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バルカン紀行4カ国(9日目:2009/05/27)
プリトヴィッツエ湖群国立公園とザグレブ
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ホテル・ベルビュー出発まで:
05:45 起床。
今日の午前はプリトヴィッツェ湖群国立公園の散策です。雨具類をリュックに入れる。
ジーンズも黒に変え、スーツケースの再パッキング。
06:40 部屋を出る。食前にホテル近くを散策した。少し歩き湖まで行った人達もいたが、我々は近場だけでした。小鳥の囀りも聞こえて、深い森を感じさせます。
07:10 ホテルの簡易レストランに入った。
07:35 部屋に戻る。
07:45 忘れ物チェックをして部屋を出る。鍵を返却するだけのチェックアウト。
08:25 バス出発。このホテル近くにも公園入口(Entrance No.2)があるが、ツアーは最も北側で湖の連鎖が終りコラナ川となる近くの入口(Entrance No.1)から入園します。そこまで少し移動です。
08:30 公園入口の駐車場に到着。ここから歩きです。まず道路横断の木製陸橋を渡った。

プリトヴィッツェ湖群国立公園
(Plitvicka Jezera/Plitvice Lakes Nationa Park):
プリトヴィツェ湖群国立公園 プリトヴィッツェ湖群国立公園の地図
大きい石灰棚の湖と滝が次々とつづく 08:35 公園入口(No.1)に到着。現地ガイドさん(女性)が入場券を手配する。
この自然公園は1949年に国立公園となり、1979年にユネスコ世界遺産に登録されました。しかし、1991年の内戦では武装セルビア人が占領し、戦闘地域となった。「危機に瀬する世界遺産」にリストされたが、1997年にそのリストから外されています。現在は年間80万人以上の観光客が訪れるクロアチアの名所、通年オープンです。

プリトヴィッツェ国立公園はディナリ・アルプスのプリトヴィッツェ高原にあり、約300平方Kmの広さ、標高 1640m とか 1280m の山もある石灰岩のカルスト地形です。深い森に覆われ、自然の動物(鹿、熊、狼、猪、など)が生息し、植物は1100種以上が見つかっている。湖群の西側の山地(バス停からの標高差は約300m程度)を楽しむトレッキング・ルートも整備されている。
世界遺産になった公園の主な場所は、ほぼ北西に下る谷間の16の湖が滝や連滝でつながった稀にみる地形です。谷のアチコチに苔や藻やバクテリアの活動で堆積した石灰華(主に炭酸カルシウム)の自然のダム(堤)ができ、連続する貯水池と滝となった。それらの湖群は最も高い湖(Proscansko Jezero)の標高 637m(?) から最も低い湖(Kaludjerovac Jezero)の標高 503m(?) まで全体として 約132m(?) の落差がある。〔 もし最も低い湖を Sastavci(標高483m(?))とすると総落差は約152m(?) になる。〕 水深は 2〜50m(?) と場所により異なるらしい。この谷の 約6Km(?) に渡って湖と滝が続くのです。( 注: (?)付き数値は一例、正誤は不明。大凡とご理解ください。)
湖群は、ユニークな形状のみならず、水もすばらしく綺麗です。一種独特な神秘的で美しい淡青色から緑や青までの色、光線により微妙に変わる。濃度の高い炭酸カルシウムによるそうです。
最も標高の高いプロシチャンスコ湖にはカルスト地形の地下河川2本が地表に現れて流れこむ。それが源流とされます。他にも周辺の山麓から流れ込む川が多くあり、最北端ではプリトヴィッツェ川が最大のヴェリコ・スラブ滝となり合流してます。
その近くからコラナ(Korana)川となり、クロアチア領内を流れながらクパ川、サヴァ川、そしてドナウ川となり延々と黒海までつながっています。

