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オーストリア、周遊の旅 (2010/5/26)
ゼンメリング鉄道とグラーツ旧市街観光
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グラーツ、旧市街の丘の時計塔(2010.06.26 撮影) ■NH ダヌーブ・ホテル、出発まで
□ウィーンからグロッグニッツまでバス移動
★ゼンメリング鉄道(世界遺産)
□ミュルツシュラークからバス移動
○グラーツ、オーストリア第2の都市
○昼食(グラーツ旧市街のレストラン)
★グラーツ旧市街(世界遺産) 徒歩観光
○ハウプト広場で自由行動(ヨハン大公像)
○夕食(旧市街・グロッケンシュピール広場)
■コートヤード・マリオット・ホテル

NH ダヌーブ・ホテル、出発まで:
05:00 目覚しで起床。
気分的には疲れもとれ、時差も感じない。ところが、鏡に映った目を見たら酷い疲れ目だった。急ぎ、時々使う市販の目薬を点眼する。しばらくすると目の充血はとれて平常に戻ってくれた。
06:00 少し早すぎるが朝食のため部屋を出てエレベーターホールに行く。
E階の朝食レストランは未だ開いていない。
ロビーをブラブラし、それからホテル前の大通りに出て様子みる。国連施設の近くのことでもあり、綺麗に整備された通りで快適です。古く小さな建物もあるが、多くは近代的な高層ビルです。大通りの反対に渡ってみる。欧州の天候は変わり易いといいますが、ホテルの最上部ははっきり見えても、左隣の高層ビルの上部は霧の中で良く見えない。この現象は山地なら驚かないが、現代では平野部の大都会でもあるのです。高層ビルが増えた東京でも、あちこちで見れる現象かもしれません。

朝食(ビュッフェ・スタイル):  朝食レストラン 06:35 E 階のレストランに入る。ツアーの人達も多かった。
旅行中なので種類を多くとる。まずオレンジ・ジュース。メーンデッシュはソーセージ2種1本づつとベーコン2切れにスクランブル・エッグだった。サラダの皿にはトマトやキュウリなど野菜類、さらにフルーツ・ミックス、スライス・オレンジやオリーブ、パンは1個、デザートはフルーツ・ヨーグルト、そして甘いコーヒー2杯です。自分でも食べ過ぎと思います。
朝食後は処方薬を服用、悔しいながら年齢相応・・・。

07:55 部屋に戻り、忘れ物などを2人でチェック。チップは2ユーロ硬貨を置いた。昨夜、毛布を1枚届けてもらったし、1人1ユーロです。
07:05 部屋を出た。予定では 7:30 の出発だが、早目が良いという直観です。
フロントでキー返却のチェックアウト、外は雨だった。ワイフは大急ぎでコートを取り換えた。
07:15 正面玄関で赤いバスが待っている。昨日と同じ車両とドライバーさんです。スーツケースを運び出し、床下トランクに入れてもらった。人によっては自分で積んでいる。
07:20 乗車。早いほうで、座席は自由になった。左側(運転席側)の前から5番目にする。
添さんが人数の確認をした。全員揃い次第、出発です。

このツアーは集合時刻や出発時刻が予定より 5〜15 分も早いことが時々あった。観光先では、皆さん早目に集合場所に来るのです。で、人数が揃い次第、乗車・出発となってしまう。多分、「遅れたくない心理」が強いのでしょう。オーストリアは安全で清潔なお国柄、慌てる必要は全くないと思いますが、これがツアーの現実でした。

ウィーンからグロッグニッツまでバス移動: 
途中の風景、空は鉛色・・・ 07:25 この頃に出発でした。大通りのプラタナス並木は雨のなか、観光初日として良い出発ではないが、不思議も全く気にならなかった・・・。
ほどなくウィーンの郊外に出ました。空は相変わらず厚い雲に覆われていた。「まず晴れない」と思えたが、南西に移動なので観光先が雨か晴か分かりません。
どこかで高速道路に乗ったはずでした。
両側は平野で広々とした牧草地や農家の佇まい、時々大きな工場などがあり、極く平凡な風景が続いた。広大な松林もあったが、やはり下枝は落とし、幹は真直ぐに育てている。これなら利用価値が高いでしょう。北欧を含めゲルマン系諸国やロシアなどスラブ系諸国では松の植林が盛んに思えます。

車中で添さんはオーストリアについて簡単にいろいろな説明をしました。

07:50 この頃、雨がやみました。

08:25 バスはガソリン・スタンドに併設されたショップの駐車場に入った。トイレ休息です。欧州のガソリン・スタンドはセルフですが、郊外ではショップやカフェやレストランの併設が時々あるようです。店内を見回ると日本のコンビニよりかなり広く、雑誌・雑貨から飲物と食糧や生花まである。大きなプリッツェル(Brezel(独)/Pretzel(英))形のパンに驚いたり、異国のショップは珍しく感ずるものが多く見るだけで楽しめます。値段もつい日本と比較するが、これは為替レートで変動するので・・・。
ここでトイレを使用したが、チップ(使用料)の E0.50 が必要でした。
08:45 出発。

