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旅行記|オランダ・ベルギー、秋の周遊旅行 ( 7日目/2005年10月21日・金曜 )
南ベルギー古城巡りとデュルビュイ自由散策
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ホテル出発まで:
05:30 起床。トラベル・ポットで湯を沸かしインスタント・コーヒーを作って飲む。これで私の朝がきた。
06:00 ウェイクアップ・コールあり。
06:35 朝食レストラン。
07:00 スーツケースを廊下に出す。
07:30 部屋の鍵を返却するだけのチェックアウト。ロビーに集合。
07:40 スーツケースのバス積込みが完了した。 夕方にはベルギー南部の古城巡りを終え首都ブリュッセルに着く予定でした。
外は生憎の小雨で、前回の旅行のコペンハーゲン(古城巡りが雨)を思い出しました。
バスに乗車して中央ドアー近くの座席にしたが、寒がりワイフが風で「寒い」というので最後部の座席に変更した。
07:43 出発。楽しんだブルージュともこれでお別れ。

バス移動( ⇒ アンヌポア城 ):
今日は1日中ベルギー南東部の古城巡り、ミューズ川に沿って数多くの古城や城壁が残っているアルデンヌ地域を訪ねます。 ベルギーは大雑把にいうとミューズ川を境に北西の北海側の低地・牧草地帯と南東側のなだらかな丘陵地帯アルデンヌ高原とに大別される。それで北海近くのブルージュからアルデンヌ地域まで、ベルギーの端から端までのバス・ドライブです。
アルデンヌ地域(ナミュール州、ルクセンブルグ州、リエージュ州)はワロン地域(フランス語圏、5州)とは重なりあう地域です。広い丘陵地帯の標高は300〜600mでドイツ国境近くの最高地点でも690mしかない。なだらかな高原ですが、天候は変わり易く雨が比較的多いとされ、冬には降雪もあるようです。古代ローマ時代から軍事や交通の要所で多くの城砦が築かれました。アルデンヌ地方の住民はベルギーの国名になったとされるケルト系ベルガエ族(Belgae)の血を引いているといわれます。

ホテルを出発したときは夜明け前で薄暗く、雨が降っていた。
08:35 車内でボンヤリ過ごしている内に現地ガイドさんが合流するサービスエリアに到着した。ここで最初の休息となった。
現地ガイドさんは日本人の奥さん(昨日のガイドさん)の運転する車で既にここに到着し我々を待っていました。
トイレを借用したら料金30セントで2ヵ国語で印刷された領収書の発行がありました。これならチップではなく誰にでも使用料とわかります。
08:58 出発。

10:10 ミューズ川に出る。しばらくは雨の降る川沿いの道路を走った。薄暗い陰気な天候で大した印象もありませんが、晴天なら川沿いの黄葉の森に金持ちの別荘が点在する風景は綺麗なものでしょう。この地域はイチゴの産地でもあるようです。 バス移動( ⇒ アンヌポア城 )
10:30 アルデンヌ地方の玄関口ナミュールにきました。ここは小高い山上にシタデル(城砦)がある小さな古い町ですがナミュール州の州都でもあります。街を通り抜けると、ミューズ川沿いから山道になり、約20分の山中に最初の訪問先アンヌヴォア城があるようです。

予期せぬ出来事 (アッ、アッ、・・・ ):
2005/10/21 accident
衝突事故の直後
10:41 ベルギーは右側通行、左が谷側で右が山側の片側一車線の道を走っていた。道路の中央は1m程度の色違いのスペースで示されている。まだ小雨で路面は濡れていた。大きく右にカーブする緩い坂道を順調に走っていたが、バスは急にバンビング・ブレーキ(ABS作動 ?)をかけ右の山側ぎりぎりにグッと寄った・・・。
「バーン」という激音と大振動の後にバスは止まった。その直前の「あぶなーい!」という前方の大声で、ワイフも私も咄嗟に前部座席上部を手で掴んだようでした。2人ともその自分の手に顔をぶつけ、ワイフは左あごに打撲による小さな赤い跡ができました。このワイフの打ち傷は軽いものだった。報告もせずに放置しましたが、痕跡が完全に消滅したのは帰国後だったようです。私は頬が痛かっただけで他の異常は全く感じなかった。