08:40 ゲート(No.1)から入園です。ここは最も北側で湖と滝の連続が終るところ、標高が比較的低い場所です。散策路にアップ・ダウンはあるが、全体としても上流に向かう。このルートは滝の眺めを楽しみ易いが、多少の登りとなり足の特に弱い人は覚悟が必要かも知れません。でも、坂らしき坂は長くないし、ゆっくり見ながらです・・・。

08:46 この頃、公園の一番の見せ場とも云われる高台の道になった。展望がよく、右遠方にプリトヴィッツェ川のヴェリコ・スラブ滝(落差78m/公園内で最大)があり、左側の湖の堤から幾条ものサスタヴツィ滝が落ちている。二つの流れが合流するところに丸い池が幾つかあった。白い巨大な石灰岩の壁に囲まれ、木々の緑や湖のエメラルド・グリーンや滝の白が素晴らしい光景です。

ヴェリコ・スラブ滝(右上)とサスタヴツィ滝(左下)

08:58 我々の行程を上の写真で説明すると、これから手前の坂道を下りカルデロバチェ湖(Kaluderovac Jezero)までジクザグの道を下った。湖の間の丸太道を対岸まで行き、写真の中央・左の崖下の道を下って右上のヴェリコ・スラブ滝の下まで行く。その途中で、中央の左下にみえるサスタヴツィ滝は丸太橋からその落口を見下ろすことになります。

湖水や小さな滝の近くでは丸太道が続きますが、足場としては安心できるものでした。湖間の堰は幅があり、多くは植物に覆われている。苔類や芦やヒゲ草など種類も豊富です。蕗の葉みたいな丸い葉も多かった。湖面は素晴らしいエメラルド・グリーンに見えるが、光線を漣が反射して全く別の湖のようになったりもする。

丸太の遊歩道と湖のマス 無数のマスが湖の岸辺近くや丸太道の傍にいました。足音も少しは水中に響くと思うが、驚きも逃げもしない。悠々と何処までも続く群れとなり、ゆっくり動いている。子供の頃、近くの小川に山女や岩魚がいたが、足音で素早く逃げていた。これは未だ食糧難の時代で獲る人が多かったためでしょう。ここのマスは誰も獲らず、いじめない。安心して道沿いや岸辺に集まっているのです。

追記: 淡水魚をマスとしましたが、「世界不思議発見」というテレビ番組では「チャブ (Leuciscus cephalus)、コイ科」としていました。ネット情報によるとチャブがマスを駆逐する勢いで増えているとか。写真の魚がどちらなのか分かりません。(2013.08.31記)

09:05 ヴェリコ・スラブ(落差78m)近くに到着。ここには記念撮影用の雛段もあった。その上から滝壺は見えなかったが、この公園で最大落差の滝は良く見えました。景色を楽しみ、写真を撮影したのみです。
09:07 来た道を戻ります。湖や石灰棚の滝などの風景を楽しみながら、緩い傾斜地を上に向かう。
09:15 石灰岩の山地のこと、右手に洞窟があり、その入口に古い木製のベンチがあった。でも、誰か座って休む人がいるのか、疑問に思った。
09:17 今度は左手に洞窟が現れる。横道があり中に行けるようです。でも、誰も行く様子はありません。好奇心の旺盛な個人旅行者なら行くかも知れません。

09:21 岩に女性の碑がありました。
MILIKA TARNINA (1863-1941) / THESE VATERFALLS WERE NAMED AFTER THE WORLD FAMOUS CROATIAN OPERA SINGER / IN 1898
と記され、横顔のブロンズ・レリーフが石板に貼られている。
この女性はクロアチアのオペラ歌手、1897年のザグレブのオペラ公演に出演し、そのギャラをプリトヴィッツェ保護協会に寄付したのです。直ぐ近くの滝は「ミルカ・トルニナ滝」と命名され、名を残しました。