グロッグニッツ(Gloggnitz)
街の標高(Altitude): 海抜442m
人口(Inhabitants):5,596人
行政域(Municipal area):19.554平方km
住宅数(Houses):1713
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引用サイト:
Gloggnitz - A Mountain Town (英語)
08:55 この頃にグロッグニッツ(Gloggnitz)に到着。山々に囲まれた標高442mの小さな街でした。しかし良く整備され、駅近くには白と赤のマロニエ(西洋トチノキ)が満開で見頃です。鉄道としての終点ではなくウィーンとトリエステなどを結ぶ重要鉄道の通過駅ですが、ここが世界遺産ゼンメリング鉄道のウィーン側・開始駅です。
バスを降りて駅に行くには早すぎ、しばし車内で過ごしました。幸いなことに、天候は次第に晴れてきた。

ゼンメリング鉄道(Semmering Railway/世界遺産): ゼンメリング鉄道
グロッグニッツからウィーナーノイシュタットまでの2階建列車 09:00 バスを降り、グロッグニッツ駅舎(Bahnhof)に入る。 スーツケースはバスに残したままです。
しばらくは駅舎近くで写真撮影などをして過ごした。
09:17 地下道を通って他のプラットホームに移動した。
09:32 赤い2階建の列車が到着。この客車は自由席なので見晴らしの良い2階に上り、適当な座席にした。真新しく感じられる客車で快適です。

ゼンメリング鉄道(世界遺産)
Semmering Railway
Semmeringbahn

ウィーンから約80Km南にあるセンメリング鉄道はグロックニッツ(Gloggnitz/ウィーン側)からゼンメリング(Semmering)を経由してミュルツシュラーク(Murzzuschlag/グラーツ側)の間を結ぶヨーロッパで初めて作られた山岳鉄道とされる。ゼンメリング峠(標高995m)では878mの最高地点を越えて険しい東アルプスの山岳地帯を走る。全長41km余で高低差は460mもある。ノーベルがダイナマイトを発明(1866年)する前、1848〜1854年に東アルプス山岳地帯で行われた工事は約2万人の労働力を投入した極めて困難なものでした。難工事の末、1854年にアルプスを越える最初の山岳鉄道が開業したのです。現在は16のトンネルと16の橋があるとされ、特に石積みのアーチ橋は東アルプスの景観に優れてマッチしている。1959年に電化され、1998年に世界文化遺産に登録された。
単なる観光鉄道ではなく、 そもそもウィーンとトリエステ(今はイタリアの都市、ゼンメリング鉄道の建設当時はオーストリア海軍基地)を結ぶ鉄道だったし、現在ではウィーンとアドリア海沿岸の都市やバルカン半島の都市を結ぶ重要な鉄道の一部です。
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引用サイト:文章変更
ゼンメリング鉄道
The Semmering Railway (英語)
UNESCO WHS Semmering-Railway(英)
NHK、世界遺産への招待状(Travel35)
09:33 この頃に出発。
09:54 この頃、乗換駅(ウィーナーノイシュタット駅/Wiener Neustadt Hauptbahnhof(独))の5番ホームに到着、直ぐ下車です。
地下道を通って隣の3番プラットホームに行く。そこで次の列車を待ちました。時間はかなりあった。しかし、次々に通る客車や貨物列車を見ていると退屈はしない。
10:24 到着した列車に乗る。バスで座席番号を割当てられた列車、客車は408号車です。その内部の作りは少々珍しく、進行方向の左が通路、右は4人用コンパートメントです。座席番号107番と108番がある入口近くのコンパートメントに入った。
結果論ですが、コンパートメントからの風景は山麓の森が多く、進行方向左側(通路)の車窓風景が遥かに優れていて楽しめます。
しばらくは椅子に座っていたが、直ぐに通路の窓際に立ちました。ノンビリした谷間の農村風景とか、1840年代に造られた石の鉄道橋の写真を撮りたかったのです。窓の開閉は出来なかった。
19世紀の半ばに建造の古い石橋 ゼンメリング鉄道はイタリア人技師カール・フォン・ゲーガが「景観に溶け込んだ建造物」を念頭に設計したので、コンクリートよりも天然の石材を多く使っている。鉄道用の石橋が16もあり、観光パンフレット等ではローマ水道橋を彷彿とさせる珍しい2重構造のカルテリンネ橋がよく使われている。深い森の谷間にある古き石橋は絵になるが、残念ながら列車に乗っていると石橋の全景は見れず、車窓からはカーブした石橋のみチラッと見れる程度です。直ぐ通り過ぎるので撮影はとても難しく、左上の写真がやっと・・・。この写真はカルテリンネ橋かも知れないが、実際はどの石橋なのか分かりません。

