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オーストリア、周遊の旅 (2010/5/28)
ザルツブルク旧市街、ザルツカンマーグート
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ザルツァッハ川とザルツブルク旧市街 ■ホテル、出発まで
★ザルツブルク、新市街(世界遺産)
★ザルツブルク、旧市街(世界遺産)
○昼食(旧市街)
□バス移動(→ザルツカンマーグート)
★ハルシュタット(世界遺産)
●ザンクト・ヴォルフガング
○夕食(シュティフツケラー・ザンクト・ペーター)
■ホテル・オーストリア・トレンド(2泊目)


ホテル出発まで:
ザルツブルク(1) 
Salzburg

古都ザルツブルクはザルツブルク州の州都、現在の人口は約15万人、夏のザルツブルク音楽祭やヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトの生誕地(1756年)として世界的に知られ、中世を今日に伝える観光の街として賑わい、東5Kmに空港もある。
ザルツブルクの歴史は古く、798年に大司教座が置かれました。その後は政治と文化の両面でローマ法王庁との関係が強く、「北のローマ」とか「北のフィレンツェ」とも呼ばれ、大司教が領主を兼任する教会国家が約千年も続いたという。商工業者の定住も早く、996年には市場開設権や貨幣鋳造権をも獲得したとされます。
標高425mのザルツブルクの中央にザルツァッハ川(ドナウ川支流)があり市街地を2分している。南西域(左岸)が旧市街で大聖堂やレジデンツ広場、モーツアルト生家、標高542mの山上にホーエンザルツブルク城などがある。川の北東域(右岸)が新市街で中央駅やミラベル宮殿やミラベル庭園、モーツアルトの住居などがある。
ザルツブルクの意味は「塩の城」、昔から岩塩の産地として栄えました。修道院の一部だったらしいが、ヨーロッパ最古のレストラン(創業803年)というシュティフツケラーも現存しています。モーツアルトの生誕地にちなみモーツァルテウム音楽学校が名高い。さらに名指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989年)の生誕地でもあります。ブロードウェーのミュージカルを映画化した「サウンド・オブ・ミュージック(1965年)」の舞台としても良く知られている。
ザルツブルク市街の歴史地区は1996年に世界文化遺産に登録されました。
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参考サイト:
オーストリア観光局ザルツブルク
ザルツブルク市観光局(英語)
Yahoo!百科事典 →ザルツブルク
Wikipedia→サウンド・オブ・ミュージック
05:00 目覚しで起床。1度だけ目覚めたが全体として熟睡でした。
06:10 部屋を出る。レストランには早すぎるのでホテルの外に出て、何枚か写真を撮ったりして過ごす。今日は良く晴れている。
ロビーの螺旋階段を使ってE階から1階に上がった。
06:20 レストランに入る。明るい感じ、大きな丸テーブルが並んでいた。
何時ものようにオレンジジュースで始まり、パンにバターとジャムをたっぷりつけ、ハムなど皿に取ったものを楽しみました。果物とヨーグルトのデザートもたっぷり、最後に甘いコーヒーを2杯です。
06:55 タワー3の自室に戻った。驚いたことにドアーが少し開いている。施錠したつもりだったが、かかっていなかった。部屋に誰か入った様子はなく、何よりでした。後進国のホテルなら危ないところです。
通常の処方薬に加えて痛み止め1錠をのんでおいた。午前はザルツブルクの新市街と旧市街、午後にはザルッカンマーグルトで徒歩観光です。
07:45 部屋を出てから施錠の確認は十分にした。2連泊なのでスーツケースはそのままです。
キーはフロントに預け、ロビーで集合、添さんの点呼を済ませた。
07:55 ロビーからバスに行き、乗車。今日は後ろから4番目の席にする。

ホテルから新市街 :
08:00 出発。
今日は良く知られた観光地の徒歩観光です。添さんから、「スリには十分に注意のこと」と云われた。カッターでバッグの底を切って盗ることもあるらしい。オーストリア全体は安全で心配のない国ですが、観光地にはどんな人間がいるのか分かりません。用心。
車窓からはプラタナス、アカシア、マロニエなどが見えました。
昨日も書きましたが、ザルツブルクは雨が多く、植物が良く育ち緑豊かと云われます。
08:20 この頃に新市街の一角で降車した。
昨日の夕食前後も新市街と旧市街を歩き、外観だけながら主な観光ポイントの多くを見ました。その時の写真集は前日ページにありますが、今日の写真ページ(以下)でリンクしているので、共にご覧ください。
午後はザルツブルクから離れますが、夕食はザルツブルク旧市街の有名レストランです。それで3回も旧市街に出入りし、旅行記としては構成が難しい面がありました。


