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オーストリア、周遊の旅 (2010/5/30)
シェーンブルン宮殿、王宮、美術史博物館
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シェーンブルン宮殿の庭園(パールテーレとグロリエッテ) ■ホテル、出発まで
□移動(→シェーンブルン宮殿)
★シェーンブルン宮殿(世界遺産)
□移動(→旧市街の王宮)
★新王宮と王宮(旧市街=世界遺産)
★旧市街の歩行者天国をシュテファン広場まで
○昼食(旧市街のレストラン)
□移動(→マリアテレジア広場)
●美術史博物館(2階・絵画の鑑賞)
○自由行動(ホテル・ザッハーのカフェ)
●ウィーン・レジデンツ・オーケストラ・コンサート
○夕食(リンク内のレストラン)
■NH ダヌーブ・シティ・ホテル(3泊目)


ホテル出発まで:
06:00 目覚しで起床。
06:30 朝食のため部屋を出る。
06:35 E 階の朝食レストランに入る。
ビュッフェ・スタイルで何時もと同じようなものです。帰国直前となり体重が気になるが、食べますね。オレンジ・ジュースに始まり、丸いパンにバターとジャム、メーンはベーコン、ソーセージ、チーズ、生ハムなど種類多く、サラダも少量・多種、最後にデザート兼用でフルーツ・ヨーグルト。甘いコーヒーはたっぷりと2杯でした。これだけ食べると観光のエネルギーは十分です。体重は気になるが、やはり食べないと疲れ易くて動けない。
07:15 部屋に戻る。
部屋の窓からはるか遠方にシュテファン寺院の尖塔(137m)が見えた。ズームを最大にして撮影してみるが、やはり随分と霞んだ画像でした。
連泊なので洗面具を除いてスーツケースに入れ、鍵をかけた。枕チップは忘れずに2ユーロ・コインを置いておく。
08:25 リュックとデジカメを持って部屋を出る。
08:30 バスに乗車。他の人達もポツポツ乗っています。
今日はウィーン観光のみ、乗降の回数も多いので中央の乗降口の近くの席にした。
移動(→シェーンブルン宮殿): シェーンブルン宮殿に移動
08:37 人数の確認後、予定より早く出発です。 ウィーンの空は曇ではっきりしていない。
08:39 ドナウ川の橋を渡る。
08:40 映画「第3の男」で知られたプラーター遊園地の大観覧車(リーゼンラート)が見えた。
08:44 ウラニア天文台(Urania Sternwarte)の前を通った。街中なので天文観測は多分していないでしょうが、プラネタリウムがあるようです。
08:57 地下鉄シェーンブルン駅を通る。この辺りの地下鉄は地表より掘下げた切通しになっている。
地下鉄駅を過ぎた直後にシェーンブルン宮殿正面の全景が見えた。広い石畳の広場があり、その後に正門があり、両袖にはオベリスク風の高い門柱がたっている。柱頭の翼を広げた金色の鷲が特徴的です。運良く車窓から2本の門柱を入れて宮殿の正面全景を撮影出来ました。(当旅行記トップ頁の写真) 正門から宮殿前庭に入ると石畳の広場があり、横長ながら宮殿の全景は写真に撮れます。念のため・・・。
正門近くでバスは止まった。

シェーンブルン宮殿(Schonbrunn Palace) : シェーンブルン宮殿
シェーンブルン宮殿 09:00 正門の左横で降車です。幸いに雲はあるが晴でした。6年前に来た時は大変な雨でしたが・・・、今日はまずまずの天気です。
正門前には石畳の広場があるが、その四隅に支配者の象徴であるスフィンクスが鎮座している。前足まで女人像で胴体はライオン像です。6年前にベルヴェデーレ宮殿の庭園でもスフィンクスを見たが、そちらは背に翼を持ち、前足は立てていた。ここのは翼はなく寝そべっています。極めて長期間にわたり神聖ローマ帝国とハプスブルグ家が支配したオーストリア、支配者の象徴に執着があったのでしょう・・・。

はっきり覚えていませんが、宮殿の門を入った所で日本人女性の現地ガイドさんが合流したはず・・・。年配と表現できるような人でした。 固まって宮殿の参観口に向かった。宮殿入口は左側にあるが、時々写真を撮ったので遅れてしまい、石畳を走ってしまった・・・。正直、こんな所で走るのは禁物・・・。参観口近くには観光用の馬車が止まっていました。
建物の中に入ると、入場券売り場など公共スペース、そこは大変な人です。