列車はゼンメリング峠(標高995m)のピーク近くで878mの最高地点を通過する。それから下りとなり、山麓の牧歌的な風景を見て過ごす程度です。
11:20 この頃、ゼンメリング鉄道の終点ミュルツシュラーク(Murzzuschlag)駅に到着。

ミュルツシュラーク(Murzzuschlag)
街の標高(Altitude): 海抜670m
人口(Inhabitants):9,241人(2005年)
行政域(Municipal area):12.26平方km
スキーとウィンタースポーツが盛んで、世界有数のスキー博物館がある。
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引用サイト:
Murzzuschlag (英語)
グロッグニッツ駅、ウィーナーノイシュタット駅、ミュルツシュラーク駅と3駅を利用しましたが、列車は派手に赤色が多用されているが、駅舎はグレーの外壁に統一されている。今は無人駅らしい。大都会の駅舎は違うでしょうが、オーストリアのローカル駅の色彩は統一されているように思えました。

11:36 駅前で待っていたバスに乗車です。人数確認などがあった。

ミュルツシュラークからグラーツにバス移動:  ○○
みごろのマロニエ、ミュルツシュラーク駅前 11:38 出発。シートベルトの着用が求められた。
ミュルツシュラークではマロニエに加えて白と紫のライラックが満開でした。開花の時期は札幌とほぼ同じ。ライラックの原産地は直ぐ近くのバルカン半島のようです。
12:17 ダム湖とその先にダムの水門が見える。その下流は用水路が作られ豊富な水量が流れている。灌漑用か発電用か分からなかったが、しばらく後に水力発電所があった。その先はちょっとした集落で教会の尖塔がよく見える。やっと山岳地帯は終わったようでした。

12:20 この頃、高速道路に入った。
12:45 この頃、グラーツの市街地となった。

グラーツ(Graz)、オーストリア第2の都会:
ミュージアム「クンストハウス」、木々の間にムーア川 ヨーロッパの民族を大雑把に分類すると北のゲルマン、南のラテン、東のスラブと云えるでしょう。ここグラーツはゲルマン民族の最南端の都市と云われます。(注:スイスの首都ベルンも緯度は同程度です。)グラーツから少し南に行くとスロヴェニアとなり、クロアチアやブルガリアと共にバルカン半島のスラブ族が住む国々です。

旧市街は世界遺産に登録されただけあり、中世の面影をよく留めています。くすんだ赤色の瓦屋根が多いなか、奇妙なアールヌーボー的な屋根を持つクンストハウス(芸術館/Kunsthaus)の傍を通った。その後の直ぐグラーツ中央を流れるムーア川を渡り左折、しばし旧市街の道を行く。川の傍の緑多い場所でバスは停まった。古城の丘に上がるシュロスベルク・ケーブルカー(Schlossbergbahn)の乗場の近くです。
13:06 下車。これから昼食を済ませ、グラーツ観光です。
しばらくは路面電車が走る道路を市庁舎の方向に歩いた。表通りから細長く入るシュロスベルク広場(Schlossbergplatz)の奥に時計台に上がる階段が見えた。そこを過ぎると、歩道はとても狭くなった。車道は両方向の軌道で目いっぱい、電車が来ると大げさながら身をすくめる思いでした。
その狭い電車道の先に左に車一台が入れる小路がある。目指すレストランはその奥だった。

昼食(グラーツ旧市街のレストラン): ○○○
旧市街のレストランの入口 中世風の石畳の路地は行き止まり、そこが昼食レストランの入口になる。上に「Krebsen Keller」と看板があった。実際の玄関口はさらに奥まっている。その間は小広場でレストランのテーブルなどが置いてあった。
内部は落ち着いた感じの作りでした。風変わりなのは幾つかの壁面に小さな肖像画が数えきれないほど飾ってある。添さんの話では、このレストランに来た有名人の肖像画でした。日本なら、さしずめ色紙の芸能人のサインを飾っているが、これと似たものらしい。
適当な場所に座る。テーブルの上には水差しとコップが置いてあった。

オーストリアの飲料水:
手持ちのガイドブック[2009年、Ref.01、p.10]には 『オーストリアの水道水は、ほとんどがアルプスの湧き水を利用しているので、飲料水として適切。』  また、外務省海外安全ページ (2010/6/25 確認) でも 『水道水は飲料水として飲むことができます。』  ウェブ上では「オーストリアの水は飲める」とか「ウィーンの水道は美味しい」などの情報が沢山ある。
ウィーン空港に出迎えた日本人アシスタントさんも「日に1〜2杯なら」という表現でした。以上の情報を踏まえてと思いますが、レストランのテーブルに置いてある水を飲む人も少数ながら見受けましたし、旅行中に「水が合わない」という問題は耳にしなかった。
ところが、オーストリアの水道は飲めるとしても、カルシウムやマグネシウムを含む”硬水”に分類されるようで、日本の”軟水”とは違います。短期旅行なら体が慣れる間がなく、”不慣れな硬水”として用心が肝要と思います。
万が一、水が合わずお腹が不調になったことを考えれば、食事時のビールやミネラルウォーターは決して高価とは云えません。3ユーロ程度が多いのです。
海外旅行で酷い下痢の経験をしているので、我々はテーブルの水に手を出さず、ビール(小)を1つ頼みました。2人でチビチビ水代わりに飲むのです。

