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バルカン紀行4カ国(3日目:2009/5/21)
リブリャーナ旧市街、ブレッド城とブレッド湖
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ホテル出発まで:
06:00 この頃に起床。外は未だ暗い。
06:50 P階(1階)のレストランに行くと、既に開いている。予定では7時オープンだったが、その辺は適当らしい。
残念ながら、ヴァイキング料理の種類は多くはない。しかし、これがコンチネンタル・スタイルに近いのかも知れない。 皿に取った料理は薄味で食べやすかった。到着後の初めての食事、水道水に用心してグリーン・サラダは食べなかった。野菜は水道で洗うので付着した水まで気にしたのです。食後のコーヒーはエスプレッソかカプチーノになる。サラダと同じ理由で我々はカプチーノにしました。後日談ですが、グリーン・サラダは食べてもお腹は大丈夫でした。当初は神経を使い過ぎたようです。
皿に取った料理で不味いと思ったものはなく、普通で問題はないといえます。
07:20 レストランを出る。
食後はホテルの外に出て、ホテルの正面近くを4〜5分ブラブラと散策した。
それから部屋に戻りました。
07:45 予定では8時に荷物収集なので、スーツケース2個を廊下に出した。
08:20 ロビーに下りる。鍵を返却するだけのチェックアウトを済ませた。
08:30 ホテルの外に出たらバスは既に来ている。まだ早すぎてドアーが開いていない。横の道路を横切ると住宅街の小公園があり、オブジェや珍しい花を満開にさせた木々がある。しばし清々しい散策を楽しんだ。今日は素晴らしく良く晴れている。

リブリャーナ旧市街(Ljubljana Old Town)の観光: リブリャーナ旧市街の地図
リブリャーナの概要
リュブリャーナはスロウェニアの首都。ユリアンアルプス南方の海抜298mの盆地にあり、リュブリャニツァ川が市内を流れる。気候は中欧型という。政治以外に経済・文化などでも活発な中堅都市とされる。面積は275.0平方Km、人口は約27万人。
この地には紀元前400年にはケルト人が南下し定住し、400年ころにスラブ人が到来したとされる。リュブリャーナを都市と記録した1243年の資料が残る。スロベニアは長くハプスブルグ家の支配下にあったが、1918年にバルカン3民族の連合王国を作り、1991年にユーゴスラビア連邦から独立し、スロウェニアの首都となった。
参考サイト:
ljubljanaWikipedia ljubljana
08:45 この頃に発車。添Yさんが全員の乗車を確認し、早めの出発です。ツアーでは鉄道や路線バスみたいな時刻通りの出発は少なく、員数が合うと即出発が多かった。
09:02 「龍の橋」近くの旧市街でバスを降りる。

確か男性の現地ガイドさんはここで合流したはずです。見事なスキンヘッドでニコニコする人でした。日本語の簡単な単語は知っているが、添Yさんとの会話や短い説明は英語です。これでは一般的には分からない。時々名称の確認や説明内容の適否を現地ガイドさんに確認しながら、添Yさんが日本語で説明する。添乗員とガイドと1人2役なのです。最後の観光地ザグレブを除いて、今回の他の観光地では全てこのスタイルの現地ガイドでした。

しばらくは旧市街の狭い小路をクネクネと歩いた。石造りで瓦屋根の古い建物が続くが、道幅と建物の高さや色合いによると思うが、圧迫感を感じなかった。安心して歩ける裏通りでした。「ゴミ1つ落ちていない」は過言ではありません。

龍の橋(Dragon Bridge/Zmajski most): リュリャーナ、龍の橋
龍の橋(Dragon Bridge/Zmajski most)
龍の橋の建築者名と時期

09:07 「龍の橋」に到着。
リュブリャーナ市街を流れるのはリュブリャニツァ川(Ljubljanica river)、この川はサヴァ川に合流し、その後ドナウ川となって黒海まで流れ下る。 龍の橋はリュブリャニツァ川に架かり、そのスパンは 33m余 らしい。1900-1901年に作られ、既に100年以上も経った古いものです。竣工当時のスロベニアはオーストリア・ハンガリー帝国に属していた。それで当初の正式名は皇帝の名を冠した「Jubilee Bridge (Jubilejni most)」だったが、完成直後に非公式名「龍の橋」に置き換えられた。スロベニア初のアスファルト舗装橋、さらにリブリャーナ初のコンクリート橋とされます。