コジャク湖・北岸のフェリー乗場 09:45 コジャク湖・北岸にあるフェリー乗場に到着。ここは休息所を兼ねており、レストランや売店もある。
コーラを1本(15.00Kn)買いました。椅子に座り、ボンヤリとピープル・ウォッチングやフェリーの動きを見て過ごす。
10:10 フェリー乗場に移動、もう殆どの人達はいる。
乗船して直ぐの座席にした。少し後から大型犬を2匹つれた人が乗った。1匹はとてもフレンドリーで尾を振りながら私の顔を舐めにかかる。私はペットは飼っていない。犬に好かれる訳が分からなかった。
10:20 フェリー出発。100人乗りがほぼ満席だった。我々の座った方が船首。ゆっくり進むので進行風も大したことはなく快適でした。さらに、騒音も振動もない。何故か? フェリーは環境保全のため電動でした。コジャク湖にはスティファニ島という細長い小島がある。それを過ぎると南東の船着き場が目の前だった。
その目と鼻の対岸にも桟橋があり、短距離フェリーが往復している。対岸は昨夜泊ったホテル・ベルビューの近く。朝の散歩で湖まで行った人がいましたが、合点がいきました。

崖の途中から噴き出す珍しい滝(左) 10:37 フェリー到着。桟橋の先で集合、現地ガイドさんに従って、再び遊歩道を歩きながら色々な滝や湖や植物などを楽しみました。珍しかったのは、滝の水と共に成長する植物です。滝が落ちるままに緑の草が下に垂れているが、枯滝の場所でも長く垂れ下っている。雨が続き滝になると元気に成長するのでしょう。時には大きな滝の水飛沫が遊歩道まで届き、あわててカメラをタオルで包んだりしたものです。
最後は比較的長い登り坂道。この頃に小雨が降ってきたが、直ぐ止みました。

公園の面白い3両連結バス 11:21 バス乗場に到着。木製の待合所もありました。公園内に舗装路がありエコバスが南北に走っている。バス停は4カ所、散策を始めた北の入口が STOP-1 で、南端のプロシチャンスコ湖が終点 STOP-4 になる。今回は STOP-3 から STOP-2 まで乗車です。
11:30 写真の3両連結の面白いバスが到着した。ドイツ製のエコ・バスだった。写真は広い場所ですが、公園内の道はそれ程広くはない。うまくクネクネ曲り、すれ違いも何とかこなしている。
11:38 降車です。坂道を歩いて登ると直ぐ宿泊ホテルの前に出ました。そこで待っていたバスに乗車です。

昼食(レストラン): 昼食、沿道のレストラン
昼食の飲物 11:45 バス出発。
12:10 コレニッツァ村のレストランBORJEに到着。
大きなレストランで欧米系を含めツアー客が多かった。我々は玄関から一番奥のテーブルに案内された。
飲物はビール小瓶1本(15.00Kn)、グラスはテーブルにセットされたゴブレットを使った。
スープとサラダは普通です。メーンデッシュは「マス」の三枚下ろしの両側2枚を焼いたものでした。
マス料理自体は海外ツアーで珍しくはない。今回も二度目です。
帰国後、添Yさんの旅日誌をみると「プリトヴィッツェのマス」となっている。まさか、散策ルートの湖の岸辺に群がるマスが網で獲られ、この姿となり皿にのせられた? それはない。この地域の養魚場のもの? 当然ですが、当然が当然でないことも時々ある世の中だから・・・。(冗談です。公園は世界遺産。)

移動(プリトヴィツェ湖群国立公園→首都ザグレブ):
高速道路の風景(車窓撮影) 13:20 レストラン出発。小雨が降り始めた。
14:50 プリトヴィッツェ公園から流れ出たコラナ川に架かる橋を渡った。内戦時代にはこの川を挟んでセビリア軍とクロアチア軍が対峙したそうです。今だ弾痕のある建物も車窓から見れました。
14:55 カルロバチュ(Karlovac)の街にはいる。ここから高速道路を利用してザグレブに向かいます。
15:04 高速道路の入口ゲートを通過。
15:18 パーキング・エリアで休息。半袖シャツのみでは肌寒かった。
15:25 出発。
コラナ川が流れ込んだサヴァ川が見える。この川はサラエボでドナウ川に合流します。
15:40 高速道路ゲート、ここから一般道です。
ザグレブ市内を旧市街に向かう。やはりクロアチアの首都、大都会の雰囲気でした。
16:25 ザグレブ大聖堂前に到着。天気は悪く、本格的な雨です。

