほどの荷物を持ち込んでいた。三人はそれを避け、 よろよろと跨ぎながら通路を奥に進んだ。運良く空いている席があり、それぞれ腰を下ろした。三人が近くに並んで座るなど、とうてい望むべくもなかった。

地元の人々が利用する乗合バスだといわれていた。だからオレはなるべく目立たぬようにと配慮し、裸足にサンダルをはき、 ジーンズと簡単なシャツといういでたちで乗りこんだのだった。ところがよく見ると、バスの中の地元の帰省客たちは思いのほかオシャレを決め込んでいる。 正月には晴れ着を着て故郷に錦を飾ろうというのか…。おのおのが、思い思いのスニーカーをきちんと履きこなし、こぎれいな服に身を包んでいる。 どう見てもオレの格好がいちばんラフでみすぼらしく見えた。少なくとも裸足にツッカケを履いているのは少数だったのだ。

それでも、面相に現れる「日本人」は隠せないようで、前方に腰掛けているロエナがそれを気にしてか、 心配そうな面持ちで後方の席のオレのほうを何度も振りかえって見ていた。カティはといえば堂々としたもので、運転手の真横、 観光バスならガイドが座るあたりの席にでんと腰を落ちつけ通路まで足を伸ばし、中身が剥き出しのまま見える買い物篭をしっかりと見張っていた。

バスはやがてゆっくりと左右に揺れ重たい車体を引きずるように動き始め、高速の入り口に向かった。東の地平線がうっすらとオレンジ色に染まり始め、 窓から吹き込む夜明けの風が心地よい。快調に飛ばしたかと思うと、バスはやがてロードサイドにファーストフード店が寄り集まったあたりで停まった。 ぞろぞろと車内の三分の一ほどの人々が降車したが、ロエナの目配せがありその一群にオレもまぎれこんだ。サンフェルナンド。ロエナはそう説明した。

市街地らしき賑わいはなく、そこが幹線道路の通る町外れであることは容易に想像できた。オレたちは、降りた場所の道の路肩に一列に並び、 次のバスがくるのを待った。
長距離バスが近づくにつれ、一列に並んでいた乗客の列はしだいに歯がこぼれる櫛のように欠けていったが、オレたちの待つバスはいっこうに来なかった。

生来せっかちな日本人の中でもおそらく最もせっかちな部類に入るのがオレだった。しかし、ここはフィリピンスタイルにまかせるしかないと腹を決めていた。 いま何のためにオレたちは路肩に突っ立っているのか、次ぎに何をしようとしているのかなど、訊きたい衝動に何度も駆られたが、そこはじっと堪えて彼女たちの 次ぎの行動を観察することにした。

オレたちが乗るバスがようやく来た。バスの乗客は半分ほどで、オレはようやくロエナと隣り合って座ることができた。開け放した窓から吹き込む風が、 彼女のつやのいい髪を勢いよくたなびかせている。その髪の毛の先が、ときどきオレの頬をからかうようにかすめた。

しばらくして、彼女は横にいるオレに何か催促の目配せをした。このあいだ、オレがバッグの奥に忍ばせていたMDプレーヤーを見つけ、 それ以来すっかり気に入ってしまったようなのだ。MDディスクにはホイットニー・ヒューストンとマライヤ・キャリーのベストソングが入っていた。 ロエナは目をつぶってそれを聴き、時々感極まると片方の耳からイヤホンを外してオレの耳に当て、その曲を聞かそうとした。

オロンガポの町はずれで、オレたちは再びバスを乗り換えた。そしてのどかな田舎道をただひたすら南に走った。カティは通路を挟んだオレたちの横の座席で、 豪快に居眠りをしていた。やがて、でこぼこの砂利道のかたわらで、ホコリをかぶった小屋のような場所に停車し、オレたちはそこで降りた。 ずいぶん遠くまで来てしまったような気がした。

道の反対側で、トライシクルが3台ほど待っていた。オレたちはその一台に乗って、少し小高い丘のほうに向かった。5分ほど走ると、はるか足元に海が開け、道は断崖絶壁に沿って這うように続いた。やがて、廃屋の群がる集落が現れその一角でトライシクルは停まった。不安がオレを襲った。道を挟んだ向かい側に、風が吹けば20メートルもある絶壁を海辺まで転落してしまうのではないかと思えるほど危うい土地に、カティの家があった。

