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八幡まつりの由来・次第 1.應神天皇の行幸 應神天皇近江行幸の折、当初の大嶋の社をお訪ねいただくために、琵琶湖から天皇一行を道案内したのが、祭の初めだと伝えます。このため、祭の歴史は應神天皇6(275)年、実に千数百年を遡ることができます。その後、祭の状から源平の祭だとか水利・五穀豊穣を祈る祭とか申すようにもなりました。 2.天皇の道案内 應神天皇の行幸は、御母君神功皇后の生地・近江息長村(現在の坂田郡)をお訪ねになるためで、琵琶湖を舟でお渡りになりました。その途次、南津田から(現在は津田干拓地となっています)から上陸された後、当時大嶋大神を御祀りしていた当社に御参詣いただいたと伝えられます。当時、南津田には七軒の家があり、湖辺の葭(よし)で松明を作り、火を灯して八幡まで道案内をしたと言い伝えます。 3.松明 宵宮祭で用いる松明は、湖辺に自生する葭を束ねて拵えた古の松明から、胴に菜種柄を使用するものへと形状を変え、段々大きくなってきました。今では十メートルを超えるものも数本あります。 4.十二郷 八幡まつりは、古くからの氏子の伝統を今に伝える「市井・多賀・北之庄・鷹飼・中村・宇津呂・大林・土田・船木・小船木・大房・南津田」の十二郷が奉仕する祭です。郷の名は現在の町名の由来ともなっています。 5.宵宮祭(松明祭)次第@ 上の郷 午後7時頃から、郷の高張堤燈(たかはりちょうちん)のもと、陣羽織姿の神役(しんやく)と紺法被(はっぴ)姿の若衆(わかいしゅ)等が、中太鼓や鉦を打ち鳴らしつつ「座」に集まります。この場合の座は、馬場内に設けられる各郷の集合場所を指し、その座は古来より同じ場所があてられています。 6.宵宮祭次第A 下の郷と2つの神事 続いて下の郷です。小船木の松明が奉火され、南津田が先番の折は(奉火順は、隔年で交代しています)15本の振松明・2本の船松明が神前に進みます。大房・船木も松明を奉火します。大房の松明が、最初寝かせた状態から、途中で火を点けながら起こす松明です。下の郷では松明を奉火した後に、各々の郷が太鼓を担いで社参し、シューシをおこないます。 7.本祭(太鼓祭)次第@ 宿入りと出発の使い 午前に本殿で神事(当社の例祭)が行われます。午後、各郷が所有する大太鼓が「宿」入りします。各郷の宿は、元来、鳥居の外が原野であった時代から伝わっています。八幡が開町されて以後、各郷の宿として伝えてきた場所にも家が建つようになりました。新しく家を建てる者は、郷の伝えを守るため、八幡まつりの際には喜んで座敷等を提供する旨を誓い、現在まで宿が伝えられるようになったと言われています。 8.本祭次第A 太鼓渡りと崇祀、あるいは代渡り 太鼓渡りは、親郷が宵宮で渡された鉾を先頭に渡ります。好天の際には、各郷自慢の大太鼓を出して、祭は大いに賑わいます。神役を先頭に列を正し、若衆が大太鼓を肩に担いで渡御する姿は、太鼓を打ち鳴らす音を競いながら渡ったという古例に則っています。「どっこいしゃ〜んせ」という掛け声とともに、渡り太鼓のその音は近郊に響き渡ります。 渡りの行列が拝殿前正面に到着した時、若衆らが何百貫の大太鼓を指先高く、力強く3回捧げます。これをシューシ(崇祀)と称しています。郷の氏子一同が揃って手を高く捧げその姿が、八幡さまのご神徳を高めるようにも見受けられます。 9.松明結いの心 この祭りは、松明結いから始まり、松明の奉火、そして太鼓を担いでの社参に終わります。松明結いは「結い」の字のごとく、郷の氏子が老若を問わず、心を一つに結い合わせないと、美しく映える松明ができません。同時に太鼓の社参も、心を一つに結集することにこそ、その真髄があるのです。 |
昭和33年 滋賀県無形民俗文化財に選択
平成 3 年 滋賀県無形民俗文化財に指定
平成 4 年 国選択無形民俗文化財に選択
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