ザグレブ旧市街(Zagreb): ザグレブ旧市街 リブリャーナ旧市街の地図
首都ザグレブ(人口約80万人)は旧市街と新市街に分かれている。観光的な中心地は旧市街ですが、そのエリアはさらに2つの丘に分かれ、聖母被昇天大聖堂を中心とする聖域のカプトルと中世には城壁で囲まれたグラデッツがある。カプトルとグラデッツが合併しザグレブになったのは1850年とされる。初めにカプトルの大聖堂を見学し、その後はグラデッツを観て回ります。最後に旧市街と新市街の境とされるイラチッチ広場で自由時間です。

16:25 大聖堂前の広場でバスを降りた。傘が必要だった。広場の中央には高いモニュメントがあり最上部には金色の聖母マリア像が大聖堂を向いている。広場周辺はカピトルの丘と云われ、大聖堂関係者の住居が多くあるそうです。

そこで現地ガイドのCさん(男性)が合流した。今回のツアーで初めて日本語が話せるガイドさんです。ザグレブ大学には日本語学科があるらしいが、そこの卒業生は報酬の良い銀行や商社などに就職する。ガイドCさんは独学で日本語を勉強中でした。何を云いたいのか理解はできますが、現時点では未だ流暢とは・・・。しかし懸命に説明する姿は印象に残ります。将来的には場数を踏んで上達し、日本人ツアーに欠せない存在になるでしょう。

聖母被昇天大聖堂(Cathedral of Assumption of the Bleased Virgin Mary):
聖母被昇天大聖堂 古くから教会堂はあったとされるが、1094年にハンガリー・クロアチア王ラディスラブ(ラースロー1世)がここに司教座を置いた。その後、ロマネスク様式の大聖堂が建立されたが、1242年のモンゴル侵入により破壊された。後年にゴシック様式で建て替えられた。15世紀にオスマン・トルコがバルカン半島で猛威をふるった。その頃に大聖堂周辺のカプトルを囲む城塞が築かれた。20世紀になり、大聖堂の正面の城壁は取り壊され、現在は城壁の痕跡が僅かに残るのみ、とされる。
1880年に大地震があり、大聖堂も傷みました。ネオ・ゴシック様式で修復され、その時に高さ105mの2本の鐘楼が追加された。予算の関係で砂岩を使用したので弱く、現在は石灰岩に取り換える作業がつづいています。

16:37 大聖堂の中に入りました。
由緒ある大聖堂のこと、規模も大きくて荘厳です。ステンド・グラスも多く使われている。礼拝堂の椅子にはポツポツと信者の方達が座っています。我々以外の団体も欧米系を含めて幾つか見学していました。クロアチアに大聖堂、または司教区、は幾つもありましたが、首都の大聖堂は国のカトリックを代表する立場かも知れません。それで参観者も多いのでしょう。我々は入口から右側の窓沿いに奥に進んだ。キリル文字に基づくグラゴール文字を伝えたキュリロスとメトディウスの祭壇もあった。

大聖堂にザグレブ大司教ステピナッツの墓所がある。司教は、第二次世界大戦後のユーゴの法廷において戦争犯罪人とされた。強制労働に従事させられ、その後に減刑され故郷で監禁された。その状態ながら、バチカンは司教を枢機卿に任じた。当時のユーゴ政権はこれを良しとせず、司教はバチカンの教皇選挙にも行けず、1960年に故郷で他界した。
クロアチアが独立すると司教の名誉は回復され、ザグレブ大聖堂に埋葬された。ところが、大戦中にカトリックへの改宗を迫られたセルビヤ人やホロコーストの被害者ユダヤ人が司教への不信感を消しさったのではない、らしい。微妙な問題を今に引きづっているようです。政治と宗教、それに民族問題がからみ、あまりにも解決が難しい問題の一例で、筆者には荷が勝ちすぎます。
16:47 大聖堂から広場に出る。相変わらずの雨でした。

