中国旅行記|北京4日間(2日目:2010/4/4)
頤和園・万里の長城・明の十三陵(定陵)・京劇
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万里の長城、山上は八達嶺・女坂の最高部 朝食、ホテル出発まで
バス移動、ガイドさんの北京情報
シルク工房と販売店
★ 頤和園
オリンピック公園(鳥の巣)
バス移動、カササギ
昼食 & 七宝焼き工房と売店
バス移動、予定変更
★ 万里の長城(八達嶺)
★ 明の十三陵「定陵・地下宮殿」
夕食(四川料理/街のレストラン
★ 京劇鑑賞(Peking Opera)
バス移動、天安門広場の夜景
新世紀ホテル北京(2泊目)


朝食、ホテル出発まで:
05:30 起床。
06:10 着替えと洗面を済ませた。トイレの使用済み用紙は長さずにバケツに入れておく。
室温が低く、クシャミの連発となった。風邪薬はのみたくなかったので、添鼻薬のみ使用した。
06:25 部屋を出て4階のレストランに向かった。実はこのホテルの日本語サイトには4階のレストランの案内がなく(2010/4/16)、飲食店は全て3階以下でした。推測ですが、団体客用のヴァイキング専用レストランと思います。
6時半からと云われていたが、既にレストランはオープン中で客は多かった。多分、早くから開いていたのだ。 適当にテーブルを決めて、料理を取りに行く。オレンジジュースと皿一枚分の料理をとり、テーブルに戻った。食べ易いので量的には再度取りに行きたかったが我慢する。代わりにコーヒー2カップを甘くして飲んだ。これで満足しました。
06:55 部屋に戻った。
留守中の荷物は簡単に片付けておく。
07:10 部屋を出る。
ロビーにメンバーは居なかったので、ホテルの外に出て、写真を何枚か撮った。
07:20 ロビーで集合。点呼で気付いたが、ガイドさんは既に参加者22名の氏名を記憶したような感じ、顔との一致を心がけている様子でした。

話は前後し、今日からガイドさんは効率的な方法で人数の確認を始めました。総勢22名でも夫婦とか友人グループとか単身参加などの集まりです。単身を含むグループに番号を割り当て、その番号で点呼する(以後、番号点呼とする)。夫婦なら1人が返事すれば済み、4人グループなら代表の返事のみです。これなら名前を全部読み上げる必要はない。手早く全員が揃ったか確認ができるのです。参加者は互いの名前を覚えずに済んでしまう。我々はどういう訳か、1番が割り当てられました。ツアー申込順だったと推察しています。
長年のツアー経験でも番号点呼は初めてです。中国流か? ガイドKさん流かもしれません。

07:27 乗車。
07:30 出発。

バス移動、ガイドさんの北京情報
今日は予め渡されていた日程表とは違う順番で回ります。まずは、ホテルから遠くない伝統工芸のシルク工場を訪問します。車中でガイドKさんはいろいろな説明をしていました。後で説明されたものでも適切なものはまとめて記述しました。間違いがあったら、筆者の聞き違いやメモ違いです。

車窓から眺める北京の市街は道路や公園も整備され、建物も立派なものが多かった。
上海や香港の車窓とは決定的な違いがあり、北京では時々犬の散歩を見かけました。たまたま偶然かもしれないが、小型犬は見かけず、中・大型犬でした。つれ歩く人達の服装なども散歩に適切で違和感がなかった。他に、カササギやその巣を時々見たことも大きな違いでしょう。

シルク工房と販売店: シルク工房
シルク工場の正面入り口 07:48 シルク工場の駐車場に到着。
建物自体は現代建築で新しいもの、しかし玄関部分は伝統的な瓦屋根に赤い柱で中華風に作られている。直ぐ中に入った。こちらは国営の観光シルク工場のようでした。

正面に見本の展示品が置いてある。担当の女性がシルクとマユに関して説明をした。日本語ははっきりして分かり易い。
実は1年前の上海旅行の折に蘇州でシルク工場の見学があった。その時に「真綿は絹糸を作れない大きなマユでつくる」と知った。今回は、「真綿の原料になる大きなマユはカイコ2匹が入ったマユ、2本の糸が絡み合っているから1本の絹糸を作れない。絹糸を作る小型のマユはカイコ1匹しか入っていない。」 なるほど、やっと合点がいきました。通常の日本人には常識かもしれないが、私は知らなかった。

真綿布団の値段表、2010年4月現在 大きいマユ玉を処理して柔らかくし、台に割竹を半円状にして取り付けた道具を使い、ある程度まで伸ばす。それから所定の面積になるまで人力で四方に引っ張って薄く延ばす。これを120枚重ねて真綿布団を作るのです。軽くて暖かく、洗濯ができ、虫が付かず、ずれ止めの縫い目がない、等の利点があるらしい。

いろいろ説明を聞いた後、例によりシルク布団や絹製品のショップに案内された。シルク布団も高級品ですが、布団の布地にもいろいろあり、選ぶと高いもののようでした。右の表の価格は人民元です。
記念のミニ・パンダ 私は単純で飾りのない小さなパンダ1個(40RMB)を記念に買ってみました。
しかし、シルク布団を購入する人もポツポツおり、中には何枚もまとめ買いした人もいた。
08:35 店を出る。

前の木に大きな鳥の巣が3個もあった。珍しく思ってカメラに収めた。後で知ったが、北京に多いカササギの巣でした。それからバスに乗車でした。
08:40 出発。

頤和園(イホーユエン) ★世界遺産: い和園 い和園の地図: 中国語/英語 頤和園/い和園
Beijing Summer Palace
Yi he yuan (イホーユエン)

