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旅行記|オランダ・ベルギー、秋の周遊旅行 ( 5日目/2005年10月19日・水曜 )
デルフト、キンデルダイク、ゲント、ブルージュ
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ホテル出発まで:
06:00 起床。
06:50 朝食レストラン。
07:30 自室に戻る。
08:25 ルームキーを返却するだけのチェックアウト。今朝は冷えているし外は霧雨だった。ウィンドブレーカーの下にセーターを着たが、これで丁度良かった。
08:30 バスに乗車。今日は添乗員さんの割振りで我々が前から2番目の2座席になった。今回のツアーは前から2番目の座席のみ添乗員さんの割り振りで決める方式でした。なるべく公平に見通しの良い前の席に座れるようにしたのです。ついでながら、観光バスの最前列は旅行保険でカバーされないのでツアー参加者は利用できません。前から2番目以降の座席の使用となります。
08:44 バス出発。

デルフト陶器工房(Koninklijke Porceliyne Fles, Royal Delft, Since 1653):
2005/10/19 Koninklijke Porceleyne Fles
王立ポーセレン・フレス社のホール
09:05 デルフト中心部からは郊外になる王立ポーセレン・フレス社(Koninklijke Porceleyne Fles)に到着した。未だ雨が降っていた。
デルフト(Delft)はハーグの南方約10Kmにある緑と運河の多い静寂な街とされる。1654年に火薬庫の爆発による大火があり、現在の街並はその後再建されたものとなる。画家ヨハネス・フェルメールが生涯を過ごした町としても知られている。
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デルフト陶器とはオランダのデルフトで制作されたスズ釉陶器のことで、広義にはオランダで焼かれた全てのスズ釉陶器をいう。 オランダがスペインから独立した1585年ごろ、アントワープの陶工たちがデルフトに移り住み、マヨルカ陶器を制作しはじめた。17世紀初頭になりオランダ東インド会社が中国から持ち帰った磁器に影響を受けてファイアンス陶器(白地にデルフト・ブルー)を創り出した。その後に中国磁器を模した陶器と青色および多彩色のタイル生産で有名となり、広くヨーロッパ各国に輸出された。そしてオランダ各地で焼かれるスズ釉陶器の全てがデルフト焼きと称されるまでになった。しかし、ドイツのマイセン磁器とイギリスのウェッジウッドの大量生産の成功により衰退し、30社もあったデルフト陶器の窯元は現在2社しか残っていないとされる。
参考:
Ref.04:項目「デルフト焼き」
情報サイト:オランダ政府観光局
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追記 2011.11.22:
デルフトにフェルメール・センターが新規にオープン(2007年)、アトリエや一連の作品(精巧な模写)が展示され、フェルメールの生涯と活動が分りやすくなりました。

建物に入ると直ぐにビデオの見れる小部屋に案内され、デルフト焼きについて簡単な説明をうける。その後、若い女性が絵筆を用いて陶器に手書き文様をつける作業を見学。この段階では濃いグレーというかデルフト・ブルーとは似つかぬ色だった。しかし焼き上がると見事なブルーに変わるのです。
その後は、ショールーム兼用のデルフト陶器・博物館と思しき展示場をゆっくりと見て回る。伝統的なタイルで大きな壁画を制作したり、不定形なブルーのタイルを組み合わせて見事な壁面を作り出したりしてあった。ヨーロッパで高く評価された時代もあったのも頷ける見事なタイル装飾でした。しかし展示品は庶民向けではなく王侯貴族や大資産家向けの高価なもののようです。もちろん価格表示はありません。
中庭も息抜きになるものでした。その後は壺や飾り皿などを見て回りました。
当然ながら、大きな売店もある。デルフト・ブルーを基調にした各種の陶器が棚に並べられている。時々欲しいと思うものがありましたが、そのサイズは大きく価格も高いものでした。絵付けは完全な手描きで他の作業も人手に頼ることの多い工芸品として制作・販売をしているので止むを得ない面もあるのでしょう。

