昆明秘話〜中国雲南省を歩く
ブルゴス伊藤


暮れも押しせまった中国雲南省昆明市、初日の夜、ホテルのマッサージ......。女は妖しく厚化粧をしている。年齢は30歳代後半か。マッサージ嬢とは思えない派手な格好で現れた。45分120元だという。これに10%のサービスチャージがついて132元になる。

うつ伏せから始まる。始まる前に律義にも時計の針を指し示し、今が何時何分だねというようなことをいう。そして、今から45分だから何時何分まですねとお役所仕事のように確認する。

いよいよ始まると、これがかなり荒っぽいマッサージだ。この女がその筋の専門家ではないことがすぐにわかった。おそらく経験から編み出したのであろう、珍奇としかいいようのない粗削りな技術で、次々にオレの体に襲い掛かる。こちらの背中に馬乗りになった状態で、彼女の息遣いだけが激しく聞こえる。途中で独り言のように「暑いなあ」というようなことをいい、上の着衣を脱ぎ捨てたような物音が聞こえた。

「やはり来たな!」
オレはそう思いながら、次にどのような手でくるのかと待ち構えていた。
しかし、背中の上で激しい立ち回りでもしているようにとにかく彼女は動く。そのたびに息遣いを荒げ、「暑い、暑い」というようなことを連発する。オレが感じただけでも二度彼女は着衣を脱いでいる。オレはうつ伏せになりながら、彼女が現昆明北駅前商店街の朝の風景れたときの姿を思い浮かべ、二度脱いだあとの服装を想像してみた。

彼女はなぜこんなにも一生懸命に体を押さなければ気がすまないのか、不思議に思うくらい背中や腰を押しまくった。中国人がもともと労働熱心なのか、そういう構えを絶えず示していないと生き延びられないのか、さまざまなことを思いながらオレは彼女がするがママにまかせていた。途中で許しを請いトイレに何度かいった。そこに置いてある無料のミネラルウォーターを飲んでいいかときく。ああいいよとオレは答える。

しばらくして、彼女はオレに仰向けになるように言った。気づくと彼女は上体がスリップのままだった。そしてしきりにもう45分延長するようせがんだ。約束の時間をすぎても半分までしかマッサージを済まさず、そして残りの半分を終らせるために延長に誘導する。手を抜いたわけではない。一生懸命やったにもかかわらず、目標未達だったとでも言いたいのだろう。あの息遣いの荒さは、計算づくなはずだ。すべてお見通しの作戦だった。それにしても恐るべきかな、共産党風マッサージ。

「フィニッシュ?OK、どうもありがとう」
オレは、重労働のあとでぜいぜい言っている彼女に労をねぎらう言葉を贈った。彼女はそれでもなおしつこくもうワンセット延長するようにせがんだ。恐らく規定のマッサージのコミッションだけでは、商売にならないのだろう。
しかし、そこはそれ中国の女性。タイやフィリピンの女のしつこさに比べれば他愛もない連中だといえる。
「明日また頼むからさ、今日はおしまい」
「トモロウネ、セックスマッサージネ」
彼女は、部屋にあるメモ用紙に自分の指名番号18と書いてライティングテーブルの上に置くと、脱いでいた服を着始めた。

改めて見て、オレの好みとはまるで反対のごつい馬面の顔をした女だとわかった。彼女が髪を整えるためにトイレに入ったすきに、オレは50元の札一枚胸ポケットに忍ばせた。マッサージ料金はサインで済ませ、チップの50元をを差し出すと、彼女は大仰に驚いた顔をして「ドウモアリガトウ」と日本語で礼を言った。
出て行ったあと、彼女の後ろ姿をドアミラーの小窓から覗くと、うれしそうにスキップして走り去っていくのが見えた。

かなり荒っぽいマッサージに耐えた体をどすんとベットに投げ出し、ふとみるとテーブルの上に銀色の小さな筒状の口紅が置いてある。彼女が忘れて行ったのに違いない。これは、本当に忘れたのか、オレとの接点をもう一度作るために仕掛けた彼女の策略なのか、しばらくベッドの上で想像を巡らせていた。

