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旅行記|オランダ・ベルギー、秋の周遊旅行 ( 4日目/2005年10月18日・火曜 )
ゴッホの森、オッテルロー、ハーグ市内観光
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ホテル出発まで:
05:00 起床。インスタント・コーヒーで目覚ましとする。
06:20 朝食レストランに行く。すでにツアーのメンバーが4〜5人きていた。
デザートのフルーツを取る時に失敗、梨の切り身を床に落としてしまった。ウェイターさんに言うと直ぐに落としたものを片付け床を掃除してくれた。蛇足ですが、実は今年元日に右手首を骨折した。一応は治ったのですが、多少の神経痛と今回のように物を落とすことが時々ある。若い時の骨折は完治するが、ある程度の年齢になると完全に元になることは難しいらしい・・・。
06:50 自室に戻る。
07:00 ウェイクアップ・コールあり。
07:30 スーツケースを廊下に出す。
08:00 キーを返却するだけのチェックアウト。
08:10 バスはスーツケースの積込みの最中だった。乗車。他の人達は早く乗車したので、我々は後ろから2番目の席となった。
08:15 出発。

バス移動( ⇒ ゴッホの森 ):
08:15 ホテルから暫らくはスキポール空港近くの道を行く。今日の最初の観光はアムステルダムの遥か東にある「ゴッホの森(国立公園デ・ホーヘ・フェルウェ)」にあるクレラー・ミューラー美術館です。距離があり約2時間のバス・ドライブですが、幸いに青空の晴天でした。

8時20分ころアムステルダム市街のシルエットの上に太陽が昇ってきましたが、その光と青空と新旧の飛行機雲が見事でした。こんなに沢山の飛行機雲が出来ている風景は見たことがない、と思います。欧州の巨大ハブ空港の1つ、スキポール空港近くならではの現象でしょう。東京でも気象条件が揃えば出現する光景かもしれませんが・・・。 バス移動( ⇒ ゴッホの森 )

車中では現地ガイドさんが昨日と同じくオランダやアムステルダムについて色々と説明をしてくれました。車窓の風景を眺めたり写真撮影をしながら時々メモしたので、その1部を書き残しておきます。また、別の時点で説明した事などもここにまとめました。聞き違いやメモの間違いがあるかも知れませんが、なにとぞご容赦の程を・・・。
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* スキポール空港がある場所は昔は湖だった。そこを埋め立てて空港を作ったので海面より4m低い。つまり海抜−4m。面積は成田空港の二倍くらいだが、さらなる拡張で現在の倍の規模になるそうです。
* ネーデルランドとは「低い土地」という意味。オランダの最高地点は海抜321m、最低地点はロッテルダム近くで海抜−6.7mなのだそうです。
* よく知られているようにオランダは干拓で国土を広げている国です。「地球は神が創ったがオランダはオランダ人が造った」というらしい。それで堤防建設と維持管理の技術は進んでおり、ハリケーン「カトリーナ」の来襲(2005年8月)でニューオーリンズなどが大被害を受けたアメリカから堤防技術に関する問合せが急増しているそうです。
* 日本の八郎潟の干拓事業はオランダの技術と世界銀行の協力による。
* オランダの国土の60%は農地、その半分は放牧地。
* オランダという名称はオランダ伯爵の支配地だった北オランダと南オランダに基づいている。
* オランダ語は単純に表現すれば (ドイツ語+英語)/2 のようなもの。南米のスリラムと南アフリカの一部でオランダ語が使用されている。
* オランダでは汚職がなく政治はクリーン、といわれる。
* オランダは欧州で1番ガソリンが高い。
* 高速道路の最高時速は80Km/h。
* オランダはチューリップで世界的に知られているが、チューリップの球根は秋にのみ購入可能です。「 検閲済み(Certification of Inspection) 」のある袋詰めを買うと球根99個までは日本への持込に関して無申告でよい。この「検閲済み」のマークがなければ日本入国の時に申告の要ありです。「検閲済みチューリップの球根」以外の球根、例えばヒヤシンス、は全て申告しなくてはならない。チューリップの球根は空港のショップで購入するのが1番安全、とのことだった。
* 等々。
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09:10 アクゼル湖の近くを走る。淡水と海水が半々で現在も干拓中という。この辺りから何処までも平地の放牧場が続いた。地平線が見える。ポプラの列が時々めだった。昔はヒース( 白や紫の花を咲かせる荒地に生える常緑の低木、地中海から欧州中部の山岳地帯とスコットランドに分布 )が多かったらしいが今は放牧用の牧草地や飼料用トウモロコシ畑になっている。オランダ東部もこの辺りまでくると干拓地ではなく大陸の一部、運河や水路などを車窓から見ることはなかった。