昼食にスープがついたかどうか?写真もメモもなく忘れました。サラダは十分でしたし、メーンデッシュ(牛肉シチュウ風、ソーセージ、蒸料理、など)を食べたら一応は満足です。当然ながら甘いデザートを期待した。しかし出なかった。後日談ながら、ツアーが終って振り返ると、どこの昼食もデザートなしでした。 日本人は欧米人を含む他民族より膵臓のインスリン分泌が少なく、糖尿になり易いといいます。デザートなしは物足りないが、糖分控目は決して悪い事ではなさそうです。
ビール代を払い、トイレを借用してから外に出ました。

グラーツ旧市街(世界遺産)の徒歩観光: ○○○
グラーツのシンボル「時計塔」とハウプト広場のメイポール 14:30 レストランから表通りに出る。
狭い路面電車の道を左にすすみ、市庁舎(Rathaus)前のハウプト広場(Hauptplaz)に行った。青空市場の一種で果物屋やアイスクリーム屋など色々な店がある。この広場は17〜18世紀の建物に囲まれているが、とりわけドームを持つ市庁舎が目立っていた。広場の中心には1878年に建てられたヨハン大公像の噴水があり、この時期だけの高いメイポールも立っている。

今回のオーストリア旅行中はあちこちでメイポール(五月柱/Maypole)を見ました。ヨーロッパの古き習慣が未だ残っているのです。多少は観光用を兼ねたものがあるかも知れないが・・・。しかし、日本の鯉のぼりのように個人で飾るものではなく、頻繁に見る訳ではありません。ここのメイポールが見初めでした。
メイポールは英語名、マイバウム(Maibaum)がドイツ語名です。ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、フィンランド、スウェーデン、イギリスで盛んと云われます。 [参考サイト:Wikipedia ”Maypole (英語)”

グラーツ旧市街(世界遺産)
Graz
Grazer Altstadt

シュタイヤマルク州の州都グラーツはウィーンの南西150Km、鉄道ならウィーン南駅から急行で2時間30分。空港もある。標高は353m、ムール(Mur)川の両岸に市街地がひらけている。人口24万人余でウィーンに次ぐオーストリア第2の都市、ゲルマン文化圏では最南端の都市となる。
ハンガリーやスロベニア、クロアチアにいたる交通上の要地であり、バルカン半島やイタリアの文化すら混じっている。
グラーツは周域の林業や鉱業を背景に各種の工業が盛んな街である。ムール川左岸の旧市街には総合大学(1586年創設)、工科大学、ゴシック風の聖堂(1438‐62年)、州会議事堂(1527‐67年)、武具庫(1643‐45)、オペラ劇場、州立博物館(Joanneum)などがある。シュロスベルク(標高473m)の城跡には、時計塔(1561年)と鐘楼(1588年)が残っている。グラーツは10世紀後半にシュロスベルクに築かれた砦に由来し、その名はスラブ語で小さな砦を意味する”gradec/グラデク”によるとされる。
1273年に神聖ローマ帝国の空位時代が終わり、ハプスブルク家のルドルフ1世がドイツ国王に選ばれ、それ以後640年間の統治が続く。1230年に外壁が完成、都市へ昇格した。1279年にはハプスブルク家がグラーツの都市君主となり、1440-99年には皇帝フリードリッヒ3世がグラーツに滞在、皇帝居住都市となっていた。
1999年に街の中心部がグラーツ歴史地区として世界遺産に登録され、2003年の欧州文化首都に指定された。
参考サイト:
Graz Tourism (日本語)
フリー百科事典『ウィキペディア → グラーツ
オーストリア政府観光局 → グラーツ
ハウプト広場(中央広場/Hauptplatz): 
14:35 この頃、市庁舎(Rathaus)前のヨハン大公像の近くで中年男性の現地ガイドさんと落ち合った。何かニコニコ嬉しそうに話す人だった。日本語はダメ、それでドイツ語混じりの英語で添さんに説明し、添さんが日本語で説明する方式になった。
ガイドさんは 「グラーツに日本人観光客はめったに来ない。それで、来てくれたのがとても嬉しい」 といったそうです。これがニコニコの理由だったようです。
そして 「グラーツ・ツーリスト・インフォーメーション発行、『グラーツ観光名所』、2008年、日本語版」 を1人1部づつ配付してくれました。見所の説明は全て日本語。地図は現地語ですが、要所には番号が振られ、番号順に日本語の名称がリストされている。便利なガイドブックで有り難いものです。