最後部の座席から外を眺めていたので、バスが右車線を走っていたことは間違いなかった。何と衝突したのか一瞬は分からなかった。しかし、直ぐに何か金属板がバス前方から対向車線の端まですっ飛んだのです。対向車が車線をはみ出し正面衝突と思いました。
当初のショックから落ち着きを取り戻し、デジカメ片手に最後部からバスの最前部に行ってみる。フロント・ガラス越しに見ると、個人用車両の後部が大きく破損し横倒しになっていた(上の写真。) バスとこの車は同じ方向を向いている。つまり、追突? しかし、それにしては衝撃が大きすぎると思えます。

我々が知るかぎり、事故の発生状態は次のようなものです。左側の対向車線を走っていた車が何らかの理由で走行中に180度スピンしてこちらの車線に入り込んだ。そのスピンする車を見たバスのドライバーさんは急ブレーキをかけると共に右側に車体を寄せる事故回避行動をとったのです。しかし大きくこちらの車線に入り込んだ対向車を避けることは不可能で、バスの前部・左角が衝突したのです。これ以上バスが右に寄ったら山の斜面に乗り上げ、今度はバスが間違いなく横転する位置関係でした。バスのドライバーさんも危機一髪、運転席・外部の下部が大きく破損しフロント・ガラスもひび割れの状態だったのです。でも怪我はなかった(ようでした。)

10:44 前部に行き事故車を見た時には既に数名の人達がいて横倒しの車の運転席あたりで何やらしていました。
10:45 白地に赤線の救急車が事故車の前部につく。
しばらくは横転した車から人を救出する作業が続いたようでした。そして、事故車の運転手さんは救急隊員の手により車外に救出され、首に鞭打ち症対策の救急用ギブスを付ける応急手当を受けました。私は見ていなかったのですが、この人とバスのドライバーさんはお互いの無事を喜び合い、しばし抱き合って互いの背中を叩いていたそうです・・・。ワイフに言わせると、とても感動的なシーンだったそうです。車の状態からは想像できませんが、人命に係わるような事故にならず本当によかった。
11:00 首に救急用ギブスを付けた事故車の運転手さんは自分で歩いて後続の黄色い救急車に乗り、自らベットに横たわった。そしてこの救急車は急ぎ立ち去りました。

11:00 警察のパトカーがバスの後ろにいました。そして救出作業担当らしき赤塗りのボックスカーが事故車の近くに止まった。
11:20 バス中央部のドアーから外に出て、自分の目でバスの損傷を見たり、赤いボックスカーの設備を覗いたりした。屋根に特殊なアンテナを付けたこの車には事故車を切断したりドアーをこじ開けたりする荒仕事用の道具らしきものが沢山ありました。いろいろ写真を撮っていたら、レスキュー隊員4人がカメラの前に並んでくれました。今回は救急車で済む程度で、実際には彼らの出番はなく幸いでした。しかしこの人達の活躍を必要とする事故も時々あるのでしょうね・・・。

11:41 事故発生後1時間も経過してから、婦警さんがカメラ(デジカメらしい)で事故現場の撮影をしました。何とも悠長な感じがしましたが、人命救助が最優先で警察による事故の調査等々は後回し、ということでしょう。
11:45 バスがものものしい車両に取り囲まれている中、臨時の白い中型スクールバスが我々をピックアップにきました。本格的な代替の観光バスは間に合わず、観光中にスーツケースを積替えてアンヌヴォア城まで迎えにくるようでした。 バス衝突事故