その欄干の四隅に龍の銅像が設置されている。伝説によると、『ギリシャ神話の英雄がドナウ川からリュブリャニツァ川の源流近くまで辿り着き、そこの湖に住んでいた怪物を退治して、その地にリュブリャーナをつくった。』 その怪物が現在の龍とされる。この伝説が縁でこの橋にもその銅像が設置されたとか・・・。
我々東洋人は中国風の龍を想像するが、欧州では違うようです。龍といっても強面のトカゲがコウモリのような大きな羽を広げている。ジェラシック時代の生物を想像させます。尾の先を矢尻にして悪しき物を連想し易いようにしている、と思うのですが・・・。リュブリャーナ市のシンボルとされ、悪い意味だけではないらしい。まあ、人間が住む前の”主”に敬意を表する単なる飾りでしょう。(注:伝説などは英文サイトの情報ながら、未確認です。)

元々この場所に木造の橋があったが、1895年の大地震で壊れてしまった。作り直す際に古めかしく高価な石橋ではなく(鉄骨?)コンクリート製となった。橋の設計者はダルマチア出身の Jurij Zaninovic 、さらに「龍のデザインも Zaninovic の手による」という情報(英語サイト)にも出会いました。橋に設計者と建設年を示す標識がありました。建設担当はオーストリア人でコンクリート橋の専門家 Josef Melan とされます。

龍の橋から山上のリュブリャーナ城が見えます。渡り終わると右側の車道と歩道の間に円柱が建ち並び、円柱の間や建物沿いにカフェテラスのテーブルが並んでいる。朝なのにポツポツとお客がいました。バルカン諸国の人達はカフェテラスやオープン・レストランがお好きなようです。
我々はカフェテラスの歩道を通らず、信号の交差点を直進して名知らずの広場に入った。その奥の右側にケーブルカー乗場がある。広場には木々もあり、その周囲は由緒がありそうな建物です。やはりカフェテラスもあった。

リュブリャーナ城へのケーブルカー(The furnicular/Cable car):
山上駅のガラス張りケーブルカー、左下の白い部分が広場駅 城のケーブルカー
旧市街の広場と山上のリュブリャーナ城を結ぶ乗物で、プラットホームの高低差は70m弱、ガラス張りの車両は定員33名。約1分で広場から城の下部に到着する。その後、展望台まで階段を登る。
ケーブルカーの営業情報は、
夏(5-9月)は9:00-23:00、
冬(10-4月)は10:00-21:00。
片道1.8Euro、往復3.00Euro。
昔のリュブリャーナ城は市の管理下にあったが、現在はケーブルカーと城は Festival Ljubljana 社の運営となっている。
出典:Festival Ljubljana
[2009年6月調べ]
09:20 ケーブルカーの駅に到着。日本語サイトでは情報が少ないのでリュブリャーナ城のケーブルカーについて英語サイトで調べました。その概要は右のコラムです。

建物と建物に挟まれた狭い空間にガラス屋根の駅がある。見上げると山上駅までレールが見えた。すれ違う場所はないので一両がピストン運行です。それ程は待たずに全員が同じ車両に乗れました。プラットホーム間の高低差はわずか70m弱ながら、ケーブルカーが上昇すると眺めはとても良くなります。
09:26 山上駅に到着。下車すると洞穴のような空間だった(?)、と思います。そこからは階段、螺旋階段、階段でリュブリャーナ城の展望台まで登りです。

リュブリャーナ城(Ljubljana castle/Ljubljanski grad)展望台: リュブリャーナ城・展望台の眺望
展望台から街並みとユリアン・アルプス この城内では各種の催事があるようですが、観光旅行ならガイド付きツアー、もしくは展望台でリュブリャーナ市街の眺望を楽しむ、のが普通のようです。

我々のツアーは展望台のみでした。今日は素晴らしい天気で市街の眺めに加えて、ユリアン・アルプス(Julian Alps)の山並みが素晴らしく良く見えました。幸運でした。ユリアン・アルプスを北に越えるとオーストリアで西に越えるとイタリアになる。左上の写真には新市街に白く点々と連続して見える建物の屋根がありますが、意図的にユリアン・アルプスの山並みの形を模して作ったものだそうです。面白いアイデアです。
その手前には龍の橋を含めて旧市街の一部が良く見えます。今日は絶景を楽しめました。

展望台から城の建物も見えますが、説明なしでは建物とか中庭とか分かるだけです。古く1489年建立の礼拝堂は残っているが、1511年の大地震で多くの建物は壊れ、現存するのは16〜17世紀の建物のようです。しかし、手入れが良いのか、古く汚れた感じがないのです。白い花をいっぱいに付けた大木があり、こちらも気持ちよい眺めでした。