い和園の意味は英語に直訳すると"Gardens of Nurtured Harmony"とか・・・、日本語ならさしづめ「調和の園」とか「和合満る園」といったところでしょうか。
12世紀ごろ金代の皇帝の離宮が造園され、それが始まりらしい。明代には好山園(コウザンエン)、清代の1750年に乾隆帝(ケンリュウテイ)が昆明湖を配して大改修を行い「清い園(セイイエン)」とした。第2次アヘン戦争(アロー戦争)で破壊されたが、1888年に西大后(セイタイゴウ/慈禧皇太后)が巨費を投じて再建し「い和園」と改名した。西大后はこの庭園を深く好み、特に晩年には執務を含めて長時間をここで過ごしたと云われる。
北京の北西にあるい和園は昆明湖と万寿山(比高60m)を擁し、園内は面積約3.4平方kmと非常に広く、全体として江南地方の風景を写したつくりとされる。名園や楼閣や堂宇の見所も数多い。特に入口の東宮門周辺と諧趣園、仏香閣周辺、清晏舫(セイアンホウ)周辺、昆明湖は見逃せないとされる。中でも諧趣園、長廊(728m)、仏香閣は重要、湖岸と島を結ぶ十七孔橋もみごとです。
東宮門周辺:  乾隆帝がここの中庭で寛いだとされる玉瀾堂(ギョクランドウ)、皇帝や西大后がい和園で行う政治の中心だった仁寿殿(ジンジュデン)、西大后が京劇を楽しんだ大戯楼(ダイギロウ)、西大后の寝所で前に中国一とされる巨石がある楽寿堂(ラクジュドウ)などがある。
仏香閣周辺:  万寿山の中腹にある3階建の仏香閣は1750年の建立、8角形の塔の高さは41mあり、昆明湖の眺望が素晴らしい。
清晏舫(セイアンホウ)周辺:  清晏舫は1755年に昆明湖の眺めを楽しむ目的で作られた大理石の船で、別名「石舫(セキホウ)」ともいう。全長36mとされる。
長廊(チョウロウ):  楽寿堂と清晏舫の間にある長い屋根付きの回廊で728mもあり、雨風でも風景を楽しめるよう建造された。色彩豊かな絵が描かれ、世界最長の絵付き回廊としてギネスブックに掲載されている。
世界遺産に登録、 1998年
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参考文献とサイト
Ref.01、pp.60-61
Ref.02、pp.29-314
Ref.04、DVD百科事典、項目「い和園」
Ref.Web Wikipedia 項目「い和園」

い和園(昆明湖・万寿山の中腹の仏香閣) 08:50 い和園の駐車場に到着。
下車し、い和園入口まで歩く。距離はあった。

09:55 かなり歩いてから、中国の伝統建築物が多く見える広場に着いた。とにかく人が多い。中国人団体も同じ色のキャップを被ったグループや単にガイドの旗について歩くグループなど様々で、自分の群から離れると迷って大変です。

「い和園」と掲げられた大きな門があった。大勢の出入りが見える。その両側には、日本の狛犬のように、一対の獅子の銅像があった。ガイドKさんがチケットを購入し配付するまで待ち、その大きな門を潜り、園内に入りました。

次は背の高い「仁壽門」がある。潜り抜けると直ぐに立ち上った灰色の巨石が飾られていた。上海エリアなら「太湖石」と云うが、ここの石の名は分からない。大小の同種の岩がい和園のあちこちに飾られている。
その奥に「仁壽殿」があり、建物の中心の前には2本の角をもつ想像上の動物らしき銅像があった。有名なものかも知れない。記念写真を撮る人達が絶えなかった。
清朝の西太后(慈禧皇太后)は巨大な海軍資金を流用して荒れ放題だった い和園を再建し、今日の姿に作り変えました(1888年)。ここをこよなく好んだ西太后はこの仁壽殿で政務を執り行ったとされます。
注: 「西太后」は日本人の呼び名で、中国では「慈禧太后(じきたいこう/Cixi Taihou ツーシー・タイホウ)」というそうです。

仁壽殿の左に回り込み、庭園の奥に進むと「昆明湖」に出る。湖岸はしっかりした石造りで、自然に放置された所は見当たらない。そこには貸出用の小型遊覧ボート(ペダル式?)が数多く並べられている。のんびり昆明湖を動き回ったら優雅な気分になるでしょう。
この場所には土産屋があったり、石畳に水で漢字をかいて戯れる人達がいた。

また、ここは眺望も素晴らしい。
昆明湖(人造湖)の右手にはこの湖を掘った土砂で作った万寿山(高さ60m)がある。その中腹には3層の「仏香閣」(高さ41m)がよく見えた。仏香閣に登る巨大な階段が湖側にある。もし登ったら、今日の万里の長城は無理になるそうです。それで我々は仏香閣までは行きません。
さらに右に目を向けると細い円筒で作られたアーチが見える。上部は金色で装飾も施されている。その奥は「楽寿堂」といい、西太后の寝所だった建物です。西太后は晩年の多くをこの い和園で過ごしたといわれます。
昆明湖の左手には小さな「南湖島」があり、陸と結ぶ連続するアーチの「17孔橋」がみえる。なかなか美しい形の橋でした。時には、中国風を強調したデザインの遊覧船がゆっくりと通り過ぎていく。優雅な眺めでした。

湖沿いは延々と石造りの護岸壁と遊歩道が続いている。仏香閣の容姿と相まってなかなか見事な眺めです。
ここから玉蘭堂や大戯楼などのエリアを昆明湖沿い造られた石畳の道を「楽寿堂」の先まで行く。そこから長廊が始まり、湖から少し離れた場所を湖畔沿いに延々と伸びている。
楽寿堂と清晏舫(セイアンホウ/石船)を結ぶ屋根付きの長廊は総長728mとされる。その始点には見事に彩色が施された「遊月門」があるが、その近くから長廊の中を西に向かった。長廊の柱や天井は彩色され、所々に中国の伝統的な絵が描かれている。
柱や梁は鉄製らしく、何時この形で再建されたものかはっきりしません。西太后の再建時でしょうか? ここは絵の回廊としても有名です。蛇足ながら、スイスのルツェルン市内でロイス川(River Reuss)に架かる木造のカペル橋がやはり屋根付きで絵のある橋として知られている。しかし、洋の東西が異なり、絵の内容も屋根などの構造も違います。少なくとも長さだけは中国に軍配が上がります。