州庁舎(Landhaus): 
ハウプト広場から市庁舎の右横の通りを歩き、州庁舎に向かった。広場からは反対側の隣で約3分程度の近くです。枝道には両側に商店やレストランが並ぶところもある。この一角にはカジノもあるらしい。
州庁舎は見事なイタリア・ルネサンス様式の建物とされ、1557-65年に建てられました。3階建ての回廊のある中庭と泉で知られているらしい。建物の通路を抜け中庭に出ると、右に瀟洒な飾り屋根の小さな泉があった。反対側は3階までアーチが並ぶ柱廊を巡らした凝った作り、屋根の上には教会風の塔もあり古風な時計も付いている。柱廊に窓はなく、その2階部分の柱間にカラフルな布製のポスター風ポートレートが付けられていた。多分、単調さを和らげるためでしょう。別のところには、優雅なアーチが連続する渡り廊下のようなものもあった。適当に中庭の雰囲気を味わって、別の道から州庁舎をでました。
ツアーでは寄らなかったが、隣の武器博物館(Zunghaus)の建物も見事なもののようです。

ヘレン通り(Herrengasse): 
ハウプト広場から南東に伸びるヘレン通りがグラーツで最も賑やかなメーンストリートになる。市電が通り、幟が両歩道にはためき、商店や飲食店が並んでいる。観光客や地元の人達で賑やかでした。
ツアーはヘレン通りを横切っただけ、次の見学先に向かうため建物内の細いアーケードを通り抜けました。

グロッケンシュピール広場(Glockenspielplatz): 
15:05 商店がある小路を行くと賑やかなグロッケンシュピール広場にでました。その一角に時計塔のある古風な建物があった。
グロッケンシュピール広場の仕掛け時計、ほぼ12時6分 時計の下に窓が2つあり、11時、15時、18時の3回は窓が開き、民族衣装の人形が鐘の音に合せて回転するそうです[Ref.09,pp.10-11]。仕掛け時計の一種でした。我々が到着した時は終わったばかり[のはず]で見れなかった。
実は帰国後に写真を良く見たら、15:05に撮影した時計は12:06を示しているのです。几帳面なゲルマン系民族なのに、何故でしょう?答えは不明ですが、何かカラクリがあるのでは? 市民のみぞ知る3時間おくれ?まさか!

次にグロッケンシュピール広場と聖堂の間にあった大きな建物の中庭に入った。赤レンガを多用した5階建でしたが、実は何だったか全く記憶にない。写真だけでは説明のしようがありません。スキップです。

聖堂(ドム/Domkirche): 
グロッケンシュピール広場からブルゲル通り(Burgergasse)に行き、その坂道を北に向かった。右側の階段の奥に緑色のドームをもつ宗教施設がみえる。それは皇帝フェルナント2世の霊廟(マウソレウム/Mausoleum)だった。
その階段を登りきった所で左に行くと聖堂(ドム/Dom)に入れる。
脱帽して内部に入りました。巨大で迫力を感じさせる聖堂ではありません。逆に比較的小さく、内部は手の込んだ素晴らしい作りの聖堂に思えました。正面に本陣、入口の上部にパイプオルガン、中央の右手の柱に階段で上がる説教台、基本的な作りは踏襲しているようです。
通常の聖堂の椅子は同じ高さですが、ここは中央列の椅子は左右の列より低く、デザインもよりシンプルなものでした。ミサでもないのに信者の方々が座っていました。
聖堂の後は通りの向かいにある王宮です。

王宮(Kaiserliche Burg): 
15:39 かつての王宮はシュタイヤマルク州政府の施設(知事公邸)になっているが、ホーフ通り(Hofgasse)の門から中庭に入りました。表通りから中庭の奥までダークカラーの高級車がズラリと並び、警備関係者らしき姿もあり、物々しい雰囲気です。ガイドさんが確認したら、隣国の高官が公邸を訪問中とのことでした。
中庭右の建物にトイレがあり、ツアーはしばし休息。しかし、座って休む場所はなかった。

王宮の見取図
王宮の見取図(クリックで拡大)
16:05 中庭奥の建物に縦の凸部があり、それが珍しい2重螺旋階段の外壁(Double Spiral Staircase)でした。最初の王宮はフリードリヒ3世が1447年に建立したが、この螺旋階段は次代のマクシミリアンが1499年に建てたものらしい。その中に入ると階段が左右にあり、螺旋階段を半分上がると交わる構造になっている。そして、上を見上げると最上部まで階段がクルクルと上がっていく不思議な構造が見えるのです。ガイドさんが面白い写真の撮影方法を教えてくれました。たしかに、螺旋階段の最上部まで写っている。
螺旋が最初に交差する所まで上がってみました。子供に戻り、面白かった。