09:40 展望台を後にして、ケーブルカー乗場に向かった。

ヴェードニコフ広場(Vodnik square/Vodnikov trg square):  ヴェードニコフ広場(青空市場)
リュブリャーナ大聖堂と隣の青空マーケット 09:47 ケーブルカーを降りて、表通りに出る。先にはリブリャーナ大聖堂のドームが見えた。向かいはヴェードニコフ広場という。ここには修道院の施設があったが1895年の大地震で建物は崩壊し、撤去された。その後は広場になり、オープン・マーケット(リブリャーナ中央市場)、つまり青空市場、として利用されている。入口にはスロベニアの詩人 Valentin Vodnik の銅像がある。この人物の名が広場名となった。

その入口で解散、しばしの自由行動でした。花屋、果物屋、野菜屋、雑貨、衣類、等々各種の屋台がずらりと並んでいる。見慣れない果物や野菜などもあり、見歩くだけで案外面白いものでした。ただ、何処にも鮮魚店や精肉店などが見当たらない。後日にテレビ番組で知りましたが、龍の橋と三本橋の間に細長い建物がある。前述した並ぶ石柱の間にカフェテラスのテーブルがある建物です。その建物は階下にリュブリャニツァ川に沿う長いテラスがある。そこに鮮魚店などもあるのです。三本橋の歩道橋に階段があり、リュブリャーナ城側に降りるとつながっている。
さて、広場の大聖堂側に古い大きな秤が大切に保存・展示されていた。恐らくは「ごまかし無し」の意味と思います。

10:10 マーケット入口の銅像に集合。
我々は買物をしなかったが、イチゴやオレンジなど果物類を購入した人達もいました。
人数の確認後、直ぐ大聖堂に向かった。

人々と暖かく語るリュブリャーナ大聖堂の司教さん その途中で珍しい光景を拝見できました。リュブリャーナ大聖堂はスロヴェニアの教会では最高位、その司教座はスロヴェニアの法王に相当する地位のようです。その最高位の方が路上で親しく一般人と語らっているお姿を拝見したのです。撮影時には知りませんでしたが、現地ガイドさんが添Yさんに英語で説明し、我々にも直ぐ伝えられました。

リュブリャーナ大聖堂(Ljubljana Cathedral/Saint Nicholas Cathedral): リュブリャーナ大聖堂
リュブリャーナ大聖堂の礼拝堂・正面 この大聖堂は青空市場と市庁舎の間にあり、青いドームと2つの尖塔(鐘楼)で目立ちます。しかし、正面や周辺にルネッサンス様式やバロック様式の建物が多く並び、大聖堂の広場が正面にないのです。で、全体の写真撮影は難しい。

この場所が歴史に登場するのは古く1262年、当時のロマネスク教会が記録に残っているらしい。1361年にゴシック様式で改築され、1461年にリュブリャーナ司教区が設けられる同時に大聖堂(Cathedral)となった。しかし、1469年に火災で焼失した。オスマン・トルコの侵入などがあり、現存する建物は1701-06年にゴシック様式で建てられたものとされます。当初の建物にはドームがなく、”ドームの絵”を描いて済ませたとか・・・。古今東西、勧進は大変ですね。1841年になり、やっと本物のドームが完成したそうです。20世紀になり、表玄関と横入口のドアーはレリーフが施された真鍮のドアーに取り替えられた。表玄関のドアーはスロヴェニアのキリスト教受容1250周年記念として作られたそうです。レリーフとしては横の入口のドアーが有名とか・・・。

10:15 表通りの大聖堂の壁画の説明あり。
10:16 大聖堂の入口のドアーの説明あり。
脱帽して正面玄関から入り、大聖堂の内部を簡単に参観しました。正面は祭壇で背面の上にパイプオルガンがある。基本的な作りだったと思います。大聖堂のことで壁画などの宗教画には夫々の謂われがあるが、とても1つ々拝見することは適いません。椅子で静かに時を過ごす人達の姿もあり、簡単な拝見と写真撮影(フラッシュ禁止)で終わりました。お帰りは横の出入口からでした。
10:22 大聖堂の横の入口のドアーの説明。表玄関のドアーとは異なる雰囲気のレリーフが施されている。取っ手が見事に真鍮色に光っていました。出入の人が多いのでしょう。

市庁舎広場(Town square/Mestni trg square): 市庁舎広場
市庁舎広場:塔のある市庁舎(左)とロッバの泉 広場といっても市庁舎(Town Hall)前の比較的広い通りです。この場所は12世紀から中世リュブリャーナの中心の1つだったらしい。中世にも建物が多くあったが1511年の大地震で倒壊した。現存の建物はその後にルネッサンス様式とバロック様式で建てられたものになる。その時代の代表的な建造物が市庁舎とされます。