昆明ではよく歩いた。足が丸太のようになるまで歩きつづけた。かつて20年近くも前、初めてミラノに行ったとき、ホテルのあった駅前から数キロの道のりをスカラ座のあるガレリアのショッピングモールまで何度も歩いたことを思い出してしまった。

あれからいくつもの国で数え切れない都市の数を訪れたが、ミラノほど歩き回った都市はなかった。そしていま中国雲南省の省都昆明市で、それに優るとも劣らないほど歩きまわった。
何のことはない、言葉が全く通じないので、人にものを尋ねようがなくバスにも乗れないありさまなのだ。結局行き先に歩いてたどりつく他手がないのだ。実際には一度だけ、かたことの英語を話せるホテルのドアボーイを仲介して、街を流しているタクシーを3時間ほどチャーターした。一巡りしてホテルに帰り、降りようとしたら、あれだけ念を押して出発したはずのタクシーの運転手と揉め事になった。ホテルの正門の前で堂々と約束の3倍も吹っかけられたのだ。あいにく交渉の間に立ったドアボーイは不在で、別な研修生らしき青年が双方の意見を仲介することになった。運転手もさすがに3倍は悪どいと自分で思ったのか、早々と1.5倍の妥協案を持ち出してきた。ドアボーイも困った顔をしていたのでこちらも不本意ながら折れて150元を支払ったのだった。
その悔しさが、まるで足に乗り移ったかのようにそれからはバスもタクシーも当てにならないとばかりに、意地になって歩き回ったのだった。

さいわいこの町も中国。いたるところに「按摩屋」があった。老人が坂を登るときに途中で休憩をするように足裏マッサージで道草を食いながらほぼ主要な通りはなぞっただろうと思う。
マッサージの前に足を洗うためにズボンのすそをたくり上げた女が少し驚いて、同僚に何やらけたたましい中国語でまくしたてている。どうやら、「足が腫れているのじゃないか」「どこか内蔵でも悪いんじゃないか」と、オイラの生まれつき野太いふくらはぎを真剣に心配しているようなのだ。
(放っとけ、余計なお世話じゃい!)
女は典型的にチベット顔している。笑うと赤いほっぺたの下の方に浅くえくぼが彫られ、愛くるしさが漂う。
予め手元に用意しておいた小さなノートにボールペンで
「日本人旅行者」
と書いてオイラの足元から見上げる彼女の目の前に突き出したら、珍しいものでも見るような目をし、大きくうなずきながら回りの女たちにも教えたようだった。他の客の足を揉んでいた女が、背の高い按摩椅子の間からオレの方を覗き込んでいる。すかさずオレは
「18歳?」
と書いて目の前に突き出したら、彼女は足の裏を押していた油だらけの手の甲で顔を覆うようにしてけらけらと笑った。
この女が、それからオレに興味を持ったようだった。

(なんで足の裏だけなの?)
と不満気にきいてくる。声のトーンが、怪しく落ちている。足の裏だけなら30元の売上げ。自分に入るバックが少ないという意思表示なのだろうが、どうやらそれだけでもなさそうだ。足裏のあとに体のマッサージもするようにとしきりにせがむ。そのとき奥の小部屋の方に目線を投げながら、軽く手のひらを輪の形に握りしめ、オレの股間近くで何度かゆすってみせた。
この時オレは、入り口のカウンターでやり手の婆さんらしき女から何度も「ボディマッサージ」を勧められた意味を初めて理解した。マッサージなら何でもいいというような口ぶりだった。

オレにはその気がなかったので、
「メイヨウチェーン(お金ないよ)」
そう言って彼女の誘いをやんわりと断った。
中央から遠く離れた雲南省とはいえ、昆明もれっきとした中国共産党の管理下におかれている一都市。思想や風紀の紊乱を引き起こしかねない性産業に対しては厳しい監視の目が注がれている。そういう中で、個室で客の体に触れる按摩屋は、この町でもひとつの隠れみのになっているのは確かなようだ。つまり按摩屋は、アンダーグラウンドな風俗産業に限りなく近く、非合法の後ろ暗さがつきまとう。タイやフィリピンのあけすけさを知る人間からすれば、それは実に他愛もないレベルだが、中国はまさにこの世界でも発展途上国のようだ。