王宮から城址公園(シュロスベルク)の入口まで: 
16:13 聖堂前の門を出て王宮を後にした。そしてホーフ通り(Hofgasse)を西に向かった。厚い雲はなくなり青空が広がっている。飛行機雲を描きながら一機が飛んで行った。
16:20 少し先の右側に擬古典様式の劇場(Schauspiefhaus)があり、それからフライハイツ広場(自由広場/Freiheitsplatz)になる。

16:22 広場を過ぎると、道の左側に立派な構えのパン屋「エーデッガー・タックス(Edegger-Tax)」があった。昔は宮廷御用達だったので、入口の上にはハプスブルグ家の紋章だった金色の「双頭の鷲」が今も掲げられている。ガイドさん配付のグラーツ小冊子[Ref.09]によると、「シシーのキス」とか「皇帝ラスク」など皇帝時代からの美味しいパンや焼菓子があるらしい。シシーはフランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリーザベトの愛称です。我々としては時間さえあれば好みを選んで沢山買いたいところです。先を急ぐツアーなので、店員さんにOKしてもらい内部の写真1枚のみ撮ったのが精々でした。
日本人の一般的な傾向として皇室御用達の由緒正しき店ならば、パンや焼菓子を土産や試食に買いたがる場合もあるでしょう。本心から、10〜20分程度をショッピングに当てて欲しかった。ここでのショッピングに興味のない人は前のフライハイツ広場の散策で時間は潰せるはずです。まあ、これは団体ツアーの泣き所・・・。

もう少しゆくと、ホーフ通りはシュポール通り(Sporgasse)と交わって終る。右折にしカメリーター広場(Karmeliterplatz)に向かった。
16:26 左側にあるザウラウ宮殿の前を通った。ここは4翼の宮殿で1566年に建立された古い建物という。壁面上部の軒下だったと思うが、伸ばした右手に刃をもって下を見ているトルコ人兵士の像が付けてあった。グラーツはオスマン・トルコ軍がハンガリーを占領した時代にはキリスト教徒の最前線だったとか、しかしオスマン・トルコ軍に占領されたという記述は見たことがない。何故トルコ人兵士の像が今日までグラーツに残っているのでしょう?
シュロスベルクの鐘楼には1587年にオスマン・トルコ軍の砲弾101発を溶かして造ったリースルという名の鐘があり、今でも毎日3回ならしているそうです。往時のキリスト教徒がウィーンを2度も包囲したイスラム教徒のトルコ軍に猛烈な恐怖心を抱いたことは想像に難くない。警鐘の意味があるのかも知れません。

シュロスベルク(Schlossberg)の時計塔:
16:30 この頃にカメリーター広場の山側に到着、旧市街のシュポール通りから左に入ると城址公園に上がる坂道が始まり、登ると時計塔へ行く。登山口近くにピンクの花を沢山つけた名知らずの木があった。あたかも、山が出迎えてくれたような気がした。

旧市街の北側に標高473m(比高120m)の小山があり、1000年以上も昔にスラブ族がここに砦(グラデク/Gradec=小さな城)を作った。現在の都市名グラーツはこのスラブ語が変化したものとされます。16世紀には対オスマン・トルコ軍の最前線として強固な城塞となった。ナポレオン戦争の後に城塞は撤去されたが、時計塔(Uhrturm)と鐘塔(Glockenturm)はそのまま残されました。現在はシュロスベルクとして見晴らしの良い城址公園になっています。
この城址公園に上る方法としてケーブルカーやエレベーターもあるが、カメリーター広場からの坂道を登ったり、山麓の断崖に作られたスュロスベルク階段を上がることもできる。我々は坂道を登り、時計塔で少しの自由時間、その後に階段でシュロスベルク広場に下りました。

16:31 坂道を登り始めた。何度か曲って傾斜を穏やかにしているが、比高120mの小山なので、実際の登りは途中から途中までとしても疲れます。でも、次第にグラーツの市街が木々の間に見えるようになり、元気なら楽しめる坂道でしょう。ゆっくりと歩きました。

スュロスベルクの時計塔の時刻 16:45 高さ28mもある時計塔に到着です。塔の4面に時計があるが、到着した面は下の壁面が剥げ落ち、同時に時計の下部も文字盤がなかった。他の3面の時計は無傷です。
さて、時計の時刻を見ると、8時24分(?)ごろでした。
この時計もヘンテコです。一体全体、グラーツの時計はどうなっているのかな!?
実は短針と長針が逆さで、短針が分、長針が時を表している。1560年に見張り塔として造られたが、1712年に時計が付けられました。当時は時を表す長針だけだったらしい。後年になり分を表す短針が追加された。ところが、長針と短針を取り換えなかった、とされます。ケチったのか、面白がったのか、分かりません。