その前にオベリスク風の泉がある。彫刻家フランシスコ・ロッバが1743-51年に制作したロッバの泉(the Robba Fountain/Robbov vodnjak)です。別名 The Fountain of Three Carniolan Rivers とも云われ、基部にある白い大理石の彫刻が3つの川 The Sava, The Ljubljanica、The Krka の神を表現しているとされる。ローマの泉をモデルにしたことに由来するようです。筆者の想像ですが、この”ローマの泉”とは16世紀のベルニーニ作”四大河の泉( ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川を表す大理石の彫像 )”かも知れません。

Fountain は噴水とか泉と訳しますが、日本語での連想とは少々違います。大きな石タライの中心に塔が立ち、塔の基部にある水道の蛇口から水が出ているものも欧州では Fountain と呼ぶようです。この「ロッバの泉」もそうですが、装飾した塔を持つ同種の泉はスイスの首都ベルンで数多く見ました。他にも欧州のアチコチにあると思います。

三本橋(Triple Bridge/Tromostovje):
三本橋 10:33 市庁舎前から建物に挟まれた道を少し行く。するとスロヴェニアを代表する建築家(とされる)ヨジェ・プレチニク(Joze Plecnic)が設計した三本橋に出る。名前通りに3本の石橋がありますが、両側は少し狭くて歩道橋、中央の橋は幅が広く、両側に緑のベンチがポツポツと置いてある。我々はこの中央の橋も歩道橋と思っていました。しかし、後日みたテレビ番組では車の通行を放映していたので車両が渡ることもあるらしい。三本橋は、もちろん観光客が多いが、地元の人達も数多く渡っている。デザインが珍しいだけではなく、実用の橋としても役立っているようです。中央の橋を歩いてプレシェーノフ広場に行きました。
両側の歩道橋の外側には両岸の低い場所に降りる階段がある。何か珍しいつくりです。大聖堂側の階段を降りると市場の精肉・鮮魚の店にも行ける。

現地ガイドさんによると、「今日は気温24℃、サラッとした空気の晴、めったにない好天気」 なのだそうです。本当に散歩が楽しめる日和です。

プレシェーノフ広場(Preseren Square/Presernov trg): プレシェーノフ広場
詩人フランツェ・プレシェーレンの銅像 10:37 この広場には詩人フランツェ・プレシェーレン(France Preseren, 1800-49年)の銅像が立っている。この詩人の名が広場名となった。三本橋を渡り、その近くで現地ガイドさん(添Yさん)の説明を聞きました。例によって、写真撮りで群れから少し離れてしまった。

『 陽が昇るところ、戦いはこの夜から消え、誰もが自由な同胞となり、境を友にするものは鬼ではなく隣人となる。その日を待つ民すべて久しかれ。(添Yさんの旅日誌から借用)』 1991年の独立後、このプレシェーレンの詩はスロベニア国歌になっている。さらにスロヴェニア発行の2Euro 硬貨の肖像にもなっているらしい。詩人とは云え、パワフルです。

話変って、”詩人”という職業もしくは肩書きを欧米では度々出会う。リュブリャーナだけで青空市場のヴェードニク像と三本橋近くのプレシェーレン像の2詩人をみた。人間の情・非情、条理・非条理、喜怒哀楽を詩として歌い上げ、人々の心底を揺さぶり、末永く読まれる名作の数々・・・。宗教、科学、技術、政治、制度、芸術、等々で非凡な成果をあげ体系化した欧米文化、カチッと出来た文化構造、その何処かに人間の感性の発露の手段が必要だったのでしょう。その1つが、中世の吟遊詩人の伝統に則っとり、詩であり詩人の存在だったのかもしれません。
日本でも世界最短の詩とされる俳句で松尾芭蕉や正岡子規が名を残す。しかし、俳句や俳人は分かっても、”詩人”の存在に戸惑う御仁もいるのでは?文化の違いでしょうか。

プレシェーレン像から見つめられるジュリア(Julija Primic)像 詩人プレシェーレンの最愛の人ジュリア(Julija Primic、1816-1864)の肖像が広場の建物にある。教会で知り合ったジュリアは裕福な商人の娘でした。プレシェーレンの思いは満たされぬ恋に終わった。しかし今もって銅像のプレシェーレンはジュリアの像を見続けている、とされます。観光用ではありますが、この話に文化の壁はなく、誰でも理解できることでしょう。

自由行動: フランシスコ会聖堂(Franciscan Church/Franciskanska cerkev):
フランシスコ会聖堂 10:45 しばしの自由行動となった。我々はフランシスコ会聖堂の中を参観することにした。プレシェーレン広場に面するピンク色の聖堂です。正面の階段を上がり、脱帽して中に入ると未だミサが終わったばかりだった。多くの信者の方々が横の出口から外に向かっていた・・・。