ハプスブルグ家紋章、双頭の鷲、宮殿の中央の屋根
シェーンブルン宮殿(世界遺産)
Schloss Schonbrunn

ウィーン郊外のハプスブルグ(Habsberg)家の夏の宮殿で1440室もある壮大なもの。1569年にマクシミリアン2世が当地(カッターブルク)を購入しハプスブルグ家の所領とする。当時は城館や庭園や果樹園などがあった。伝説では、狩猟の際に美しい泉(シェーナー・ブルネン)が見つかり、1637年にエレオノーラ皇后が当地をシェーンブルンと改名し、1642年に離宮も建設した。
1683年にトルコ軍の第2次ウィーン包囲があり、シェーンブルンは大きな被害を被った。しかしオーストリア軍はウィーンを守り抜き、トルコ軍は退却した。
それを記念し、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世がベルサイユ宮殿に対抗する壮大な宮殿建設を発案したが、計画は縮小され、1696〜1713年にバロック様式で建設された。
マリア・テレジア(Maria Theresia)の時代に、内装を含む設計変更がなされ、1737年と1744年に改築された。宮殿の正面や色彩もさることながら、広大な庭園、温室、動物園、植物園、ヴェルサイユ宮殿の模倣ながら鏡の間(Mirrer Hall)など来賓用の諸設備、等々、一際優れたものになった。
フランスのルイ16世に15才で嫁ぐまでマリー・アントワネットはこの宮殿ですごし、1762年に7才のモーツアルトがピアノの腕前を皇族に披露したのもこの宮殿だった。
19世紀初め、ウィーン占領中のナポレオンが一時居住し、1809年10月この宮殿で「シェーンブルン条約」が結ばれた。
1916年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(68年間の在位)がシェーンブルンにて崩御された。 1918年11月、皇帝カール1世が退位、オーストリア共和国が成立して宮殿は国家の所有となる。
1996年、広大な庭園や世界最古という動物園などシェーンブルン宮殿の全ての施設が世界文化遺産に登録された。
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参考文献と参考サイト:
・Ref.03、項目「シェーンブルン宮殿」
・シェーンブルン宮殿管理KK、「シェーンブルン宮殿ガイド、宮殿と庭園を訪ねて」、宮殿の売店、2003
schoenbrunn (英語)
 
シェーンブルン宮殿内部は撮影禁止、建物の外のみOKです。6年前に「シェーンブルン宮殿ガイド、宮殿と庭園を訪ねて(日本語)」をここの売店で購入、現在も持っていますが、表紙の掲載にも許可が必要と思える程に厳しい著作権の記述があります。しかし、旅行ガイドブックや専門書も数多くあるのでそちらをご覧になってください。[PHOTO]ページでは建物の外観と裏の庭園の写真のみになります。

09:10 この頃にチケットを受取り、見学路に入場しました。すぐ宮殿の中央部になり、そこで庭園鑑賞のため自由行動となりました。ついでながら、この宮殿の中央部は正門側と庭園側の通り抜けになっている。通常は当然ながら閉鎖です。
時間は短く、丘の上のグロリエッテどころか中間点のネプチューンの泉にも行けなかった。運悪く工事用のクレーンや生コン用コンベアらしきものがネプチューンの泉近くにあり、庭園の景観を損ねています。せっかくの好天気なのに、残念・・・。
丘の上のグロリエッテ
パールテーレとかいう花壇を見て、宮殿の階段から写真を撮って、自由時間は終わりました。
10:30 宮殿中央部で集合、人数の確認があった。

これから公開されている2階(日本流)に立派な階段(ブルーの階段)で上がり、フランツ・ヨーゼフ1世の執務室、寝室、マリー・アントワネットの部屋、6才のモーツアルトがマリア・テレジアを前にチェンバロの御前演奏をした鏡の間、皇后エリーザベトのサロン、中国の間、ナポレオンの部屋、など数多く見学できます。ハプスブルグ家の宮殿のこと、豪華絢爛です。19世紀初頭のウィーン会議の場所としても良く知られている。
一通りの見学を終えて、階段を降りる。
最初のチケット売り場がある公共スペースに戻った。そこで短いトイレ・タイムだった。土産品も買えるが、ここでは何も購入しなかった。
10:11 宮殿の外に出る。

門の横に売店がある。現地ガイドさんのお勧めは「星型の髪飾り」、ワイフは玩具を買う気になった。入口近くの棚にありました。キラキラ光るスワロフスキーのクリスタルを使用した手軽なものです。大きな星は髪止め(@E24.90)、小さな星はピアス(@E19.90)でした。
皇后エリーザベトの髪飾り(模造) スワロフスキー使用のピアス この星型髪止めには謂れがある。皇帝ヨーゼフ・フランツ1世の皇后エリーザベト(1837-98年/シシー)は自分の容姿を極端に意識する女性でした。30才を過ぎてからは写真撮影や肖像画を全て拒否し、公の場所では扇で顔を隠したとされる。それ故に皇后が28才の時(1865年)、画家ウィンター・ハルターが描いた油彩画「舞踏会のドレスにダイヤモンドの星型髪飾りを付けたエリーザベトの肖像」が傑出して有名となり、永遠に若い皇后として人々の記憶に残ったのです。長い髪に9個もの星型髪飾りが描かれている。
その模造品がシェーンブルン宮殿のお勧め記念品、ただし9個も買う自信のある日本人女性はいないでしょうね。
10:22 店を出て、正門からバスに向かう。途中に、宮殿の色を意識して植えたものなのか、黄色のバラが満開だった。

シェーンブルン宮殿について幾つか追加情報です。
コメント1:  この宮殿に関する日本のテレビ番組で紹介されたが、現在も一般人がアパートとして住んでいる。現地ガイドさんは、今は男性の老人が1人だけ、と云っていました・・・。
世界遺産の建物に住める数少ない例の1つです。
コメント2:   シェーンブルン宮殿は女帝マリア・テレジアの時代1779年から庭園が一般市民に公開されていた。宮殿内の見学も事前申請で宮廷行事とぶつからない日時を定めて可能だったとされる。誰でもが申請するはずはないとしても、大変な驚きです。
当時の日本を調べてみたら、1779年は第10代将軍・徳川家治の時代です。江戸の庶民が江戸城の庭園を自由に拝見したり、江戸城内の見学を願い出ることは、想像すら狂気の沙汰だったことでしょう。 欧州のどの国の宮殿もシェーンブルン程に開かれたものは無いと思うが、それにしても文化による社会構造の違いが大きいようです・・・。
コメント3:  マリア・テレジアの時代には女帝の御産までが皇帝御一族や貴族の前での公開出産だったそうで・・・。血統と婚姻を重視するハプスブルグ家としては必然だったかも知れませんが、驚きでもあります。
コメント4:  1752年に皇帝シュテファン・フランツ1世がシェーンブルンに動物園を作った。これを基礎として現存する世界最古のバロック式動物園となった。
コメント5:  良く知りませんが、約100年前に宮殿の庭園係が自己流の日本庭園を作った。いつしか忘れられ、長く放置されたままだった。発見されてからオーストリア政府造園局や在留邦人や日本人庭職人の協力で復活し、1999年から公開されているそうです。