09:24 この頃に長廊は直線から左カーブになる。カーブの手前で長廊から離れ、湖側の小径を戻りはじめました。どちらかと云えばブラブラ歩きですが、ガイドさんは休みなく引っ張りました。往路では長廊の開始となる遊月門を通らなかったが、帰路で通った。
09:29 遊月門を潜り、楽寿堂に向かう。

その先は直ぐ楽寿堂の門となる。門から中には横幅のある巨大な例の庭石がデンと座り、直接には楽寿堂(西太后の寝所)が見えない。巨石を回りこむとさらに別の庭石が立ち上がり、その奥に建物がある。玄関前には鶴と鹿の銅像が一対づつ並んでいた。

外観のみでしたが楽寿堂を拝見し、入口方向に進むとアカシアの木があった。剪定による樹形が一種独特で龍の姿を模しているそうです。これから時々アチコチで見かけました。
また何がしの建物の入口で伝統的な中華衣装の男性がいる。説明では、宦官の制服なのだそうです。(注: 宦官は明日の故宮博物院の項で説明しています。)

09:42 再び仁壽堂の前を通って、い和園の見学を終え、外に出た。
途中の右手には、「い和園文昌院」なる立派な門があり、中の奥の見えた建物は風格あるドッシリしたものと見受けました。

焼き芋屋、自転車とドラム缶のサイドカー構造が面白い 珍しいタイプの公衆電話(街中) 途中に右の公衆電話があった。上海や香港や周辺では見なかったが、ここ北京にはある。実はブラジルのサンパウロでみかけて印象に残っていた。街の飾りにもなるもの、しかし実際にはケータイの普及で消滅の運命でしょう・・・。
駐車場に戻るあたりは、ガイドKさんによれば、普通の北京の市街地の風景なのだそうです。
バスに乗る前の四つ角で、中国の焼き芋屋を何人も見かけました。サツマイモは大きく立派なもので、日本のとは品種が違うようです。芯までホクホクに焼けたものを食べてみたいものです。
09:48 バスに乗車。
09:50 バス出発。

オリンピック公園(Peking Olympic Park):
鳥の巣、2008年オリンピック、メーンスタジアム 10:03 2008年8月22日からオリンピックがあった。そのメーンスタジアム「鳥の巣(Birds Nest)」がよく見える場所で停車してくれた。通常は車窓観光のみになるが、今回は特別に下車してカメラ・タイムです。
現在はオリンピック公園として緑多い公共施設となっているが、国家体育場「鳥の巣」と国家水泳センター「水立方(ウォーターキューブ/Water Cube)」が特に目立っている。これは2つで前方後円形を表現し、古代中国の「天を円」とし「地を方」とする宇宙観の表現、でもあるらしい。オリンピック以後も競技場などとして使用されているが、すでに今年は黒字化を達成、ということでした。
注: 前方後円形は日本なら前方後円墳を連想するが、古代中国思想との関連は不明とか。
10:08 出発。

北京民族博物院という施設の周りを走り、それを通り過ぎてバスは止まった。しばし、民芸品店で休息です。

民芸品店(ヒスイの店):
ヒスイの店 10:21 雲居堂なる民芸品店に入る。ゴチャゴチャした店づくりではなく、現代風でした。
一通り拝見し、奥の椅子で休みました。近くには喫茶部もあったが、そこは利用しなかった。我々こそ引込んでいたが、もちろん買物をする人達もいました。
10:45 店を出てバスに向かう。

バス移動、北京のカササギ:
10:50 出発。これから万里の長城「八達嶺」に向かいますが、途中で昼食をとります。
北京民族博物院の近くを走り、高架道に乗って郊外に向かったが、高い位置の右手に再びオリンピック公園が見える。立派な公園です。

高速道路の証明灯に留まったカササギ2羽 オリンピック公園の木に出来たカササギの巣 たまたま撮った写真にカササギの巣が4個も写っていた(右)。これから沿道の木々にカササギの巣を見ることになる。車窓から飛ぶ姿や地面で歩く姿や巣の周りに停まったカササギを幾度も見たが、高速走行中のバスからの写真はかなり難しい。やっとの思いで1枚だけ撮れました。実はピンボケのゴミ写真ですが、何とか分かるので掲載します。韓国旅行では「カチガラス」と説明されたが、同じ鳥です。その巣はカラスの巣にとても似ています。
北京滞在中にこの鳥だけはアチコチで見かけました。
カササギ(鵲/Pica pica)の別名はカチガラス、またはコウライガラスといいます。

北京市内から郊外に向かったが、建物は新しいものが多い。小さな昔風の中国家屋は見ない。時折に満開らしき桜が目を慰めてくれる。
北京ディーズニーランド、中止の遺物 11:40 この頃、右手にお伽の国の建物らしきものが見えてきた。ガイドさんの説明では、北京ディーズニーランドが企画されて実際に建設着手となりました。外観は右の写真のものまで進捗したが、企画そのものと建設工事は中止、そして廃墟となった。何時のことか聞き洩らしました。
人口の多い中国ではディーズニーランドは成功しそうなものですが、近年の香港ディーズニーランド(2005年発足)は来客数の減少に見舞われ、上海ディーズニーランドの完成は早くて2015年と云われている。人口と相まって生活上の趣味も合わないと企業経営は難しい・・・。