その時はパイプオルガンの奏でる素晴らしい音楽が聖堂内いっぱいに満ちていた。今日まで多くの聖堂や教会を参観させて頂いたが、聖堂内でパイプオルガンの音を聴くのは初めてです。五臓六腑どころか、体全体が共鳴するような凄い迫力でした。最終の1〜2分だったが、音色を十分に楽しみました。コンサートホールではなく、本当の聖堂の椅子でバッハのオルガン曲を1曲でも聴いてみたいものです。まあ、無理・・・。

その後、礼拝堂を簡単に拝見して正面入口の横の出口から広場に戻った。その出口はプレシェーノフ広場、三本橋、リュブリャーナ城などが一望できる良い場所です。聖堂内に入らずとも、正面玄関の左横の階段を上がれば、良い眺めを楽しめます。

時間があったので、商店などのある通りに入り、ブラブラ歩きを楽しんだ。
10:55 若い女性が幾人か群がるアイスクリーム店があった。そこでバニラ・コーン(@1.00E)を1個かった。集合場所に戻りながら、2人で1個のアイスクリームを楽しむ。ケチ故より体重コントロールなのです。

集合、バスまで移動:
11:00 三本橋のプレシェーノフ広場の集合場所に行く。皆さん、ほぼ全員います。このツアーは集合時刻より早めに集まるようです。ところが、時間になっても2名が来ない。あわてた現地ガイドさんと添Yさんがフランシスコ会聖堂の中まで探しに行った。遅れたメンバー2人は買物だったらしく、別の場所からノンビリ姿を現した。筆者も写真撮影で稀にやらかすが、ツアーではこの種の添乗員泣かせが時々出るのです・・・。

スロベニア・フィルハーモニーの音楽堂と山上のリュブリャーナ城 11:07 全員が揃ったところでプレシェーノフ広場を出発です。ジュリアの肖像前を通り、賑わう街中を通りを抜け、ズヴェズダ公園を斜めに横切ってメインストリートのスロヴェンスカ通り(Slovenska cesta)に出る。
11:15 そこからスロヴェニア・フィルハーモニーの音楽堂と山上のリュブリャーナ城がよく見えた。
スロヴェンスカ通りを少し先まで歩き、バスに乗った。

これで約2時間15分のリュブリャーナ旧市街観光を終え、ブレッド湖までバス移動です。

ブレッド湖にバス移動:
11:20 出発。
しばし市街地を走り、高速道路にのった。多くは森林や農地や牧草地だったが、遠方にはユリアンアルプスの残雪のある山並みがよくみえた。
12:01 高速道路から一般道になる。
12:05 ブレッドの町を通過。今晩のホテルも見れた。ここは海抜500m程度らしい。
ブレッド湖に面した断崖絶壁の上に城はあるが、裏側の周辺はなだらかな山麓の森林地帯になる。駐車場も森に囲まれていた。

ブレッド湖(Lake Bled/Blejsko jezero):
ブレッド城(Bled Castle/Blejski grad): ブレッド城
ホテル近くから見るブレッド城、背後は冠雪のユリアン・アルプス 12:10 ブレッド城の駐車場に到着。
12:13 ブレッド湖とブレッド城の比高は130m程度(下記の注)らしく、駐車場までバスは少々登りました。しかし、駐車場から城の入口まで、その入口から展望台までは上りです。大した坂ではないが、少々きつく感ずるかも知れません。
(注:日本語のサイトやガイドブックは比高100m説が多い。しかし、スロヴェニア語の観光サイトやブレッド湖サイトの英語版は比高130mとしている。当旅行記ではスロベニア側の情報を採用しました。2009年6月) 城門の外側に大昔は堀があったが今は小さな空堀、それに架かった跳ね橋を渡り、古い門を潜って城内への坂道を登り始めた。 城の入口に〔i〕とチケット売場があった。現地ガイドさんが入場料の支払いを済ませるまで暫く待たされる。 そこから城の建物を横切る階段を2ヵ所も登り抜け、展望台のある最高部に行く。風景の鑑賞は後回しで、まずは腹ごしらえとなった。

チケット売場近くのブレッド城の案内図、日本語は北行庵の加筆。
ブレッド城の案内図(クリックで拡大)
Bled Castle (Official Site)
昼食(ブレッド城のレストラン): 昼食(ブレッド城のレストラン)
12:21 城内のレストランに到着。
古城内のレストランのこと、古めかしいものを想像していた。しかし、とても明るく現代的でした。所々に古そうな(?)壁画があったり、壁面に簡単な武器が飾られていたが、幾世紀も司祭さん等の食堂だったとはとても思えません。場所が同じということでしょう。
我々は6人のテーブルで、千葉と宮崎から参加された方々と御一緒でした。
飲物は2人で1本のビール(@3.80E)、グラスはテーブルにあったワイン用を使った。水代わりですが、やはり少し残してしまった。
料理はスープ、鱒の唐揚とポテト、アイスクリームでした。メーンデッシュの鱒は「黄金の鱒(ヒトラーの鱒)」と呼び、地元では有名なのだそうです。
量的に少なく感じますが、結果論として帰国後の体重が2.5Kgも多く、我々の場合は少なめがいいですね。
レストランの窓からの風景も抜群、店の人達を含めて全体的に良い印象が残りました。
13:15 この頃にレストランを出る。