国立公園デ・ホーヘ・フェルウェ(Het Nationaal Park De Hoge Veluwe):
2005/10/18 Het Nationaal Park De Hoge Veluwe
「ゴッホの森」の車窓の風景
ゴッホの森 アムステルダムの東80Kmに国立公園デ・ホーヘ・フェルウェがある。この広大な公園は狩猟が趣味だった富豪アントン・クレラー・ミュラー氏と美術収集が趣味だったヘレン・クレラー・ミュラー夫人の二人の広大な敷地だった。今は5500haに及ぶ自然公園になっている。オランダの名酒ジンの製造に使われるネズやマツの木が豊富に生え、自然の鹿や猪が生息し、8月〜9月にはヒースが咲き、10月ころは黄葉が明るく公園を彩ります。
美術愛好家だったヘレン・クレラー・ミュラー夫人は印象派の絵画を集めました。特にファン・ゴッホの価値を早くから認めて収集に努めたのです。今では、夫人の収集品は公園内にあるクレラー・ミュラー美術館にまとめられ公開されているのです。ゴッホのコレクションとしてはアムステルダムのゴッホ美術館と共に2大ゴッホ美術館とされ、それが故に、この公園は「ゴッホの森」とも呼ばれています。
情報は、http://www.holland.or.jp/
広い森林地帯でしばらくは林間の2車線路をゆく。時々ある木々の切れ間からはなだらかな森の丘が見えたりした。
途中で森が途切れ、濃く赤茶けた低い植物が密生する開けた場所があった。しばし沿って走ったが、この空間は草原ではなくヒースの密生地らしかった(上の写真)。ヒースは荒野の代名詞のような植物ですが羊が食するので保存運動もあるそうです。
この広大な公園は入口が3ヵ所にある。その1つに到着し、入園料の支払いのため一時停車となった。「国立公園」というが国の援助金はないそうです。
車道のほかにハイキングとサイクリングに用いる小道が延々と続いているようで、車窓からも気持ち良い秋の自然を楽しむ人々の姿が木々の間から見えました。

クレラー・ミュラー美術館 (Kroller-Muller Museum):
2005/10/18 Kroller-Muller Museum
森林の中の美術館・入口
深い森にある美術館は1938年に開設された比較的新しいものですが、屈指のコレクションを誇り、ゴッホ、ルノワール、セザンヌ、スーラ、ブラック、ピカソ、モンドリアンなど数々の名画がそろっている。その他の展示品も中国の陶器から現代アートまでと幅広いものとされる。
美術館の創始者ヘレーヌ・クレラー・ミューラー夫人は1907年からオランダの美術史家に師事し美術を学んだ。そしてゴッホの作品「森のはずれ(1883年)」に出会い購入したのがきっかけとなり、その後40年にわたってゴッホの作品を収集し続けました。最終的なゴッホのコレクションはデッサン約165点、油彩画90点にも及んだのでした[ Ref.08, p.6 ]。 クレラー・ミュラー美術館のゴッホ・コレクションは世界的に知られ、アムステルダムのゴッホ美術館とならびオランダ2大ゴッホ美術館と称されます。初期オランダ時代の「馬鈴薯を食べる人々」から南仏での「はね橋」「糸杉」等々までゴッホの作品の変遷をこの美術館で辿ることができるのです。
野外には25ヘクタールの彫刻公園があり、 ロダンやヘンリー・ムーアなどの作品も緑の芝生を散策しながら鑑賞できるようになっている。