移動(→旧市街の王宮): 王宮に移動
10:27 出発。
しばらく走ると地下鉄沿いにマーケットの屋根が続いた。今日は日曜なので休みです。
10:39 国立オペラ座の前を通る。
ゲーテ像を車窓からみる。
ブルク公園のモーツアルト像を車窓からチラッとみる。
10:45 マリア・テレジア広場で降車、広場の左側に美術史美術館、右側に自然史博物館がある。中央には巨大なマリア・テレジア像があった。
広場からリンクを横断し、ブルク門を潜って新王宮と王宮に向かった。

新王宮(Neue Burg)と王宮(Hofburg) : 王宮
王宮のミヒャエル門 10:46 ベルク門(Burgtor)を通過。王宮域に入る。
今日は日曜のため観光客のみならず市民の出が多かった。大変な賑わい、日本で云えば”祭り”です。
ベルク門とミヒャエル門の間、旧王宮のフランツ2世像のある中庭で解散となり、しばし自由時間だった。一旦は旧王宮の前まで戻り、ブラブラ歩きながらミヒャエル広場まで散策でした。王宮はいろいろな博物館になった部分も多いが、入館する時間はなかった。

ウィーンとハプスブルク家
Haus Habsburg

ハプスブルグ家
スイスのチューリヒ西方アルザス地方、ロイス川とアーレ川が合流する農村地帯の丘に古城がある。11世紀にラートポート伯が建てたものだが、城の内外に鷹が数多くいたので、ハビヒツブルク(Habichtsburg/鷹の城)と呼ばれた。このハビヒツブルクが次第になまってハプスブルクとなり、城主はハプスブルク家と云われるようになった。
神聖ローマ帝国皇帝にルドルフ1世
ラートポート伯から7代目のルドルフ1世(1218-91)の時、ハプスブルク家は田舎貴族から大躍進することになる。時は神聖ローマ帝国の大空位時代、ドイツの諸侯とローマ教皇の双方が強力な皇帝の出現を欲せず、かくしてハプスブルク家ルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選出され帝位についた(1273年)。
ウィーンが皇帝ルドルフ1世の居城に
ボヘミア・オーストリア王オタカル2世も神聖ローマ帝国の帝位を狙っていた。ルドルフ1世の皇帝就任はオタカル2世を失望させ、両者の戦いは不可避となった。2度の戦いでオタカル2世は命を失い、ルドルフ1世はオーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテン等をハプスブルク家の所領に組入れ、ウィーンに居城を構えた。ハプスブルク朝オーストリアの発足です。
フリードリヒ3世(ハプスブルク家訓)
Austriae Est Imperare Orbi Universo.
「全地表はオーストリアに臣従す」
フリードリヒ3世(在位1440-93)は気宇壮大な標語をラテン語でさだめ、世界帝国の夢をハプスブルク家に残した。
マクシミリアン1世(最後の騎士)
チロル地方は北イタリアに近く鉱物資源にも恵まれていた。マクシミリアン1世(1459-1519)はインスブルックに宮廷を構えた。1477年にブルゴーニュ公シャルルの後継ぎ娘マリーと結婚、ネーデルランドからスイスに至る領地を得た。1490年にはオーストリア内のハンガリー勢力を後退させ、オスマン・トルコをボスニアまで駆逐した。1493年になり皇帝に就任。長男フィリップをスペインの世継ファニャと結婚させ、その孫達をボスニア・ハンガリー王子や王女と結婚させることにより、近世に於けるハプスブルク家の隆盛の基礎を築いたのだった。
フェルナンド2世(絶対主義の基礎)
15〜16世紀の欧州は宗教革命の嵐が各地で吹き荒れていた。ハプスブルク家としても領地内のカトリック系とプロテスタント系の深刻な対立が重大な問題だった。イエズス会の厳格な教育を受けたフェルナンド2世(1578-1637)は皇帝マティアス(伯父に当る)を廃して自ら皇帝となった。プロテスタントのボヘミア貴族がこれに反対し、ウァイセンベルクの戦い(1620)となった。しかし、この戦いで新教勢力は一掃された。新教の根絶と旧教の隆盛を願ったフェルナンド2世は目的のために手段を選ばなかったとされ、オーストリア絶対主義を確立した。
トルコ軍のウィーン包囲
皇帝レオポルド1世の治世時代、1683年の夏のことだった。約20万のトルコ軍がウィーンに来襲し包囲し、3カ所で城壁を突破し乱入したが、ウィーンは2カ月間持ちこたえた。城内の総司令官ロートリンゲン公カールはポーランドなど欧州諸国の援軍を得て戦端を開き、トルコを退却せしめた。その後、サヴォイ公オイゲンがトルコ軍を追撃しハンガリーからバルカン半島に押し返した。最終的にオイゲン公はベオグラードでトルコ軍を壊滅す。
その後
前にあるシェーンブルン宮殿の右コラムをご覧ください。
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参考文献: (文章は変更)
・Ref.03: 世界の国シリーズ3、「ドイツ・オーストリア」、講談社、1982年、PP.182-191
ウィキペディア → ハプスブルク家
11:03 ベルク門方向に戻ると、新王宮前にオイゲン公騎馬像(1663-1736、オーストリア軍人)があり、その反対方向にカール大公騎馬像(?-814、800年に西ローマ帝国の皇帝)がある。2つの騎馬像に挟まれた所がヘルデン広場になる。そこから新王宮のファサードをしばし眺めて過ごしました。新王宮もヘルデン広場側が大きくカーブした重厚な建物で見事です。反対側にはリンク沿い建物が幾つか見える。有名な市役所の上部やヴォティーフ教会の凝った作りの尖塔2本もはっきりです。眺めの良い場所でした。1人旅らしいアメリカ人男性からシャッター押しを頼まれた。光線の具合でコンデジのLCDデスプレーが良く見えず、困りました。何とか写ったはずですが・・・。

