地図で言えばベトナムを小さくしたような地形の南北に細長い東サマール。世話になったセシールの実家は、そのほぼ中心部、ドローレスという町の北のはずれのバランガイにあった。フィリピンのひなびた田舎町はこれまでにも何度か訪れ、取材して歩いたのだが、彼女の家も似たような貧しさだった。
この地方特有のニッパやしの葉で屋根を葺いた典型的なつくりだった。ただし、外見は貧しく見えたが、二階家で建付けはしっかりしていた。オレはいつのまにかこの家の二階部分を占有する形になっていた。床は板の間で、長いあいだの生活が染みこんだように黒光りしていたが、板のかみ合わせが緩んでいる箇所や木の節が欠け落ちた穴から、階下が透けて見えたりした。しかし、それとて細かいことに過度に気遣う「都会人」の目にそう映るので、この家の人々には「誤差の範囲内」のことであるのに違いなかった。だれも、そんな小さなことを気にかけて暮らしてなどいないことは明白だった。階下は土間のリビングルームになっていた。
二階には大きな庇の下に、ベランダ状にせり出した竹で組んだ板の間があり、簡単なキッチンが据えつけてあった。セシールは、そこでオレの食事を作ってくれた。見ると大きなミネラルウォーターのタンクがあり、哺乳瓶と粉ミルクの缶が置いてあった。ドローレスの市場周辺で買ってきたのだろう。そのミネラルウォーターは、オレと赤ん坊のためのものに違いなかった。大人たちはふだんそんな贅沢な水を飲むことはなかった。セシールが板の間でたまねぎやニンジンをきざんだりした。野菜の切れ端や生ゴミは、ベランダの粗く組んだ竹板の隙間から階下に捨てていた。落ちた場所は一階の居間の外で、飼っている鶏や豚が寄ってきてはその生ゴミを食い漁っていた。
セシールが甲斐甲斐しく野菜をきざむ手元を、オレは梁に吊るしたハンモックに揺られながらじっと見ていた。きっと近所の人間は、オレがセシールの連れあいか何かで、赤ん坊の父親だと思い込んでいるだろう....。最初は気にしていたが、次第にどう思おうと勝手だという意識になっていった。間違っても、そんな事をするオレじゃない。彼女がする調理とはいっても、まな板などはなく、少女のままごと遊びで使う玩具だろうかと思えるような、赤いプラスチックの小さな板状のものを代わりに使っていた。包丁も工作に使う小刀のようなもので、明らかにふだんはそんな手の込んだ「調理」などしないのだろうと想像できた。当然のことだが、その家には冷蔵庫などはなかった。オレは決して贅沢を望んだわけではなかったが、「よく火を通した料理」だけはお願いした。ニンジンやたまねぎをきざむのは、「フライドライス(チャーハン)」を作るためだった。KOKOMOSのカフェでオレがよく注文するのをセシールは見ていた。家人は粗末な食事だと思われまいと気を遣って、オムレツのような卵焼きを毎回作ってくれた。卵はこのあたりではぜいたく品だった。ツナ(木肌マグロ)の丸焼きも市場で買ってきて毎晩出してくれた。何から何まで手のかかったごちそうだった。
ベランダの端には、一階に通じる安普請の急な階段があり、昇り降りのとき下手をすると足を踏み外しそうで危険だった。あるとき、食事を終えて階下に降りようとしたら、大勢の家人が階段の下や屋外の木の切り株にすわってめいめいばらばらに食事をしている光景に出くわした。薄い皿に飯が盛ってあり、皿のすみに小さなドライフィッシュが一匹載っているだけで、それを皆が黙々と手の指を使って食べているのだった。オレはそうしたフィリピンの庶民の食事風景を何度も見て慣れていたのだが、家人は見せたくないものを見られたというような卑屈な表情をして、家のどこかに隠れてしまった。それが日常的食事風景なのだろうと思う。なんだか申し訳ないという気持ちになった。オレは食事で贅沢をしたかったのではなかった。調理に使う水は、遠くの井戸から汲んできたもので、食材を保存する冷蔵庫もない環境だったので、「衛生」をことさら気にしただけのことだった。マグロや卵はドローレスの市場で買ってくるので「ぜいたく品」ではあったが、父親が夜明けにセシール島の近くまで行って渡り蟹や伊勢海老に似た大きなロブスターを捕まえてきたりした。日本でならば1万円以上も払って買うしかない食材だった。商品経済の視点で見れば貧しいが、自然の恵みがすぐ傍にある。その豊かさのアンバランスが実に面白かった。
何をするにもオレは近所の子供たち大勢のギャラリーに見つめられていた。あるときこんなことがあった。食事のあと、オレはギャラリーへのサービスのつもりで一階に降り、子供たちと存分に遊んだ。そのとき、何気なしに傍らにいたセシールに「つまようじ」はないかと訊いた。言い出しておきながら、オレは場違いな要求だとすぐに気づいた。ところが、それを聞いていた子供たちがすぐにどこかに散った。しばらくして大きな木の葉の身をそぎおとし、葉脈だけを残したウチワのスケルトン(骸骨)のようなものを持ってきた。ひとりがおもむろに一本の葉脈を折って自分の歯を突っつきだし、こんなふうにして使うんだと教えてくれた。少ししなる弾力のある「天然つまようじ」だったが、オレはそれに感激した。ゴーグルといい、この爪楊枝といい、工夫すれば何でもあることに気づかされる。
