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バルカン紀行4カ国(8日目:2009/05/26)
モスタル観光(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)
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ドブロヴニクのホテル出発まで:
04:45 起床。
06:20 部屋の前にスーツケースを出し、別館のレストラン前に行く。未だ閉まっていた。同じツアーの人たちもチラホラ来ている。
06:30 レストランがオープン。
バイキング朝食。オレンジ・ジュース、メーンデッシュ(ベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグ、フレンチフライ、マッシュルーム、クロワッサン)、フルーツ・ヨーグルト、フルーツ、コーヒーでした。
06:55 レストランを出る。
07:20 キーを返却するだけのチェックアウト。
同じ旅行会社のグループ31名がロビーにいる。我々のツアーと同じ旅程を一日遅れで巡る人達だった。聞いた話では、当初の申込みは39名だったが新型インフルエンザの影響で8名がキャンセルしたという。
07:30 バスがホテル前に到着、直ぐスーツケースの積み込みだった。
07:35 乗車。中央ドアーの直ぐ後ろに座る。外気温は23℃だった。

今日の観光はボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルのみ、後は長距離バス移動です。
それで書くことも多くはありません。車窓風景を写真ページでお楽しみください。


移動(ドブロヴニク→国境→モスタル): モスタルまでの車窓風景
丘上の赤い屋根の教会 07:50 出発。
08:05 ドブロヴニク新港エリアを走る。リゾート用の港に思えた。
08:15 新港の直ぐ北側に細長く陸に切り込む入江がある。恐らく河川の浸食谷に海水が入って出来たリアス式の深い入り江の1つでしょう。その入口部分に2001年完成のトゥージマン橋(Franjo Tudjman Bridge)がある。大きな斜張橋の一種で、1990年選出のクロアチア初代大統領名が冠されています。

しばしアドリア海の複雑にして美しい海岸線を楽しみながらのドライブだった。ペリェシャツ半島の南側と思われる辺りが特に見事だったと思う。その後は陸の道となった。
08:57 左側に枝道があった。一昨日、ここで右折してペリェシャツ半島に入り、ストンを通って半島先端のオレビッチまで行った。そこからコルチュラ島に渡りました。その時の半島入口を通過したのです。その後、直ぐにマリストン湾の最深部になった。
09:00 ペリェシャツ半島の町マリストンとストンの城壁がよく見える。ストンの塩田を守るためとは云え、なぜ山麓の中腹に城壁を?と不思議に思う。手前の穏やかなマリストン湾には牡蠣の養殖場が広がっていた。

国境〔 クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴヴィナ→クロアチア 〕
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの領土は一カ所のみアドリア海まで細く伸びている。クロアチア領土を分断する回廊ですが、これが出来た経緯は6日目の項目「ネウム経由でオレビッチ」で説明してあります。
09:00 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国検問所に到着。
パスポート・チェックはなく、ドライバーさんが提出した書類の点検だけでした。
09:04 検問所を出発。
09:12 ネウム市街に入り、往路で利用したスーパーで休息となった。
コーラ1本(12Kn)を買って喉を潤す。今回はスーパーにいかなかった。
09:34 出発。
09:38 クロアチア入国検問所に到着。チェックは何もなく、直ぐ検問ゲートを通過でした。

09:50 ネレトヴァ川のデルタ地帯が見え始めた。大げさながら「クロアチアのカルフォルニア」と云われるだけあり、果物や野菜の栽培が盛んです。2日前の往路でも見たが、走行の方向が違うので感じも変わります。畑と水路が面白い文様の場所もありました。地域名はメトコヴィッチになる。
10:00 この頃からネレトヴァ川に沿って上流に向かう。一寸した町もあるが、そこの川面は鏡のようだった。一昨日の昼食レストランも過ぎ、バスは国境に向かって北上をつづけた。

国境〔 クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 〕 ⇒ 問題発生
10:10 クロアチアの出国検問所に到着。ゲートに誰もおらず、書類の点検も何もできない。少し待ったが係官は姿を見せない。ドライバーさんは止むなく移動を開始、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国検問所に向かった。緩衝地帯は長くはなかった。