新王宮の前から旧王宮までは、電動立ち乗り二輪車のグループがいたり、特設のロッククライミングに挑戦したり、とにかく遊ぶ市民が多かった。広場を結ぶ建物のトンネルはカラフルな風船で飾られたものもある。

旧王宮の中庭に戻る。ここにはフランツ2世(1768-1835、神聖ローマ帝国の最後の皇帝)の銅像があった。いろいろなテントが沢山ならび、日本なら屋台村といったところ。フランツ2世像の反対側の建物にはユニークなスイス門があり、ライオンならぬ奇妙な石像が両脇にある。昔はここに跳ね橋があった。門を入ると左にスイス宮があるが、13世紀に建てられたもので、王宮では最も古い建物の1つになるらしい。マリア・テレジアが王宮の警備に雇ったスイス衛兵の宿舎として使用された。(注:スイスは昔から衛兵の派遣が多く、フランス市民革命の時代はルイ16世とマリー・アントワネットを守る立場のスイス衛兵が全滅した。永世中立国となってから衛兵の派遣は行っていないが、今も形式的ながらバチカン市国の警備はスイス衛兵の担当です。)

11:09 旧王宮からミヒャエル広場に抜ける通路はドームの真下を通る。そこには「皇帝の部屋」と「シシィ博物館」の入口があるが、王宮らしき入口だった。上を見上げるとドームそのものです。

このドームの下とミヒャエル広場の間はスペイン乗馬学校で、1572年に始まる世界一古い乗馬学校とされる。古典馬術を調教された白馬(リピツァーナ種)の演技で知られています。内部や団体馬術は日本のTV番組で何度か見た記憶があり、珍しいので今後も時々紹介番組が放映されると思います。
外はミヒャエル広場ですが、相当な人出です。王宮から出ると左側に仮設舞台が作られ、舞台上で少人数のコミカル・トークや歌や演奏がある。出演者が交代したり、歌や寸劇でなかなか賑やかなことでした。オペレッタの一種でしょうか?大勢が立って見ています。
王宮から出て右側には王宮付属のアウグスティーナ教会がある。14世紀に建てられたもので、ハプスブルグ家の皇族の多くがここで結婚式を挙行しているそうです。例えば、女帝マリア・テレジアとロートリンゲン公、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトもここで挙式しました。細身の尖塔が広場からよく見えます。地下にはハプスブルグ家の54個の心臓が安置されているとか・・・。

旧市街の歩行者天国を行く : 旧市街、歩行者天国
グラーベン通りのペスト記念塔 11:20 この頃に賑わうミヒャエル広場を後にして、コールマルクト通りを進んだ。歩行者天国です。途中から振り返ると両側の建物の間に旧王宮の緑色のドームがよく見えました。

ウィーンの有名なカフェ「デーメル(1848年創業)」はこのコールマルクト通りの王宮の近くにある。後述しますが、ウィーン名物のチョコレート・ケーキ「ザッハー・トルテ」の商標権を巡ってオペラ座近くのホテル・ザッハーと裁判で争った店です。ホテル・ザッハーが財政難の折にカフェ「デーメル」の資金援助を受け、代わりにオリジナル「ザッハー・トルテ」の製造販売権を渡したらしいが、後年に係争となったのです。 甘党なら、自由時間にお茶とケーキを楽しむのも良いかも知れません。

コールマルクト通りから右に曲がり、広いグラーベン通りに入った。ここも歩行者天国です。
11:26 グラーベン通りから少し引込んだバロック様式のペーター教会(1733年完成)の前を通る。緑色のドームが綺麗で、正面入口の両袖の塔は小型で圧迫する雰囲気がない。正面入口は工事中でした。
11:27 グラーベン通りにの中央に三位一体記念塔(Pestsaule/ペスト記念塔)があった。1679年に黒死病(ペスト)がウィーンを襲い約10万人の死者を出した。その終焉を記念して時の皇帝レオポルド1世が1686年に建てたものとされます。ここの三位一体記念塔は大きいが、一回り小型のものがウィーンの森のハイリゲン聖十字架修道院にも遅れて1737年に建立された。最初の訪問地グラーツや行かなかったリンツにもあるし、他にも欧州のアチコチに有りますが、医学知識と衛生環境が未発達の時代、ペストの猛威と人々の恐怖心は今日では想像も出来ない程だったのでしょう。写真を数枚撮って先に進み、シュティファン広場まで行きました。