北京郊外をかなり走り、前方に平野から連山が立ち上がる地域となった。

昼食 & 七宝焼き工房と売店: 昼食
昼食のレストラン 11:47 レストラン前の駐車場に到着。
正面入口には「金殿景泰○工○/Jin Dian Cloisonne Factory」とある。七宝焼き工房を兼ねたレストランらしい。
1階は入ると直ぐに七宝焼きの絵付け工房だった。それを過ぎると広々した七宝焼き販売店になっている。その中央部に階段があって、2階のレストランに上がる。我々の席は奥まったところだった。

テーブルの回転台にはオレンジ切身、ピーナッツ、名知らずの丸い中華菓子(美味い)が乗っている。お茶をいれ、食事まで少しづつ味わった。
料理は8〜9品だった。 全体的に味はマアマアだったと思います。エビの唐揚は美味しかったし売行きも良かった。他には余ったものも結構ありました。
デザートのお菓子は3種もでました。メンバーは高齢者が多いためか、甘いものは食べない人もいたようです。

食事後は直ぐテーブルを離れ、階段そばの売店でテーブルにあった丸い中華菓子の袋(20.00人民元)を購入した。
1階の七宝塗りを見て回る。ワイフは小型の小物入れ(40.00人民元)を1つだけ買っていた。土産にするつもりだったらしい。

バス移動(→八達嶺/長城観光の予定変更): バス車窓
12:45 バスに乗車。点呼の結果、2名不足だった。
ガイドさんは店内に探しに戻った。ショッピングで遅れた2人が急いで乗車した。
12:50 出発。
バスは平野から谷間の道に入った。時折、集落がある。この辺りの農家は土地が痩せているので栗やトウモロコシの栽培になるらしい。平屋の数軒がかたまる佇まいは中国の標準的な農家の風景とのことだった。

女坂ロープウェーチケット/個人60人民元 13:58 右手の山麓に長城の一部が見えてきた。バスは左右にカーブしながら坂道を登る。それで長城もゆっくりとは眺められない。幾枚かは写真が撮れた。時には大勢が上部に登る部分も見える。しかし、目的の八達嶺ではない。

ここでガイドさんからの提案だった。
このツアーは、八達嶺の麓から「女坂」の途中まで長城の上を登り、適当な地点から最高部を見上げたり、延々と続く長城の眺望を楽しむものだったらしい。それでは遠路はるばる来たのに物足りない。Kさんが云うに、「八達嶺の女坂の駐車場は混んでいる。少し下から女坂ロープウェーに乗り、長城の最上部に行ってはどうか。」 ロープウェー往復料金は1人800円で自己負担になる。反対者はいない。ロープウェーに乗ることになった。女坂の駐車場とロープウェー駐車場は異なり、離れている。バスは行き先が変わった。

八達嶺に到着した時点での天候とか混み具合によるので、旅行会社はロープウェー使用を予め決めないのかもしれない。今日の体験からは、当初から女坂ロープウェーを利用し最上部の北八楼まで登るのが良いと思えます。もっとも、ロープウェーの待ち時間が長すぎると、次の予定に支障をきたすことも・・・。

万里の長城(八達嶺) ★世界遺産: 長城(八達嶺)
万里の長城と八達嶺
The Great Wall of China
Wanli Changcheng

万里の長城の起源は春秋時代にまで遡るらしいが、記録では周が北方の匈奴の侵入を防ぐための城壁を建造したのが始まりとされる。その後、中国を統一(221BC)した秦の始皇帝が北方の燕(エン)や趙(チョウ)の長城を連結し、さらに西方に延長した。長城は東の渤海に臨む山海関から西の嘉峪関(カヨクカン)まで、総延長6,350Kmに及ぶとされてきた。しかし、ウィキペディア『万里の長城』によれば、さらに長く8,851.8km(2009年4月18日、中華人民共和国国家文物局の発表)とされ、中国国家観光局(日本語)サイトでは『中国北方の山間部に7,000km以上にも延びる』としている。
当初の長城は粘土や石で作った素朴な土塁の類いだった。しかし、明朝の永楽帝の時代とその後に改修されたり構築された部分は北方の蒙古来襲に備えたるために大きい煉瓦で表層を覆った実に頑強なものとなった。北京の北西にある八達嶺(ハッタツレイ)から雁門関(ガンモンカン)に至る部分は二重に長城が構築され、特に防備が固い。明時代の長城は現存する部分が多くあるが、中華人民共和国成立後に長城の修復が行われ、特に山海関や八達嶺が観光地として内外によく知られている。
6世紀に建造された八達嶺は北京市の北西部約70Kmの延慶山にある。燕山山脈の要衝、軍都山(グントサン)に築かれた長城です。ここは北京近郊では最も早く修復された。明代には大改修が行われ、帝都を守る北の関所となった。八達嶺付近の長城は高さ約9m、幅は上部で約4.5m、底部で9mもあり、上部に鋸歯状の女牆(ヒメガキ/凹凸凹凸凹凸・・・)を設けて銃眼とし、約100m〜数100mごとに各台(トンダイ)という城塞が設けられた。見張台や狼煙台(ノロシダイ)だったり、または休息所や食料・武器の貯蔵所だったという。 八達の名は「四通八達(道や通信が四方八方に通づる意味の四字熟語)」から取られ、交通の要を意味する。
万里の長城は軍事的な目的で構築されたが、南の漢民族には堅固な防備があるという安心感を与える程度で、北方民族にはその巨大な建築構造によって心理的な威圧感を与えた程度だったらしい。北方の騎馬民族が南方の農耕地帯に時々侵入していた、とも云われます。
世界遺産に登録、 1987年。
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参考文献とサイト
Ref.01、pp.65-67
Ref.02、pp.34-35
Ref.04、DVD百科事典、項目「万里の長城」
Ref.Web Wikipedia 項目「万里の長城」
万里の長城、八達嶺、長城の最高部 14:17 ロープウェーの駐車場に到着。
まずトイレ・タイムとなった。その間にロープウェーの団体切符(?)の手配でした。
どういう訳か、トイレの利用者はいない。ここのトイレの設備は帰路にガイドさんが説明しました。
14:22 例の簡便法で人数の確認を済ませ、ロープウェー乗場の行列に付きました。ところが直ぐ、待ち行列が狭い面積に整然と納まるようにする鉄柵ガイドに移動となった。その先頭だったのですが、これは今までの列の中程になり、少々得をした・・・。