delft_suger_container delft_magnet
デルフト焼きの記念品
09:50 それでもオランダ旅行の記念としてデルフト・ブルーの小型の蓋付き容器(@114.00E)を買いました。長年使用した砂糖入れの取っ手が欠けたので新しく取替えるのです。毎日使用するものなので同じ小型の蓋付き容器から注意深く選定しました。ここで購入すると、例え小型のものでも、デルフト商工会議所による「1653年設立でデルフト市で伝統的な手描きの陶器をつくる唯一の会社」という意味を記した小型証明書が入っている。
この売り場の棚の上部アチコチにオランダ語・英語・日本語で「2級品、25%、ディスカウント」と表示されている。この蓋付き容器も25%のディスカウント適用と思ったが、これは正規の商品で割引はなかった。多分プライス・タグに表示があるのでしょうが、どの製品が割引対象なのか分かりづらかったので改善して欲しいような気がします。
10:00 ワイフはデルフト焼きのウサギのマグネット(@8.00E)を土産用に4個買っていました・・・。日本にも類似品がありそうですが、ここのものは裏側に正規のロゴマークが入り、小型説明書も付いている。 デルフト陶器工房
10:03 デルフト陶器工房を出てバスに乗車。

世界遺産、キンデルダイクの風車群 (Kinderdijk):
2005/10/19 Kinderdijk Windmills
キンデルダイクの運河と風車群
10:55 ロッテルダムの南東20Kmにあるキンデルダイクの駐車場に到着、生憎の小雨だったが直ぐに雨は止んだ。

ここには1740年代に作られた排水用ポンプを動かす風車が19基も残っている。ユネスコの世界文化遺産にも登録されているオランダの風車の名所です。風車を回すために格子状の風車の羽に布が張られるが、訪問時には骨組みだけの風車ばかりでした。5月第2土曜と7〜8月の土曜午後は「風車の日」として全風車が一斉に回されるそうです。古(いにしえ)の風景の再現として見事でしょう。それ以外は内部見学用の一基が回っているだけらしい。ついでながら、最盛期にはオランダ全土で1万基以上の風車が使用されたが、現在は1000基以下に減少したようです。ここの地名”キンデルダイク”は風車ではなく「子供堤防」の意味なのだそうです。

バスの駐車場の近くに斜めになった3本の大型排水スクリューがあった。これが1972年に設置された電力による水位調節用ポンプ(排水ポンプ)で3本のスクリューをフル回転させると1分に1350立方メートル(1350トン)の水を汲み上げる能力があるようです。直ぐ近くに1分に1500立方メートルを汲み上げるものもある。
キンデルダイクに現存する1740年代の排水用風車はスクリューではなく水車を回して水を汲み上げていた。それが1868年(明治維新の年)に蒸気機関を動力源とするスクリュー・ポンプが設置されて風車を助け、その次に動力源として内燃機関が導入され、最終的に電力によるポンプになり、現在はコンピュータで水位が管理されているのです [ 現地の説明板/英語 ]。
2005/10/19 Kinderdijk windmills and water level.
キンデルダイクでは低地の水位を風車と水車の組合せで調節した。[上図は現地の説明板から借用]

バスの駐車場から両側に運河状の広い水路に挟まれて道が伸びている。三々五々、その先の見学用風車まで歩きました。
11:10 風車群の中ほど、右側に架かる橋を渡ったところに見学用風車があった。4本の羽には黒い布が張られ、風を受けて力強く回転しています。ここは入場料が必要で、個人は1人3.00ユーロで団体なら1人2.50ユーロでした。ツアーなので個人的には不要でした。
レンガ作りの塔に入り、道具類が並ぶ1階から狭く急な階段を登る。木製の大歯車は風力によるエネルギーを水車に伝えるようにガッチリと出来ている。塔の最上部は風車が風を捉える方向になるよう水平回転する構造だ。迫力があった。
上部の階ではレンガ壁に銃眼状の小穴が幾つも開いている。それから眺める水路と風車の風景も高さのため違って見えます。適当に楽しんで外にでました。もし鉛のような空でなく晴天で青空と白雲だったら、さぞ素晴らしい眺めだったことでしょう。

風車の近くで記念の写真を撮った後、再びブラブラ歩きでバスまで戻った。往きには気付かなかったが、対岸に白い観光遊覧船が係留されている。暖かい季節には水上から眺めるのも良いでしょうネ。 キンデルダイクの風車群
11:40 バス出発。

