それは誰もが思いつく他愛も無い計画だったのに違いない。
きっかけは老舗のバー「V」のドアガールだった。その女はセシールといった。色白で、いつもほがらかな女だった。しかし、どうも突き詰めていえば、オレの好みではなかったのかもしれない。その証拠に、何枚も彼女の写真を撮ってはみたが、どれも満足いくものがなく、ただの一度もその映りから美人だと思ったことがなかったのだ。それなのになぜか、アメ公もオレの友人連中も、あれは確かにいい女だと絶賛した。その後のオレが証明したように、追いかける気持ちは毛頭なかったが、ただそんなに騒ぐなら真っ先にオレがからかってみようという悪戯心は少しあった。
なかなかバーファインには応じてくれないという噂も聞いていた。道をすれ違うたびに彼女は店のドアの横にいて声をかけてきた。オレたちは旧知の間柄のようななれなれしさで言葉を交わし、傍によるたびに彼女は飼い主に会った犬のようにじゃれてははしゃいでみせた。その振る舞いはまるでチェリーのようだったが、いざ確かめようとすると、ただコケティッシュな笑みを浮かべて否定も肯定もしなかった。誰もが、あの女はチェリーで、そう軽々と客の尻に着いては行かないと言った。しかし、そのときすでにオレは、そうとばかりは言えない妖しい空気をつかんでいた。
知り合って二、三日ほどたったある日の夕方のことだった。Vの店の前を通りかかったとき、いつものように彼女が声をかけてきた。周囲にカフェの客や通行人が大勢いるのもかまわず、オレは半ば冗談で1000ペソ紙幣を1枚出して
「さ、ぐずぐずしないで行こう。バーファインだ」
と軽々しくいったら、セシールは驚いた顔で
「本気なの?」
と、真意を探るような声でいった。じらすつもりで二三度拒否するそぶりは見せたが、それが見る見る萎えていくのがわかった。彼女はあっさりと落ちた。そのときいた日本人ふたりは驚いたようすをみせ、そのままそれぞれが気に入った店に散っていった。気がつくとオレたちは、イタリアレストランで向かい合っていた。スパゲティをすすりながら、これも「勢いだ」とオレは思った。
初日は談笑したばかりだった。指一本触れずに距離をおいて眠った。その品定めの儀式が彼女を満足させたのか、二日目からは「解禁」になった。しかし、すぐにオレたちは、暗闇の中で大笑いすることになった。チェリーどころか、セシールは、紛れもなく子持ちの女だった。驚きも落胆もしなかった。この街では、若くていい女から売れていくのが常識だった。時間が経てばたつほどオレたちは相性の良さが深まった。大学を中退している彼女の英語は確かで、機転のきく知的な女だった。
郷里のサマールで子供を生み、約半年ほどそこで育てた。落ち着いたところで赤ん坊を母親に託し、ヒトの紹介でひと月ほど前にアンへレスに働きに来たばかりだった。乳児のミルク代を稼ぐために、産褥があけたばかりで出稼ぎに出る女は多い。アンへレスで、席に呼んだダンサーがふざけて乳を搾ったりするシーンを何度か見た。また、ちょっとした刺激でバーファインした女の母乳がレーザー光線のように男の目を直撃したという話はたびたび聞いた。
セシールは郷里に置いてきた赤ん坊に会いたがっていた。オレも、見知らぬサマールという島への冒険心に駆り立てられていた。彼女は信用のおける女に思えた。二泊三日でまたここに戻れるなら、という条件で帰郷を提案したら、二つ返事で彼女は乗った。オレたちはそれから無邪気に旅の計画を準備し、決行した。これも「勢い」に違いなかった。
7000以上の島々からなる国フィリピン。もっとも貧しい島と言われるのがサマール島だ。その島の中でも、さらに貧しさの極地、この国の政府からまるで見捨てられたような僻地が東サマールで、その奥地に何の因果かオレはわざわざ足を運ぶことにしたのだった。オレをその気にさせたのには訳があった。夜伽話の中で、彼女の家がとても美しい島を持っていると聞いたのだ。ココナッツの木と白い砂浜のビーチ....地元の人々の間で誇りにされている島だというのだ。名前はまだついていないといった。オレたちはいつの間にか、その島を「セシール島」と呼んでいた。