今までのバスとドライバーさんを残したまま、全ての携帯品を持ってスクールバスに移動し、近くの目的地アンヌヴォア城に向いました。時間的には約1時間のロスですが、心理的にはもっと長かったような気がしていました。

アンヌヴォア城(Chateau d'Annevoie)・庭園の散策:
2005/10/21 Chateau d'Annevoie
アンヌポア城と庭園
12:00 アンヌポア城の駐車場に到着。白いスクールバスは我々を降ろして直ぐ帰っていった。 道路を横切った傾斜地にレストラン(道路側、2階)と土産店(庭園側、1階)の建物がある。小雨のなか、手荷物類をもって道を渡った。

レストランに入り、とりあえずテーブルにつく。各自希望の飲物を注文して良いといわれる。これは事故で予定が狂い、「参加者は多大な迷惑を蒙った」ことになるので旅行会社が気を利かせたものでしょう。我々はカプチーノを頼みました。怪我人はいないし何も心配はないのですが、沈みがちな気分を変えるのに暖かい飲物はありがたいものでした。そこのトイレを借用したらチップ用の小皿が入口にあるので10セント・コインを入れておく。

アンヌヴォア城は17世紀に建てられたアロワ家の館の場所にシャルル・アレクシ・ド・モンペリエが1758〜76年に築城したもの、その庭園は歴史的な偉業であり、なかんずく現存する芸術作品でもあります。17世紀のフランス様式で造営された庭園は18世紀になりイタリアとイギリスの様式を取り込みました。それら3つの文化が融合した結果、アンヌヴォアの庭園は「ヨーロッパ様式の庭園」と呼ばれたのです。約50の湧出し口の水が20の装飾的な湖と池をつくり、泉と連滝がユニークな水の庭園を作り出しているのです。 [ アンヌヴォア城・公式サイト の1部を翻訳 ]
レストランを出て、外の小路を通って建物の裏(庭園側)にまわった。通常なら専用バスに残しておくリュックやバックなどを今回は止む無く各自で持っている。庭園の見学には不要なので売店が預かってくれた。
12:20 僅かに雨が降っていたが、アンヌポア城の庭園の見学に出ました。お城の内部は見学が許されていません。12ヘクタールの庭園の1部を散歩し拝見するのです。
直ぐにデジカメのSDメモリー(512MB)が一杯になったので予備のSDメモリー(256MB)に取り替えた。レストランに居る時に撮影可能枚数から判断して取り替えておけば良かった、と後悔しても後の祭り。立ち止まり、傘を片手にゴソゴソ・・・。
map of castle d'annevoie
アンヌポア城の庭園マップ
レストラン・ショップはマップ左下の赤いボックス。アンヌポア城の本館は中央部 7 Chateau。
(1) 大きな噴水 (2) 大きな水吹き (3) フランスの滝 (4) イギリスの滝 (5) 水階段 (6) 銀の橋 (7) 中庭
(8) 遊歩道 (9) トロンフルイユ (10) アーティチョークの道 (11) ため息の小道 (12) いのししのサロン
(13) ミネルヴァの小部屋 (14) 水たまり (15) 水をふく少年 (16) ネプチューンの岩 (17) いるかに乗った子供
(18) 鯉の池 (19) トリトンの泉 (20) 大水路 (21) 花園 ( マップはパンフレット・日本語版[Ref.13]から借用 )