昼食(レストラン/キンデルダイク):
11:45 キンデルダイクのレストラン近くで下車。
11:47 レストランに入る。テーブルは他の女性4人と我々の6人だった。窓から運河や風車群が見える展望の良い店だった。
飲物はコーヒー(@1.50E)、サラダ(たっぷり)、メーンデッシュ(鶏肉、ゆで卵、煮野菜、生野菜)、デザート。
13:05 レストランを出る。 昼食(レストラン/キンデルダイク)
13:07 バス出発。

バス移動(キンデルダイク ⇒ ゲント):
これからオランダとベルギーの国境を越え、アントワープを通ってゲントに向います。 キンデルダイクから南に30〜40Km程度ゆくと国境ですが、パスポートの検査があるわけでもなくウトウトしているうちに気付かずに通り過ぎてしまいました。

ベルギー(Belgium)  現地時刻はオランダと同じ、JST-7時間(夏時間)です。
ベルギーの2つの顔と特色
ベルギーにベルギー語はなく、言語的に複雑です。北部のフランドル地方でオランダ語(フランドル語/フラマン語)、ワロン地方でフランス語(ワロン語)、首都ブリュッセルではオランダ語とフランス語の併用、ワロン地方リエージュ州の東側ではドイツ語が使用されている。
民族は、ゲルマン系フラマン人(Flamand)とラテン化したケルト系ワロン人(Wallon)。
フランドル地方: プラバン州(首都ブリュッセル)、西フランドル州(ブリュージュ)、東フランドル州(ゲント)、アントワープ州(アントワープ)、フレミッシュ・プラバント州(ルーヴェン)、リンブルフ州(ハッセルト)。
ワロン地方: エノー州(モンス)、ブラバント・ワロン州(-)、ナミュール州(ナミュール)、リエージュ州(リエージュ)、ルクセンブルグ州(アルロン)。
国名: ローマ時代以前から住んでいたケルト系ベルガエ族(Belgae)に由来する。
中心性: 地理的に欧州の中心部、ゲルマン系とラテン系の交差点、EU本部とNATO本部は首都ブリュッセルに所在。
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ベルギーは美食の国。国民一人当りのレストラン数は欧州一。伝統的フランス料理にベルギーの郷土の旨味が加わっているのが特徴。チョコレートやビールでも有名です。
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参考文献: Ref.01 & Ref.04(ベルギー)
14:00 ガソリン・スタンドに併設されたショップに到着、ここはもうベルギーになるようでした。日本流ではレスト・エリアといった感じです。カフェの椅子には座らず、ショップの棚を見歩きました。乳製品らしいスポーツ・ドリンク0.5L(@1.50E)やチョコミルク0.5L(@1.50E)、ビン類は0.5リットルに統一されているらしい。その他にも駄菓子類の袋が沢山あった。試しに名物のワッフル袋詰め(@0.80E)とガム(@0.85E)を買ってみました。結果論ですが、ワッフルの味は私の好みのタイプで、帰路の空港で買った同種のワッフルよりも食べやすかった。とても甘くて小腹が空いた時に1個食べると満足できるものでしたネ。
その後はガソリン・スタンドの外を一回りして風景を眺めて過ごしました。
14:20 出発。

窓外を眺めていると干拓地以外のオランダの風景と大幅な違いは感じません。運河などの水路は車窓からは見えなかった。時々ポプラの列があったり、飼料用トウモロコシ畑が続いたり、放牧地があったり、・・・。ホルスタイン牛を多く見かけましたが、斑点が黒色ではなく日本では見かけない茶色の種類もかなりいました。所変われば”牛”変わる、と思ったものです。日本でも何処かで飼っているかも知れませんが・・・。高速道路の雰囲気はオランダと少し違うようにも思いましたが・・・、気のせいかも知れません。

14:45 アントワープのバイパスらしき道を通過。
確かこの辺りだったはずですが、高速道路の遥か前方に”巨大”な発電用風車がありました。日本でも風力発電の風車は珍しくないが、日本では発電能力 1000Kw 級が多いとされる。ここのはどの位の発電力があるのでしょう?見た目には驚くべきサイズでした。
(注:2006/01/26付け日経ではM社が国内最大の 2400Kw級( 高さ116m、風車直径92m )の実験を神奈川県で開始と報道されました。横浜・港みらいの観覧車と同等サイズと言いますから、多分ここのと同じ規模かそれ以上なのでしょうね?) バス移動
15:25 ゲントの駐車場に到着。