オレの相手をしてくれた兄の子供拾ってきた朽木の板を、ぼろきれを裂いてよった組み紐でくくりつけただけのような粗末な木戸を開け、オレたちは猫の額ほどの敷地に足を踏み入れた。子供を抱いた若い母親と年老いた女が、まぶしいものでも見るように、照れと好奇の目をしてオレたちを迎えてくれた。4畳半ほどの広さの居間と寝室とキッチンをすべて兼ね備えた窮屈な部屋にオレは通され、コーラを振舞われたあと、家族ひとりひとりがあらためて紹介された。どこにでもある客人の歓待の光景だった。

カティの母、カティの姉、兄の嫁、その3歳になる息子がいた。ロエナとカティがオレをどのように紹介するのか興味があったが、すでに事前に情報を与えていたのだろう、特にオレのことをあらたまって報告する儀式は省かれた。やがてロエナとカティを含む女たちは、すぐに一致団結して正月料理の仕度にとりかかった。アンヘレスから持ち込んだ土産は、どうやら大半が今夜の料理の食材だったようだ。オレは、何もすることがなかったので、いつしか幼児の子守役になっていた。その子もなぜかすぐにオレになついて、傍を離れようとはしなかった。これほど貧しくみえる庶民の家に足を踏み屋内のキッチン・収納スペース入れた経験はなかったので、オレは子供の相手をしながら、野獣のような目で周囲のものを観察していた。

部屋はさまざまな食材の収納場所でもあった。下ごしらえなどをここでして、煮炊きするのは、すぐ外の調理場でした。できた料理を盛り付けたりするのもまた部屋の中に持ち込んでした。

水道はなく、足元にプラスチックのたらいがやけにたくさんあり、そこに近くのポンプ式井戸から汲んできた飲料水や生活用水が溜めてあった。コンロは、プロパンガスを使っていた。しかし、冷蔵庫らしきものはなかった。

耐久消費財に埋もれた生活をし、なにもかも便利な空間に生きてきたオレには「何もかもが欠けている」印象だったが、それが貧しさからくるものなのか、必要性の欠如からくるものなのかひと口に語れない空気があった。狭い日常の生活空間に暮らし、有り余る時間をもつ人々にとって、何かを「保存」しておく必要などない。いま必要な物を買い求めることに時間を消費しても、なお使い切れない時間をもてあましているのだから。オレは何もないことへの新鮮な驚きを隠せずに、ただあたりを見回すばかりだった。

オレのその落ち着かない様子に、「不安」を読み取ったのか、一番上の姉が下ごしらえの手を動かしながら振り向いて言った。
「ここはスクワッター・エリアなのよ。スクワッターって知ってる?」
「(ええっ!?)」
オレはその言葉を聞いておもわず身震いした。
「驚いた?このあたりの人はみんな許可なく住みついてるの、そういう場所なの」
姉は悪びれる風もなく、おどけたようすで言い放った。オレは平静を装ってはいた屋外の煮炊きするスペース。奥はトイレ。が、とんでもないところに来てしまったと内心は取り乱していた。

しかし、目の前の人々も近隣の人々もどこかやさしそうな目をしている。不意に紛れ込んだよそ者なら、警戒の目で見られるのだろうが、身内の知り合いの客人で、しかも珍しい日本人だということが彼らの歓迎の気持ちをことのほか増幅しているように思えた。日本人というのは、ある場合には得な民族であるといえる。近所の人々も、警戒心というよりは好奇心の眼差しを向け、それが証拠にこちらから声をかけると、うれしそうに近づいてきて聞きもしていないのにいろんなことを教えようとした。そういう人懐っこさは、どこの国の田舎町でも共通している。