14:35 ロープウェーの6人用ゴンドラに乗る。4人で我々が前部席だった。ゴンドラのガラスは少し汚れていたが、写真は撮れました。尾根を越した先にトンネルがあり、その中に駅がある。
14:40 ロープウェーを降り、トンネルを通って反対側の山腹に出る。

そこから下り坂道を長城との合流点まで固まって歩いた。人があまりにも多く、ウカウカすると迷ってしまう。途中に瓦屋根のゲートがあり、その後に長城の上に行く鉄製の渡り歩道があった。

長城の上に立つと、左の登りは各台(トンダイ)の基礎部の巨岩にぶつかる。その先には行けない。 右の坂道は登る人と降りてくる人の動きがまるでアリのようです。遥か上部に北八楼という各台があり、そこで行き止まりとなる。ここから八達嶺の最高部であり軍都山(グントサン)の頂上付近となる北八楼まで各自で登るのです。
集合はここに15時○○分、と云われて解散となった。標高は1000m以下で高山病の心配はありません。

長城は大煉瓦に覆われているが、実際には大きな切り石を敷き詰めた感じです。始めは急こう配の坂道でした。体がこんなに重いとは! 中国と日本では重力Gが絶対に違う! 写真を撮りながらフーフー登った。暫くすると坂道から階段になった。少しは登り易くなったが、目指す各台までマダマダ・・・。諦める訳にはいかない。途中で若い女性カメラマンに追い越されてしまった。ガンバレ、自分を励まし、フー、フー。やっと最高部に到着です。満員電車なみとは云わないが、それに準ずる凄い人混み。皆さん、その中で記念写真の撮影です。大変なものでした。我々も女性カメラマンにデジカメを渡して1枚撮ってもらいました。その為に、この各台まで来たようなものです。
ここの眺めは絶景です。延々と山陵に続く長城が眼下に見下ろせる。見た者だけの至福の一瞬でした。
グランドキャニオンと同じく広大で規模があり、写真による表現は難しいと思います。

稜線を上ったり下ったり、クネクネと続く長城は確かに堅牢そのもの、敵の攻撃から領土を守るには適切にも思えます。しかし、デジカメ1台の軽装でも、各台と各台の間の半分で大苦労した急斜面です。武具をまとい武器を携え馬をつれ、こんな山中を動き回って戦うなんて、とても考えも及びません。昔の中国の人達の体力と想像力は凄いものだったらしい。騎馬民族の馬も今よりタフだったのでしょうネ。としても、多分、真の目的は別のところにあったのでは?

第2次世界大戦前のこと、フランス(南)はドイツ(北)との国境に長い防衛用の要塞マジノ線(Maginot Line)を1936年に完成させた。スイスとの国境からルクセンブルクまで約400kmの長さという。当時では最高の軍事技術を集めて構築したもので、フランス人は太戦直前までマジノ線があるが故にドイツの侵攻を食い止めれると安心していたらしい。ところがこの防衛線をドイツの空軍が直ぐに破壊し、陸軍は易々とフランスに侵攻したという。
万里の長城も心理的な安心感を漢民族にもたらしたが、軍事的には大して役立たず、北方民族は事あるごとに南側の漢民族の農耕地帯に侵攻していたらしい。時代と形こそ違っても、洋の東西を問わず、何やら似たようなことがあるものです。日本のネット上には、長城を戦艦大和に例える御仁もおられます(笑)。今となれば、長城は世界の名所として膨大な観光収入をもたらし、戦艦大和はプラモデルとして玩具会社に繁栄をもたらす・・・?
しかしネ、ガイドKさんは「長城は異民族の侵入を阻み、大いに役だった」と力説していました。

適当に切り上げ、ゆっくりと気を付けて下りました。集合場所には全員が揃っている。我々が最後でした。全員が揃っての記念写真を撮り、ロープウェー乗場に戻った。また少々の登り、これがきつかった。後はトンネルの中の駅でゴンドラに乗るだけです。

女坂ロープウェーの駅を出る。外に出ると、これから乗る人達の巨大な行列が出来ていた。最低30分は待つでしょうし、長城上部の混雑も比較にならないかもしれません。我々は本当にラッキーでした。
15:30 トイレ・タイムとなったが誰も利用しなかった(多分、予備知識あり。) ロープウェー乗場の先に土産屋が多く並んでいたが、そこも行かなかった。直ぐバスに乗車でした。

ガイドさんが云うからに、「誰もトイレは使わなかった?それは良かった。八達嶺のトイレはニーハオ、男性はともかく女性は仕切りがないので大変です。」 これを聞いて、驚いた。まさか、世界に冠たる大観光地のトイレがニーハオ?信じられないが現実かも知れません。で、オンライン調査。旅行者の報告では確かに昔はニーハオトイレだったらしい。しかし、オリンピック後のことは分からなかった・・・。未だ改修なし???
簡便な番号点呼のあと、出発です。

バス移動(→明の十三陵): 15:35 出発。これから長城の東になる明の13陵に行きます。30分で行くと思っていたが、意外に1時間以上もかかりました。
疲れもあり、車窓の景色を眺めながらボーと過ごした。目的地に近付くと、モモやリンゴの果樹園が多くなった。剪定法が違うようで樹形が中国独特のものに思える。果樹の幹には防虫用の白い石灰が塗ってある。現在はアチコチで農薬の散布が行われていた。この地域の農家は中国では裕福という。