ここで30分の自由時間、シュテファン寺院の内部は昨日の夕方に拝見したし、特に行きたい場所もない。寺院をブラブラと一周することにしました。それにしてもシュテファン広場は大変な人出です。明るい音楽を演奏するグループ、それに合せてフォークダンスを楽しむ大勢の人達がいる。見知らぬ人同士の飛込みで踊っているようでした。さすが音楽の都、気取った宮廷音楽のみならず庶民の楽しみとして定着です。

予定もないのでシュテファン寺院を一回りすることにしました。正面のファサードは工事中で天幕がかかっている。そこを過ぎて横に回ると長い馬車の行列があった。ウィーン旧市街を馬車で回れるのでしょう。この寺院の横の道を真直ぐ行くと右にモーツアルト・ハウス・ウィーンがあるはずです。そこまでは行かず、寺院の裏側からゆっくりと広場に戻り、集合場所近くで時間まで休みました。
例により早めに皆さんも集まった。
旧市街のレストランに向かった。

昼食(旧市街のレストラン) : 旧市街のレストラン
12:05 記録がないが、この頃にレストランに入ったとおもう。
飲物は相変わらず水代わりのビールでした。
12:12 メーンのポーク・シュニッツェルがでる。ウィーン名物の薄い肉のカツレツですが、表面のサイズが大きくてビックリでした。揚げ料理でも、あっさり味で食べやすかったと思います。
昼食なのでデザートはなかった。
13:05 この頃にレストランを出てバス乗場に向かった。

オーストリアの天候は変わり易いというが、今日もその通り、傘が必要となりました。オペラ座裏とホテル・ザッハーの間(フィルハーモニカ通り/Philharmstrasse)を通り、銅像が建物の上に見えるアルベルティナ広場(Albertinaplatz)に行く。6年前にもバスの乗降に利用した所でした。
13:20 その小広場でバスを待つ。この頃は集中豪雨的な雨となっていた。

移動(→マリアテレジア広場): マリアテレジア広場に移動
土砂降りの中、到着したバスに急いで乗車した。
13:25 この頃に出発。オペラ座から美術史博物館はリンクを通ると直ぐの距離ですが、何か回り道となるルートを走ったようです。時間調整だったかも知れません。退屈しのぎに雨の車窓からギリシャの神殿を思わせる国会議事堂の写真を撮っていた。
13:50 午前の王宮見学の時と同じマリア・テレジア広場でバスを降りた。まだ雨が降り続いている。大きなマリア・テレジア像を見ながら、広場の左側を占める巨大な美術史博物館に向かった。建物の中央にドームがあり、そこの下が正面入口だった。
美術史博物館は現地ガイドさんの案内になる。添さんは明日のウィーン発・成田便の搭乗手続きを前もって済ませるため全員のパスポートを持ってオーストリア航空に行った。

ウィーン美術史博物館(Kunsthistorisches Museum) : ウィーン美術史博物館
美術史博物館の入口ホールから大階段を見上げる ウィーン美術史博物館
Kunsthistorisches Museum

ウィーンの3大美術館は美術史美術館、ベルベデーレ宮殿、レオポルド美術館とされるが、その中で規模が最も大きく重厚なのが美術史美術館(KHM/カーハーエム)、ウィーンを代表する美術館です。王宮近くでリンク外側にあり、マリア・テレジア広場に面して建つネオ・ルネサンス様式の建物で自然史博物館と対をなす。ゼンパー、ハーゼナウア Karl Hasenauer(1833‐94)が設計し、1872‐81年に建設された。コレクションは皇帝ルドルフ2世やレオポルド・ウィルヘルム大公など、ハプスブルク家歴代の熱心な美術愛好家によって収集されたものです。自然な成り行きとしてハプスブルク家の領土だったオーストリア、ドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダなどの400年間に亘る美術コレクションを中心とし、1891年に開館、現在は50に近い展示室がある。
「農民の結婚式」などのブリューゲル(ベルギー)が最も充実しており、門外不出のコレクションとしてあまねく知られている。絵画部門では他に、、フェルメール(オランダ)、ラファエロ(イタリア)、クラーナハ(ドイツ)、ルーベンス(ベルギー)、レンブラント(オランダ)などの作品が1000点以上に及び、ルネサンスから19世紀に至るまでのヨーロッパの巨匠の作品を網羅している。ほかに、エジプト、ギリシア・ローマの古代コレクション、中世の象牙、貴金属、七宝細工による装丁板、聖遺物箱、聖杯などの工芸品、リーメンシュナイダーの彫刻「聖母子像」なども収蔵している。
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参考サイト:
ウィキペディア → 美術史博物館
Kunsthistorisches Museum(英語)
その他
13:55 入館。中2階にある入口ホールは大変な混雑だった。旧市街観光の人達が雨のため美術館に逃げ込んだようです。
その混雑の中で切符の用意を待った。ここでは天井がとても面白い作りで、ドーム頂点の真下に穴がある。床にも真下のマークがあるので、そこから見上げるとドームの頂点が下から見れるのです。
切符と構内マップを受取った。構内マップによると、予定の絵画鑑賞は2階です。

中2階/古代コレクション、エジプト・オリエント・コレクション、彫刻・美術工芸品コレクション(閉鎖中)
2階/絵画ギャラリー(オランダ・フラマン・ドイツ絵画・イタリア・スペイン・フランス絵画)
3階/コインキャビネット、特別展