部屋にいても退屈なので、オレは買い物に行くという女たちについて市場に行ってみることにした。アンヘレスから持ってくることができない、肉料理の材料を調達するのだと聞かされた。ロエナはここに着いてからしきりに「マカロニ・サラダ」を作るのだといった。彼女の好物らしかった。その材料も目当てなのだ。「マカロニ・サラダ」と聞いて、オレはとっさに新宿の西口大ガードに沿っていまも戦後の闇市のように軒を連ねる定食屋街を思い浮かべていた。ビールの大瓶一本600円。酒の肴にいつも注文するのは、「ニラ玉」か「マカロニ・サラダ」だった。そんなことを思い出していたとは、ロエナも知るよしはなかろう。住む世界がもしかしたらまるで違いすぎるのではといつも考えてきたのだが、そのささやかなメニューに腕を振るおうとしているロエナに、ごくありふれた女の幸せのにおいが充満していた。

市場は家から歩いて数分のところにあり、そこにはおびただしい数の人々でごった返していた。市場カティの郷里のウェットマーケットは集落のダウンタウンの中心部にあるらしかった。
買い物を終えて帰ろうとしたとき、トライシクルの運転手がひとり近づいてきた。カティの兄だった。彼は面白いことに片言の日本語を話した。かつて二年ほど日本で働いていた経験があると初めて聞かされた。陽気な男で、日本人のオレがわざわざ来てくれたことをことのほか喜んでくれたようすだった。彼はオレたちをトライシクルで家まで送ってくれた。降りたときカティがわずかばかりのペソを渡そうとしたら、とんでもないという顔でつき返された。日本から帰って、定職のない彼は、最後には誰もがそうするように、一日いくらで業者からトライシクルを借りてドライバーの仕事をしていた。人口の少ないフィリピンのさびれた片田舎で、トライシクルの運転手の仕事は簡単ではなかった。

家に帰ると、女たちはまた忙しそうに手を動かし、おしゃべりを始めた。気がついたのだが、ここに来てからずっと女たちは何かを作ってはそれを食べている。ほんとうに一日中楽しそうに食べているのだ。オレも時々勧められるがままにそのご相伴にあずかったが、ふだん間食をしない身には少々苦痛だった。オレはまたすぐにオレがごろついていた部屋のちに4人で雑魚ね退屈になった。カティの母親は気遣って、隣の部屋に行って横になるよう勧めてくれた。その言葉に甘えることにした。コンクリートを打ちっぱなしてトタンを屋根にかぶせたばかりの四畳半ほどの部屋で、母親が敷いてくれたマットレスの上にオレは体を投げ出して寝転んだ。

仰向けになり見上げると、むき出しのトタンの隙間から日の光が差し込んでいる。ここに住む家人には申し訳ないが、確かにオレは建物の内部にいるのに違いなかったが、気分はまぎれもなく屋外で野宿しているようなものだった。

(とんでもないところに来てしまったな......)
オレは複雑な気持ちになった。しかし、明日になればまたアンヘレスに戻れる。この先何が起こるのか、じっと観察してみようと腹を決めた。

ふと、崖を降りて海辺に下りてみようと思いたった。女たちにそういって、オレは午後の早い時刻、日差しの強い中を浜辺に降りる急な階段を下りていった。階段の両脇にも、粗末な家屋が密集していて、家の奥が外から覗くことができた。スクワッター・エリアとはいっても、極貧の中で生死をさまよう生活をしているのではな豚の体毛をそり上げているところい。それはフィリピンの寒村の貧しい庶民の典型的な暮らしのように見えた。家の中ではTVが点けっぱなしにしていて、カラオケセットで歌っているところもあった。

階段を降りきったところに小さな広場のような所があり、そこで男たちが今夜のご馳走の豚をさばこうとしていた。カメラを向けると、彼らは得意げにポーズを取り乳首が整然と並んだ豚の腹を仰向けにして見せた。まず豚の体毛をかみそりのようなもので丹念にそり上げている。そり終わったら、仰向けにして腹を割き、内臓を取り出す。そして首に切れ目を入れ、頭と胴体を切り離す。このとき首の下にバケツを置き、噴出す血液を一滴も残さずにすくい取る。見ていると、何ひとつ捨てまいとするようすだった。

海辺は子供の頃過ごした本州最北端の寒村の浜辺に似ていた。漁船の間をぬって波打ち際に出ると、マニラからコレヒドール島豚を解体しているところに向かう定期船が沖合いを通過した。漁を終えた若者たちが、海辺のシャワーで服の上から水をかぶって潮を洗い流していた。