時計塔とスュロスベルク階段 リースルの鐘塔はさらに高い場所です。時計塔から上りの坂道がある。その途中に展望台があり、グラーツの市街が良く見えます。もちろん時計塔からの眺めも素晴らしいものですが、自由時間に少しだけ歩いてみました。
グラーツの旧市街は瓦屋根が多い。しかし地中海諸国によくある明るいオレンジ色ではなく、くすんだ茶色でした。所々に教会の尖塔がみえる。両岸に木々が豊かに育っているムーア川や奇妙な屋根をもつ現代建築のクンスト・ハウス(2003年建立)が印象的でした。これはヨアネウム州立博物館に所属する美術館で特別展が随時あるようです。

16:55 この頃に集合となり、人数を確認してから近くのスュロスベルク階段に行く。急な260段の石段です。5分もかからず下のスュロスベルク広場に降りました。旧市街の散策や時計塔までの上り坂道でかなり脚を使った後に、この階段です。両脚がガクガクしました。でも、歩いて降りて良かった。良い思い出です。
序ながら、この階段を上ると10〜15分程らしい。

17:10 そこからは電車道を通って出発点のハウプト広場まで戻った。昼食後に歩いた道です。広場で自由時間となった。集合場所はヨハン大公像の噴水前、時刻は17:45です。

ハウプト広場で自由時間:
約2時間40分(14:30-17:10)も旧市街観光でした。歩き続けで、さすが休みたくなりました。まだ写真のないヨハン大公像の撮影だけは忘れずに済ませておく。

ハウプト広場のヨハン大公像の噴水 ヨハン大公(1782-1859):
ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ(Erzherzog Johann Baptist von Osterreich、Archduke of Austria)は「アルプス王」とか「シュタイアマルクのプリンス」と呼ばれるが、レオポルド(女帝マリア・テレジアの3男)とマリア・ルドヴィカ(スペイン王女)の13番目の子としてフィレンツェに生まれた。貴族社会よりも山好きの大公でした。
さらにヨハン大公は庶民的な人柄と民主主義的な思想を合せ持った活動家だった。シュタイヤマルク州の農業、鉱工業、林業を繁栄に導き、学校や病院の開設を進め、学問の推進者でもあった。1811年、グラーツに自然科学の研究と技術教育を目的としたヨアネウム(ラテン語でヨハン館)を設立した。これがレオーベン鉱業大学、グラーツ工科大学、州立ヨアネウム博物館、図書館などに分化し発展しています。この時代に活発になった産業教育や社会福祉の先覚者として遍く知られるようになった。
ヨハン大公は平民の娘アンナ・プロッフル(22才年下)との恋を貫き通したことでも知られる。15才のアンナと知りあって10年後の1829年、皇帝の許可の下に年齢差と身分差を乗り越えて結婚した。 当時のヨーロッパの王侯貴族にとっては驚愕の極み、同時に民衆は拍手喝采を贈ったとされます。王子1人をもうけました。ヨハン大公は1859年(享年77才)に、アンナは1885年に逝去され、南チロルのシェーナに2人揃って埋葬されています。時代を先取りした偉大な人物としてグラーツの中央広場にヨハン大公像の噴水が作られました。
[参考サイト]
グラーツとハプスブルク家
ウィキペディア → ヨハン大公

それから広場の屋台でオレンジ2個(E3.20)を買った。美味しそうでもなかったが、他に買える場所が分からなかった。
17:20 ヘレン通りを横切った所の小路に入り、アイスクリーム屋でバニラ・コーン2個(E1.80)を買った。ツアーの幾人かは食べながら散歩しているが、我々は道の中央に並んだテーブルを借りて休みました。脚がかなり疲れてました。
スズメが飛んできて、何か食物を探している。アイスクリーム・コーンの小片を投げてやったら喜んで食べる。そして「もう一回!」といった顔で見上げたりする。何度か繰り返したら満足して何処かに飛んでいった。 「われときて、あそべやおやの、ないすずめ」 小林一茶の心境には程遠いとしても、一時の退屈しのぎになりました。

17:30 テーブルを離れ、ハウプト広場のヨハン大公像まで戻り始める。
未だ誰もいないので、ヘレン通りでウィンドウ・ショッピングのブラブラ歩きで時間をつぶした。
トイレに行きたくなり、ヘレン通りの大きなレストランに入ってレジの男性に使用の可否を訊ねた。”OK”だったので、その場でチップの1ユーロをレジに置く。直ぐ”Thank you.”が返ってきた。実はレストランの公衆トイレ扱いはルール違反とされ、止むを得ない時はコーヒーとかアイスクリームなど何か買ってトイレを利用すればよいのです。それが難しいなら、チップをはずめば済むことでしょう・・・。断られて、元々・・・。
17:45 ヨハン大公像の噴水前に集合、人数の確認後に電車の走るヘレン通りを横切って夕食のレストランに向かった。グロッケンシュピール広場の仕掛け時計の隣の建物だった。現地ガイドさんはレストランまで案内してから別れました。”Danke schon.”