その後は自由散策。
展望台からはリゾート地ブレッドの全貌、「アルプスの瞳」と例えられる青きブレッド湖、湖上の聖母被昇天教会、残雪のユリアン・アルプスの美しい山並みとスロヴェニアの最高峰トリグラフ山(Triglav/2864m)、今日は全てが素晴らしく良くみえました。しばらく風景を楽しみました。

レストランと展望台の他にブレッド城の見所として博物館(16〜18世紀の武具)、中世の衣装を着た職員がいるグーテンベルクのプリント工房やワイン・セラーもある。我々は展望台の端にある土産店に入った。店内にブレッド島が見えるガラス窓がある。良い撮影スポットなのでワイフを撮った。撮影後に、「No camera !」と女性店員さんに叱られた。何か買って、店員の許可を得ればOKのようです。

とんがり屋根の円塔(プリント工房)とチケット売場の間は2階建て、2階部分は展望台のように上がれるのです。しかし何処に階段があるのか分からなかった。プリント工房で中世の衣装の人に聞いてみた。直ぐに階段の場所まで手を取るように案内してくれました。とても親切でした。
ブレッド城は司祭さんら僧侶が住んでいたらしいが、やはり城砦で銃眼が幾つもありました。景色や下中庭(Lower Courtyard)も小高い位置でよく見えます。

14:00 プリント工房近くのカフェに行き、カプチーノ(@2.30E)を1つ注文。セルフではなく店の人が外のテーブルまで持ってきました。明るい空の下、そよ風が実に心地よい。ワイフは一口で終わり、後は私が楽しみました。
14:10 カフェのテーブルを離れ、坂道を駐車場に戻り始めた。訪問客が多く、かなりの人達とすれ違った。
14:20 バスに乗車。

ブレッド城はスロヴェニアの人気ある観光地の1つ、その歴史を英文サイトの情報を集めて簡単にまとめました。自信はありませんが、古さはお分かり頂けると思います。

1004年4月10日、ドイツ王ヘンリー2世 〔Saint Henry II、973-1024、ドイツ王(1002-)、イタリア王(1004-)〕 は Carniola 地方の領地ブレッドをブリクセン司祭アルブイン(Albuin、Bishop of Brixen)と彼の教会に与えた。授与の証書には城の記述はなく、恐らくはロマネスク様式の塔が急峻な崖の上にあっただけらしい、とされる。
1011年なり、ヘンリー2世はアルブインの後継者アデルベロンにさらなる領地と城を与えた。その証書においてブレッド城が岩上の城(castellum Veldes)として記述されており、城の建物が築かれていた証拠となっている。それで、ブレッド城がスロヴェニア最古の城とされる。
城の建物は上中庭(Upper Courtyard)と下中庭(Lower Courtyard)に沿って建てられたが、多くはバロック時代のもの。1511年の大地震で崩壊し、後年に再建されたとする説もある。ブレッド城には長きに渡りカトリックの司祭と僧侶が暮らしていたが、宗教活動以外にもブリクセンを含む地域の管理や行政をも行っていたらしい。
1952-61年、10年がかりの大規模な改築が行われ、観光に適するように僅かながら現代風に改良された。
2008年にブレッド文化協会(Bled Culture Institute)が城の博物館を改築した。
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以上、Bled Castle (Slovene: Blejski grad) の歴史は主にスロヴェニア語サイトの英語版から作成しました。史実の確認には図書館に篭るしか・・・。万一の間違いは、お許しの程を。

ブレッド城から遊覧船乗場:
14:20 バスに乗車。員数の確認では2名足りない。添Yさんはあわてて探しに戻った。プリント工房で土産の印刷物を頼んだので遅れた人達がいたのです。
14:23 出発。
ブレッド湖畔の道からブレッドの町を通り過ぎ、遊覧船乗場に行く。

手漕ぎ遊覧船でブレッド島に:
手漕ぎ遊覧船(Pletna) 14:45 湖畔には写真の手漕ぎ遊覧船(Pletna)が数隻係留されている。現地ガイドさんと船頭さんらが話しを付け、乗船となった。総勢28名のツアーは2隻に分乗となった。添Yさんは同じ船、現地ガイドさんは他の船だった。