アンへレスのホテルに荷物を残したまま、オレたちはタクシーでマニラの国内線の飛行場まで行った。そこからレイテ島のタクロバン空港まで行き、クルマをチャーターした。日本のODAで建設したという白いループ式の長い「サンワニコ橋」を渡りサマール島に上陸、そこから険しい山岳部に入り島を横断して東サマールに抜け、目的地までは海岸に沿ってさらに北上する。アンへレスのホテルを出てから約10時間の長い長い道のりだった。通常、バスでは片道2日間の旅程だそうだ。それに比べればずっとましだった。半日もしないうちに、オレは未知の世界にタイムスリップした思いにかられた。
翌朝食事を終えるとオレたちは家の前の道をひとつ越えて入り江のほうに行った。小道を降りきった水際のところに、バンカーボートが停まっていて、オレたちを待っていた。ここが船着場なのだと直感した。何もかもセシールが夜のうちに両親や男の兄弟と話して、すべての段取りを組んでいた。ボートは船外エンジンつきのものだった。これに大人が6〜7人、子供が3〜4人乗り込んだ。岸辺には大勢の人々や動物までも詰め掛けていて、オレたちがセシール島に行くのを見送った。乗せてもらえない幼ない子供たちは、母親の膝にしがみついて天を仰ぐように泣いた。その泣き声に同調するように、犬たちが悲しげに吠えた。後続のボートも何艘か出て、食料や水などとともにたくさんの子供たちがあとから島に上陸しようとついてきた。
このあたりでは、陸に沿ってすぐ海べりが迫るのはない。外海から入り江に入り、さらに枝分かれした小さな入り江の奥が船着場となる。どこもかしこも入り江の両側にはマングローグが生い茂っている。入り江の内部は手漕ぎの小型バンカーでゆっくりと進む。しかし、外海へ出るとなれば潮の流れが速く、エンジンつきのやや大きめのボートでなければ進めない。そのボートを300ペソで父親が借りてきたのだ。ボートから手を伸ばして海水に浸してみると、水は生温かい。フィリピンはマリンスポーツのメッカでダイバーの遊び場にこと欠かないが、このあたりの海の透明度は低く肉眼で海の底を見ることはできない。
しばらく進むとボートは外界に出た。潮目が変わり船体の揺れが少し大きくなった。ボートのへさきが波頭を砕いて、遊園地の乗り物に乗っているように水しぶきがかかった。そのとき急に船外エンジンのハンドルを握っていた男が遠くを指差して何かを言った。それを受けて向かいに座っていたセシールが「ほら、見て!」と叫んだ。入り江を抜け、外海に出たばかりのところに、宇宙に浮かぶ小惑星のような神秘さで、小さな島がぽっかりと姿を現した。「セシール島」だ。
遠くから望むその島は、みごとに整った景観をしていた。まずその大きさがえもいえない。大きすぎず、かといって小さすぎて物足りないということもない。真ん中にココナッツの木が数本聳え立っている。マングローブの潅木が島を囲んでいる。そして、目を凝らすと白いビーチもある。フィリピンでは、肌の白い女は美人とされるように、白い砂のビーチがあるかどうかが、島の美しさを決定づける。「白い砂浜」はまたサマールの人々の誇りでもあった。どちらにせよ、人智の与かり知らぬ、まさに神様の贈り物としかいいようがない不思議である。
引き潮で、バンカーボートは沖に停泊するしかなかった。オレたちはジーンズをはいたまま、膝までの深さの海に飛び込んで白い砂のビーチまで歩いて島に「上陸」した。
