(東)奥谷家住宅

母屋外観と忍び返し 非公開      
建築年代:
   1826年 (文政9年)
   

所在:
   
城之門筋・富山町 (じないまち散策地図
由来:
   当家は西向かいにある奥谷家の分家である。 本家2代目岩瀬屋伊右衛門の子伊六岩長を初代として油屋を営んでいた。
建物の特徴:
  
屋敷地は一区画の西半分。母屋、納屋、土蔵が周囲を取り巻く。今の建物は分家の時に建てられたもので、建築年代は文政9年(1826年)と伝えられている。母屋(入母屋造)は敷地の西南寄りに建ち、敷地の周囲には土蔵や納屋が配置されて現存している。 また、北側にある長大な土蔵は現在、内部を改造して借家の長屋となっている。
(東)奥谷邸の外観(城之門筋) (東)奥谷家住宅の全景 (富山町)
持ち送り(玄関先の支木) 玄関の持ち送り(軒庇の支柱)

庇(ひさし)や出窓などのように突出する部分を支えるために、壁や柱などに取り付ける板材や斜め材をいう。
荒格子(無双窓)

地元ではべかこ窓とも呼ばれています。
鴨居の外に連子板を打ち、内側に連子板を組んだ戸を入れた窓。戸の移動によって開閉する。「無双」とも「無双連子窓」とも「無双戸」ともいう。
煙だしの越し屋根 煙だし越屋根

囲炉裏などで燃料を燃やしたときに出る煙を、屋外に排出するために棟をまたいでつくる小屋根 (越屋根)
煙だし越屋根
煙出し小屋根が寺内町煎餅の図柄に取り入れられています。 母屋の越し屋根(煙だし、かまどの煙抜き)や出格子が特徴で寺内町煎餅の図柄にも取り入れられている。
虫籠窓(むしこまど)と煙出し小屋根 厨子(つし)二階と虫籠窓 (むしこまど)
(東)奥谷邸 一体型格子窓 (一体型)木格子窓
(東)奥谷邸 出格子窓
出格子窓
(東)奥谷邸 厨子2階の持ち送り(漆喰塗り) 厨子二階の漆喰装飾が施された持ち送り
小庇の持ち送り(漆喰塗り) 母屋二階・小庇の漆喰装飾が施された持ち送り
(東)奥谷邸 鬼瓦 鬼瓦
(東)奥谷家の蔵 板塀の忍び返しと蔵 (富山町)
城之門筋からの外観 城之門筋
城之門筋
用心堀 (暗渠)と岩永橋 (がんえいはし) 用心堀

西側の城之門筋に沿って用心堀 (暗渠, 1.5m)が通っており、架けられた岩橋の耳石に刻まれた文字「岩永橋 (がん恵いはし)」は、岩瀬屋が永久に繁栄することを念じて刻まれたと言われている。(複製) 城之門筋に沿って筋ごとに小石橋が架けられた。
「城之門筋」の名前が刻まれた街路灯
夜は通りがライトアップされます。
歴史的景観に配慮して電気メーターを覆う木箱



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