取材をしたけれどまだ原稿にできないいくつかのスケッチについて
公開します。有益な関連情報があれば、知らせてください。
秘話その1 ある人物と「不夜城」との接点<台湾>
作家馳(はせ)さんの「不夜城」は、映画よりも原作の小説の方がずっと面白かった。新宿歌舞伎町に詳しい私の友人たちに共通した意見だ。私も彼らとまったく同感だ。
ところで、私はあの映画を、ある興味から特別な目で見ていた。登場する台湾マフィアが、もしかしたら実在する私の知人のKSさんをモデルにしているのではないかと思っているからだ。
KSさんは、台湾人華僑のあいだで知らぬものがないほどの大物で、かつて私は何度か接触し取材を試みたことがある。数年前まで、歌舞伎町のある台湾系の店のオーナーをしていたが、糖尿病を患っていまは自宅で静養している。台湾の与党、国民党の党員でもあり、華僑の政治活動の中心人物で、李登輝総統と並んで撮った写真も見せられたことがある。
KSさんの過去は、波乱に富んでいる。戦前、戦中、戦後の台湾の歴史をそのまま証言するかのごとき人生だった。
戦前KSさんは、日本の植民地時代の台湾に生まれ、皇民化教育盛んなころ台中の国民学校に通っていた。戦争が始まると、家が貧しかったため彼は特別奉仕隊に志願し、やがてニューギニア戦線に送られ、軍属の身分でしばらくラバウルで捕虜収容所の監視員をしていた。敗戦と同時に、KSさんは「戦犯」としてさばかれ、しばらくラバウルの刑務所に拘留され、朝鮮戦争直前に日本にやってくる。
立川の米軍基地周辺のホテルでボーイをしたあと、新宿歌舞伎町で名うてのプレーボーイとして勇名を馳せたのち、みずからも高級クラブを経営していた。このころのKSさんの友人で、のちに新宿の台湾系実業家として成功した人々が多い。彼らは、目立つことを嫌いひっそりと事業を営んでいるが、名前を聞けば「あの店がそうですか」というランドマークビルと有名店の社長ばかりである。
その後のKSさんの人生は謎が多い。なぜ、国民党の実力者になったのか、不思議である。なぜ不思議に思うのか、説明のためには植民地時代の日台関係と戦後の国民党と敗戦国日本との関係、外省人(国民党)と内省人との関係などについて簡単に触れなければならないので省略する。
糖尿病で自由がきかなくなった足を引き摺るようにして、KSさんは私に会うため、何度か新宿に出て来てくれた。話しを聞き取るたびに、底知れぬ興味と同時に恐怖心を私は感じた。
李登輝時代になってから、台湾は民主化の時代を着実に歩み始めている。「不夜城に登場したKSさん」、私は今でもそう信じているのだが、そのKSさんはことし七十五歳になった。重たい言葉の端々に、自由に発言できる新しい時代に生きていることを、心から喜んでいるようにみえた。
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