ザルツブルク新市街(世界遺産)徒歩観光 :
ザルツブルク(2) 
Salzburg 

ザルツブルクの意味は「塩の城」、先史時代から岩塩の取引で栄えた。今ではカトリックとモーツアルトとサウンド・オブ・ミュージックの街として知られている。
概要: ウィーンの西300Kmに位置し、人口は約15万人、ザルツブルク州の州都。東西に長いオーストリアのほぼ中心にあり、東に湖水地方、南に広大な東アルプス山岳地帯をもつ観光の中心地でもある。加えて、南北に走る国境線でドイツ・バイエルン州と西側で接している。ほぼ南に約20Kmのドイツ領にはベルヒテスガーデン(Berchtesgaden)があり、第2次大戦中までナチス党が保養地を持ち、ヒットラーの別荘もあった。ザルツブルクは風光明美な土地に囲まれている。
カトリック: 700年頃に聖ペテロ教会が設立され、798年に大司教座となってから、ザルツブルクは政治的・文化的にローマ法王庁との関係が取分け深かったことから「北のローマ」とも呼ばれました。宗教が政治を兼ね、大司教が領主や大公のような実権を持った時代が長くつづいた。ディートリヒやシティクスなど有力な大司教によって今日のザルツブルクが築かれたところから「北のフィレンツェ」と呼ぶこともある。
モーツアルト: 1756年にモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)がザルツブルクのゲトライデ通りで誕生、マカルト広場への転居を含めて25歳まで住んでいた。それ故にウィーンと並ぶ音楽のメッカとなっている。1914年に設立された財団モーツアルテウムは音楽院、管弦楽団、コンサートホールなどを持っている。名称の由来は自明です。空港まで「ザルツブルク・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト空港」です。ザルツブルク音楽祭が行われる夏にはホテルの料金は2倍になりモーツァルトの生家があるゲトライデ通りは凄い混雑となる、という。チョコレートまでモーツアルト様・・・。
サウンド・オブ・ミュージック: この1965年制作のハリウッド・ミュージカルはロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース(マリア役)とクリストファー・プラマー(トラップ大佐)が主演、他に7人の子供たち。 ザルツブルクとザルツカンマーグートでロケした大作で大ヒットしました。映画のロケ地がそのまま観光の名所になっている。商売、商売、・・・。
世界文化遺産: ザルツブルク市街の歴史地区は1996年に文化遺産として登録されました。
旅行前に観たレンタルDVD、2泊3日で80円、TSUTAYA
参考文献: Ref.01、Ref.02
参考サイト:
オーストリア観光局ザルツブルク
ザルツブルク市観光局(英語)
ウィキペディア → ザルツブルク
Yahoo!百科事典 →ザルツブルク
Wikipedia→サウンド・オブ・ミュージック
08:30 中年男性の現地ガイドさんが合流し、観光開始となりました。数分でミラベル庭園の宮殿寄りの入口でした。

ミラベル宮殿と庭園(Mirabell) : ミラベル庭園
ミラベル庭園と宮殿(現・市役所関連施設)
ミラベル宮殿は大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人サロメ・アルトのために1606年に建築、1721〜27年にバロック様式で改築されました。しかし、1818年の大火で焼失し、現在の建物は再建されたものになる。市役所の設備として利用されているが、焼失しなかった大理石の間(Marmor Saal)はコンサートや催し物の会場として使われ、催事がなければ見学できるようです。
ツアーは庭園のみの拝見でした。

08:32 外門を入ると小さな丸い池(泉?)があり、その後ろに高い石塀と立派な中門がある。一方の門柱には藤が絡み、今は薄紫の花が満開でした。自分の記憶にある限り、欧州で藤の花を見るのは2002年3月のフィレンツェが初めて、ここが2度目です。藤の原種は幾つかあって、日本、北アメリカ、東アジアが原産地とされるが、欧米の庭園はアメリカ・フジが多いらしい。

08:35 その門からミラベル庭園の北側、宮殿の横に行く。13段ていど(?)の石段を登ると「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」と彫られた大きな赤っぽい石板(プレート)が白っぽい石塀に付けられている。皇帝 Franz Joseph I.(1830.8.18〜1916.11.21)は68年の長きに渡りオーストリア帝国とオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝、そしてハンガリー国王だった。プレート前の門柱の間からミラベル庭園、旧市街と大聖堂、丘の上のホーエンザルツブルク城が重なり一望にできる。たったの十数段ながら確かに良い展望台でした。上の宮殿写真では建物の左側奥になる。

ここの石段はサウンド・オブ・ミュージックのロケ地になった。日本のガイドブックでは「ドレミの階段」などと呼んでいる。他にもロケに使用されたというペガサスの池やバラのトンネルなどがあり、ここからも見えるのです。もちろん、あとで近くまで行ってみましたが・・・。

花壇を楽しんだり、彫刻を眺めたり、好天気に恵まれて気持ち良い庭園散策を楽しみました。出口の辺りは小型の彫刻類が多く並んでいた
08:50 左右の門柱の上、夫々に男性の力強い彫刻がある門から庭園を後にしました。ここはマカルト広場に近いところです。

マカルト広場(Makartplatz) : マカルト広場
昨日の夕刻はマカルト広場に面するモーツアルトの家(再建)を見れたが、今日は指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-89年)の生家の写真が撮れました。広場側の壁にプレートが付けられ、玄関前には銅像があった。その後ろには紫の石楠花が満開でした。

ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家と銅像 趣味で時にはクラッシックを楽しむ。オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレのベートーヴェン交響曲全集(1984年/\19800)をCDで聴いていた。癖の少ない標準的な演奏に思えます。ところが、高名なカラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーのベートーヴェン交響曲全集(1970年代・収録/好評)は持っていなかった。カラヤンは生涯で4度もベートーヴェン交響曲全集を収録(1950・1960・1970・1980年代)した天才指揮者です。帰国後、訪日したベルリン・オルケストラの第5を聴く機会があり、それを契機にカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーのCD(6枚組/\9175)をオンライン購入した。交響曲に加えて多くの序曲が収録されており楽しめます。音が良いはずの1980年代収録版はインターネット上で見つけれなかった。それで1970年版になった。値段的にはCDを盛んに購入していた1990年前後からは随分と安くなりました。

マカルト広場のモーツアルトの住居(復元)、昨日夕刻に撮影 08:55 ゲトライデガッセの家に住んでいたモーツアルト一家は1773年にマカルト広場の家に移り住み、1787年までの14年間を過ごした。この家の時代に一家は3年間(1763〜66年)ドイツ、フランス、イギリス、オランダに旅行したという。当時としては破格の大旅行です。さらに、モーツアルトは別のドイツ旅行やイタリア旅行すら経験した。1777年には仕事を求めて母とパリに行き、母は病死、1人で戻った。父の取りなしで大司教の下に務めるが、1781年にモーツアルトは大司教と口論の末にザルツブルクを離れてウィーンに行く。これ以後、モーツアルトは亡くなるまで貧乏に苦しんだとされる。

モーツアルトは音楽の大天才、全曲に精通したら有数の音楽研究者ということでしょう。交響曲だけで41曲もある。8才(1764年)に交響曲第1番、32才(1788年)に第41番を書きあげた。交響曲とはいえ始めのころは小規模で短いもののようです。後半のものには「ハフナー」、「リンツ」、「プラハ」、40番ト短調、「ジュピター」など親しまれた交響曲も多い。カール・ベーム指揮ベルリン・フィル演奏やマリナー指揮とかホグウッド指揮などの全集が出版されたが、モーツアルト交響曲全集は持っていない。下の写真(右)を除きバラバラのCDです。何故か自分でも分からないが、200年祭で出版された大きなモーツアルト作品集(CD22枚)は購入しラックにドンと置いてある。でも、あまり聴かない。クーベリック指揮のモーツァルト後期6大交響曲のCDは今も時々気軽に楽しむが・・・。演奏はバイエルン放送交響楽団ですが、バイエルンはドイツながらザルツブルクのすぐ隣の州なのです。
大天才の曲は小品から歌劇の大作や絶筆のレクイエムまでいろいろ楽しめます・・・。

カラヤン指揮ベートーヴェン作曲「交響曲全集」1970年版 「モーツアルトの生涯(CD22枚組)」モーツアルト200年祭、1991年5月出版 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団「モーツァルト後期6大交響曲」、1986年出版

州立オペラ劇場、その奥の科学者ドップラーの生家などの説明をガイドさんから聞き、外観をチラッと見て先に進んだ。

ザルツァッハ川(Salzach) : 
この川はザルツブルク市の中央を流れ、市街地を分断している。ミラベル庭園のある新市街と世界遺産の旧市街もこの川で隔たっているのです。
08:58 昨夕と同じく歩行者専用のマカルト小橋で新市街から旧市街に行きましたが、今日は晴で気持ちの良い散歩です。景色も一際さえて見える。

ザルツブルク旧市街(世界遺産)徒歩観光 :  ザルツブルク旧市街
モーツアルトの生家(Mozarts Geburtshaus) : 
モーツアルトの生家(ゲトライデガッセ) 09:08 ゲトライデガッセのモーツアルト生家前の広場に到着です。
09:12 この頃、モーツアルト生家の中に入った。内部の写真撮影は禁止でした。
モーツアルトの父親レオポルドは恵まれた宮廷音楽家(ヴァイオリン奏者)とは云え、この家を所有し全部使っていた訳ではない。王侯貴族の館にあらず質素なものです。確か3階(日本の4階)まで階段を上がった。
すると30畳相当という広い板の間があり、そこは台所や居間だった。8枚だったと思うがモーツアルト家の肖像画が壁に飾られ、ストーブや生活用品なども展示してあった。
09:25 モーツアルトが生まれた部屋をみる。6才の時のヴァイオリンが飾ってあった。他にも手紙類、髪毛、指輪、ボタンなども展示されている。
モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は1756年1月27日に生れた。正式名は「ヨハネス・クリュソストム・ヴォルフガングス・モーツアルト」という[Ref.07a、p.76]。ここに7才まで住んだ。
09:28 次の部屋に進む。

モーツアルトはウィーンに移り住んだ後、26才(1782年)で大作曲家ウエーバーの叔父の末娘コンスタンツェと結婚し(実はこの人の姉がかなわぬ初恋の人)、シュテファン寺院で挙式した。そして6人の子供をもうけた。コンスタンツェは天才音楽家の妻として上手く切り盛りするタイプの女性ではなかったらしい。当初はともかく、モーツアルトは次第に極端な困窮に陥り、リューマチなどもあり、未完のレクイエムを残して35才の若さで他界した。死因は分からない。葬儀はシュテファン寺院だったが、貧しきモーツアルトの葬式は最小限の形式だった、とされる。
妻コンスタンツェは悲嘆のあまり葬儀も埋葬にも出席せず、没後17年にして初めて共同墓地を訪ねたらしい。既に誰もモーツアルトの埋葬場所を知らなかった。それで今も謎のままになっている・・・。
コンスタンツェはデンマークの外交官ニッセン(Georg Nikolaus Nissen、1761‐1826)と再婚した。モーツアルトの遺品の整理に関する貢献が多大だったとされる。

