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東京夜話(Tokyo Night Walker's Eyes)
取材秘話と断片スケッチ

秘話その5  入管パニック

  2000年5月26日新宿歌舞伎町−

このところ入国管理官と外国人長期不法滞在者とのバトルが過熱気味である。先週火曜日(5月16日)に続き昨日(5月26日)も歌舞伎町で不法滞在者の一斉摘発が大規模に行われた。これほど短期間に集中的に入国管理官が出動した例はここ数年聞かない。踏み込まれたとされる韓国系クラブとフィリピン系クラブで、男性従業員とクラブホステスが何人か連行されたもようだ。私が知っているフィリピン系のクラブも摘発を受けた一軒で、たちまち広まった口コミ情報によれば、検挙されたなかに知り合いの名前も上がっていた。
 入管がどこかに踏み込んでいると、歌舞伎町の空気がふだんとは違って一変する。だから、事件の現場に居合わせなくとも空気感でそれとなくわかるものだ。この日、たまたま私は10時近くに、区役所通りの一角を通り過ぎていたが、空車のタクシーの渋滞が激しく、だれかれとなく道に出てざわついていることから、(何かあったな!)という不穏な気配を感じてはいた。
 そのうち、ジーンズを履いた普段着の知り合いのフィリピン女性とすれ違った。こんな時間にそんな格好でうろつくわけがないから、やはり何かあったのだと確信した。彼女は私に気づき、近づいてきて、おろおろした表情のまま震える声で言った。
 「○○にニュウカン入ったよ....」
 「えっ!....」
 「アコ(私)ビザもってるだから帰っていいだって、いま出てきたとこ。こわいよ」
 「おきゃくさんは中にいるの?」
 「いや、おきゃくさんすぐにそと出された」
 「まだ入管いるの?」
 「もういない....すごいよ....おきゃくさんの数より多いだよ....こわかった」
 それから、彼女はスタッフの○○と××がワゴンに載せられて連れて行かれたと話した。私が時々指名していたフィリピ−ナたちはビザに問題がなく全員無事だったことを知った。

今週入管が再び歌舞伎町に入るという噂は、前からあったようだ。情報の出所はどこかわからないが、その手の噂は大体確度が高い。過去を振り返ってみても、噂はちゃんと現実になっている。くだんのフィリピンクラブを含むいくつかの店は、次のターゲットとしてリストに載っているなどとまことしやかに言われていたのだった。その通りになった。今回こそは入管も徹底的に不法滞在者の摘発をやるそうだ。このため、全国から一時的に入国管理官を東京に集中させているという。

野次馬根性がむくむく湧いてきて、私は踏み込まれた店のほうに歩いて行ってみることにした。途中、かつてその店のスタッフをしていて、いまは別の店に変わった顔なじみのフィリピン男性に会った。彼は、自分の店に踏み込まれはしないかと心配して、客を装い路上に出て入管の動きを監視しているのだ。見回すと、そういう役目でそれとなく路上に出ている何軒かの店のスタッフがいる。入管のワゴンが引き上げても、私服の入管がまだ客にまぎれてうろついているはずだと疑っているのだ。
 フィリピン男性は影のように私のほうに体を寄せてきて言った。
 「ききました?」
 「いまさっき△△ちゃんに聞いた。大丈夫かな」
 「スタッフふたりやられたみたい」
 それから彼は、踏み込まれたときのようすをこと細かに小声で私に教えてくれた。フィリピン男は自分の店が免れてほっとしているようすだった。踏み込まれた店の事情もすでに細かく把握していた。入管が引き上げてからまだそれほど時間がたっていなかったが、携帯電話で中の情報をいち早く入手していた。
 たとえば、錦糸町で起った事件も、10分後にはもう歌舞伎町に広まっているというのが彼らの世界だ。いや、それだけではない。事件発生の15分後にはフィリピンの友達が心配して国際電話をかけてくるということもあるのだ。
 以下は、私が独自に取材をして知った事実だ。

 入管が踏み込んだのは9時少し前だったという。中はパニック状態になったようだ。このとき中にいたフィリピーナのひとりAが慌てて携帯電話を見失った。その直後に、何も知らずに店に入ろうとした客のBが、入り口の外で非常事態を察し、路上からマニラにいるフィリピーナCに事件を知らせた。AとCが親友であることを知っていたので、このとき男BはAの消息に触れ「Aちゃんは、きょうまだ店に出勤していないようだ」と、確かめもせずに誤報(Aは店の中にいた)を知らせた。マニラにいるフィリピーナのCは慌てて、東京にいるAちゃんに「今日は店に行かないように!」とひとこと伝えたいがために、Aちゃんのケータイ電話に何度も電話していたという。事件発生後わずか15分後のことだった。そのとき、むろんAちゃんは店の中で動転し腰を抜かしていた。迷子になったケータイには、マニラから国際電話のコールが何度も鳴っていたはずだ。笑い話にも聞こえるが、自己防衛に躍起となる彼女らの口コミパワーはすさまじい。

 私が店の前にたどり着いたとき、店はシャッターを固く閉ざしていた。客が追い出され入管が引き上げたあと、中でフィリピ−ナたちが泣きながら震えているのだろうと思うと気の毒になった。

 その後友人からの電話で、その店では女性もパスポート不携帯で2人拘束されたことがわかった。
 度重なる外国人不法滞在者の検挙で、東京都内の拘留施設は満員で、捕まった外国人は遠くは大阪など、他府県の施設に移送されているという。

[後日談]
あれから2年が過ぎてもう時効だろうから話そう。実はこの入管摘発の際に私のオキニ(オーバーステイ)も店の中にいた。踏み込まれたとき、とっさにドレッシングルームに避難したが、なかば捕まることを覚悟していた。ビザに問題のない同僚が「ロッカーに入りなさい!」と何度も忠告したが、観念してただ震えながら立ち尽くしていた。同僚は機転を利かして私のオキニを無理やりロッカーの中に押し込んだ。直後に女性の担当官がドレッシングルームに入ってきたが、間一髪で難を逃れることができたのだ。
その後オキニとは疎遠になり、私自身も歌舞伎町から足が遠のいたのだが、噂によれば彼女は結婚(多分偽装?)し、お金をかけて鼻筋を直し胸も膨らませて、いまでもあのあたりで頑張っているときく。事件直後、一時彼女は「ミス・ロッカー」といわれていたことがある(2002年11月)。

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