現地ガイドさんについて階段を上がった。大理石で作られた空間に大きな彫刻が置かれ、壁面の大理石が芸術作品のような文様のところもある。2階に上がりきると、その近くにはカフェ・ゲルストナーがあり、中が見えていた。素晴らしい古典的な空間にテーブルが並び、かなり人が入っている。その中央は入口ホールから見上げた丸穴があった。ガイド・ブックでこのカフェのことは知っていた。美術品の鑑賞後に時間があれば、入るつもりでした。

このカフェの入口を過ぎて絵画の展示場に入った。
天下の名作の数々を文章で説明など不可能なので、項目タイトル横の[PHOTO]をクリックして写真ページをご覧ください。出来るだけ多くの絵画の写真をミニミニ美術館として掲載しています。掲載しなかった名作も多くあり、実際に訪問されて実物の鑑賞をされることがお勧めです。写真ページはツアーで忙しく見学した者の最大限に近いご紹介に過ぎません。この美術史博物館はフラッシュは禁止ですが、写真撮影は自由です。これはとても有りがたいものでした。

一通りの鑑賞が終了して、20分ていどの自由時間となりました。集合場所は入口ホールです。カフェ・ゲルストナーに入るだけの時間はない。それで、ミュージアム・ショップを覗いただけに終わりました。買物は、なかった・・・。
繰り返しですが、本当に素晴らしい美術館でした。

15:38 美術史博物館を出る。雨は止んでいた。

オペラ座に移動: 
マリア・テレジア広場のリンクからバスに乗車。
次のコンサートまで時間があるのでオペラ座まで戻り、しばし自由行動を楽しみます。

今日は日曜で商店の殆どは閉まっている。営業しても法律上の問題はないが、休日出勤なら従業員の日給を 200% も支払う義務があり、大部分の商店は営業できないのです。
昨日DFSに短時間寄ったが、今日はそのDFSは閉店です。もう1つ免税店があり、こちらは韓国人経営のパパママ・ショップ、休日営業もしている。添さんがその免税店に電話し、希望者を案内することになった。店はOKでした。他のツアーと同時だと狭いので大変らしいのです。

我々はケルントナー通りをブラブラすることにした。

オペラ座で解散、自由行動(ホテル・ザッハー・カフェ):
ホテル・ザッハーのカフェ
ザッハー・トルテ
カフェでザッハー・トルテを楽しむ: 
15:50 オペラ座裏のフィルハーモニカ通りを渡りホテル・ザッハーの角に行く。そこは外からもカフェの中が見える。田舎者らしく「ウィーンのケーキは有名だ」程度の気持ちでカフェに入った。実は、ホテル・ザッハーがどんなホテルか、そのカフェが如何なるものか、そこのチョコレート・ケーキの由来とか、ガイドブックで読んだかも知れないが、全く知らずに入ったも同じでした。

入口の右側はケーキ・ショップ、左側がカフェでした。店員が空いた席に案内してくれた。木のテーブルと椅子がやけに高くて重い・・・、短足の日本人には大変なのです。ワイフが椅子に上がり座るのを手伝ったが、それがネ、ウィーンの一等地のこと、狭くて・・・。何とか落ち着きました。様子を見ていたウェイターがサッとメニューを持ってくる。

メニューを開くと、ドイツ語が並んでいる・・・。何が何だか・・・。ウェイターは早く決めろと云わんばかりだったが、「チト、時間をくれ」と追い払った。ところが時間をかけてもドイツ語のメニューが読める訳ではない。ウェイターが戻ってきた。分かっていて、ニヤニヤしながら「ケーキ、コーヒー?」という。ワイフは「ティー」を注文した。
「ケーキ」では何が出てくるものやら?周囲の人達を見ると、皆さん同じチョコレート・ケーキばかりだった。カウンターでも同じものを盛んに皿に乗せている。これが当店の名物らしい。

まず「ケーキ」を持ってきた。皿にウィップクリームとチョコレート・ケーキ(トップに丸いチョコのシール付き)、それにホテル名入り紙ナフキンとフォークが乗っている。
このケーキはウィップした生クリームと一緒に食べるものらしい。ケーキの中には杏ジャムが入っているという。日本では味わえない凄く甘いケーキで良い疲れ直しでした。
次にコーヒーとティーが運ばれてきた。コーヒーは通常のカプチーノ風だったが、ティーはポットに入れて持ってきた。ゆっくりと味わいながらウィーンのティータイムを楽しみました。
次々に客が出入りするカフェでしたが、40分位ゆっくりと休ませてもらった。回って来た会計に20ユーロ紙幣を渡して精算した。2人分で E18.40、釣りは受取らずに店をでました。 ホテル・ザッハー・カフェ

旅行記を書きながら、ガイドブックを見たりネットで調べたり、それで驚いた。ホテル・ザッハーは1876年の創業でウィーンの代表的な5つ星ホテルの1つ、「ケーキ」はザッハー・トルテ(Sachertorte)といい、このホテルの創業者の父親がメッテルニヒ(1809年外相、1821-48年首相)の命により1832年に新デザート菓子として考案したものとされる。今ではオーストリアを代表する伝統的なケーキであり、「ザッハー・トルテを知らずにウィーンのケーキを語るなかれ」といった種類のものだった。我々が入った気軽な路面カフェとは違う伝統的な優雅なカフェ(Cafe Sacher Wien)がホテルの中にもあるようです。
ことウィーンのケーキについて自分のレベルを日本のシチュエーションに置き換えるならば、
⇒⇒ 帝国ホテルに行き、ガルガンチュアでブルーベリーパイを見て、『 これ、何?』
勉強になりました。