明の十三陵「定陵・地下宮殿」 ★世界遺産: 明の十三陵(定陵)
明の十三陵
Ming Dynasty Tombs
Ming shi san ling

北京より北に約50Km行くと燕山の麓に天寿山があり、明の十三陵は東・西・北の三方は山に囲まれ、南は北京に向かって開いていた盆地にある。長城「八達嶺」の東になる。
北京に遷都した永楽帝は皇陵の「万年寿域」を構築する場所としてこの盆地を選んだ。(中国のことで”風水師の勧め”という説もある。) 明朝第3代の成祖永楽帝から明朝最後の毅宗崇禎帝(キソウスウテイテイ)まで230年以上の間の皇帝13人、皇后23人、太子2人、皇妃30名以上、宦官1人が埋葬された陵墓群である。長陵の着工(1409年)から思陵の完成(1644年)まで禁地で衛兵が駐屯し守られていた。
「明の十三陵」の名称は上記のとおり明朝13皇帝の陵墓があることに拠り、単に「十三陵」ともいう。陵園の敷地面積は40平方Kmもあり、世界に現存する最大規模の帝后陵墓であり、最多の皇陵群でもある、とされる。皇帝の代順に長陵(成祖)、献陵(仁宗)、景陵(宣宗)、裕陵(英宗)、茂陵(?宗)、泰陵(孝宗)、康陵(武宗)、永陵(世宗)、昭陵(穆宗)、定陵(神宗)、?陵(光宗)、コ陵(熹宗)、思陵(穀宗)がある。外から全ての陵墓を見学できるが、内部が公開されているものは、最初に建立された長陵(成祖永楽帝、明朝3代)、大理石の地下宮殿をもつ定陵(神宗万歴帝、明朝14代)、昭陵(穆宗降慶帝、明朝13代)の3陵のみです。
正門(石碑坊)から龍鳳門までの800mは神道または神路(シンロ)といい、その両側には石人や石獣などが多く並んでいる。
世界文化遺産に登録:清代の皇帝陵墓(2000年登録)と共に2003年に追加登録された。
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参考文献とサイト
Ref.01、pp.64
Ref.02、pp.36-37
Ref.04、DVD百科事典、項目「明の十三陵」
Ref.Web Wikipedia 項目「明の十三陵」
明の十三陵:定陵、塀と生門、明楼(中央の屋根)、地下の玄室はさらに奥の墳丘下

定陵(ディンリン)とは:
定陵は明の14代皇帝”万暦帝”の陵墓で天寿山のふもとにある。”朱翔鈞(しゆよくきん/1563-1620年)”は10歳で皇帝になり”万暦帝”と称した。明朝の皇帝としては最長の48年間も治世はつづき、58歳で逝去した。 死後の称号を”神宗”という。万暦帝を宗顕帝とか神宗万暦帝とか神宗朱翔鈞という場合もある。
万暦帝が皇帝になった1583年(万暦11)に定陵の建設を開始し、6年の年月と銀800万両の巨費(明の国家予算2年分?)を費して完成させた。定陵には万暦帝のほか孝端皇后、孝靖皇后を合葬している。定陵は長陵に次ぐ規模ともいう。
陵域は神道(しんどう)、稜恩門、稜恩殿(焼失)、明楼、墳丘からなる。明楼と墳丘以外はしばしば破壊された。墳丘は円墳で、地下に設けられた墓室(玄宮)が1956‐58年に発掘されている。
地下宮殿の見取り図/クリックで拡大
階段をほぼ9階建相当分(深さ27m)を降りると、鉄扉があり、前室となる。 地下の玄室は「玄宮」とか「地下宮殿」と呼ばれ、総面積1,195平方mもある。前殿、中殿、左配殿、右配殿、後殿の5つの部屋にわかれ、全て白大理石造りとされる。地下宮殿には柱や梁がなく、天井は大理石をアーチ型に組んで作られ、高さは7m程度とされる。
後殿(后殿)は万暦帝と2皇后の棺(梓宮)を置く部屋で、多くの朱漆塗の木箱にそれぞれの副葬品をおさめていた。
定陵は盗掘の被害が全くない。明代皇帝の葬制をよく今に伝え、無数の副葬品は当時のすぐれた工芸技術を示す貴重な資料となっている。
[ 参考資料:Ref.04、DVD百科事典、項目「定陵」を基礎に多くのウェブサイトから文章を合成 ]

15:46 定陵の駐車場に到着。これから約50分の定陵の見学です。
駐車場から陵内に入ると、上の写真のように、山を背にする広大な敷地に明朝14代皇帝だった神宗万歴帝の霊廟「定陵」がある。この陵のみで日本なら壮大な寺院の規模がある。「明の十三陵」には定陵と同じような規模の霊廟が永楽帝の長陵を含めて他に12もあるのです。
いうなれば、日光の東照宮のある谷一帯に東照宮並みの霊廟を徳川歴代将軍の12人が個別に建立したことを想像すれば、当らずと云えども遠からず、でしょう。これを成す権力と財力は相当なものと思われます。

定陵の前庭らしき広々した場所の先にピンクというか赤系に塗られた長い塀がある。中央部には正門としての入口があり、「定陵博物館」と表札がかかっている。
広場の右には博物館の建物があり、発掘された冠服、金銀器、玉器、葬儀用品、武器など各種の副葬品が陳列され、発掘時の記録写真も見れる。黄金のタライなどもあるらしいが、この展示館は見学しなかった。
15:53 正門から中に入り、左側に進み、しばしトイレタイムでした。正門の中は松の一種らしき木々が多く、中国風の石畳の道や休息所などがあり、日本の禅寺の雰囲気があると云えばあるような・・・。歩道の踏み石の並べ方は禅寺そのものでした。近くに休息用の4つの椅子と丸テーブルがあったが、その椅子1つ々が石を彫った象、昔の中国人の遊び心でしょう。
その部分の中央奥には赤系の色の塀や石組で一段と高くした場所に門らしき建物があった。 これは明楼の前に当る場所で、稜恩殿(焼失)があった場所でしょうか? 境内の地図がないので良く分かりません。