夕食(旧市街・グロッケンシュピール広場のレストラン): ○○○
レストランの建物と入口 レストラン名が書かれた天幕が入口にある。
メモはなく、食事の写真すら真っ当に撮れていない。時差が未だとれず、加えて観光の疲労も激しすぎたと思います。
かなり遅れた感じですが、添さんは店内に入ると直ぐ「水を沢山飲むとお腹を壊します」と食事前の注意をした。多分、テーブルの水など現地の生水を飲んだ誰かがお腹を壊して相談したのでしょう。
飲物はビール(E2.40)を頼んだ。2人でシェアーです。食事はスープ、マスの唐揚げ、デザートはチーズケーキでした。
スープは塩味が強すぎ、人によってはたし湯して飲んでいました。さらに、メーンデッシュにポテトが付いているのでパンはない。これはドイツ語圏の経験として時々あることです。結果論ですが、帰国後の体重は約3Kgオーバーだったので、食事の量として不足ではないのです。

19:09 レストランから広場に出た。
往路と逆に電車道を歩き、スュロスベルク広場の前を通り過ぎ、バスの待つケーブルカー乗場近くまで戻りました。
19:20 この頃、バスに乗車、直ぐに人数確認です。
19:25 出発、ホテルに向かいました。

コートヤード・マリオット・ホテル
               (Courtyard Marriott Hotel): ○○○

コートヤード・マリオット・ホテル 19:55 コートヤード・ホテルに到着。スーツケースを受取り、各自でロビーに運びました。暫くは部屋の割当を待った。このホテルもフロントは E 階、階上が1階、2階、・・・となる。添さんの部屋は124、内線はその番号でつながる。

明朝の予定:  ウェイクアップ・コール(06:00)/朝食(06:30-)/スーツケース持ってロビー集合(07:10)/出発(07:30)
朝食レストランは E 階になある。

かなりの疲労だったらしく、部屋番号の記録すらありません。たしか2階の廊下の中程だったと思います。キーを受取り次第、各自スーツケースを引いてエレベーターに乗った。
20:05 入室。
直ぐに部屋の写真だけは忘れずに撮っておいた。
ダブルベッドが2つのツインです。広さと清潔度は十分といえます。旅行会社はスタンダードといっているが、4つ星に分類したホテル予約サイトもあり、快適なホテルでした。

体の不調:  観光1日目の旧市街歩きは珍しく体にこたえました。万歩計で計測した人は「今日は2万歩以上」と云っていた。10年前だったが、右股関節に痛みが発生し、その後の数年は投薬の治療と検査を受けました。今でも時々右股関節から右膝までの具合が悪くなるが、通常の生活なら忘れて過ごせるのです。ところが、部屋で寛ぎ緊張感が取れたら、急に腰から下の右足の痛みがひどくなり、引きづッて歩く状態になった。海外旅行中にこんな激しい痛みは初めてと思いますが、右半身が痛くて動かせない、とも云えるものでした。シャワーもバスタブの底に尻を置いてやっとなんとか体が洗えるしまつ・・・。
脚の弱いワイフも疲労感と脚の痛みは似たようなものだったようです。
他にも体の異常があり、鏡に映った自分の顔を見て驚きました。両側の下まぶたに大きく赤い円形の斑点ができている。よく見ると額の数カ所も赤く変色しているのです。日焼けではありません。何時できたか分からず、「こんな顔で外を歩いていた」と思うと恥ずかしくなりました。シャワーの後に市販の家庭用軟膏(オロナイン)を塗っておきました。効用は分からず、マジナイ程度です。しかし、他に何の方法もありません。

幸い、病院で処方された痛み止め(ロキソプロフェン/ロキソニン)を十分に持ってきた。夜のスナックとして和菓子を食べ、それから定量の痛み止め(1錠)と市販の胃薬を服用した。普段はこれで右足の痛みは和らぎます。早々に横になりました。
ところが、痛みは全く治まらず、とても眠れたものではない。非常事態です。止む無く、再度、痛め止めと胃薬を飲みました。合せて通常の倍です。それで、やっと効いてくれました。

明日は5時に目覚しをセットした。体調が元に戻ることを祈るだけです。

ホテルはグラーツ国際空港の西側にあり、ピュールン・アウトバーン(高速道路)とターラーホーフ通りの角で高速道路を降りると直ぐです。このエリアは実は2度目でした。
空港の西側でホテル北側に小さなシュヴィルツル湖があり、その周辺は別荘風の住居が囲んでいる。さならる北側は麦畑だったと記憶している。
昨年6月のバルカン4カ国旅行はグラーツ国際空港から帰国でした。空港到着の直前のこと、バスは奇妙なことにシュヴィルツル湖の北側の麦畑に迷い込み、事も有ろうに「ガス欠」で立ち往生してしまった。搭乗機の出発時刻は刻々と迫るし、救援のガソリンはなかなか届かないし、随分とアセッタものです。
今となれば単なる思い出、珍事も旅の一部と笑えますが・・・。
今回の旅行でグラーツのイメージはリセットされ、かなり良くなりました。

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