ゲント (Gent):
この古都の名は英語の「ゲント」が日本人に馴染んでいるが、フランス語に近いワロン語では「ガン(Gand)」、オランダ語に似るフランドル(フランダース)語では「ヘント(Ghent)」というらしい。ベルギーでは1つの地名に幾つかの呼び方があるのが普通のようです。

ゲント
ベルギー北西部にありスヘルデ川とライエ川の合流点に位置し、東フランドル州の州都である。今の人口約25万人、1809年から5年に1度「花博覧会ゲント・フロラリア」を催行しているので「花の都」とも呼ばれる。フラマン語圏の文化的中心地で、国立ヘント大学(1817設立)や工業・商業大学、フランドルやオランダの名画を集めた美術館、フランドル文芸アカデミーなどがある。
10〜12世紀にフランドル伯居城が築かれ、中世にはブリュージュと並び商業と毛織物工業の中心地だった。その繁栄は中心部の市庁舎や毛織物検査場(ベルフォート/鐘楼)、ギルド会館、ファン・アイク兄弟の祭壇画「神秘の小羊」で有名な聖バーフス大聖堂から偲ぶことができる。
19世紀初頭からベルギー最大の綿工業都市だったが、第2次大戦後は大型船が入港できるヘント・テルネーゼン運河沿いに臨海工業地帯が造られ、製鉄・石油化学・自動車などの外国系企業が進出している。アントワープに次ぐベルギー第2の港である。
参考文献: Ref.04(ゲント)

ゲント中心部からかなり離れたアルベルト国王公園(記憶違いかも知れません)の駐車場で下車、そこで待っていた日本人女性の現地ガイドさんが合流しました。余談ですが、このガイドさんの御主人はベルギー人で日本語が堪能、明日のブリュージュ・ガイドは御主人の担当とか・・・。御夫婦で日本人ツアーのガイドをしているようでした。御主人が日本滞在中に知合いになり結婚、お子さんが3人いるそうです。

歩き始めは欧州の普通の街並みでしたが、だんだんと古色豊かで狭い電車道になった。歩道はあるものの車道は路面電車の軌道で一杯、車は一方通行で軌道敷の走行です。歩道も軌道敷も全て石畳で本物の古さらしきものを感じました。実際には、中世に電車や歩道があろうはずはなく、後世に作り直されたものですが、それでも・・・。
遠くに聖バース大聖堂の塔が見えるころ、運河の橋になる。その運河の対岸、橋の右側には大きく古い貴族の城砦があった。
15:35 この城砦は1245年に建てられ、「魔王ゲラルド城」と呼ばれる。その名からして難攻不落の強固な城だったのでしょう。中世以後は武器庫、学校、病院などに利用されてきたが、現在は国立図書館になっているようです。

聖バーフ大聖堂(Sint Baafskathedraal):
2005/10/19 Sint Baafskathedrraal
聖バーフス大聖堂
15:39 聖バーフ大聖堂(聖バーフス大聖堂)の前に到着。この大聖堂はゲントで最も古い教会で、10世紀に建設が始まり16世紀に完成したそうです。欧州に数多ある大聖堂の長期建設ランキングでも群を抜いたものの1つではないでしょうか。さらにゲントに誕生した神聖ローマ皇帝 カール5世 (1500-58年/スペイン国王カルロス1世) が洗礼を受けた教会としても知られ、ファン・アイク兄弟( フーベルト & ヤン )による「聖なる子羊」という祭壇画で有名です。この大聖堂のパイプオルガンはベネルクス3国では最大という説もあるようです。

内部を参観しましたが、「聖なる子羊」の写真撮影は禁止です。代わりとして、撮影用のレプリカが入口近くに飾られている。フランドル派の最高傑作と評される本物は門外不出の祭壇画といいますから、宗教的+芸術的に相当な価値が認められているものなのでしょう。残念ながら私にはよく理解できず、「ホーッ!」と感心しただけに終わりました。 ゲント/聖バーフ大聖堂
以下に、この祭壇画に関する記述を二つほど引用にて紹介します。