ついでながら、モーツァルトの作品には作品番号(op./Opus)がない。代わりにオーストリアのモーツアルト研究家ケッヘル(Ludwig von Kochel、1800-77) が1862年に発表した「モーツァルト全作品目録」のケッヘル番号(Kochel's Number)が全作品(K.1〜K.626)に付けられている。現在のケッヘル番号はその第6版(1964年)。余談ながら、第3版は相対性理論のA.アインシュタイン(ノーベル物理学者)が修正したもの、という。[Ref.04、他]

真っ当な話から眉つば的な話になる。当時のウィーン楽壇で認められたイタリア人サリエリは1788年から宮廷楽長に就任、1825年に没するまで栄光ある生涯を送った。ところが、1787年に皇王室宮廷作曲家に任ぜられたモーツアルトは赤貧洗うが如し、経済的困窮の中で1792年に没した。この相違がモーツアルト毒殺説を生んだ、とされる。ロシアの大詩人プ―シキンは詩劇「モーツァルトとサリエリ」(1898年)を発表、その中でサリエリを一方的に悪者に仕立て上げモーツアルトを毒殺したことにする。おまけに、この詩劇をもとにリムスキー・コルサコフは2幕の歌劇まで作曲した。[Ref.07c,pp.80-81]
モーツアルトのマウスパッド ロシアはゲルマン音楽に恨みでもあるのでしょうか? もしくは、ロシア好みのストーリーかも知れません。

見学も終りに近付き、売店で記念品のマウスパッド4枚(@E9.90)、Tシャツ1枚(E19.90)、子供用ブロック(E6.95)を購入した。今、このマウスパッドを使っているが、以前の景品のマウスパッドと比較するとポインターが実にスムースに動き、使い易い。サイズは通常より大きいが直ぐに慣れる。上げたPC愛好家には喜んでもらえました。

09:45 生家の内部見学を終えて広場に戻る。
細い道を通り、大学広場(Universitasplatz)に出る。ここはモーツアルト生家の裏側になるが、表と違い地味な塗装になっていた。
広場にはテントの屋台が沢山ならび、青空市場になっている。
ここから大学校舎とメンヒスベルク丘(Monchsberg)の間にある祝祭劇場に移動した。

祝祭劇場(ザルツブルク音楽祭・主会場/Festsplelhauser) : 
祝祭劇場 10:00 ザルツブルク音楽祭(Solzburger Festspiele)の主会場前の広場に到着、数台の馬車が客待ちしていた。
ここはメンヒスベルク丘の岩盤を巧みに利用した音楽堂の複合体とされる。大祝祭劇場(Grosses Festspielhaus)は2400人収容で音響効果が良いとされ、1960年にカラヤン指揮、リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」でこけら落しだった。モーツアルトのための劇場(Haus fur Mozart/旧・小劇場)は1320人、フェルゼンライトシューレ劇場は岩盤をくり抜いてつくられたユニークなもの、そもそもは大司教の騎兵学校や厩舎だった。
しばし外見のみ拝見して後にする。

序ながら、ウィーンと並ぶ音楽の街ザルツブルクには多くの音楽関連の催しがある。ザルツブルク音楽祭は毎年7月下旬から8月下旬に行われるが、ウィーン・フィルハーモニーの公演もあり、一種独特な混雑になるそうです。伝統的なドレス・コードを守る人達も多いとも云われる。
他にも、モーツアルト週間(モーツアルト生誕日を含む1週間)やイースター音楽祭、聖霊降臨節音楽祭、ザルツブルク芸術週間、宮廷コンサート、等々。

ザンクト・ペーター教会(St. Petersstiftskirche) : 
ザンクト・ペーター教会、レストランは右コーナー 祝祭劇場の横にはメンヒスベルク丘の岩盤をくり抜いて作った大駐車場がある。その入口の上にはニッチがあり、如何にも宗教施設を思わせる彩色の女人像があった。これは、単なる飾り。ザルツブルクは多雨と云いますが、長きに渡りむき出しの岩盤は実にしっかりしているようでした。
そこから建物を潜り抜けると、ザルツブルク発祥の地というザンクト・ペーター教会とその鐘楼が見える。聖ルベルトが696年に開いたオーストリア最古のベネディクト派の僧院だった。付属のザンクト・ペーター教会は12世紀にゴシック様式で改築されている。
この教会には岩盤を掘った初期キリスト教徒のカタコンベ(Katakomben/地下墓地)があり、ガイドツアーがある。私はカタコンベと聞くだけで鼻に妙な臭いが充満する・・・。
鐘楼近くの角には有名な修道院のレストラン「シュティフツケラー」があった。ザルツブルクのみならずオーストリアは「創業803年、世界一古いレストラン」として売り込んでいる。しかし、ギネス掲載には今一歩、どうやらレストランの定義問題があるらしいのですが・・・? 今日はそこで夕食をする。
建物の間をクネクネと歩くと、大聖堂広場に出た。