昆明とは一流ホテルのレセプションでもコンシアージュでも、日本語は愚か英語さえ通じないという恐るべき都市である。つまり、そういう外国人を当てにして観光産業が成り立っていないのである。レストランでも中国語の傍らに英語の表記があるのはまれで、日本語などは皆無に近い。
東南アジア諸国が、英語や日本語に媚びへつらいながら観光産業で国の基盤を支えているのとはまるで無縁な彼らは、主に中国内部の進んだ都市の人々を迎え入れて観光産業を営んでいるのだ。
そういう目で見ると確かに、欧米人や日本人が好んで大金を落とすような歓楽街の風俗産業が昆明ではあまり見かけないのだ。ないことはない。夜総会や歌舞庁などという施設があることは知っているが、看板もネオンサインも派手に目につくところにはない。

雲南省昆明で「日本」も「日本人」もノーブランドである。これは東南アジアの各地で、どちらかといえば「ちやほや」されてきた日本人にとって大いなるショックといえる。もし彼らが、日本人にいくばくかのブランド価値をもっているとしたら、たとえこちらの発音がお粗末にしろひと言「ニホンジン」と発音をしただけで、受け入れてもらえたはずである。
ところがである。
「ニホン、ニッポン、ジャパニーズ、ハポン、ジープン………」
あの手この手の発音、イントネーションをどう逆立ちしてひねくってみてもまるで反応がないのだ。
最後に筆談になり「日本人」と漢字で書いて、ようやくきまってああそうかそれがどうしたのかという顔をされる。
「日本人は神様である」
そういうご愛嬌の都市ではないのである。この町の庶民生活にあっては、日本人は完膚なきまでにノーブランドだ。

昆明は、北の昆明北駅と南の昆明駅とを結ぶ北京路を中心に東西に拓けた町である。確かに北京路にそって商店や行政府機関の主用施設が多い。しかし人が出ている賑わいという意味でいえば、東風西路、正又路、南屏街が出合う三市街と呼ばれる交差点にある「昆明百貨大楼」あたりが最も拓けた感じである。

特に南屏街には大手家電販売店やドラッグストアがあり、あるいはワトソンズやフランス系のカルフールなどが進出し昆明の最も先端的な消費文化を象徴するエリアだといっていいかもしれない。青年路にも洒落た店が軒を並べている。
とにかく商魂逞しい町で、町には店が多く、人々は商いに明け暮れ、それでも飽き足りずに路上に風呂敷き大の敷物を敷き品物を並べている気配なのである。まず気がつくのは、コンビニエンスストアがどこにも見当たらないということである。東南アジアの主要な都市で旅行者の僕を何度かほっとさせた「セブンイレブン」が、昆明の町にはないのである。

そのわけをオレなりに考えてみた。
どうやらこの町は、日が昇れば過剰と思えるほどの商店が店を開く。おまけに日が沈む頃になると、どこからこうも湧いてくるのかと思えるほどの夜市が沿道に立ち並び、市民の利便性に応えている。つまり、町自体が一大コンビニエンスストア化しているといえるありさまなのである。

特に北京路の一本東側の裏道で和平路から南の一角に、市のような賑わいを見せる繁華な場所を発見した。また、昆明百貨大楼の西側の裏通りにも大規模なウエットマーケットがある。前者が衣料や雑貨店、食堂などが目立つのに対して、後者は肉や野菜を売る店が多い。肉の塊がいくつも軒先から吊り下げられ、一種異様な風景である。昆明の人々は好んで犬の肉を食べると聞いていたので、何の肉の塊かわからないものをあれこれ想像しながら恐る恐る市場をめぐっていた。このエリアの商人たちはみな、男は楕円形の白い帽子をかぶり、女はスカーフ状の布で頭を覆っている。回族というイスラム教徒たちなのである。彼らは商売の才能に長けた民族のようである。

この町でよく目につくものに「招待所」という看板がある。かなり大きめで、夜になるとネオンの怪しく光りながらその文字を映し出す。招待所といえば、オレがとっさに思い出すのは、北朝鮮のそれで「特別な人を特別なサービスで饗応する場所」というイメージが浮かんでくる。

