即即だけのためにバリバゴにくれば、なぜかこの町の本当の楽しみを見過ごす気がする。


バリバゴの目抜き通りフィールズ
 ここから先のオレの見解には、「アンヘレスマニア」諸兄の反論が予想されている。とくに、アンへレスにかれこれ二十年近くも住み、この町のすべてを知り尽くしているとまでいえる「オヤジさん」のことが念頭に浮かんで、ついついペンのすべりが鈍くなる。
 そもそも、アンへレスにやってくる連中は、さらなる欲望と刺激を求め、ルソンの北に向かってマニラから二時間近くもクルマを走らせるのだ。その多くはマニラに失望したヤツらだろう。
 マニラは、法外に高くなった。バーファインだけで1000P。エドサコンプレックスのGROで、交渉では5000Pからふっかけてくるようになった。言い値なら6000Pの鴨料金を払う羽目になるわけだ。深夜の閉店間ぎわ、売れ残った連中でさえ2500Pから値を引くことはまれだ。トータルで3500Pを払う価値があるかどうか、最後の土壇場でクールな金勘定と判断を迫られるようになった。勢いで遊ぶためにマニラにきて、いざとなっていつも経済的な合理性を呼び覚まされる。「遊び」の本道からすれば、そんな冷静さは邪念にほかならんだろう。
 「めでたく」バーファインしても、マニラガールにはリスクやいやな思いがつきまとう。コトが終われば、さっさとご帰還の構え。「オーバーナイト」料金を払ってあっても、「ショート」に満たない時間で退散しようとする。ヤツらのオーバーナイトとは、夜が白み始める時分で、5時か遅くとも6時を意味するってわけだ。
 帰りがけのひと悶着も、マニラガールの特徴だ。冷蔵庫のスナック類を「これもらっていい?」とさらっていく者がいる。また、退室直前に大枚のチップをせびるものもいる。とにかく、心の通いを夢見つつ、つかの間の擬似恋愛を少しでも期待したりすると、マニラガールには100%失望させられる。それだけに、そこでの即即は、まさに即物的でむなしく感じる。
 アンへレスでは、これとまるで反対のことが起こると考えていい。まず「安い」ことが最大の魅力だ。とはいえ、それはバリバゴガールの良さの一面に過ぎない。オーバーナイトといえば、それはもうシッカリそうであり、朝の9時、10時までは留まる。午後の2時、3時までいることさえある。とにかく彼女たちは素朴がとりえで、しかも文字通り寝ることが大好き人間だから、気持ちが通じ合えば置き去りにされたぬいぐるみのように一日中でも部屋で寝ている....。正午に開店する55バーをホッピングして、いい思いしてほろ酔い気分で部屋に帰っても、まだスヤスヤ眠っている....。そののん気さがアンへレスガールの一面だ。
 昼間連れ歩いてココモスやマルガリータステーションで食事を共にすることもできる。ちょっと離れたアンへレス市のショッピングモールに行き、買い物に付き合ってもくれる。
 アメリカ人やオーストラリア人は、数日間キープして別なリゾートに連れて行くお遊びが大好きである。ひとりの男が、たまに二人の女のコを。遠出は、彼女たちにしても気晴らしになり、歓迎される。日本人のあいだにも、最近はやりつつある遊びのスタイルである。
 とにかく、つかの間であっても心の通い合いが実感でき、その限りでは「何でもあり」の町なのである。店にはチェリーもいて、一般的にはバーファインを断られることが多いが、絶対に即即をしない約束を守り、相手のOKが出れば一緒にいてクッションのように抱いて眠ることも可能なのだ。ブルゴス伊藤は即即を初めから断念しこれを繰り返しているのだ。難易度の高いチェリーのバーファインに一貫して挑戦しその純真な心を奪い取る戦略で数々の成果をあげている。心が通じれば、チェリーは必ず落ちる、ブルゴス伊藤が断言した。
 確かに、この町にくれば即即の楽しみは矮小化される。何でもありの世界だけに、即即の位置づけが相対的小さく見えるのだ。してもいいし、しなくてもいい、と誰もが大らかな気持ちになる。しないで損をしたという感覚は少ない。
 手の内をさらすと、オレは相手の意表を突いて「しない」と決めてかかるほうなのだ。一期一会のひとりの女性として、相手を精一杯やさしく扱ってみることで、信じられない出来事を何度も経験している。
 バリバゴの女たち、その多くはレイテやサマールなどフィリピンで最も貧しい地域からきている。顔は化粧で妖艶に作りあげているが、背中やお尻には幼い頃に作ったと思われる傷やアザが何箇所もあったりする。手に疥癬の皮膚病があるコもいて、いつか手持ちの塗り薬を塗ってやったことがある。効果がみるみる表れ、大きな疥癬が翌日にはほぼ完治したこともある。
 「あそこは土人しかいないじゃないか」
 マニラ派を自認する男が、はき捨てるように言ったことがある。
 確かにアンへレスで、マニラガールのように洗練された美人は探しても見つからない。マレー・ポリネシア民族のルーツを思わせる、ネイティブで素朴な美しさが特長だ。いつもニコニコと屈託のない笑顔を浮かべるが、口数は概して少ない。この「野性美」に馴れると、抜けられない怖さがある...。
 あるとき、空港で何気なく買っておいたクリスチャンディオールの安いオードトワレのミニチュアセットを、とある55ダンサーにあげたことがあった。彼女は、クリスチャンディオールが何かを知らなかった。言葉には出さないが、そのプレゼントがよほどうれしかったと見える。小瓶5本のうち、3本をママ(バーの雇い主)と分け合うのだといいつつ小躍りして帰っていった。それから何度も、小物入れから香水の小瓶を取り出す愛らしい場面を見た。
 バリバゴの一期一会には、心がなごむ温かさがある。この町に惹かれる男たちは、それぞれが編み出したそれぞれの心の通いの作法を隠しもっている。
 通りすがりの旅行者のように、恥をかきすてて行くのもいいだろう。しかし、オレはいつも「また来るからネ」という気持ちを残して、この町と長くつき合って行きたいと思っている。 


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