ザルツブルク大聖堂(Dom) : 
大聖堂広場とマリア像と聖堂ファサード、逆光でした 10:17 大聖堂広場の中心には聖母マリア像がある。
10:30 その傍を通って大聖堂の入口から中に入りました。気になり、守衛に写真撮影の可否を訊ねたらOKでした。
正面の祭壇部分は上部のドームから光が差し込み、礼拝堂の椅子席より一際明るくなっている。本陣は赤い大理石で作られ、正面中央にキリストの大きな祭壇画(油彩)がある。欧州の大聖堂の祭壇とは何かしら違った雰囲気と思います。

創建は774年、実に古い大聖堂の1つで大司教(Archbishop)座が置かれています。現在の建物は初期バロック様式とされ、身廊は101m、左右対称の鐘楼は高さ80m、パイプオルガンはヨーロッパ最大級で6000本ものパイプが使用されている。入口上部のみならず、主祭壇の両側の柱にも多くのパイプが付けられていた。他の場所にも設置されているかも知れません。このような礼拝堂の中央でオルガン曲を聴くと凄いでしょうね。
この大聖堂でモーツァルトが洗礼を受け、1779年からオルガン奏者をも務めました。ザルツブルク出身の指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの葬儀はここで営まれたそうです。
隣には宝物館があり、大聖堂の宝物と大司教の収集品が展示されている。

レジデンツ広場(Residenzplatz)とモーツアルト広場(Mozartplatz): 
レジデンツ広場、アトラス神の噴水、グロッケンシュピール 10:41 大聖堂からレジデンツ広場にでる。背後は広場西側で、歴代の大司教が居住したレジデンツ(宮殿)がある。現在はザルツブルク州立博物館になっている。
広場中央にはアトラス神の噴水があり、その後方には新宮殿(州庁舎)と35個の鐘を持つ鐘楼が見えた。そこにグロッケンシュピール(Glockenspiel)とよばれるカリヨンがあり、つまり鐘楼に演奏用の組鐘が設置されている。1695年に大司教がカリヨン発祥地とされるベルギーのアントワープから取り寄せた組鐘と云われ、今でも日に3回モーツアルトの曲を演奏するそうです。

ギフト用9個入り 自宅用の袋入り FURST(コンフェクショナリー): グロッケンシュピールの建物の北側にモーツァルト広場がある。そこまで行くのだが、その前に街中に入った。
10:53 昨日の散策で教えてもらった FURST というチョコレート屋に寄りました。大きな店ではありません。モーツアルトのチョコは赤い包みが普通ですが、ここのは銀色にブルーの包です。昨夕に添さんの情報が入っていたので多くの人達が購入しています。ワイフは箱入りを土産用に買っていたので、自宅用に袋入りを2つ加えてもらった。自宅で賞味したら、日本では珍しいチョコレートの味と思うし、好みには個人差もあるでしょうが、大きくて美味しいことは間違いと思います。オススメ。
グロッケンシュピール近くのモーツアルト像 値段は6個入り筒(E7.10)で9個入り箱(E11.00)でした。チョコ1個に付き約140円程度、ユーロ相場に依るが・・・。細かな計算をすると6個入りの方が単価は僅かに安い。
FURSTを出てからレストランやカフェテラスのテーブルが置かれた石畳を歩いてレジデント広場を通り過ぎる。

モーツアルト広場: 11:22 レジデンツ広場から曲っただけのモーツアルト広場に入り、その中央にあるモーツアルト像の前で写真です。昨日は夕方で逆光だったので銅像が上手く撮れなかったが、今日は何とか見れる写真でした。
この広場は17世紀に作られたが、モーツァルト像は没後50年を記念して1842年に建立されたもの。
ザルツブルク旧市街の観光はこれで終りとなりました。現地ガイドさんのコースでは昨夕に寄ったザルツァッハ川にかかる歩行者専用の鉄橋モーツアルト小橋(サウンド・オブ・ミュージックのロケ地)には行かなかった。昨夕に見ておいて良かったと思う。

一度、ゲトライデガッセのモーツアルト生家まで戻り、そこで11:50まで自由行動でした。
しばらくザルツァッハ川に沿って散歩、その後は再びゲトライデガッセに戻った。昼食レストランは集合場所から少し引込んだ場所でした。

昼食(旧市街の中華レストラン・YUEN) : 中華レストラン
中華レストラン・YUENの入口 11:56 中世の細い道をクネクネと歩き、中華レストランに到着。小広場から階段で玄関に行く作りだった。中国風に赤提灯2つ下がっている。
1階(日本流2階)の明るいレストランでした。中華だったのでお茶ですませ、飲物は注文しなかった。
スープから始まり、いろいろと皿で出てくる通常の中華です。全部で8種類、可もなく不可もなく、無難な昼食でした。
12:39 我々は中華レストランを出る。 前の小広場で遅れて出てくる人達を待った。トイレが小さいので時間がかかった。添さんの人数の確認がある。
12:50 旧市街から新市街まで歩きです。
12:54 ザルツァッハ川の橋を渡り、マカルト広場を通ってバスまで行く。
13:00 この頃バスに乗車でした。
ザルツブルクを離れ、ザルツカンマーグートまでドライブです。