説明によると、12世紀ころからブレッド湖の南岸にMlinoという貧しい村があった。時の権力者から巡礼者をブレッド島に運ぶ役割が村人に与えられ、代わりに地方税が免除されていた。オーストリア皇帝マリア・テレジア(1717-1780)はその村の20家族にのみ巡礼者をブレッド島へ運ぶ権利を与えた(Servatute rights)。以後20家族は代を重ねたが、現在もその子孫がブレッド島への手漕ぎボートの運行をおこなっている。 国際的な観光地ながらモーターボートは禁止されており、自然環境と経営は安定しているでしょうね。
2本のオールを操る手漕ぎボートは独特な木製、長さ 7m 幅 2m だったが、現在は改良されている。しかし形状は昔と同じとされます。

14:52 出発。この遊覧船は船頭が後部に乗り、オール2本を同時に押し出して前進する。今日は風もなく波も穏やかで揺れもなく、最高の遊覧船日和でしょう。
14:59 歴史地域の森にスロベニアの最高級ホテルの一つ「ビラ・ブレッド(Villa Bled)」があった。湖上からは4階建てに見える。ここはユーゴスラビア連邦の時代には元チトー大統領の別荘だった。日本の皇室の方々など世界でも真のセレブや著名人が宿泊されるホテルのようです。夜のルームサービスが無いといった面もあるらしく、ランクは4つ星らしい。
15:04 スロヴェニアで唯一の島、ブレッド島に到着。99段もある高くて幅広い階段の下が船着場でした。

ブレッド島(Bled Island/Blejski Otok)
聖母マリア被昇天教会(Church of Assumption of Mary):
ブレッド島
99段の階段を見上げると、それだけでフゥ〜と思う。
花嫁を両手に乗せてこの階段を登るという話はあるが、ホントでしょうか。踏み外し花嫁共々転げ落ちたらどうするの!? Happy は End になる。しかし、やってのけたら拍手喝采、それを夢見て花嫁は絶食の日々を過ごすとか、幸せのためなら何のその・・・。
お若いの、ガンバレ! 私の時代は終わった。

冗談はさておき、5月から9月までは結婚シーズン、多くとも日に2回ながら結婚式がブレッド島の教会で挙行されることもあるらしい。挙式は別の場所としても、地元の新婚カップルがこの島を訪れることは多いそうです。
追記: TBSの「地球絶景紀行/スロヴェニア(2011年8月放映)」のビデオではブレッド島の聖母マリア教会で挙式したカップルの映像がありました。確かに花嫁を両腕で抱えて99段の階段を登る花婿の姿がありました。観光用の”話”ではないのです。(2011.08.19 記)

15:06 17世紀に作られた名物の階段を登り終える。上は一寸した広場だった。左に売店などの施設、正面に立派な高い鐘楼と聖母マリア被昇天教会がある。ここには古くからロマネスク様式の教会堂があったが、1465年にゴシック様式の石造りで独立した鐘楼と礼拝堂が建立された。その後、大地震の損傷を受けたが修復された。かなり後に再び大地震にみまわれ、現在の建物は17世紀に改修されたものとされる。ブレッド湖畔の何処からも目立つ綺麗な鐘楼は高さ54m、リュブリャーナで鋳造された鐘が3つあるという。

それとは別に、ここは「願いの鐘(wishing bell)」でも知られる。礼拝堂の屋根上の鐘楼には1534年にイタリアで造られた鐘があり、それを鳴らすためのロープが天井の小穴から下がっている。皆さん、交代にロープを引いて鳴らしている(重く簡単ではない。) 我々も2人で一緒にやってみました。重いローブを何度か周期的に引っ張って最後に体重をかけて力一杯に引いたら鐘が鳴った。が、その音はタイムラグがあるようにも、さらに直接ではなく天井板を通すので鈍い音に聞えるのです。
スロヴェニアの観光サイトでは「三回(または七回)鳴らすと幸せになれる」という。
我々のツアーは簡略に「一回で幸せ。」
「無病息災、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣、天下泰平、・・・、」「ガァ〜ン〜
26人が3回づつ鳴らしたら大変な時間がかかる。

15:20 しばし自由時間となった。観光客向け施設の地下にトイレがある。有料(チップ)で 0.5Euro を入口で支払うと云われていた。しかし、トイレの入口にそれらしきものはない。仕方なく用を済ませて階段を登った。階段の上にコイン入れの箱があった。用意していたコインを入れる。出すものは出し、何となくホッと落着きました。
それからワイフと絵葉書を見る。ブレッド湖全体の航空写真を選び、5枚ほど購入した。売店の女性は一枚づつスタンプを押してくれました。ブレッド島での購入と分かるのです。
その後は外の椅子で休みました。別の団体が教会に入ったらしく、屋根の鐘が鳴り続けていた。時間があれば、島の水辺の道を一周できるようです。