10:15 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの入国検問所に到着です。
10:16 検問所ゲートに入国審査官がおり、ドライバーさんと短く言葉を交わしていた。ツアー客に関する書類を見せたか? これは分かりません。バス乗込みのパスポート・チェックはなく、検問ゲートを出発です。入国OKと思った。その直後、ゲートの少し先にいた警官姿の人がバスを止めた。入国手続きを完了するために、Uターンして検問所の駐車場に戻るよう指示したのです。少し先に大型車両でも何とかUターン出来るスペースがあった。再びゲートを逆向きに通り抜け、事務所などが並ぶ前の駐車場で停車しました。ここまでは指示通りで遺漏はない、と思えます。

隣には「○○Travel クロアチア14日間」が停車していた。こちらは入国審査官が乗込み、後部座席までのパスポート・チェックを完了し、バスは出発した。後続の車やトラックやバスなどは次々と審査を受けて出発していく。
我々のバスのみ、全く無視され放置された。書類を手にしたドライバーさんがどの入国審査官に声をかけても誰も相手にしない。 どうやら検問ゲートを過ぎてから指示に従ってUターンしたが、これが国境突破の不法入国に当たるとして書類審査を受け付けないらしいのです。といって、警察官がドライバーさんを現行犯として尋問する訳でもない。ただ無視して相手にしないだけでした。添Yさんにも事情が分からず(?)、エンジン始動で冷房を入れてくれたのが精いっぱいでした。

11:05 ドライバーさんはやっと入国審査官と短く話しが出来た。何と、先方は短く「チップ出せ。」 チップと云うが、国境検問所は役所、賄賂の請求でしょう。どうやら当初から仕組まれた感じに思えます。ドライバーさんは止むなく云われた額の現金を渡した。受取った審査官は堂々とその札を数えながらゲート寄りの事務所に歩いていった。「法律違反で罰金徴収」の雰囲気ではありません。
上司のOKが出たらしく、ドライバーさんはバスから書類を取り出し、事務所に向かった。
しばらく時間がかかった。バスに戻ってから、トラブルで心配と迷惑をかけたことを詫びました。他のバスと違いパスポートのチェックはありません。国境なので写真撮影はできませんが、暇潰しに成り行きをメモしていました。それに基づいた記述です。
で、今も疑問ですが、この種の出費はドライバーさん持ち? それともバス会社の負担?
チップ(?)に領収書が出る話は聞いたことがない・・・。
注:入国審査官=警察官 かも知れません。

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国
(Republic of Bosnia and Herzegovina)

面積は5.1万平方Kmで人口は398.2万人万人(2007年)。旧ユーゴスラピアは『7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つのユーゴスラビア』と云われたが、その構成国の1つだった。
1991年10月に独立を宣言した。北部のボスナ(Bosna)/ボスニア地方と南部のヘルツェゴビナ(Hercegovina)地方からなる。首都はボスニア地方のサラエボ(Sarajevo)で、ヘルツェゴビナ地方の中心はモスタル(Mostar)になる。
国会の独立宣言は国論を二分した。セルビア人は独立反対、クロアチア人とモスリムは独立賛成で分裂の原因となった。1992-5年の4年間は民族間の対立をめぐって厳しい内戦にさらされた。
少し古いが1991年の国勢調査によると、総人口436万人、ムスリム人44%、セルビア人31%、クロアチア人17%だった。今日でも絶対的過半数民族はいない。宗教的には正教徒(セルビア人)、カトリック(クロアチア人)、イスラム教徒に分類されるがユダヤ教徒もおりシナゴーグもある。
通貨単位は兌換マルカ(KM)で1ユーロ=1.95KM(国定レート/2009年)、EU加盟を国家目標に掲げている。
参考資料:
Ref.02、 pp.344-360
Ref.04、項目「ボスニア・ヘルツェゴビナ」
Wikipedia/Bosnia and Herzegovina
BH Tourism
国境→モスタル
11:17 やっと出発となる。約1時間のロスでした。
11:40 この頃、ネレトヴァ川が作り出した広い谷間の道を走る。左側は延々とブドウ畑が続いた。その後は畑になり、農民が鍬(クワ)を使って仕事をしている。畑そのものは広いが、農耕作業がいかにも古めかしいものだった。
11:45 広い谷は終り、再び水量のある川に山麓が迫る感じとなる。しかし農家は点在していた。
11:55 この頃、石灰岩の山に囲まれた盆地となった。この盆地にネレトヴァ川が流れ込む奥にモスタルがある。