バス移動(→ザルツカンマーグート):
ザンクト・キルヘンの教会とヴォルフガング湖と山並み 13:05 出発。
ザルツブルクの市街地を離れ、東側にあるザルツカンマーグートの湖水地方に向かった。ハルシュタットまで約87Kmで1時間半ていどです。途中でメイポールを見た。
13:30 フシュール湖(Fuschlsee)の近くを走る。
13:37 ヴォルフガング湖(Wolfgangsee)の北西端に位置するザンクト・キルゲン(St.Gilgen)を通過した。険しい山並みと湖、教会の尖塔のある町の風景はきれいなものでした。ここはモーツアルトの母親の生誕地、その生家はモーツアルト・ハウスとして保存されている。姉のナンネルは母親の出身地ザンクト・キルゲンに嫁いだので、その資料等が展示されているそうです。

『モーツアルトの父親は宮廷音楽家(ヴァイオリン)で南ドイツの町アウクスブルクに生れた。家系からは建築師、彫像師、造本装丁師などマイスター (Meister) を輩出していた。レオポルトはザンクト・キルゲン出身の妻マリア・アンナと結婚、子供7人が生れたが末子のウォルフガング・アマデウスと三女のマリア・アンナ(通称ナンネル)だけが夭折を免れた。』[出典 Ref.04→モーツアルト、文章変更]

ヴォルフガング湖を離れると、しばらくは山中の道を行く。
13:52 またメイポールを見る。この地域では盛んなようでした。
ハルシュタット湖(Hallstatter See)の西側を南にひたすら走る。

ハルシュタット(世界遺産/Hallstatt) : ハルシュタット
ハルシュタット湖とハルシュタットの街並み ザルツカンマーグート(世界遺産)
Salzkammergut

ザルツブルグの東から南東に広がるザルツカンマーグートはオーバーエスターライヒ州に属し、東アルプスの2000m級の山々や70以上の氷河湖がある風光明美な湖水地帯、オーストリアを代表する景勝地とされ、世界遺産のハルシュタットやダッハシュタイン山塊があります。湖や町の標高は500〜800mになる。サウンド・オブ・ミュージックの舞台としても知られている。
ここは豊富な岩塩が採れ、「塩の宝庫/塩の御料地」なる意味の地名ザルツカンマーグートになった。昔は塩が非常に高価だったので、ハプスブルグ家はここを直轄領として帝国の財政を支えてきたのです。
ハルシュタット(Hallstatt/ユネスコ世界遺産)は人口2000人足らずの小さな町です。近くで岩塩が採れたので先史時代から重要な商業の中心地でした。紀元前10〜前6世紀にはヨーロッパ初期鉄器時代を代表するハルシュタット文化がここで栄えた。 古代ハルシュタットに関しては博物館があり、町の近くの岩塩抗ではガイド・ツアーもある。
サンクト・ヴォルフガング(St. Wolfgangsee)はヴォルフガング湖畔の景勝地にある町、ここはイタリア劇作家の原作に新たに脚本や作曲を加えたオペレッタ「白馬亭にて」で古くから知られているらしい。ホテル白馬亭は現存する。メルヘンのような民家が並ぶ町の中心に15世紀の巡礼教会がある。1481年にミヒャエル・パッハーが制作したゴシック様式の中央祭壇が重要な文化財とされます。 アプト式山岳鉄道でシャーフベルク (Schafberg/1783m )に登れると、11の湖水、ダッハシュタイン、ホーエ・タウエルンなどアルプスの大パノラマが楽しめる。
ダッハシュタイン(Dachstein/ユネスコ世界遺産) ハルシュタットから東へ約6Kmのオーバートラウン(Obertraun)に、ザルツカンマーグートで最も高い展望台クリッペンシュタイン (Krippenstein/2100m)へ登るロープウェイ乗り場がある。この山から南に広がるダッハシュタイン(2995m)と連山のすばらしい眺望が楽しめる。 ロープウェイの第1中継駅で降り、登り約15分で氷穴がある。ダッハシュタインの氷河はヨーロッパ・アルプスの最東端の氷河です。
1997年に「ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」としてユネスコ世界遺産に登録されました。
参考サイト:
オーストリア観光局ザルツカンマーグート
ザルツカンマーグート地図
その他、百科事典など。
14:15 湖畔の駐車場に到着。ハルシュタットは人口2000人程度の小さな町です。
駐車場から町の方向に湖畔の道を行く。対岸は急峻な断崖が続く氷河湖が曲がって更に奥へと入っている。その曲がり角の近く、断崖の麓は深い緑の森だった。その中に大きな屋敷がみえる。貴族の館と云えるような形だった。
目を転じハルシュタットの街並みを見ると、浅い湾に沿って断崖との僅かな斜面に家々が密集している。小さな岬のように見える部分に教会の尖塔がとても目立った。氷河が作り出した垂直の崖が背景となり、絵のような風景に見えます。欲を言えば、青空で陽光に満ちていたら・・・。

14:19 これから湖に沿った直線路を行き、教会を通り過ぎて、ほぼ町が終る近くまで散歩です。その辺りからのハルシュタットの風景は一見に値するとか(上の写真)。
大体は固まって歩きましたが、迷う心配のない一本道の往復です。気軽に好きなように立ち止って楽しみながらの歩きでした。