見学路はレストラン・ショップから(5)までの小径を噴水などを右に観ながら歩き、本館と白鳥の遊ぶ池を眺めながらながら(6)で曲がり、そこから最奥の(13)(14)まで行く。帰路は別の道となる。(16)(19)(20)と辿り、小高い並木の道を左端まで散歩、広々した眺めを楽しんでから(21)を下ってレストラン・ショップの建物に戻った。
「水の庭園」と言われるだけあって、森林の谷間に池や水路や噴水 が配置され、みごとな西洋庭園の1つでした。あちこちで噴水が上がっているが、これらの全てが上流からパイプで水を引き、その自然の水圧で水を噴き上げるタイプです。完全な省エネ噴水でした。日本でも金沢の兼六園に江戸時代のものが1つある・・・。
西洋式庭園というとフランス流の幾何学的な庭園を思い出すのですが、 こちらの庭園はフランス、イタリア、イギリスの庭園様式を取り込んで造られたもの、周囲の自然と調和がよく取れていると思ったものです。洋式庭園ながら自然を取込む日本庭園と共通する部分もあるように思えました。強いていうなら、修学院離宮の借景にも通ずる・・・。 それ以上の説明は難しいので写真を御覧になってください。生憎の天候でしたが・・・。 アンヌヴォア城

昼食(庭園のレストラン):
2005/10/21 Chateau d'Annevoie
アンヌポア城・入口のレストラン
13:25 庭園の見学を終了。まだ代りの観光バスは到着していない。これでは予定の昼食レストランに行けないのです。急遽、ここのレストランでランチをすることになった。予定外の大所帯にランチを用意するレストラン側も大変で、ウェイトレスさん2人で大仕事でした。食事は軽食です。旅行会社がお詫びにビールをグラス一杯づつ振舞ってくれました。ランチはアルデンヌ・ハム(塩味の強い欧州の生ハム)とサラミ・ソーセージと生野菜のデッシュ、そしてパンだった。我々は普段の量に比べて不足ということはないが、他の人達には少しもの足りなかったかも知れません。食後にはエスプレッソを注文した。 昼食(庭園のレストラン)
14:30 やっと代わりのバスが到着、レストランから駐車場に行く。再び小雨が降っていた。
14:40 駐車場を出発。

バス移動( ⇒ デュルビュイ ):
これから東に約130Kmはなれたリュクサンブール州のデュルビュイに向う。途中は小雨がちだったが、秋の風景は多少なりとも楽しめました。 バス移動( ⇒ デュルビュイ )

デュルビュイ(Durbuy):
2005/10/21 Durbuy
デュルビュイ伯の城館
15:45 デュルビュイの中心部にある駐車場に到着。この広場の周りはレストランやホテルが並んだいかにも観光地の雰囲気です。ここデュルビュイは人口500人たらずで「世界一小さな古代からの町」と言われます。それでも都市機能が全て揃っており、9世紀に起源を持つ小高い丘上のデュルビュイ城 (デュルビュイ伯の城館、後にルクセンブルグ伯の城館、今は博物館) を中心に綺麗な町が出来ている。直ぐ現地ガイドさんの案内でお伽の国にあるような細い石畳の道を歩き、ウルト川にかかる石橋を渡って対岸から小高くそびえる城と街並みの風景を眺めました。緑の残る川辺の黄葉が明るく気持ちよい風景でした。

それから集合時間が指定されて自由行動です。バス事故で時間を失ったので、予定より随分と短い自由時間しかもらえません。ウルト川の先の丘にはトピアリー公園があり、250ものトピアリー(Topiary/樹木の刈り込み彫刻)は世界一ともいわれますが、とても行く時間はありません。 デュルビュイは本格的なアルデンヌ料理が美味しいグルメの町ともいわれるので、食事はともかく、少なくともカフェテラスでベルギーのケーキと紅茶でも楽しむつもりでした。が、これも無理でした。ブラブラ歩きの途中にパンとケーキの店があったので夜食用に手作りクッキー1袋(@1.50E)を買いました。本心は丸型の手作りパイが美味しそうなので可能なら1個でも持ち帰りたかったのですが・・・。丸型1個の値段もおどろきの約5ユーロ(約700円)でした。ベルギー人のオバサンが1人で店番をしていたが、この店は冬季は休業で今月中に閉めるそうです。
一旦バスの駐車場に戻り、ワイフはそこで休みました。