明楼という大きく立派な建物の左横の石段をあがった。途中から上を見ると、松の木が岩石の隙間から成長し何本も大木になっている。その下を登った。
明楼の先に行く。左には石畳の傾斜道があり、トンネルがあった。そのトンネルを使って万暦帝の棺は地下の玄室に運びこまれたという。今は塞がれている。

16:05 万暦帝の霊廟に入るが、入口ではセキュリティ・チェックがあった。直ぐに階段を降りることになる。安全に作られた9階分の下り、そして上がる。体力勝負でもあります。

地下宮殿など定陵の写真はここをクリック

16:19 霊廟から外に出る。入口と出口は別の場所になり、出口はトンネル状で、ここから切通しの坂道を直進して明楼に上がります。我々が通った時は土産屋の露店が数件ありました。
明楼の中心には大きな碑石が立っているが、不明瞭ながら上部に「大明」、碑に「神宗顕皇帝之陵」とある。碑を納めた建物の周囲は回廊で歩けるし、その展望も良いものでした。盆地の彼方の森に同じような大きな霊廟の屋根が浮かんでいました。
明楼を後にして、往路とは反対側の坂道を曲りながら降りました。その途中で見る明楼の姿形と色が何とも言えないものでした。
下まで下ると、明楼の基礎石の角に彫刻が飛び出ている。何時か何処かで見たような気がしました。しかし、思い出せない。
16:35 駐車場に到着。バスに乗車。

バス移動(→夕食レストラン): 16:38 出発。
車内でお八つのクッキーがガイドさんから配られた。歩き疲れがあり、助かりました。
実は土産品販売の見本です。月餅やウーロン茶クッキーや北京キャンデーなど、日本人に無難な土産品のカタログ販売、6箱をまとめて購入すると1箱がサービスになる。ワイフは月餅4箱、北京キャンデー2箱、サービス品としてウーロン茶クッキー1箱を頼んでいた。
ガイドさんは「日本円OK、1人民元13円で計算してください。」 このレートは割安です。これで我々の買物は4680円でした。車内で注文、夕食のレストランで受取りの予定です。代金は後とのことだった。

次に今までの精算がある。昼の八達嶺ロープウェーは1人800円、今晩の京劇鑑賞(オプショナル)は1人3900円、これらが未払いだった。Kさんが回ってきた時に10400円を渡し、1000円の釣りを受取った。

土産購入と精算が済むと、明朝の予定が発表となった。
モーニングコール(5:30)、朝食(6:30-)、集合(7:30)、出発(7:40)
明日の午前中は天安門広場と故宮博物院(紫禁城)の見学となる。かなり歩くようです。

夕食(四川料理/街のレストラン): 夕食(四川料理)
街のレストラン正面 18:07 北京中心部の路面のレストランに到着。
「黄山酒楼」という四川料理の店だった。
参加者22名は3テーブルに分かれて座った。ビールを注文する人はポツポツ、多くは中国茶で済ませました。
食事内容は写真ページでご覧下さい。ピンボケも混じっています。何分、食べるのが主なので・・・。
実は、あまりにも几帳面に料理毎に撮影するので皆さん呆れたようでした。迷惑にならないように、フラッシュは使わずに小型のコンデジで素早く撮っていたのですが・・・。

旅行中は首に大きいネオ一眼デジカメを吊り下げているが、食事中はブラブラして邪魔になる。リュックに入れて足元に置けばいいが、何か面倒です。膝上に置くと落すかも知れない。椅子の背に架けるのは禁物です。と云って、裸のカメラを床に置く訳にはいかない。
食事中のネオ一眼デジカメの保持の仕方 今回は一寸した工夫を思い付き、食事が楽になりました。ネオ一眼デジカメは首から外し、ストラップを腰のベルト前部に潜らせる。ストラップの半分余を引出し、デジカメのレンズをストラップの輪に通し、ボデーで受け止める。その後、デジカメを両足の間に置くとストラップ取付け2カ所とレンズ引掛けの三点支持となり安定する。これで食事中も大きいデジカメが邪魔にならないし落ちる心配もない。その写真を掲載しておきます。参考にする方は、まず居ない!?

ここの四川料理の辛みは日本人向けに押さえてあるらしいが、それでも辛い味が口に残りました。でも、空腹感は全くなくなり、そこそこ満足した夕食でした。

食後、注文した土産品の手提げ紙袋をレストラン前で受取りました。数多く注文した人達が結構いました。(注: 帰国後に味わったが、それぞれ楽しめました。土産として貰った人達も喜んだ様子とか。思うに、旅行会社が日本人好みに作らせている・・・。)

見本のクッキー 北京クッキーの箱 月餅の箱

19:12 バスに乗車。
19:14 出発。

京劇鑑賞(Peking Opera) ★北京伝統の音楽劇: 京劇鑑賞
京劇
Peking (Beijing) Opera
Jing ju (ジンジュウ)