10:15 美術館の駐車場に到着。ポツポツと彫刻が置かれた前庭の道を近代的なガラスとコンクリートの美術館に向った。右側の芝生の向こうでは展示館の改築工事が進行中でした。2006年春に終了し再び展示会場として利用されるようです。
Guidebook, The Essential Van Gogh
クレラー・ミュラー美術館
Ref.08 ゴッホの解説書
10:25 森の奥まった場所に近代時な鉄とガラスの美術館がある。その正面入口から入館した。この美術館の展示場は平屋造りで、左奥に臨時展示室、右奥にヘレーヌ・クレラー・ミューラー夫人好み(Helene's favourites)と呼ぶ絵画の展示室がある。正面入口は2つの展示室を結ぶ長い廊下状の建物の中央にあるのです。
現地ガイドさんは直ぐに右奥の Helene's Favourites 展示室に案内した。実に多くの名画が無造作に壁にかけられている。ザッと見渡すと見覚えのある油彩画が驚くほどに多かった。そこに展示されている油彩画の多くについてガイドさんは説明をしてくれました。時々説明に耳を傾けたのですが、私は絵の写真撮影にも忙しかったのです。何分にも見学者が多く、壁の絵を正面から撮影するのは至難といえるような事すらあったのです。フラッシュは厳禁でした。撮影した油彩画の一部は写真ページの「ミニミニ美術館」に掲載してあります。
この美術館で驚いたのは、すばらしい油彩画のコレクションなのにそれぞれのフレームがミスマッチといえる質素なものだったことです。
11:30 売店で当美術館所蔵のゴッホの絵の解説本(日本語)1冊と絵葉書5枚を購入(16.15E)しました。後日談ですが、この種のツアーは多くの場所に案内するので、どこで何を見たのか忘れてしまうことも多い。デジタル写真に撮ってあっても誰の作品か分からなくなる場合もあるでしょう。趣味や興味があるならば、美術館のガイドブックは購入しておいた方が何かと便利です。ここは日本語のガイドブックがありました。
その後、左奥の臨時展示室も簡単に見学しました。

11:40 彫刻庭園の1部(美術館近くのみ)をゆっくりと一回りした。美術館の近くは芝の空間ですが、その先の森の道にも彫刻が置かれている。全部見歩くにはそれなりの時間が必要と思われます。我々は一部を散策しただけでした。 クレラー・ミュラー美術館
12:05 駐車場のバスに戻る。
12:15 昼食レストランに向けて出発。

昼食(レストラン/オッテルロー/Otterlo):
12:20 レストラン到着。ここもやはり森の中ですが、レストラン周辺は開けた場所でした。レストランの建物は日本流に表現すると「 わら葺/茅葺 屋根 」で珍しいものでした。しかしオランダでは時折この種の屋根を沿道で見かけたので伝統的なものでしょう。北欧のように雑草を生やした屋根には気づきませんでした。日本のものよりも重ねた”わら(?)”の量が少なく薄い作りです。
レストランは昼食時なので混んでいた。我々は一番奥の大部屋の席だった。飲物はコーヒー(@1.50E)を注文した。ランチはスープ、ソーセージ料理、デザート。
12:40 レストラン出。 昼食(レストラン/オッテルロー)
12:50 バス、駐車場を出発。これから北海近くのハーグに向う。

バス移動( オッテルロー ⇒ ハーグ )
オッテルローから西に向かい、ユトレヒトとゴーダを通ってオランダの実質的な首都デン・ハーグまで走りに走りました。しかし、途中はウトウトと過ごしたので風景写真の一枚もありません。良い休息でした。

デン・ハーグ(Den Haag):
北海に近いデン・ハーグは人口14万人でオランダで第三の都市になる。しかし、
オランダは不思議な国、憲法ではアムステルダムが国の首都と定められているそうですが、実質的な首都はデン・ハーグになる。ベアトリクス女王の宮殿(ハウステンポス)、国会、諸官庁、外国公館、国連機関などがここハーグにあるのです。常識に照らすとハーグが首都なのです。やはりオランダでも憲法改正は難しいのでしょうか・・・? こちらは憲法と事実が食い違っても特に問題も害もない性質のことですが・・・。