ザッハー・トルテをショップで購入: 
カフェを出て、さて、どうしよう?ケルントナー通りをブラブラ歩きと思ったが、「ケーキ」が美味しかったのでホテル・ザッハーのコンフェクショナリー(Sacher Confiserie Wien)に入った。
ザッハー・トルテはカフェで食べたホールケーキをカットしたものではなく、小型ザッハー・トルテ6個入りや8個入り、あるいは大きな丸いホールがある。8個入り(E20.00)の箱を土産用に2つ購入した。写真はないが、4〜5cmのチョコレート・ケーキで上に丸いホテル・ザッハーのチョコレート・シールが付いている。ホールと違い、切り分ける必要がありません。

丁度居合わせた1人参加の若い女性から、空港で買えるか確認を頼まれた。居合わせた女性店員は凄い早口の英語で長く説明した。要するに、空港で買えることもあるが当店よりも値段が高い、という。これを伝えたら、「6個入りが欲しい」というものの予算の関係かこの時は買わなかった。
オリジナル・ザッハー・トルテの木箱、直径16cm
木箱の中のオリジナル・ザッハー・トルテ、直径16cm
話は前後するが、空港にて小型ザッハートルテ6個または8個の箱入りを探したが見つからない。直径16cmの木箱入りホールケーキ(Original Sacher-Torte)のみあった。それを自家用に購入、レシートを見ると E39.00 です。ホテル・ザッハーのサイトに接続し、そのオンラインショップで直径16cmの木箱入りホールの値段を確認すると E28.50 です。店員が説明した通り、空港で購入するとかなり割高です。序ながら、オリジナル・ザッハー・トルテという木箱入りホールは4種あり、直径12cm(E19.50)、16cm(E28.50)、19cm(E34.00)、22cm(E39.50)となっています。(2010.07.28現在) ⇒  ホテルのオンライン・ショップの値段 &  空港(直径16cmのレシート)
空港ショップの値段が街中の店よりも高いことは多々あることです。しかし、ウィーンを代表する土産にもなるケーキの値段なので詳細に記述しておきました。

店を出たら別の1人参加の女性につかまった。今度は「10ユーロ貸して。30ユーロ有るので8個入り2箱買うのに10ユーロ足りないから。お金はあるけどインナーのキャッシュベルトで出せない。」 学生時代を終えてから小銭の貸し借りはなく、ちょっと驚いた。でも、この人の場合は、用立ててあげました。ツアーも終りに近付くと参加者の雰囲気からいろいろ察することもあるのです・・・。しばらく後に顔を合わせたら、返金してくれました。

ケルントナー通りで時間潰し: 
購入したケーキの袋を提げて、ブラブラしましたが、別に行きたいところもない。ワイフもカフェでティータイムを過ごせたし、良い土産の購入もできたので満足し、ケルントナー通りに真ん中にあったスターバックスのテーブルを借りて休みました。行き交う人々を眺めていると、オーストリア人と思しき人達もザッハー・トルテの袋を提げて歩いている。観光地の店ながら観光客のみではなく、現地の人達も買って帰るのです。
17:40 オペラ座の横で集合。バスに乗車して直ぐ出発でした。

ウィーン・レジデンツ・オーケストラ:
ウィーン・レジデンツ・オーケストラ
Vienna Residence Orchestra
Das Wiener Residenzorchester

入場者用パンフレットの表紙(無断借用です) 1997年から主任指揮を務めるパウル・モーゼルがウィーン・レジデンツ・オーケストラと共にオーストリアの誇る2大作曲家モーツァルトとシュトラウスの作品を演奏します。世界的に有名なオーケストラと一緒にソリストとしても演奏しているバイオリン奏者などが代表メンバー。 ウィーン・レジデンツ・オーケストラはウィーンで最高のレベルを誇る室内管弦楽オーケストラの一つ。ロココ調の衣装をまとったオペラ歌手とバレエ・ダンサーが演奏と共にお客様をウィーン帝国時代へ誘います。 純粋なウィーンのクラシック音楽を演奏するために設立されたこのオーケストラ。ウィーンの伝統あるオーケストラとして宮殿などウィーンが誇る美しい会場で主にモーツァルトとシュトラウスを中心に多くの公演を行ってきました。1991年の“モーツァルト没200年祭”ではがウィーンの公式代表に選ばれ "ウィーン・インターナショナル・フェスティバル"で多くの演奏を行いました。 1992年には世界的に有名なヌレエフがゲスト指揮者となり、 オーケストラと共にヨーロッパ中で驚異的な成功を修めました。ウィーン・フィルハーモニーのライナー・キュッヒルやテノールのスター、ヨッヘン・コバルスキー、現在オスロー・フィルハーモニーで活躍している指揮者アーリル・レンメライトなどソリストとして国際的に活躍しているアーティストもウィーン・レジデンツ・オーケストラと共に演奏した音楽家達。ウィーン・レジデンツ・オーケストラは数々の国際的フェスティバルにもゲストとして出演、パリ、ベルリン、ローマ、アテネ、ブダペスト、ブリュッセルといったヨーロッパの都市から遠くはメキシコまでとその活躍はワールドワイド。ウィーン・レジデンツ・オーケストラは世界最高クラスの室内管弦楽団の一つに数えられることは間違いありません。