私は1人で広場から城と川の方向に行きました。同じツアーのメンバーがやはり奥さんを置いて1人で写真を撮っていた。その人の後を歩いて撮影しました。実は最初に行った橋では逆光になり城の風景は写りが良くない。こちらから見る古城は地表から立上った城壁が高くそびえて見えるし、順光で青空と白い雲をバックにきれいな古城の写真が撮れるのです。ウルト川近くに展望台もあり、よい眺めです。気付いたら集合時間に近かった。ツアーの男性はもう近くに居なかった。バスまで石畳の上を久々に走りに走りました。 デュルビュイ
16:20 出発。

モダーヴ城(Chateau de Modave):
2005/10/21 Chateau de Modave
モダーヴ城は450ヘクタールもの自然保護区の断崖の上にある。13世紀に最初の城砦が築かれたが、今では極く一部が残っているに過ぎない。1652〜73年にドゥ・マルシャン伯爵(Count Jean-Gaspard-Ferdinand de Marchin)によりフランス様式で再建された。1667年には城から50〜60mも下を流れるオーユ川(the Hoyoux River)の水を城の塔まで汲上げる当時としては革新的な揚水ポンプが作られた。その後は所有者が転々と変わったが、1941年にブリュッセルの水道局が水資源の保護のため購入しました。
数々の装飾が施され16〜18世紀の調度品で溢れる20もの部屋があり、貴族の城にふさわしい豪華さと気品を感じさせるお城です。
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以上はサイト情報の翻訳・合成:
Chateau Des Comtes De Marchin - ModaveCastles of Belgium - Chateau of Modave
16:40 モダーヴ城に到着。駐車場の左右には城壁を兼ねた石造りの建屋が長く伸びていた。
正門から入ると少し下りになっている。噴水の丸い池があり、変わったバラなどの植物も植えられている小庭園だった。その向こうにモダーヴ城の本館がある。本館の裏はオーユ川が作った急峻な断崖ですが、正面からは想像もできません。

入口ホールで日本語ガイド機を渡された。部屋番に従って説明を聞けるので各自で自由に見学するのです。
まず、入口ホールの天井は数多くの家紋で家系図が示されている。「ホー、凄い」と思っても実はよく分からない。
何枚もの絵を織り込んだ大きなタペストリーが壁にかけられた部屋もある。これは知られた部屋のようでした。
ダイニング・ルームとテーブルのセッテングは古風で落ち着きがあり素晴らしいと思ったが、このような気品のある部屋で正装して食事をするのは気位とか○○や○○も必要かも知れません。
風変わりな想像上の動物が何匹も飾られた部屋も面白く、伯爵のゴージャスなベッドルームも凄いし、お風呂場(バスタブならず日本人好みのフロ)も珍しかった。ただ湯船の上部が床の高さで湯に浸かるためステップを下りる作りはやはり西洋でしょうね。テラスや窓からオーユ川と庭園を眺めたり、2階のチャペル(カトリックとか)を拝見したり・・・。全体的に威圧的な雰囲気はなく、親しめるタイプの貴族の館という印象でした。
冬季の内部参観は団体のみ(2005年11月現在)、個人の場合はホームページなどで見学の可否を確認する必要があります。

この古城は結婚式場として一般に有料公開されている。提供施設や人数制限などの条件はモダーヴ城のホームページに詳しく掲載されています。さて、日本では「日本での挙式と比較して安く結婚式が出来るベルギーのお城」として知られているそうです。たしかにモダーヴ城の2階のチャペルで挙式して、他のホールなどで簡単なパーティを行うカップルもいるらしい。今まで幾組が挙式したかは知りませんが、日本のサイトではモダーブ城を結婚式場として紹介するものも多いのです。しかし昨今の円安・ユーロ高は少々逆風かもしれません・・・。
17:40 出発。 モダーヴ城

バス移動( ⇒ ブリュッセル ):
最初は窓外の広々とした牧歌的な風景を楽しんでいましたが、何時しかウトウト・・・。早朝からのバス移動と観光・見学、おまけに事故まで経験する多忙な日だったので、全員クタクタの状態でした。

