明けて2001年シーズン。ことしもまたオペラオーの独裁が続くのか、ドトウが捲土重来を果たすのか。あるいは第3勢力が台頭するのか。オペラオーは年明け緒戦の大阪杯(GU)でまさかの4着敗退。ドトウは日経賞を勝って、彼らは5たびの対戦を天皇賞(春)の舞台で戦うことになりました。その天皇賞では、オペラオーが優勝してGT7勝目。シンボリルドルフの持つGT最多勝記録に並びました。ドトウはといえば1/2馬身差の2着。またもや・・・。意味のない「もし」だけど、もしもドトウがオペラオーと同じ時代に生まれていなかったら、ドトウの前にオペラオーがいなかったら、ドトウがGT5連勝しているというのに。だけど、これが競馬。
そして彼らは回りまわって一年。宝塚記念での2度目の対戦を迎えました。そして・・・ついに・・・オペラオーのGT連勝がここで止まります。そして、ドトウのGT2着記録もまた、ここで止まります。勝ったのはメイショウドトウ。GTでの対戦6度目にして、5回にわたるオペラオーの2着を経て、とうとうドトウがオペラオーを従えて先頭でゴール板を駆け抜けたのです。オペラオーは2着。ドトウの「精神力」に頭が下がります。馬は、あまりに同じ馬に負け続けると、「あいついたんじゃ勝てないじゃん(゜Д゜=)ノ⌒゜」とクサることも、ままあるそうです。人間だってそうでしょう。がんばってもがんばっても、いつも誰かが上にいる・・・そんな状況が5回も続いて、「オレはくさらねぇ!」と言い切れる人間がどれだけいるでしょう?そんなことを考えさせられる気がします。こうして、秋もまたこの2頭を軸に競馬が展開していくと、誰もが思いました。
が・・・オペラオーがグラスワンダーを負かしたように、ドトウがオペラオーに勝つときが来たように、いつの時も新しい力はやってきます。秋を迎えたドトウは、まるで宝塚で全ての力を使い果たしたかのように、天皇賞(秋)3着、ジャパンカップ5着、有馬記念4着と凡走を繰り返しました。オペラオーはといえば、天皇賞(秋)、ジャパンカップこそ2着して王者の面目を保ち続けましたが、「皇帝」シンボリルドルフ越えへの最後のチャンス有馬記念では連対すら外す(3着)ことになってしまいました。ちなみに、天皇賞は4歳馬アグネスデジタル。ジャパンカップはダービー馬の3歳・ジャングルポケット。有馬記念は菊花賞を勝ったこれまた3歳マンハッタンカフェが優勝しています。
そして、2002年1月13日。冬晴れの京都競馬場では、異例の「合同引退式」が行われました。もちろん主役はテイエムオペラオーとメイショウドトウ。GTで、9度にわたる対戦を重ね、うち6度を1-2着した彼ら。オペラオーは最後のGT勝利となった2001年天皇賞(春)のゼッケン1を、ドトウは最初で最後の、そしてライバルオペラオーをねじ伏せた同年宝塚記念優勝時のゼッケン「3」を身にまとい、競馬場で最後の勇姿を披露しました。この春から、彼らは種牡馬として「自分の血を後世に残す」という新しい戦いに向かいます。いつか彼らの子供が競馬場で、再び世代をまたいでのライバル対決を見せてくれる日が来ることでしょう。
右の写真は2000年の有馬記念のものです。
オペラオー・ドトウ物語(後編)