ドラック青果市場(Dolac Farmer's Market):
16:53 この青空市場は1926年に始まりザグレブで最も古いとされる。午後3時までは賑わうが、もう終わっていました。少し高い小広場から眺めただけです。

石の門(Stone Gate):
17:02 ドラック市場と聖マルコ広場の間に石の門がある。中世のグラデッツは城壁に囲まれ東西南北に4つの門があったが、東門のみが今に残る。歩行者専用です。
18世紀には木造だった東門近くで大火災が発生し全て燃え尽きた。焼け跡から奇跡的に無傷の聖母子のイコン(宗教画)が見つかりました。東門が石造りで再建された時に小礼拝堂を設け、そのイコンを安置した。ここで祈る人も多く、蝋燭の灯が絶えることは無いらしい。カトリックは「宗教的な奇跡」を認めるようですし、当地はカトリック教国、信仰の対象として重要なものとなっているのです。
添Yさんによると、「お祈りの迷惑にならないよう急いで通り抜けるように」とのことでした。グループが通過した時にもお祈りする婦人がいました。 私は写真を撮ったりで、マナー違反だったかも知れません。
門を通り過ぎると石畳の坂道です。

聖マルコ教会と広場(Church of St. Mark):
聖マルコ教会と国会議事堂(右)、政府公邸(左) 17:07 坂道を登り終えると右に広場と聖マルコ教会があった。グラデッツの中心的な存在です。教会のカラー・セラミック製の屋根は国旗で使われる赤白青の3色を基本に、紋章が2つ描かれている。向かって左は中世のクロアチア王国、ダルマチア地方、スラヴォニア地方の3紋章を組み合わせたもの、右には3塔のある城をモチーフにしたザグレブの市章です。教会は古くからあったが、1880年の大地震後、1882年の大改修時に特色ある屋根は新たに加えられたとされます。
聖マルコ広場の中央に卵型の大きな飾りがある。祭りか何かの行事で使われたもの、捨てずにここに飾っただけのようです。

聖マルコ広場と教会の周囲にはクロアチアの国家機関が集まっている。東京やワシントンの官庁街から思うと実に小柄ですが、教会に向かって右側には国会議事堂、左奥には政府官邸(旧総督邸/現在は大統領と首相の執務室あり)、表と裏の地域には国立の美術館や博物館がある。このエリアではクロアチア国旗を掲げた建物が道すがら見受けるが、それは国の機関の建物です。

聖マルコ広場からイェラチッチ広場まで:
聖マルコ教会からクロアチア歴史博物館、ナイーヴァート美術館、聖カタリナ教会などを外観を拝見しながら、ロトルシュチャク塔まで歩きました。その先はザグレブ新市街を眺める展望台です。残念ながら雨で見通しは良くなかった。でも、街の眺めは楽しめます。
後ろを振り返るとロトルシュチャク塔があり、最上階の右の窓が開いている。大砲の先が見えました。これは毎日12時、ドカーンと一発、ぶっ放すそうです。かなり大きな音という。オスマン・トルコの来襲にまつわる謂れはあるようですが、今となっては時報です。
高低差30mを登るケーブルカー 展望台の右の斜面にレールがあり、その下と上に駅舎もある。グラデッツ旧市街の丘に登る可愛らしいケーブルカーです。古く1890年の開業、現在の車両は1973年製、高低差30mを55秒で登る。一両のみのピストン運航です。乗りたかったが、ツアーでは無理です。傘をさしながら、運良くケーブルカーの写真は撮れました。
気付いたら皆さんはもう坂道を下っている。あわてて追いかけました。