階段を上って家に帰ると、長女の夫が来ていた。オレが退屈していて、子供のお守りだけでは気の毒だと思ったのだろう、誰かが話し相手にと呼んだのに違いない。男はやせた体をして、平均的なフィリピン人の肌よりも濃く日に焼けていた。サウジアラビアで建設労働者として出稼ぎに行っているのだといった。ビザが切れて一時帰国し、ふたたびサウジに戻れるのを待っているともいった。丸い目をして、いかにも誠実なそうな男だった。周囲に女たちの影が途切れたとき、オレはとっさに悪巧みをはかり、その男に提案してみた。

「この近くにゴーゴーバーはないかなあ。もしあるんだったら、バーファインはできないだろうから、ドリンクだけで、バーホッピングしてみないか?あとで弟も誘って三人だけでさあ....」
この提案に、男は目の色を変えた。さっきまでの外交辞令的な会話が、急に打ち解け小声のトーンに変わり、オレたちは「仲間」に変身した。
「ある。5軒。だいじょうぶ。今日は大晦日だけど、ちゃんとやってるよ」
話はとんとん拍子に進んだ。義理の弟も必ずOKするだろうということだった。しかし、手順として、フィリピン男性はカミサンのOKを取り付けなければならない。オレも、客人の身ということもあり、ロエナとカティの一応の承諾を得なければならないと思った。男がまずカミサンに、オレの提案を切り出した。女たちは一様にまず反対した。それから妥協し、「私たちも連れて行くならOK」という案を出してき近所の井戸のポンプ。女性は着衣のまま体を洗うた。これには、オレたちが乗らなかった。結局食事までの二時間ほど、男三人で行っていいという許可が下りた。客人のオレがしたいことをさせてあげようという心配りがあったのだ。そして、大義名分としては、男ふたりがオレのボディガードということになった。

しかし、オレたちの不埒な計画に神様がお怒りになったのか、夕方6時頃になるとみるみる天候が急変し、激しい雷雨が襲ってきた。オレが寝転がっている部屋は、間に合わせのトタンを葺いた頼りない屋根がかぶせてあるだけだ。そのトタンを雷雨がはげしくたたき、今にも引き剥がそうとしているようすだ。横殴りの風に混じって雨があちこちの隙間から吹き込んでいる。

この家にTVはなく、気をそらしまぎらすすべがない。薄暗い裸電球が天井から下りているだけの粗末な造りが、いっそう不安をかき立てる。外部と仕切る板のドアは、木屑を釘で打ち付け回転するようにした「鍵」で止めてあるだけの心細いもので、人の助けがなければ深夜外のトイレに行くこともできそうにない。仮に行けたとしても、真っ暗ななかで用を足せる自信はない。

そうこうしているうちに、トライシクルの運転手をしているカティの兄がほろ酔い気分で友だちをつれてやってきた。薄暗がりの中でも色ぐろな肌がわかるほど、その頑強な体躯をした彼の友人は迫力のあ天井のトタン屋根る男だった。カティの兄は、片言の日本語を交え、機嫌よくおしゃべりをした。副業で闘鶏を飼っている彼は、今日の試合で自分の鶏が好成績を上げたことに満足し、そのことを自慢げに語った。

「オレの親友だ」と彼は傍らの男を紹介した。男は無表情で、口数が少なかった。男どおし三人。オレたちの話は自然に今夜の「お楽しみ」の話題になった。さっきちゃんと女たちの許可も得ているし、あとはお天道様の回復を待つばかり。小止みになったらかまわず決行しようと考えていた。

オレたちが、ビールで機嫌よくやっていると、隣にいた女たちもいつのまにかこちらの部屋に移ってきていた。まず母親が現れ、すぐに長姉が、そして気がつくと義理の姉もロエナもカティもそばにいた。弟とオレは、調子よく話していた。しかし、どうも場の空気が奇妙だった。女たちの目つきが険しいのだ。