モスタル(Mostar):
モスタルの石橋(世界遺産) 12:10 モスタルの旧市街で降車。ここはネレトヴァ川の東側でした。 土産屋などが並ぶ賑やかな通りを昼食レストランに向かった。
モスタルはネレトヴァ川の谷が比較的狭くなった渓谷にあり、旧市街を含めた町は川で二分されている。東側(上流に向かい右側)はイスラム教徒、西側(上流に向かい左側)はキリスト教徒の居住区とする場合もあるようだが、イスラム教のモスクは両側にある。カトリック教会は2つあり西側になるらしい。他にセルビア正教の教会が東側にあるそうです。旧市街ではモスクが目立つがイスラム教徒は全体の40%程度、モスクはトルコ風で日に5回のアザーンが流れる。スンニ派なのでしょう。しかし多くの人達は日一回の礼拝で済ますとか・・・。頑なに思えるムスリムも現代流や異文化に馴染む事もあるのでしょうか。
昔は東西の町を結ぶ木橋があったが、オスマン・トルコが1566年に石橋(スタリ・モスト)を作ったとされる。モスタル旧市街の両側にモスクがあるのは自然の成り行きでしょう。
レストランはモスタル旧市街の東側、コスキ・パシャ・モスクの上流側にあった。表は賑やかな商店街だが裏はネレトヴァ川になる。

昼食(モスタル): 昼食レストラン、モスタル
12:15 この頃、レストランに到着。
現地ガイドはこのレストランで待っている予定だったが、それらしき人はおらず、添Yさんが現地語(英語?)でレストランに予約済みツアーとして話を付けた。屋内ではなく、階下のテラスに案内される。テントの日除けと木々の緑で涼しい雰囲気だったが、崖下にネレトヴァ川の清流が見え、木々を透してモスタル名物の石橋も見えるのです。雰囲気の良い場所をツアーで占領しての昼食です。

飲物はビール小瓶1本を2人で飲みました。飲物代は旅行会社の負担、国境でトラブルが発生し迷惑をかけたお詫びだそうです。以前にも、この旅行会社のツアーで同じ理由で飲物が振る舞われたことがあった。恐らくアクシデントやトラブルに巻き込まれた際のマニュアル通りの対処なのでしょう。
昼食内容は、素朴なナン風のパン、濃いスープ、メーンはボスニア名物らしいチェバプチチ、デザートでした。珍しいものを賞味しました。
チェバプチチ(Cevapcici)は旧ユーゴ諸国の定番料理で各国で食べれるが味は多少違うようです。ボスニア・ヘルツェゴビナのものが知られるらしい。ナンみたいな円盤状のパンを切った中に挽肉をソーセージ状に焼いたものが入っている。皿に玉ねぎの微塵切りが添えてあるが、これはパンに入れて食べるものらしい。珍しいし、楽しめる味でした。

13:17 現地ガイドは最後まで姿を見せなかった。諦めてレストランを出ました。いずれにせよ、日本語の話せない現地ガイドは形式的にグループと歩くだけなのです。

モスタル旧市街の通り抜け: モスタル通り抜け観光
- レストランを出て石橋の方向は土産屋などが並ぶ観光の通りです。石橋が良く見える場所もあり、数分の撮影タイムがもらえました。天気もよくて幸いでした。
石橋のたもとまで行く。途中の土産屋の通りはトルコの観光地を思い出させました。時代は変わっても同じトルコ民族が残した文化、共通するものが多いのでしょう。

石橋の手前に小さな博物館(無料)があり、簡単に参観しました。1993年のボスニア内戦でここの石橋も砲撃を受けて破壊され、その内戦の激しさや橋の再建の様子を写真で展示しています。古いオスマン・トルコ時代の石橋は山上からの砲撃で破壊された。ユネスコなど各界の援助により、その瓦礫と化した石材も集めて使い、2004年に石橋は復元されました。そしてモスタル旧市街の古橋地区(Old Bridge Area of the Old City of Mostar)は2005年に世界遺産に登録されたのです。

石橋はアーチ型なので上がって下りる。中央から川上と川下を眺めましたが、共に素晴らしい風景です。特に川上には先刻のレストランも見え、モスクのミナレットも3カ所にある。
そこから内戦当時の弾痕を沢山残す建物も見え、内戦の激しさを今も現実的に感じます。
橋を渡り終えると小さな石碑がある。”DON'T FORGET '93 ”と書かれていた。 橋を渡り始めたとき、小さな女の子2人が物乞いをしていた。不憫に思った観光客(欧米系)が持っていたリンゴを渡した。2人が直ぐ食べる様子は涙もの・・・。地域の後進性や内戦の傷跡から経済と社会が立ち上がるには時間がかかるのでしょう。