途中にはハルシュタット博物館やマルクト広場、崖から落ちる滝、カトリック教会、そして沢山の小さなお店、いろいろありました。狭い道がさらに狭くなる場所もある。
14:32 上の写真に写っている教会に脱帽して入って見ました。正面に主祭壇、左に説教壇、右壁に十字架のキリスト像、礼拝堂は木造の長椅子が並ぶ、云わばフツーの田舎町の教会に思える。近くの山側にわざわざ「カトリック教会」と呼ぶ教会があるので、ここの宗派は分かりません。
左の山麓にそのカトリック教会があり、下の道を通り過ぎる。すると山側に伝統的な小さな木造の家が固まってあった。石段で登るが、薪もたっぷり蓄えている。観光用か?とも思ったが、人が住んでいる様子です。ハルシュタットの住宅は急斜面に建てられたものがとても多い。
14:36 道は右に緩くカーブし、確か下りになる。湖側に建物はなくなり、見晴らしが良くなった。そこが目的の場所でした。湖とハルシュタットの町並みと教会、そして氷河が磨きだした岩山が良くみえる。ウン、とても綺麗な風景でした。
対岸の町との連絡船でしょうか、小型の船がハルシュタットに到着です。
ここでワイフのコンデジがバッテリー切れとなり、本人はがっかり。予備は持っていない。
私は余分に何枚も撮って、ブラブラと店を見ながら戻りとなりました。

ハルシュタット産の岩塩 ハルシュタット産の岩塩、説明 途中の店でワイフはハルシュタット産の岩塩を幾つか購入していました。ここは今でも岩塩の採掘をしているらしいが、歴史的にも紀元前1000〜500年にケルト民族が定着し、岩塩を採っていた。ハルシュタットの”Hall”はケルト語で「塩」、”Statt”はドイツ語で「場所」を意味するそうです。ヨーロッパでは岩塩が大昔から珍重され、この地方の富の源泉だったのです。
エーデルワイスを沢山咲かせ、種を売っている店があった。持ち帰りたかったが、上手く育てれるか自信がなく、止めました。
15:05 駐車場に戻った。
15:07 人数を確認後、出発。
直ぐに車窓からケーブルカーの山頂駅が見えました。そこからさらに15分ほど山道を登ると塩坑の見学ができるらしい。

ハルシュタットからサンクト・ヴォルフガング : バス移動中の風景
単純に湖水地方の移動ですが、山岳風景が素晴らしいものでした。 それ以上は何もありません。写真集(数枚)をご覧ください。

ザンクト・ヴォルフガング(St. Wolfgang) : ザンクト・ヴォルフガング
赤い”ホテル白馬” 15:54 町の中心部の駐車場に到着。
まず添さんの案内で街中の下り道を行き、左の写真の赤い建物まで歩きました。これはホテルで「Hotel im Weissen Rossl/White Horse Inn」というが、1930年にベルリンで初演されたベナッキ(Ralph Benatzky)作オペレッタ「白馬亭にて(Im Weissen Rossl)」の舞台として”有名”とされます。筆者は作家もオペレッタも知らず、特別な感激は有りません。正直、無知・丸出しの「フゥーン?」でした。ここはオーストリアの Small Luxury Hotels 協会のメンバーホテル、Spa Hotel でもあり、1970年代から4つ星という。ホテルのサイトでは、500年も湖畔にある、としています。 が、ホテル前面の看板によると1550年かららしい。いずれにせよ、古い歴史ある宿屋のようです。
ホテル前で自由時間となり、16時55分にバスの駐車場で集合です。小さな町なので迷う心配はありません。

ホテル前の広場にはザンクト・ヴォルフガング教区教会(Pfarrkirche St. Wolfgang)という古い教会がある。12世紀以来、巡礼教会なのだそうです。
ホテルの横側から教会の入口に行き、中を拝見しました。大きくはない薄暗い礼拝堂でしたが、本物の田舎の重要な教会の雰囲気はありました。正面の主祭壇は個性的というか、彫り物(金属?)の周りに宗教画が左右2枚づつあった。祭壇画というより中心の彫り物が主にも思えますが・・・。オーストリアの彫刻家ミヒャエル・バッハーが10年かけて完成させた祭壇という。同じカトリック教会ながら、色々な形の主祭壇の形があるものです。また、パイプオルガンの下には大きな祭壇風のものがあり、生花が添えられている。信者の椅子はそれこそ古色蒼然たるもの、驚きでした。

ザンクト・ヴォルフガング製となっている岩塩(1) 教会の入口前は湖の展望台になっている。リゾートながら季節的に少し早すぎ、遊ぶ人達は少なかった。しばらくは風景を楽しみました。それからホテルの裏側の道をブラブラ歩き、パン屋で夜のお八つ用に菓子パンを買っておいた。店の自慢のものを買うと良いのでしょうが、分からない・・・。ゆっくりとバス乗場の集合場所に戻りました。
右の写真は実はハルシュタットで購入した僅かにピンク色の天然の岩塩(E2.90)ですが、ラベルを読むとザンクト・ヴォルフガングの会社になっている。それで、ここに掲載しました。