(1) 聖堂の内陣には、ヴァン・エイク兄弟によって、1420年頃から制作が始まった祭壇画『神秘の子羊』が飾られ、フランドル派絵画の最高傑作として名高い。中央にはいけにえとされる子羊が、周辺には、集まった数千人の人々の祈り、時間を超越して背景となっている当時の教会や建物が描かれ、壮大と精密が一体となって、この傑作を構成している。 [ Ref.06, p.189 ]
(2) ヤン(Jan van Eyck, 1930?〜1441)の兄フーベルト(Hubert van Eyck)の存否をめぐる問題は論者によって見解を異にするが、兄が始め、その死後(1426ころ)弟が引き継いで完成したといわれる 『聖なる小羊の礼拝(神秘の小羊)』 には遠近法や人物の顔の表現に明らかにヤン以外の手が認められることからして、フーベルトの存在を肯定すべきものと思われる。(中略) ヘント祭壇画の中央図 『父なる神、聖母、ヨハネ』 に兄フーベルトの手を認める立場をとれば、兄は弟ヤンよりかなり年長の、古きゴシックの伝統をひく巨匠であったと思われ、ヤンが描いたと推測される翼画 『アダムとイブ』 『聖告』 に比して空間表現に著しい相違を示す。 [ Ref.04, 項目(ファン・アイク) ]

ゲント中心部の徒歩観光:
2005/10/19 Sint Niklaaskerk, Belfort
聖ニコラス教会とベルフォート
その後は聖バーフス広場です。三方を古色豊かな聖バーフ大聖堂、王立劇場、市庁舎、旧・毛織物取引所、ベルフォート(Belfort/鐘楼)に囲まれ、残りの一方は古い建物が並び1階の多くは商店、その前を電車が走っている。全体として、落ち着いた中世の建物に囲まれる良い雰囲気の広場でした。ブラブラと写真を撮ったりしながら過ごしました。ベルフォート下の旧・毛織物取引所の右入口から降りる地下にトイレがあり、確か 0.50E(?) で利用できたはずです。

現地ガイドさんの引率でベルフォートを通り過ぎ、聖ニコラス教会(ゴシック建築の傑作の1つらしい)の先にある聖ミヒエル橋まで行く。そこから今歩いてきた聖ニコラス教会やベルフォートの見える風景を楽しみました。レイエ川の対岸には重厚なデザインの聖ミヒエル教会があり、中世の雰囲気そのものに浸ることが出来る地域でした。
この橋で一旦解散となり、しばし自由に散策を楽しむことになりました。少し戻った北側に大きな郵便局があり、その前の広い通りには規模の大きいカフェテラスや商店が並んでいる。時間があれば、ここからフランドル伯爵城(1180年フランドル伯アルザス家が築城)まで散策するのも良いが、我々にはそこまでの時間的な余裕がなかった。 カフェテラスのある広い道をブラブラ歩き、裏道を通って集合場所に行った。まだ誰も戻っていない。それで電車通りの反対側の商店街を覗き歩き、少し時間潰しをしました。 ゲント旧市街の散策

17:00 聖バーフ広場に集合。バスの駐車場に戻るのですが、往路とは全く別の商店街を歩きました。中世の雰囲気を残した街の道で狭いのですが、車は通る上に行交う人も多い。運河を横切ったり、モダンな地区をも通ったり、変化に富んだ帰路でした。
通常の旧市街の散策に思えますが、実に長く辛い石畳の歩行でした。現地ガイドさんは比較的若いので気にしないのでしょうが、最後には脚がガクガク・・・。