ビネンホフとマウリッツハイス美術館 (Maquritshuis Museum):
2005/10/18 Maquritshuis Museum
ホフファイファ池から美術館
現在のハーグ中心部になるが、昔のホラント伯爵宮殿の周りに由緒ある建物がかたまる地域はビネンホフと呼ばれます。国会議事堂や総理府や外務省など中央官庁が集まり、オランダ行政府の中枢になる。国会議事堂となっている「騎士の館(Ridderzaal)」が最も古く13世紀に建てられたものらしい。この地域では昔の濠の1部がホフファイファ池となって残っている。

15:30 バスはビネンホフの西側の通りに停車、下車となった。東側にはビネンホフの小広場があり、その広場の左側には古色蒼然とした伝統の建物が続き、右側には塔を左右に配置した騎士の館(現・国会議事堂)がある。その右の塔は修理工事中でテントに覆われていた。国会議事堂といっても権威や権力を滲ませる堂々たる建物というよりは、親しみの持てるちょっとした中世の聖堂という感じの建物だった。ビネンホフの広場では白い車が観光客相手に何か食べ物を売っている。オランダの政府機関が集中している広場で・・・。由緒ある建物の間を進むとライオンの紋章が飾られた潜り門があり、その先の左側に目的のマウリッツハイス美術館があった。 ビネンホフ

この美術館の建物は、1636年から1644年までオランダ西インド会社のブラジル総督を勤めたヨーハン・マウリッツが、ブラジル在任中に建てさせた私邸である。しかし、その後は所持者も変わり、火事で内部を焼失したり、兵学校として利用されたり、国家反逆罪に問われた人達の収容所になったり、波乱の歴史となった。1820年になりオランダ政府が国王の絵画と骨董を収容する目的で購入し、1822年から「王立絵画陳列室」として一般に公開されて美術館の建物となったのです[ Ref.09 ]。

15:40 美術館に到着、見学の開始。
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マウリッツハイス美術館
Ref.09 ガイドブック
何はともあれ階段を上り、フェルメールの 「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女/真珠の少女)」 に案内されました。あまりにも有名なこの絵は見学路の入口近くの展示室にあるが、聖堂の建物の絵と聖堂内部の絵に挟まれ、さりげなく極く普通の油彩画のように展示されている。大きい絵ではなく(44.5x39cm)、少女の顔のサイズは日本女性の顔を一回り小さくした程度に思われます。ツアー以外の見学者はいなかった。写真を撮り、ガイドさんの説明に耳を傾け、しばし少女の大きな目に見つめられてから次の名作に案内されました。フェルメールの絵では 「デルフトの眺望」 もこの美術館に展示されている。明日はデルフトに行きますが、この絵を描いた場所に行っても絵にある風景は既にないそうです。
レンブラントの作品も多く12点も所蔵している。「ニコラース・ティルプ博士の解剖学講義」(1632年)はオランダの集団肖像画の革新ともいわれ、レンブラントの出世作とされるようです。他にも 「元祖・覗き見」 ともいえる聖書の物語に主題を得た 「スザンナ」 は見逃せない作品の一つのようです。( デジカメまでポーとなったようで、写っていなかった・・・。) レンブラントの自画像としては最後のもの、63才(1669年)の時に描かれたものもあるのです。この時代の63才はなかなか達成できない年齢でした。