15:40 手漕ぎ遊覧船に乗船、直ぐに出発。
ブレッド湖は一万年以上前の氷河期に Bohinj 氷河がつくった氷河湖、最大水深は約30mとされる。きれいな水で、棲む魚の種類も多いらしい。ブレッド城の見える湖の風景は素晴らしく、心地よい風を受けつつ小波の音を聴きながらの遊覧船でした。
15:50 遊覧船乗場に到着。すぐ近くにいるバスに乗車です。

クリム・ホテル(Krim Hotel): クリム・ホテル
道路に面するクリム・ホテル 16:10 駐車場に近いホテルの裏口からロビーに入った。
部屋割りを待つ間に今夕と明朝の予定表が配られた。夕食は19時にホテルのレストランに集合です。それまでは自由時間でした。
16:20 部屋割りが決まった。我々は2階の105号室、確か階段を使って部屋に行った。
鍵システムは相当に古く、ボタンを押しながら開錠するものだった。部屋に入ると中から必ず鍵をする。そうしないと外から入れるのです。
部屋は道路に面していた。この時間帯は自動車の通行量が多く、しかもホテルの前は緩い坂道だった。エンジンをふかすので走行車の排気音が凄く、驚きでした。
部屋のチェックをする。スーツケースは何とか開けるスペースはあった。寝室やバスルームの清潔感は十分なのだが、洗面用の小道具を置く場所がせまくて使いづらい。スタンダード・クラスのこと、我慢しかない。シャワールームはガラス戸、昨日のカーテンよりはかなり良い感じです。使用しても床に水が滴ることはなかった。

今日はリュブリャーナ旧市街観光とブレッド湖観光を済ませ、時差も残る2日目、自由時間はベッドで一眠りすることにした。服を脱いで横になったが、車の騒音が酷くて眠れたものではない。飛行機用の耳栓をする。効果なし!体全体で音を感ずる始末、窓を閉めると今度は暑さが酷いのです。それでも多少はウトウトと眠りました。
同じ並びの部屋は同行のツアーの人達、皆さん困って怒っていることでしょう。普通なら横になれば多少の疲れはとれる。そう思いつつ、逆に疲れた感じの休息でした。「夜には交通量が減るから大丈夫」と自己暗示をかけても、やはり本心は 「困ったな〜。」

18:20 起きて洗面。夕食はしっかり取らないとバテやすい。
18:45 部屋を出てロビーに行く。部屋に居ずらいのか、皆さんロビーにいました。元気な人達は町の聖マルチヌス教会を見たりショッピングセンターに行ったらしい。しかし、話題は道路の騒音が主たるものでした。
ワイフは添Yさんに「車の音が酷いから部屋を変えて」とダメ元で頼んでいた。皆さんが真剣に見守る中、添Yさんはフロントと交渉を始めた。しかし、いとも簡単に「満室で空きがない。」 ホテルの女性は意味有りげな笑顔でした。夜には車の往来が減ることを期待して、部屋替えを諦めました。

18:50 レストランに入る。
飲物は2人でビールの小瓶1本(@2.10E)とグラス2個を頼んだ。このレストランは少々風変わりでパンとサラダはバイキング、自分で取りに行くのです。
19:00 この頃に夕食が開始。ところがスープを終えるまで、サラダとパンを取りに行ってはいけないという。この伝統のあるレストラン特有のルールらしかった。
ギラギラと油の浮いたスープが出る。魚の生臭い味が強く、全部はとても飲めない。
それからパンとサラダを取りに行く。パンの種類は少なく、白いものと濃い色のものを一枚づつ皿に取った。サラダは美味しそうなのでタップリです。
メーンデッシュは、何だったか忘れましたが、厚切りのロースト・ポークでしょうか(?)、グレービーがかけられ食べやすかった。付け合せもポテトやライスやブロッコリ等で十分です。
デザートはバナナとアイスクリーム、それに生チョコレートを少々かけて上手くやっている。
最初のスープを除いて、満足できた夕食でした。

20:15 ビール代を払ってからレストランを出る。

部屋に戻ったら直ぐシャワーです。お湯が出なくなったらサッパリ感が不足する。ここのシャワーもノズルの固定が難しかった。しかしガラス戸がしっかりで水がバスルームの床に流れることはなかった。

明日の予定:
モーニング・コール(6:30)、スーツケース回収・ドア外(7:00)、朝食(7:00-)、出発(8:00)
我々は5時30分に起床です。

21:00 この頃に横になった。車の走行音は未だ時々するが、夕方よりは随分と楽になった。一旦眠ったら車の音で目覚めることはなかった。

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