オレは隣りに座っていたロエナに、言った。
「もうすぐ雨が止むと思うから、ちょっと出かけてくるからね、すぐ帰る」
確認のつもりで発言したオレは、ロエナの意外な言葉に驚いた。
「絶対許さないからね。イカウ、もし今夜出かけるんだったら、私とカティはあなたを置いていますぐアンヘレスに帰るから、そのつもりで覚悟してちょうだい」
雨は容赦なく吹き込んでくる「ええっ??」
冗談で言ってるのかと思ったら、その目は厳しく、本気で警告している風にみえた。
「お母さんもお姉さんも、カティも同じ考えよ」
「でも、さっきはいいって言ったじゃない」
「考えが変わったの。理由はあとで話すわ。でも、決めるのはあなたよ。どうしてもバーに行きたいのならそうしなさい。そのかわりカティと私はいますぐ荷物をまとめてアンヘレスよ」
それは、紛れもない脅迫の言葉だった。狭い四畳半ほどのスペースに居合わせた7人全員に、それははっきり聞こえるよう意図された宣告に他ならなかった。すると、奇妙なことが起こった。ロエナのオレに向けられた厳しい言葉を聞いていた兄の親友という頑強な体躯の男が、何を思ったか無言のうちにひとり立ち上がって、すごすごと帰っていったのだった。オレは、何事が起こったのかわからずにポカンとして板のドアを開けて闇に飲み込まれていったその男の後姿を見送っていた。

オレは隣にいるロエナに視線を向けた。ロエナはほっとした表情で、オレの膝に手を載せて言った。
「さっき隣でお母さんがいろんなことを話してくれたの、あの男は危険な男だからね。あなたと一緒に今夜遊びに出かけたら、途中でどんなことになるかわからないでしょ」
「でも、お兄さんの親友だっていうじゃない」
「そう。でもこの町では、過去にいろんな問題を起こしてるの。お兄さんは、見てご覧なさい、もうすっかり酔っ払って、もうろうとしてるでしょ。何かがあっても、あなたを助けてあげられるとは限らないわ。みんなあなたのことを心配していってるの。おねがい。このうちの人たちは全員であなたを守ろうとしてる(プロテクティブ)の。甘く見てはいけないわ。ここは、スクワッター・エリアだということを忘れないで。あなたが日本人だと知って、何をするかわからない人は大勢いると思ったほうがいいわ」

兄が自慢の闘鶏。今年のチャンピオン愛と厳しさをないまぜにし、まるで先生が駄々をこねる世間知らずの子供を諄々と諭すような口調で、ロエナはぐさりとくる言葉を言い続けた。その厳しい説得を聞いて、オレは全身の身震いが止まらなくなり、口の中が渇ききっていた。
薄暗い電灯の下で時間が止まり、重苦しい空気が鉛のように漂っている。大の大人が7人。吹き込む風と雨のなかで長い時間首をうなだれている。まるで嵐の海で高波に翻弄されるを帆船に閉じ込められている思いだった。オレの不安と恐怖は最高潮に達し、鼓動で心臓が張り裂けそうになっていた。つい出来心で言い出した大晦日の「ゴーゴーバー見物」。それは、思いもかけぬ展開のなかで、風前のともしびとなろうとしていた。これが「どっきりカメラ」なら、こんな悪質な演出はなかろうというくらいに、フィリピンのスクワッターエリアに紛れ込んだ純朴な日本人は、のちに「心的外傷ストレス」のトラウマに一生さいなまれそうなほど恐怖に傷つけられていたのだった。

日本人がいまここにいるという事実を、近隣の人々はすでに知っているだろう。その人々が噂を撒き散らしたら、オレに興味をもつ人間の数は数え切れないほど膨れ上がるはずだ。夜ここに潜んでいるとはいえ、木切れで止めてあるだけのあの板塀の鍵だ。そして外から遮断する家の鍵も似たようなもの。さっき訪れたような男の力なら、片手でこじ開け侵入してくることなどなんでもないだろう......。

冷静になってからも、オレの震えはとまらず心が凍えた。しかし、やがて周囲の人々の暖かさを理解する余裕がわいてきた。あそこまで毅然とした態度でオレを守ろうとしてくれたロエナ、そしてカティの家族に、オレはこころから感謝しなければと思った。自分たちはスクワッターだ。だからスクワッターの怖さも知っている。スクワッターから、スクワッターの客人を守るのも命がけでなけらばできないことだというのだろうか。オレはロエナと家族の女たちの意見に従って、今夜は外出せず家に留まることにした。それにしても、女の団結が頑強な男を退散させた....。フィリピンの女は強し。つくづくオレは感心した。