ヨハネス・フェルメールの作品 画家ヨハネス・フェルメール(1632-75年)は陶器で知られるデルフトで生涯を過ごした画家として知られる。 フェルメールの作品は真贋の不明なものを合わせて36点しか残されていない。オランダ国内では、アムステルダムの国立博物館が所蔵する「小路」「恋文」「手紙を読む女」「キッチンメイド/牛乳を注ぐ女」と、デン・ハーグのマウリッツハウス美術館の所蔵する「青いターバンの少女/真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」「ディアナとニンフたち」の7点しか見ることができません。19世紀に見直されるまで歴史に埋没していたフェルメールですが、今日ではオランダを代表する絵画の巨匠と見なされています。
追記 2011.11.22:
フェルメールが生涯を過したデルフトにフェルメール・センターが新規にオープン(2007年)、アトリエや一連の作品(精巧な模写)が展示されており、フェルメールの生涯と活動が理解しやすくなりました。
変わったものではブリューゲルとルーベンスの共同制作の油彩画がある。この種の絵は見る者を喜ばすために描くものが多いそうですが、この 「アダムとイブの堕落と地上の楽園」 は哲学的なものを含む、とされているらしい。バチカン市国のシスティーナ礼拝堂にある「原罪と楽園追放」と同じテーマですが、人間が地上にいる限り・・・。
マウリッツハイス美術館の展示作品は16〜18世紀のものですが、大部分は17世紀の作品のようです。風景画や静物画や肖像画などが多く、宗教画に偏った感じはありません。
見学を終え、売店でガイドブック1冊(日本語)と絵葉書3枚を購入しました。既に4つの美術館を見学し、ガイドブック無しではどこで何を観たのか頭の中は混沌としています。
フラッシュはダメでも展示品の写真の撮影は許されています。代表的な作品の幾つかは写真ページの「ミニミニ美術館」に収めました。 マウリッツハイス美術館
16:51 美術館を出る。ホフファイファ池に沿った道を行き、電車通りで右に曲がって財務省の建物の前をかなり歩いた。黄葉と落ち葉が印象に残る広い通りだった。その先を右に曲がったところでバスが待っていた。
17:02 バスに乗車。出発。

平和宮(国際司法裁判所/The Peace Palace in The Hague):
2005/10/18 Vredespaleis
平和宮(国際司法裁判所)、シルエットが美しい
17:16 ハーグの国際司法裁判所前でドライバーさんが予定外のサービス停車をしてくれました。下車して建物の写真撮影をする。生憎の逆光だったが青空と雲に国際司法裁判所のシルエットがよくマッチした写真が撮れたと思います。
それ程に古い建物ではなく、1913年にアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの寄付金で完成し、敷地はオランダ政府が寄付、館内の装飾品類は世界各国の寄贈によるものと言われます。現在は国連に所属し、国際司法裁判所として国際間のさまざまな紛争の解決をする場となっています。
17:22 バス、出発。

ハーグのホテル(クラウン・プラザ・デン・ハーグ・プロムナード):
17:30 ホテル到着。ロビーで部屋割りを待つ。
17:35 201号室(3階)に入る。広く清潔で良い部屋だった。
17:40 スーツケースが届いた。
18:15 ロビーに集合。
18:20 バス、出発。

夕食 (レストラン/スヘフェニンゲン/Scheveningen):
2005/10/18 Scheveningen
ビーチのレストラン街
18:35 ハーグから西に行くと北海の砂浜が続く。そこが昔からニシンの漁港があったスヘフェニンゲンで、今はオランダ内外の海水浴客で賑わう海辺のリゾートとして知られている。スヘフェニンゲンの繁華街を通り、海岸近くの駐車場に到着した。蛇足ながら、この町は日本人には「スケベニンゲン」として覚えられているようです。
18:40 ビーチのレストランに入る。
飲物はビール小(@2.40E)を2つ注文。デナーは、まず小鉢に入ったミルクでシリアルを煮込んだ食感のもの、サラダ、フレンチフライ・ビーンズ・キャロット・炒め野菜の盛り合わせ、ニシン料理、デザート。野菜をたっぷりで魚料理、日本のニシン料理とは違うが満足できました。
20:00 レストラン出。 夕食(レストラン/スヘフェニンゲン)
20:07 バス出発。スヘフェニンゲンの繁華街・電車道に寿司屋があった。車窓から覗く限りでは、大入りの感じだった。オランダでも寿司は健康食として認められたのであろうか。
20:25 ホテル到着。

ハーグ泊(クラウン・プラザ・デン・ハーグ・プロムナード):
20:30 自室に戻った。
ワイフ用のスペアー毛布は夕食中に届けられていた。201号と207号を間違え、届けるのが遅れたそうである。添乗員さんはワイフに「バスタブに湯を張りドアーを開けて置くと湿度の関係で少し暖かくなる」とアドバイスしたらしい。早速ワイフは実行したが・・・。
21:30 就寝。 ホテル・クラウン・プラザ・デン・ハーグ・プロムナード
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