西側の旧市街にはなめし皮職人専用の小さなモスクがあった。仕事上、体臭が酷くて嫌がられ、専用モスクを必要としたそうです。ハマス(トルコ流の風呂)もあり、外観を簡単に眺めたりした。この頃になり何処からともなく、現地ガイド(男性)が現れた。「別のレストランで待っていた」らしい。添Yさんとはお馴染みでした。でも、ガイド料はどうなるのかな?
レストランなどがある道をバスの駐車場に向かっている時だった。つい先刻まで晴れていたが、突然の稲光と雷鳴、そして土砂降り。幸い観光は終えていました。傘をさしてバスが待つフランシスコ教会の方向に急ぎました。このカトリック教会は大きく、尖塔の高さは102mもある。しかし現代建築でした。
14:03 バスに乗車。まだ雨が降っている。座席についてホッとしました。

移動(モスタル→国境→プリトヴィツェ湖群国立公園): プリトヴィツェまでの車窓風景
赤い橋のある風景、ザダール近くのリアス海岸 14:05 出発。
休息を交えながら5時間40分の長距離ドライブです。往路を戻るのではなく、ネレトヴァ川とは別れて西に向かい、峠道を走ってクロアチアに入る。
モスタルの町を出ると直ぐ坂道となり、モスタル北側に広がる盆地らしき平野が見える。
西に向かって石灰岩の台地や山道を走ったのですが、眠って過ごしました。
地図によると、クロアチアに入国できる場所はこの地域に2か所あるが、バスは BH の POSUSJE からクロアチアの IMTSKI に向かったはず・・・。

国境〔 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ→クロアチア 〕
15:15 国境に到着。まず出国審査ゲートです。
国境警備官1名がバスに乗込み、パスポート所持を1人づつ確認した。直ぐ終わった。
問題なく出国です。
15:23 次のクロアチア入国ゲートに移動して停車、ドライバーさんが降車して床下トランクを開けた。積み込みの荷物を係官が目視検査、問題ありません。
15:27 クロアチアに入国、出発となる。

しばらくは山麓の農村を走った。
16:00 この頃、国境通過点の南西になる ZAGVOZD から高速道路 A1 にのった。最初のICは SESTANOVAC という町でした。手持ちの地図・数種類によると、この辺りの高速道路は無いか建設中の表示です。実際には延長部分もかなり完成していました。将来的にはドブロヴニクまで行く縦断高速道路のようです。
景色の関係で左から右の座席に変更した。
16:15 トイレ休息15分間。駐車場は2カ所あり、バスはレスト・ハウスから離れて停まった。少し歩いたが良い運動です。ショップでコーラ1本とナッツ1袋を購入、計20.00Knでした。
16:35 出発。ここはスプリット(SPLIT)の北側のエリアらしい。

石灰岩の台地を行く。比較的豊かそうな綺麗な農村もある。一見は普通の台地のように波打っているだけだが、緩やかな斜面の窪みと思える場所がある。一種のドリーネでしょう。農村の家々や畑がそんな広々した窪地の斜面に思える場所にあったりする。久々にポプラもあり、何かしら安堵させる農村風景でした。

17:05 この頃から台地の森に石垣が多く見られるようになった。どうやら一種の防風壁らしいが、木々の高さと比べると効果は?の気もする。しかし、木の少ない場所では有益なので苦労して延々と築いたのでしょう。
17:20 この頃、丘の上に連続して発電用の風車があった。風景とミスマッチな気もするが、時代でしょう。シベニク(SIBENIK)辺りの高速道路を走行中です。最高速度は130Kmなる道路標識があった。やはり大陸でした。
17:25 クルカ(KRKA)国立公園の標識があった。この公園は高速道路の東北側にあり、石灰岩台地に流れるクルカ川が作り出した景勝地とされる。湖上の教会も知られるようです。
17:30 この頃、大きな橋を渡った。細長い入江に思えるが、川らしい。橋の上からヨットハーバーも見えて素晴らしい眺めでした。
その後に、再び広い草原が所々にあり、それぞれの中央部は赤土が露出している。先にも説明したが、間欠湖ができる一種のドリーネなのでしょう。
18:03 石灰岩の台地の高速道路沿いに大きな断層崖があった。バルカン半島は地震が多い。それを実感させるものでした。こんな巨大な生々しい断層崖は初めてみたもの、と思います。
時刻から思うに、西にザダール(ZADAR)があり、パクレニツァ(PAKLENICA)国立公園のほぼ東 に当たる場所でしょう。
18:10 海岸から峡湾が入りこんでいた。その海側に赤いアーチ橋があった。これも内戦で破壊されたが復元されたものと聞きました。