アウエルスペルグ宮殿
ルーカス・フォン・ヒルデブラントの設計により1710年に建造されたアウエルスペルグ宮殿は、まだ6歳の子供だったあのW.A.モーツァルトがマリアテレジア女帝の膝に飛び乗った場所として有名です。 後にここではモーツァルトをはじめとする著名な作曲家が各作品の初演が行われたり、皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃シシィが踊る華麗な舞踏会が開かれたりしました。 その淡いピンクとグリーンの大理石の壁、クリスタルのシャンデリアの輝きに、フーゴ・フォン・ホフマンスタールはリブレット「薔薇の騎士」の着想を得ました。 そして、リヒャルト・シュトラウスの作曲によりかの有名なオペラが誕生したことで、アウエルスペルグ宮殿とその豪華なゲストは永遠にその名を残すことになったのです。 近代に入ってからは、世界的に有名な「第3の男」をはじめとする数々の映画作品の舞台となっています。
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参考サイト:
ウィーナー・レジデンツ・オーケストラ
ウィーン・レジデンツ・オーケストラ
アウエルスペルグ宮殿
18:00 この頃に公演会場のアウエルスペルク宮殿に到着でした。前庭もない街中の古い建物とも云える宮殿でした。
正面玄関から入るとホールになっているが、階段を少し下りたはずです。クロークやチケット販売などがある。既にかなりの人達が2階のコンサート・ホールのオープンを待っています。服装は大部分の人達が旅行用と思しきスタイル、男性でジャケットにネクタイは極々僅かでした。
今日の公演は18時30分と20時15分の2回になり、我々は18時30分の公演、約1時間30分です。パンフレット(多言語)と座席指定券を受取った。

奥の階段に行列が出来たので並んだ。階上には左右に分かれた階段であがり、楕円形のコンサート・ホールに入る。1710年に完成の建物なので高い天井から大きなクリスタル・シャンデリアが幾つも下がり、優雅なピンク色の大理石の壁や少し色の違う大理石の柱がある。雰囲気は宮殿のボール・ルーム(舞踏会ホール)です。その正面に舞台が作られ、客席として簡素な椅子が並べられた簡易コンサート・ホールでした。我々の席は後ろから2列目の右寄りだった。写真撮影は禁止なので、デジカメのレンズにはキャップです。

演奏曲目はモーツアルトとヨハン・シュトラウスです。
パンフレットには日本語での曲目も印刷されているが、 当日のプログラム(英語) は欧州系4カ国語のものが挟まっていた。以下にパンフレットの日本語による曲目を書いておきましたが、僅かに違ったようです。しかし、大体の内容は推察できると思います。

PROGRAM/W.A.モーツアルト INTERMISSION
PROGRAM/ヨハン・シュトラウス

少人数の演奏ですが、ホールが広くはないので音がとても大きく聞こえます。次々に楽しめる曲が演奏され、男女のバレリーナによる踊りも披露されるので、眠気など飛んでいきます。観光旅行の1プログラムとして予定に入れても悪くはないもの、これが感想です。音楽の都ウィーンでオーストリア自慢の大作曲家の音楽を気軽な服装で楽しむ・・・。

演奏が全て終了し、ホールから出ると階段には次の公演を聴く人達の行列でした。服装はやはり気軽な感じでした。
19:58 劇場の外にでる。バスがピックアップに来るまで少し待った。

リンク内のレストランに向かう: 
20:05 バスに乗車、人数の確認後に出発。
25日にウィーン空港到着後、今まで同じバスと同じドライバーさんでした。ところが労働時間の関係でこの乗車が最後となりました。手荷物は絶対に車内に忘れないよう注意があった。無口なドライバーさんに思えたが、毎日の安全な運転に感謝です。これからハンガリーまで運転して帰るとか・・・。今晩のレストランからホテル、明日のホテルから空港は同じハンガリーの会社ながら別のバスとドライバーさんになるそうです。
20:15 手荷物を全て持って降車しました。
レストランまで少し歩きです。

夕食(旧市街・リンク内のレストラン): 旧市街・リンク内のレストラン
・ 20:21 レストラン Kardos に入る。ツアーで利用する通常のレストランの感じでした。 飲物は相変わらずビール(小)を2人でシェアーです。
レタスとクリームのサラダ、リブ・ステーキとフライド・ポテト、木イチゴのデザートでした。実はリブ・ステーキとはいうが、骨が多くて食べるところは少なく、物足りなかった。旅も終り、旅行会社の予算も底をついたのかナ?と思わせるものだった。
21:00 この頃にレストランを出る。
これでウィーンの予定は全て無事に済ませました。今晩のホテルと明日の空港が残るのみです。実は疲れましたです。

ホテルに移動: 
21:05 バス、出発。
車内で明日の予定時刻が発表となった。

21:15 ホテルに到着。手荷物類は全て持って降車です。

NH ダヌーブ・シティ・ホテル(3泊目) : Hotel ←3泊共通
大通りに面したホテル正面 もう何の記録もありませんが、カードキーはフロントに預けていないので直接部屋に向かいました。
21:30 この頃に入室だったと思います。

明朝は10時にロビー集合ですが、近くのスーパーに出かけるとか、早朝の旧市街の散歩などの予定は全くありません。ゆっくりと休み、帰国のためのパッキングをするだけです。空港モールでも買物の予定があるが機内持込みです。今までの購入品(多くない)を2個のスーツケースに分けて入れました。日本から持参した水や茶のペットボトルは無くなったし、今回は下着類も処分しながら移動しました。スーツケースは土産品を入れても余裕がかなりあった。
早朝から動きづくめ、歩度計の人は確か17000歩とか云っていました。シャワーで汗を流して気持ち良く眠るだけとなりました。体の不調は観光初日の夜のみ、その後は普通で本当によかった。満足して就寝です。

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