駐車場近くの地下の公衆トイレを利用、無料ですが綺麗で臭いも無かった。
16:57 バスに乗車。

ザンクト・ヴォルフガングからザルツブルク新市街まで: 
17:00 出発。ザルツブルクまで約47Kmです。
17:15 循環式ロープウエー乗場を通る。ゴンドラがカラフルなのは新鮮に思えた。
17:52 ザルツブルクの新市街に到着。直ぐに下車し、徒歩で旧市街に向かう。これで3回目。
18:09 ザンクト・ペーター教会の前まで来る。

シュティフツケラー・ザンクト・ペーター : シュティフツケラー・ザンクト・ペーター
シュティフツケラー・
ザンクト・ペーター
Stiftskeller St.Peter

4〜5世紀のザルツブルクに初期キリスト教の修道院ができたらしいが、そこが許可を得て余剰ワインの販売を始めた。それがシュティフツケラー・ザンクト・ペーターの始まりらしく、観光的には現存するヨーロッパ最古のレストラン(創業803年)と説明される。ザンクトペーター教会に隣接し、メンヒスベルク山の岩盤をくりぬいた岩肌を利用した場所もある。修道院が醸造したワインが名物、料理はヴィエナ・シュニッツェルやハンガリアン・グーラシュ(グーヤシュ)など。客席数は700程度らしい。
念のためながら、『特定の料理が客から注文され、この注文に従って調理するような食事を供する仕事としてのレストランは18世紀になってはじめて現れた。ギネス・ワールド・レコーズによると現存する最古のレストランはスペイン、マドリードのボティン(Sobrino de Botin)であり1725年に開業した。』 この記事はシュティフツケラーが創業803年を主張していることを併記しています。[参考サイト:次の2番目のサイト]
参考サイト:
Wikipedia→シュティフツケラー
Wikipedia→レストラン
ザンクト・ペーター教会の鐘楼の前を通り、角のレストラン入口から建物に入る。その入口上部には”seit 803”と書かれている。英語でいう”Since 803”です。随分と歴史を重ねたレストランです。

18:13 2階の部屋まで案内された。途中に幾つか部屋があったが客の入りは多かった。我々は総勢40名なので専用の部屋です。白い天井に白い陶器製のシャンデリアが下がっている。壁やカーテンは落ち着いた赤系でした。テーブルはクロスが白、椅子も白っぽいものです。
火の点った蜀台の他に、四角く赤い蝋燭に赤いバラが乗せて飾られていたり、明るく広いテーブルでした。各席に2枚を折り重ねたフォーマルにしてシンプルな メニュー が置いてある。
内容は、『 グリーン・サラダ、七面鳥とマッシュルームの煮込み(Ragout/ラグー)と温野菜付きヌードル、フルーツ・サラダ付きアイスクリーム 』
雰囲気は正式なレストランそのものです。観光地のこと、ドレスコードは適当で良いようです。

飲物は”修道院ワイン(@E2.30)”を2つ頼みました。今夜は1人1グラスづつです。大昔のこと、ここの修道院が余剰ワインを売り出したのがレストランの始まりにつながるという。由緒あるワインということですが、”由緒の味”が分かったかどうか?

頃合いを見計らってサラダ、メーンデッシュ、デザートの順に運ばれてきました。確か、パンもテーブルにあったと思いますが、記録がない。 夕食として十分に満足しました。
20:02 レストランの部屋を出る。
到着時には気付かなかったが、地上階もレストランの広いテーブル席があり、そこは壁の1面がメンヒスベルク丘の岩壁を掘って作られている。岩窟内にもテーブルがあり、部分的ながら岩窟レストランの雰囲気はありました。
20:05 ザンクト・ペーター教会前の広場を後にする。
ザルツブルク旧市街の歩きはこれが最後です。と云っても、もう写真撮影もせず、雰囲気を楽しみながらの戻りでした。

20:30 バスに乗車。
20:32 人数確認して、出発。

21:00 はっきりしないが、この頃にホテルには着いたはず・・・。  

ホテル・オーストリア・トレンド(2泊目) : Hotel
ホテル・オーストリアトレンド・ザルツブルク・ウェストの正面 ホテルに到着、フロントで鍵を受取り、各自の部屋に向かった。万歩計で歩数を計る人がいる。「今日は17000歩」と云っていた。もっと歩いたように思えますが、足の疲れはそれ程でもない。
今回は間違いなく部屋の鍵はかかっている。鍵穴にキーを差し込んで解錠して入り、直ぐ内側から鍵穴に差し込んで施錠した。やはりオートロックの方が便利です・・・。

夜はゆっくり休むのが仕事、シャワーに入り汗を流してから、ザンクト・ヴォルフガングで買った菓子パンの夜食を楽しんだ。高いものではないが、甘いものは疲れを癒してくれます。

明朝は6時起きですが、それでも楽な起床時刻です。
パッキングも出来るものは片付けました。デジカメ2台は充電中、明朝までそのまま放置でした。ワイフの新デジカメはハルシュタットで電池切れとなりました。充電用コードを忘れたので充電できません。明日から私の小型コンデジを使ってもらうことにしました。食事の撮影時のみ、私がそのデジカメを使えば良いのです。ワイフは沢山は撮らないが、それでも2人で風景などを撮影すると何かと補完できて良いのです。

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