18:15 トイレ休息。10分間。
パーキング・エリアから高く荒々しい石灰岩の連山が見える。100Kmほど続くヴェレビト山脈で最高峰はヴァガンスキ・ヴルフ(Vaganski Vrh、1757m)になる。スロヴェニアで欧州一とされる鍾乳洞を見学したが、クロアチアで最大規模の洞窟「ルキナ・ヤマ(長さ約1400m)」や「スロヴァチュカ・ヤマ(約1300m)」はこの山脈にあるそうです。これから進む高速道路がその山麓を曲りながら上がるのが見えます。
18:25 出発。

大きくカーブする山道を登る。その先には約5680mの長いスヴェティ・ロク・トンネルだった。2車線のトンネルが2本あり、1本は今年の完成らしい。
18:40 トンネルを抜けた。ここから内陸部です。野生動物が多い地域とか・・・。
18:52 料金ゲートを通過。高速道路から降りて一般道を北進してプリトヴィツェ湖国立公園に向かう。豊かな森林地帯でした。
19:08 フェンスが延々と続く軍用の飛行場があった。入口には古い戦車がおいてある。

所々に広い草原があり、その中央部分は茶色の土がむき出しになっている。これは雨が降ると周辺の草原から中心の低地に雨水が流れ、台地に吸い込まれるまでの長い期間は水がたまったまま、その池の部分のみ草が生えないのです。なだらかな傾斜地の草原は一種のドリーネ(正式な名称は分かりません)、池も一種の間欠湖になり、石灰岩台地に特有なものでしょう。珍しい地形でした。

次第に森が深くなってきた。
19:45 プリトヴィツェ湖群国立公園のホテルに到着。この公園はザダールと首都ザグレブのほぼ中間の位置にある。

ホテル・ベルビュー( Hotel Bellevue/プリトヴィツェ湖群国立公園): プリトヴィツェのホテル
ホテル・ベルビューの正面 到着後は直ぐロビーに入った。事前情報で山小屋風の質素なホテル(二ツ星)と知っていたので、それにしては想像より立派に思えました。ただ、レストランは無いらしい。

間もなく部屋割りが決まり、キーが手渡された。我々は2階でロビー横の階段を上がる。123号室は建物の前側で中央近くだった。入室すると確かに狭苦しく感ずる。しかし、入口正面にはペッドがあり、その左側がツインの寝室でペッドが2つある。ここのベッドは離れて置かれていた。バスルームを含めて清潔感も十分です。スーツケースも広げれるし、マズマズの居心地でした。実は、部屋に関して我々はラッキーでした。
とにかく、急いで洗面だけは済ませました。

夕食(ホテル・プリトヴィツェのレストラン):
08:00 ロビーに集合。皆さんは既に集まり、我々が最後でした。数分ほど離れた別のホテルで夕食です。
20:03 ホテル・プリトズィッエの玄関に到着。こちらは同じく2階建ながら余裕を感じさせるロビーがあり、その右側奥にやはり感じの良いレストランがありました。それでも三ツ星です。
飲物はビール小瓶1本(15.00Kn)、グラスは頼まずテーブルにセットされていたゴブレットを使用した。最初はヌードル入りのコンソメ・スープ、グリーン・サラダ、ビーフストロガノフとライス、デザートは丸リンゴ、でした。良くは分からないが、ここのビーフストロガノフはモスクワで食べたものと同じに思えました(東スラブと南スラブに分かれても同根のスラブ民族)。日本のビーフストロガノフは本場と違うものが多いらしいのです。また、デザートとしてリンゴが丸ごと皿にのって出たのは珍しい。それなりに楽しい夕食でした。
21:20 この頃にホテル・プリトズィッエを出て、ホテル・ベルビューの自室に戻る。

明朝の予定:
モーニングコール(6:50)/荷物回収(7:30)/朝食(7:00-)1階レストラン/出発(8:25)
我々は5時50分に起床の予定です。

デジカメの充電を開始し、シャワーでサッパリしました。その後、すぐ休みました。

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