17:20 バスに乗車。これからブルージュに向います。移動中は老若男女のほぼ全員が居眠りでした。

ブルージュ (Brugge):
ブルージュ
ブルージュは13〜14世紀にハンザ同盟の拠点都市として栄えたがその後は衰退し、19世紀以後になり都市としての魅力が復活したとされます。街の名は運河に囲まれて多くの橋があるのでブルージュ(橋)となった。今や三つの公用語(仏語、オランダ語、独語)と英語が通用する国際都市、2002年には欧州文化都市にも選ばれたそうです。
ブリュージュには世界遺産が3つある。
(1)卵形の運河に囲まれた旧市街で四つの城門がある。その中心はフランドル伯の館があったブルグ広場と隣接するマルクト広場で他は主に商人らの居住区だったとされる。
(2)ベルフォート(鐘楼)はマルクト広場にある高さ83mの塔で366段の階段があり登れる。これ自体が世界遺産の1つになる。
(3)ベギン会修道院も1998年に世界遺産に登録された。教会と中庭や各種の家々からなり、往時の修道女たちの暮らしを伝える博物館もある。
心地よい居眠りから目覚めたら、既にブリュージュの近くまで来ていた。時間も夕刻6時半ころでラッシュの渋滞、ストップ・アンド・ゴーがしばらく続いた。教会の尖塔の見える大きなロータリーを過ぎると、また順調に走り始めました。

ホテルにチェックイン:
18:25 世界遺産の街ブリュージュの観光の中心、マルクト広場から1ブロックだけ離れた所にホテルはあった。周囲の建物も狭い石畳の道路も中世の雰囲気そのものだった。しかし、ホテルの入口やロビーなどは改築されて真新しく、中は快適な現代風だった。このツアーだけで一杯になりそうなロビーにて暫らく部屋割りを待つ。我々は3階の219号室だった。
小さなエレベータで上がり、少し先の部屋に入る。古い建物を改装したホテルのこと、あまり広くはないが清潔で快適そうに思える部屋だった。一休みする。
19:00 ロビーに集合。

夕食 (レストラン):
2005/10/19
マルクト広場からの商店街を行く
ホテルから先ずベルフォートの建物沿いにマルクト広場に出た。レストランの角を左に曲がってかなり先まで商店街を歩きました。既に夕暮れで暗く、ライトアップされたマルクト広場の建物や遠方にそびえる教会の尖塔がとてもきれいでした。私としては珍しくも多少の感激を覚えました。ブルージュの最初の散歩はとても良い印象だったのです。
目的のレストランは建物の4階で、エレベータで行く。大きなレストランだったが、客はあまりいなかった。
今晩のテーブルは札幌に5年間住んだことのある御夫婦(東京)とその妹さん(福岡)、そして添乗員Sさんの6人だった。変わった話でもと思い今春のインド旅行のことを色々話してみたら皆さん乗ってきた。自分でも驚くほどに盛り上がったので、「日本とは異質で、多少は優越感を持って話せる国」は気軽な話題として良い場合もあるのでしょう・・・。
飲物はベルギー名物のチェリービール(@2.50E)を2人分を注文しました。これはサクランボの果実を醗酵させたもので綺麗な赤い色、甘い味がします。ちなみに日本でもチェリービールを真似て醸造・販売する会社がありますが、酒税上の区分はビールではなく発泡酒とのことでした。
本当のビール好きなら、もちろん「修道院ビール」を注文するのが本筋でしょう。
食事はスープ、魚(鱈)のムニエル、デザートでした。
20:00 レストラン出。各自バラバラにホテルに戻った。マルクト広場で遊んだ人達もいたようですが、我々はホテルに帰りました。ブルージュの街の夜景と夕食の写真は、 夕食 (レストラン)

ブルージュ泊 (オウデ・ブルク・グランド・ホテル、2連泊):
20:10 ホテル着。
スペアー毛布が届いていなかった。添乗員さんが忙しくてホテルに依頼するのを忘れたと思い、フロントに電話して一枚たのんだ。直ぐに持ってきたので1ユーロのチップを渡そうとしたがホテルの人は受取らなかった。
今日ガソリン・スタンドのショップで買ったワッフルを食べたが、甘くて疲れ直しに丁度よい。ワイフには合わないタイプの甘さのようでした。
デジカメのバッテリーを充電しようとしたら、C型プラグアダプターが見つからない。どうやら昨日のホテルに忘れたらしい。予備のC型プラグアダプターを出して使用する。
22:30 就寝。 オウデ・ブルク・グランド・ホテル
寝る前に「一杯」?  ミニバー価格表  (2005年10月、約\140/Euro)
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