しかしここ昆明では招待所の文字の前や傍らに必ずや「中国人民解放軍」という文字が存在し、何なのだろうと思っていた。しばらくしてそれが、簡易宿泊施設だということがわかった。中国共産党員や人民海軍関係者とその家族しか宿泊できないのかどうか確認はしなかったが、昆明駅周辺と北京路をかなり北に上ったあたりにまでたくさんあった。
招待所とは我々の感覚でいえば「ゲストハウス」なのだと分かったら、あらぬ想像を巡らして損をしたと反省した。

北京路を北に進むと昆明北駅がある。南にある昆明駅が中国国内の主要な都市を結ぶ発着駅でまるで工事現場の雑然とした建物であるのに対し、北駅はベトナムの紅河方面にいたる人々を運ぶ。なかなかに洒落た駅舎で、ちょうど北京路をまたぐ格好でその建物は立っている。

この駅舎に向かって西側の坂を降りきった場所、ちょうどタクシー乗り場があるあたりの北京路沿いに何やら妖しい「歌舞庁」がある。1階の入り口にいる人間に料金を尋ねても、埒があかないだろうと初めからあきらめ、黙って10元紙幣を渡したら、ぎょっとするようなぼろぼろの紙幣で7元返してよこした。入場料は3元ということか、切符をもらいそのまま急な階段をとんとんと上がっていく。部屋の入り口の男に切符を渡して中に入ると、暗がりの中に大勢の男女がいる。中央が薄明かりの中でボールスペースになっていて、それぞれ社交ダンスのようなものを踊っている。見ると若い女は友だち風の女とペアで踊っている。

やがて、部屋は真っ暗闇になった。これはという女に目をつけていた男どもは一目散にその女に近づき体を寄せ合う。ざわめきだけでそれが分かる。もじもじしていると女の方から声を掛けてくる。オレは勝手が分からずに、最初に声を掛けてきた女を無視してしまった。その女が去ると、すぐさま別な女が声をかけてきて、不自然に体を密着させた。そのまま女に導かれるように、暗がりの真ん中に分け入った。もちろん相手の顔はまるで見えない。女は好きなだけ触っていいといわんばかりにオレの手を取って強引に自分の体の神秘の場所に誘導した。チークダンスをしながら、触り放題というのが歌舞庁のシステムのようである。

しばらくして、暗がりの中でオレは、さっき払った10元札のおつりの7元を彼女の手に握らせた。ポケットの浅い場所にしまっておいた、そのまるで細菌に冒されているような釣り銭の紙幣を、できるだけ早く手放したかったのだ。彼女は、「シェーシェー」といいながら人垣をすり抜け闇のどこかに消えた。

こうして暗がりの中で行きずりの男どもに好きなことをさせて、わずかばかりの小遣いをもらっているのである。部屋の回りにはソファがあり、暗闇のカーテンの下で2人で腰掛けながら大胆なことをしようと思えばそれも自由なのである。さすがあの群衆の中で本番は無理であろうが、そういう人のためにか、別室に小部屋がいくつか設けてあった。

昆明北駅に近い歌舞庁。朝の10時だというのに、狭い階段を数段駆け上った先に、じっとりと汗ばみ体臭でむせ返るような暗黒の洞窟があったのだ。男も女も、居心地のいい体勢を探り恍惚と体をまさぐり合いながら、ただコウモリのようにもぞもぞとうごめいている。窓ひとつないどす黒い歌舞庁のダンスホール。暗闇の中で男たちは、旅立つまでのほんのつかの間、見知らぬ女の秘部に触りやわらかな体を抱いては旅の思い出にしようとしている。女たちもまた故郷に向う列車を待つあいだ、わずかに体を開き男の胸に顔を埋めるだけで行きずりの旅人から5元や10元の日銭をもらうのだ。かき集めれば、郷里の家族にささやかな土産を買う小遣いほどにはなる。そうして男も女も、北京路のうらぶれた歌舞庁から、そしらぬ顔で昆明北駅を経由し、ベトナム国境付近の紅河方面へと向っていくのだ。昆明北駅の路傍の暗闇で、オレは雲南に生息するもの哀しいコウモリたちの営みの風景を垣間見たのだった。