秘話その7 最後の行き場所
<reported by ブルゴス伊藤>
2003年夏 新宿歌舞伎町−
飛び込みで入ったPパブで妙な空気を感じ取ることがある。
スタッフもババエも客に集中している雰囲気がなく、そわそわし、視線がうつろなのである。そのくせとりつかれたようにカラオケの歌を迫る。こういう店には「死相」が充満しているとしかいいようのない末期感がある。初めて足を踏み入れたというのに、「もうじきこの店は潰れるな...」と直感させる店があるものだ。
この異様な空気の店は、都心なのに場末の雰囲気にとらわれている「陰」のタイプと、にぎやかさが空回りしている「陽」のタイプとがある。前者は自然消滅の運命をたどるが、後者は入管の手入れなどで自爆していく。
後者の例が歌舞伎町で言えば、それはあきらかに「F」という店だろうと思う。
ある日飲み仲間と一緒に足を踏み入れて、その広さと賑わいに驚いた。Pナのその数、総勢40人はいるだろうか。新宿最大のPパブだった。
しばらくして、妙な気配を感じた。スタッフも、ババエも、紛れもなく「フィリピン」だというのに、長い間慣れ親しんだPパブの一般的なシステムとは違うことに気がついたのだ。メインの指名がいるというのに、呼びもしないヘルプのババエが二、三人来て、自己紹介をし終えるなり「ドリンクねだり」をする。しばらくすると、その一群がまた次の二三人のヘルプに入れ替わり、後続のヘルプが判で押したように不快な「ドリンクねだり」をする。その商売の基本姿勢は、歌舞伎町の牙をむいたような「ぼったくり商法」なのだ。
後日この店がPパブだとはいえ、経営者が中国人だと知り、あの「ヘルプ攻撃」と「ドリンクねだり攻勢」の謎が解けたのだった。中国クラブの料金は、Pパブのような時間制(タイムチャージ)ではなく定額制で、新宿あたりの相場は開店から閉店まで居すわってもひとり1万5千円程度である。頭数でその日の売り上げが計算できる。売り上げを引き上げるターゲットは「ボトル」である。中国クラブは「ボトルの回転」で商売をしているといってもいいのである。
定額料金の客からさらに金を巻き上げるには「ニューボトルを入れさせる」しかないということで、よく確認してみると中国クラブのボトルはかなり高い料金設定になっていることにお気づきだろうか。その点Pパブのボトルは実に良心的だ。
まあそんなことで、中国クラブの店のスタッフの視線は「ボトル」に注がれている。基本のマーケティング戦略はこうだ。
まず、テーブルに着いた客に既存のボトルが出される。出てきたボトルに「半分以上」液体が残っていることはまずありえない。その半分未満のアルコールを飲み干すための「吸引ポンプ」が中国クラブのホステスだと思えばいい。この「吸引ポンプ」が、次から次へとママの指令で派遣されて「いただいていいですか?」の攻撃を始める。
中国クラブの特徴は、女たちが頻繁に入れ替わって「落ち着かない」ことである。ここでのボトルとは客が飲むものではなく、店の女たちが飲み捨てる液体であり、そのおこぼれに客があずかっているという図式になる。
彼らのマーケティング戦略の目標は以下の2点である。
@客が席について30〜40分後にはボトルを空にし新しいボトルを注文させる。
ということにある。しかし、これだけではすまない。この先のしたたかな戦略を読み取らなければならない。
A「ニューボトル」はその日のうちに「半分以下」に飲み干す。
これが、次に客が来店するときの布石なのである。半分というのは、客にぼられている感じをもたれない「ギリギリの線」といえる。「半分以上」でなく「半分以下」というのは、店の側の「妥協の線だが意地を見せるライン」ということである。
さて、話をPパブの「F」に戻そう。奇妙な「ヘルプ」の襲撃による度重なる「ドリンクねだり」の略奪行為は、もともとPパブのよきシステムを知らない中国人経営者が持ち込んだ悪しき中国クラブ商法にほかならない。Pパブの常連からすれば戸惑うばかりなのである。
さらに、目が慣れてきてあたりをよくよく見回すと、「F」にはどこかで出会ったようなババエが半数以上いる。この店は年齢不詳の超ベテランがうようよいることに気づく。歯に衣着せずにいえば、ほかの店ではもう客が取れなくなったババエや問題扱いにされてきたアルバイトたちの集団だということがわかる。金のためにはなんでもしそうだというのは言い過ぎかもしれないが、年寄りが相対的にもてると言われるPパブだが、さすがに70歳近いロロがいまだによろめきながら腰をふりふりステージで踊っている姿を目の前に見ると、指名を受けたPナがそういう客をつなぎとめるに何か特別な手法を身につけているのではないかと邪推したくなる。
「F」は、一般的なPパブの健全な常連客からみれば、「顧客不満足」の最たる店ではないか。いつも客の文句が絶えないと聞く。いわば新宿周辺のPパブのババエが最後にたどりつく「「ふきだまり」のような店でもあるのだ。「問題児よいらっしゃい」とでも声をかけているのだろうか、よりによって、あちらこちらの店でこの10年間「指名を避けてきた」ババエたちが示し合わせたように集まっているのである。
「ここは長くないな」
初めて足を踏み入れたときから直感したが、それからまもなく入管の手入れを受け一時閉鎖を余儀なくされた。行き場のなくなったフィリピーナのなかに、消滅したはずのOS(オーバーステイ)が何人か残存していたのだという。
朝3時過ぎ未明のフィリピン料理屋には、なぜかこの「F」のババエたちが将来の不安を慰めあおうというのか、示し合わせたように集まっては時間をつぶしている。
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