海の底は、でこぼこした珊瑚のプレートのようになっていて、これが遠浅の海辺をつくっている。干潮のとき、その岩盤のような珊瑚の台がむき出しになり、強い日差しに照らされる。午後1時を過ぎたあたりで満ち潮が始まると、海水が珊瑚の熱いプレートを覆い、海は温泉のような温かさになる。海水浴がいつの間にか露天海水風呂のようになる。ビーチの先は、どこまでも自分だけの海になる。
浜辺の海水風呂は気持ちがいい。人々は、着ている服のまま海で戯れ、浜辺に上がってから運んできたポリタンクの淡水でからだを洗う。
白い砂浜以外の部分は、マングローブが島を囲んでいる。 引き潮のときには、岸辺は湿地のような光景になるが、実際には足元は泥状の色をした珊瑚で、ごつごつとした岩のように見える。その岩陰や空いた空洞部分に、取り残された小魚や貝類、うにやなまこなどがいて面白い。海の生物を探しながらの散歩は、島を一巡りするのにも、飽きることがない。生命力の強いマングローブの小枝が新しい芽を出している。
一緒に島に上陸した子供たちは、どこに行くにも完璧な水先案内人だった。彼らには珍しくもないのだろうが、何か海の生き物を捕まえるとオレのところに持ってきて見せた。デジカメで写真を撮って「こんなだぞ〜」と、その場ですぐにモニターに映して見せると、小魚の群のようにワッと子供たちが集まってきて、顔を寄せ合い歓声を上げた。興奮したサマールの子供たちは、何度もをオレに撮って欲しくて、血眼になって海水の引いた珊瑚の岩の隙間に手を突っ込んでいた。バランガイ(集落最小単位)いちのいたずら小僧もいつのまにか上陸していて、引き潮の海べりでしきりに岩穴を突っついていた。とげのあるウニもクモヒトデも平気で素手で捕まえた。オレに対する彼なりの最高の歓迎セレモニーのつもりなのだろう、獲ったばかりのナマコ(だと思うが...)をさっと口にくわえておどけて見せたりした。さすがに周囲の大人たちも気持ち悪そうに驚きの声を上げた。捕獲されたナマコは、しばらくして白い粘液を糸のように吐き出し、からだが溶けていった。ほんとうに気味が悪かった。
やがて4〜5歳の 幼女が、20センチほどの長さで薄い楕円形の石灰質の板を持ってきた。巨大なイカの背骨だという。これを背中に埋め込んで泳ぐ成長したイカの姿を想像して気が遠くなりそうだった。サマールの海は、何もかもスケールが大きく、そして豊かだった。 腕白少年がゴーグルをしたままで、またやってきた。よく見ると身に着けている「ゴーグル」は、固い木のこぶの部分を巧みに削って作ったものだった。器用に丸く切って、ガラスもちゃんと嵌められている。こうしたものは、何もかも「買うもの」と思い込んでいた自分は、冷や水を浴びせられたような気になった。便利さを安易にお金で買うことが、そんなに豊かなのだろうかと自分に問い直してみた。必要なものはお金がなくても手に出来る豊かさがここにはあった。考えれば、「必要でないもの」にまでお金を使っている自分たちの方が、よほど貧しいのではないかとセンチメンタルな気持ちに襲われた。
日差しが強くなり、オレたちは島の中央のココナッツの下にあるコテージの周りに集まり食事をした。セシールがオレの好物の体長30センチほどの木肌マグロを持ち込んでいて、パイナップルの葉で包んで焼いてくれた。午後になって満ち潮が始まると、島のマングローブの足元には海水が浸入し、栄誉分の豊富な岸辺に無数の魚が集まり跳びはねる。そうした小魚を獲ってえさにして、更に大きな魚を獲る。このあたりでは竹を編んだワナでロブスターを獲ることもできる。
食事のあと寝転んで天空を見上げると、鬱蒼と生い茂った木々のカーテンが強い日差しをさえぎっている。この島には、危険な小動物は一切生息していない。蚊はいるというが、マラリアの心配はまったくないそうだ。子供たちは小猿のようなすばしこさで木に登り、枝をハンモックのようにして緑の中で昼寝した。
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