京劇は主に2地方の異なる民俗芸能「二黄(ニコウ)」と「西皮(セイヒ)」が合体したものとされ、早くから北京にもたらされた。しかし、一説では中華人民共和国となってから「京劇」と呼ばれるようになったとされる。
清代1790年(乾隆55)のこと、乾隆帝の八十歳の誕生日を祝うために地方の劇団が北京にきて披露された。それから流行した伝統芸能とされる。年月をかけて各地の民族芸能が混じり合い北京の芸能として洗練されていった。西太后には特に好まれて手厚い庇護を受け、北京独自の演劇として発展と熟成を遂げ、名女優の出現などによって庶民層にも人気が定着した。白(セリフ)と唄(ウタ)で進行し、做(シグサ)や打(タチマワリ)で芝居を盛り上げる。独特のメークアップや煌びやかな衣装をまとい、華やかな演劇である。
京劇は音楽に合わせて高音調で歌い演じるが、唄がとりわけ重要とされる。その伴奏の主要楽器には京胡(胡弓)、月琴、三弦、二胡、横笛などがあり、打楽器として小太鼓のほか大小の銅鑼(ドラ)や鐃乳(シンバル)を用いる。
役柄は男役の生(セイ)、女役の旦(タン)、豪傑・敵役の浄(ジョウ)、道化・端敵役の丑(チユウ)の四つ(生旦浄丑)に大別されるが、年齢や性格に応じてさらに細かく分類されている。役者は一役の演技のみとされる。役者のしぐさや演技は全て擬態の動作で、実生活にみられるものを誇張し美化したもの。舞台は日本の能舞台のように幕がなく背景もなく装置らしきものも用いない。 「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」など知られた物語に基づくものが多く、長編の芝居から断片を抜きだす段物が多いのは歌舞伎と同様とされる。
京劇には2種あり、「活劇」は大立ち回りが特色で、「文戯」は主に唄とセリフに特色がある。 演目は約200種にもなる。伝統的な京劇では、前にテーブルをセットして茶菓子を楽しみながら鑑賞することもある。
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参考文献とサイト
Ref.01、pp.68-69
Ref.02、pp.44
Ref.04、DVD百科事典、項目「京劇」
Ref.Web Wikipedia 項目「京劇」
Ref.Web @京劇
京劇: 孫悟空の物語 19:20 あるホテル前に到着した。全員が京劇鑑賞を申込んだ訳ではなく、4〜5名はバスに残りホテルに向かった。
京劇シアター「梨園劇場(Liyan Theatre)」は前門建司飯店(Qianmen Jianquo Hotel)のなかにある。この劇場は1990年10月にオープンしたが、北京で始めてのティーハウス・スタイルの劇場になるそうです。

外観とロビーの雰囲気から高級ホテルに思えるが、そのロビーの奥が劇場の入口だった。
中に入ると、各国語のヘッドフォンの貸出場と出演者の化粧場があった。化粧そのものも見せ物にして記念写真を撮らせたりしている。歌舞伎と似ているのか、ドーランを使った厚化粧で、しかも化粧中の役者は全て男性だった。

日本語ヘッドフォン2個を借り受けた。1個700円だったが、舞台上の京劇の進行に合せた日本語解説というよりは、一般的な京劇の解説だった。右コラムの内容みたいなものだった。結果から言うと、京劇は役者の仕種や掛合いの立ち振る舞いがすぐれて面白い。言葉が分からなくとも意外にも楽しめるもの、この日本語ヘッドフォンは不要とも云えましょう。

我々は自由席、既によい場所は取られている。後方の2席にする。私が通路側でした。実は肘掛に腕を立ててデジカメを持ち、ズームを効かせると舞台が良く見える。オペラグラスは持っていないのでワイフは観づらかったかもしれません。
気付くと最前列はテーブル付き、どうやら欧米系の観客らしい。ウェイターが飲物などを時々運んでいる。簡単な食べ物もあるようです。寛いで京劇(Peking Opera)を鑑賞です。欧米の西洋オペラは飲食できないので、良い記念でしょうね。

19:30 開演
最初に中国音楽の楽団が舞台上で演奏です。一寸、調子が分からないが、音楽です・・・。
プログラムは3種。最初は女装の役者が長いリボンを手に舞うもの、なかなか優雅でした。
次は、20人ぐらいの短い芝居、これは良く分からなかった。
最後が孫悟空の長い演技でした。黄色い孫悟空は常に舞台の上、次々に物語に沿ったらしい人物などが登場し、孫悟空とやりあうのです。その駆け引きなどの演技が面白い。物語は忘れていましたが、とても楽しめました。

京劇の写真はここをクリック

20:30 終了。
直ちに若い女性職員がヘッドフォンの回収に来る。アナウンスでは前席の背もたれに掛けるようにいっているが、「持って行ったら困る」と云わんばかりに大急ぎで集めていた。ヘッドフォン2個を手渡しても表情も目付きも変わらず、無言で直ぐ次を手早く集める。
これは民俗文化のことで難しいが、中国人の最後の仕種が日本人には無愛想に感じてしまうことがある。世界的に見て、どうでしょう? 中国人は素っ気なく、日本人は愛想ありすぎ、と云ったところでしょうか? としても、そうと分かっていれば、問題ないことで・・・。
欧米系の客が比較的多いロビーを急いで通り抜け、表のバスに向かいました。

天安門広場の夜景(車窓観光):  天安門広場の夜景
20:35 バスに乗車。
車中で人数を確認し、出発。この頃になると、ガイドKさんは名前と顔を完全に覚えていた。 直接ホテルに向かわず、京劇鑑賞をした人へのサービス観光として、夜の天安門広場を一回りしてくれます。

天安門のみならず人民英雄記念碑や人民大会堂なども電飾とライトアップで素晴らしかった。皇帝専用だった前門(正陽門)もライトアップで良く見えました。天安門広場の周辺の建物も大部分は電飾とライトアップがされているようです。予定外のものも観れてよかった。

広場を後にして、ホテルに向かった。

新世紀ホテル北京(2泊目):  新世紀ホテル北京
21:10 ホテル到着。ガイドKさんは今晩もホテル泊りです。
21:15 自室に入る。

明朝の予定は:
モーニングコール(5:30)、朝食(6:30-)、集合(7:30)、出発(7:40)
我々は5時起きです。
大急ぎでシャワーを終え、日本から持ってきたお菓子の夜食を済ませて、休みました。

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