イラチッチ広場(Ban Josip Jelacic Square)自由時間 :
展望台からイラチッチ広場の道は快適な下り坂です。まずは賑やかな広場の反対側まで行き、大聖堂の尖塔が見えるところで解散となった。集合は 18:20 に大聖堂広場です。

我々に行動予定はなかった。広場の中心部にあるイラチッチ総督像(オーストリアとハンガリーとの複雑な政治情勢のなかで軍人総督としてクロアチアに尽くした人物、1859年歿)や観光用の列車型の乗り物を撮影したが、雨が続きブラブラ歩きのムードではない。デパートらしき大型商店に入って地下の食料品売り場を見歩いたが何も買わなかった。広場中央のカフェにゆく。
随分と天井の高いカフェだった。お客は雨のためか多い。空いていた奥のテーブルにする。メニューを見てカプチーノ2つ(計30.00Kn)を注文した。簡単な英語で間に合った。
温かい飲物はこんな天気の時は特に気持ちを和ませてくれます。しばし、休みました。
出る前にトイレを使ったが階段を降りる地下にある。広いが掃除は行き届いていた。
支払いはレジ、愛想の良くない太ったオバサンでしたが、僅かな釣りは店に上げました。

18:05 集合時間には間があったので、大聖堂よりのチョコレート専門店に入る。幾つかの手頃なものを手にして、バーコードをチェックした。最初に気に入ったものはクロアチア製ではない。ワイフが手にしたものはクロアチア製だった。2人分の手持ちクロアチア通貨クーナで買えるだけ買っていた。チョコレートは土産に使えるが、クーナは使いようがない。
チョコレート店は若い女性1人でやっていたが、愛想がとてもよかった。

大聖堂広場まで緩い坂道を登った。メンバーの歩く姿もポツポツ見える。
18:18 大聖堂前からバスに乗車。この頃には雨は止んでいた。
これで全ての観光予定が完了です。バスの座席に戻りホッとしましたね。
18:20 大聖堂前を出発。

ゴールデン・チューリップ・ホリディ・ホテル(ザグレブ): ザグレブのホテル
ホテル入口 19:00 この頃にホテル到着。
外観はそれ程は古さを感じないが、旧ユーゴスラヴィア時代の良きホテルの例のようです。内部は落ち着いた感じでした。
ロビーでしばし部屋割りを待つ。
19:20 5階の433号室に入室。広くて快適な作りです。
部屋の写真を撮り、洗面のみ済ませて夕食に向かった。

夕食(ホテルのレストラン) :
19:40 ロビーからレストランに移動。ここも快適です。団体用ではなく一般客用のテーブルでした。我々は比較的奥に座った。
飲物はレストランで注文取りに回りますが、料理はヴァイキング形式で各自でとりました。生野菜が食べたくなり、新鮮なサラダは多めです。メーンデッシュの肉団子はもっと食べたかったが、帰国後の体重が気になって我慢でした。
20:30 飲物代を支払い、部屋に戻った。

もう観光は全て終了し、帰国のみです。明日は早朝に出発、オーストリアのグラーツ空港に向かう。手動ズーム・ネオ一眼デジカメは風景用なので明日からは出番がない。そのバッテリーの充電はしなくて済みます。急いでシャワーを済ませた。バスムーム設備の作動は良好でしたが、シンクの湯と水の出方が逆で最初は戸惑いました。部屋は広く、楽にスーツケースを広げることができました。旅の最後のホテルとして満足でした。

明朝の予定:
モーニングコール(4:30)/荷物回収(5:00)/朝食(弁当)/出発(5:40)
*スーツケースは20Kg以内、手荷物は8Kgまで。
*液体物100ml以上や先の尖ったものはスーツケースに入れること。
*パスポートを忘れずに。
との添乗員メモでした。
我々は4時00分に起床の予定です。
エアコンを付けて休んだのですが、音が少々耳触りで止めました。

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