しかし、不便なことは多々あった。一階部分にはリビングルームと寝室がふたつ、台所や炊事場、トイレなどがあった。寝室は畳2畳ほどの広さで、1メートルほどの高さの場所にあり、寝台列車の二階部分にからだを滑らせるようにして出入りしていた。シャワーはなく、トイレにある水桶の水をかけて体を洗うらしい。もちろん温水などはない。トイレもなれないと落ち着かない。家人は、オレが室内トイレを使うのを恥ずかしがったが、そうはいってられない事情がこちらにある。無理に使おうとしたら、待ってくれと言われ、それから10分ほど家人総出で掃除が始まった。そんなこともあり、昼間はうっそうと木々が生い茂っている広大な庭の奥まで忍び入って用を足した。夜は真っ暗で、階段を踏み外すと危険だというので、プラスティックのバケツを部屋の片隅に用意してくれた。いうまでもなく「尿瓶」に使うのだった。フィリピン人が当たり前にやるように、二階のベランダから庭に向かって用を足してもいいといってくれたが、さすがにオレはできず、バケツを使った。子供の頃病気で寝込んでいたときに尿瓶を使ったときの懐かしい開放感がよみがえった。
判で押したように貧しいけれど、セシールの家族はなぜか幸福そうに見えた。その最大の理由は、両親がそろって、ともに健在だと言うことに尽きるだろう。アンへレスに限らず、フィリピンでは水商売に従事するオンナのほとんどが「ブロークンファミリー」、つまり片親でそれも母親しかいない家庭の子女であることが多い。離婚で片親になった女もいれば、生まれながらにして父親が誰だかわからない女もいた。セシールの大らかさや明るさは、つましいながらも家族が揃っていることからくる。専業主婦の母親は、流暢な英語を話した。
バランガイに住むほとんどの世帯がこれといった生業を持っていない。家族の誰かが、マニラやセブなどの大都会、あるいは外国に働きに出て仕送りをして生計を支えている。唯一の現金収入が、その心細い仕送りだ。しかし、セシールの家は広大な敷地があった。庭から一歩進むとちょっとしたジャングルのような風情だった。
見上げれば空高くココナツの木が何本も聳え立っている。ココナッツの木はどこの家でも財産だ。その他マンゴの木や、カカオの木もたくさん植えられている。子供はいつしか自転車に乗れるようになるみたいに、この島の少年少女は誰でも、ココナツの木に登れるようになる。カカオは、実を割ると乳色のクリーム状の果肉のなかに、あわいピンク色の種がもぐっている。これを乾燥させ、手作りのチョコレートの材料にするのだという。時間がなくて試してみなかったが、そのサマール特産の手作りチョコレートなるものを飲んでみたいと思った。また、幸運にもこの家を訪ねる直前に「ジャックフルーツ」の実が落ちたばかりで、食事のたびにオレはその自然の恵みを味わうことができた。
庭にはさまざまな小動物がいて、木々の根方でのんびり眠っていた。犬、家禽類、豚などが確認できた。犬は日本で見慣れた種類とはひと味違っている。オレは暇にまかせて、いま目の前の風景に何匹の動物が紛れ込んでいるか、パズルのようにして探し出して遊んだ。
とくに興味を惹いたのは豚の親子だった。先日タイ北部の首長族の村を訪ねたとき、似たような豚の授乳シーンに遭遇した。見ていると飽きない。オレも、目の前の平和な豚にになりたいと思った。親豚が黒いのになぜ子豚は白いのかとセシールに訊いたら、白いのは子供のうちで成長するにつれて親の肌と同じ色になっていくと彼女は言った。子豚が乳をむさぼり飲む光景は実に迫力がある。静かに粛々と飲むのかと思ったら、大違いだった。一口飲むために子豚はいっせいに「頭突き」のようなことをする。ものすごいパワーで頭を母親豚の乳房に押しこんでいるのだ。頭で母親の乳房を圧迫し、乳の出をコントロールしているのだだろう。乳児とは思えぬ小ざかしさだ。
朝の9時ごろにはもう日差しが強く、長い時間外に立ってはられなくなる。家の中に退散することにした。二階のベランダに吊るしたハンモックに揺られていると気持ちがいい。ベランダはうっそうとしたカカオの木に覆われていて、その枝葉のあいまから海風がそよいでくる。自然のクーラーだった。おまけに家人はオレのために、この家に唯一の冷房器具である「大型扇風機」を使わせてくれた。オレが1階と2階を移動すると、そのたびに誰かが扇風機を上げ下ろししているので、申し訳なく思った。そのことに気づいてから、オレはできるだけ移動しないように心がけたくらいだ。床置き式の扇風機のパワーはものすごく、ぶんぶんうなる。夜寝ているとき直接体に当てていると、からだの芯まで冷え込んできて危険を感じた。しかし停めると蚊が集まるので「蚊除け」にと我慢して使った。
日が落ちると、一階のリビングルームに近所の子供たちが集まってきた。バランガイには携帯電話の電波も、TVの電波も届かない。娯楽といえばラジオか音楽CD、あるいはTV受像機で見るビデオCDだ。大人たちが、居間でビールを飲んで談笑しているまわりで、近所の子供たちがカラオケVCDにあわせて踊りだす。近所の子供といっても、セシールの兄弟やいとこの家の子供たちで親戚にあたる。その夜、居間はディスコのような雰囲気になった。子供たちの目は真剣で、客人になんとか得意の踊りを披露しようとしている。人気なのは流行りのセックスボムの「スパゲッティ・バババ」や「オチョオチョダンス」。セシールの兄の娘は、ダンスを習いにいっているというだけあって、物怖じせず大人びたセクシーな振りの踊りを腰を沈めながら踊った。
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