ブリュッセル:

ホテル・チェックイン(クラウン・プラザ・ブリュッセル・ヨーロッパ):
19:15 ホテルに到着。バスが止まった道とホテル入口は斜面のためか高低差があった。エスカレーターで上がったら右側が正面入口だった。
19:20 ロビーに入る。

午前のバス衝突事故の直後に「怪我をした人は?」という聞き取り調査がありました。外傷を受けた人はおらず救急隊員のお世話になった人もいなかった。それで、その後の観光も全員が同じように行動したのでした。しかし、我々だって前席の背もたれを掴んだ手に顔をぶつけたし、体への影響を心配をする人も中にはいることでしょう。
実際には事故以後に何らかの不調や異常を感じ医師の診断を希望する人が6名(?)いたようです。我々がホテルに到着した時には既に医師と看護士のチームがホテルのロビーで待機していたのです。ここでは問診程度の簡単な事しか出来ないのですが(問題があれば病院行き)、不調を感ずる人達は受診することで気分的に楽になり、帰国後の対処法もはっきりすることでしょう。(食事時に少し詳しい情報が入りました。)

19:40 部屋の割り当てがすみ、自室に入る。簡単に洗面する程度の時間しかなかった。部屋そのものは清潔感のあるさっぱりした色使いです。2泊するのですが、満足できるものでした。

夕食( ホテル ):
19:55 0階(1階)ロビーに隣接するレストランに入る。現地ガイドさんは簡単な挨拶の後に帰りました。実は今晩の食事は外のレストランで魚料理の予定でしたが、ホテルで医師の診察が行われたこと等々諸般の事情で旅行会社が急遽ホテルのレストランに変更したのです。
飲物はビールを注文、スモーク・サーモン(オードブル?)、メーンデッシュ(ステーキ、焼きトマト、コロッケ風の付け合せ)、デザートでした。ステーキはグリルの焦げ目がついた大きく厚いもの、柔らかくて味の良いものだったので嬉しくなった。好物なので・・・。脂肪は切り分けて残しましたが、私としては予定の魚料理より食事としての満足度は高いもの。

医師の診察: 医師の診察を受けた女性が隣だったのでお願いして診断書(英文)を見せてもらいました。簡単な一枚の印刷物です。本人は見かけ上は元気に振舞っていましたが、やはり病名と医師の署名が手書きで記載されていました。受診した6名のなかには鞭打ち症と診断された人もいたそうです。医師の診察を受けた人達は全員がどうやら前方の座席だったようです。対向車がスリップして回転するのを見た人もいたらしいのですが、衝突のショックは前の席ほど大きかったのかも知れません。バスが横転しなくて良かったと改めて思いました。

我々のテーブルでは怪我の場合の保障のことが話題になりました。今回のようなケースでは、旅行会社からは何の保障もなく全て自分の旅行保険から支払うことになるそうです。聞くところでは、診察代12ユーロ(約1680円)、痛止めの薬15ユーロ(約2100円)、程度だったらしい。これらの費用は各自がカード決済をして診断書と領収書を受取る。帰国後に旅行保険会社に請求して外国での支出を還付してもらう手順のようでした。このような事故を経験すると、掛け捨ての旅行保険やクレジット・カードは必須のものと実感します・・・。

ブリュッセル泊(クラウン・プラザ・ブリュッセル・ヨーロッパ):
21:30 夕食から自室に戻る。
デュルビュイで買ったクッキーは甘くて美味しいものでした。良い夜のオヤツとなりました。
23:00 就寝。 クラウン・プラザ・ブリュッセル・ヨーロッパ

このホテルのミニバーの種類は豊富と言えるでしょう。ただ1ユーロ約140円で計算した時の値段が高いか安いかは分かりません。良い場所にある良いホテルなので相応かも知れません。 (2005年10月) ミニバー価格表
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