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旅行記|オランダ・ベルギー、秋の周遊旅行 ( 8日目/2005年10月22日・土曜 )
ブリュッセル市内観光と自由行動
◇◆◇

ホテル出発まで:
06:30 起床。
07:00 ウェイクアップ・コールあり。
07:25 朝食。
08:48 ロビーを出る。外は小雨だった。

王宮(Palais Royal)とブリュッセル公園(Parc de Bruxelles):
2005/10/22
王宮(執務専用)
今日は朝から歴史ですが、フランス7月革命の影響でベルギーではオランダ王国からの独立運動が強まりました。1830年11月に臨時政府を樹立し、オランダに独立を宣言したのです。英国など列強から永世中立国として独立が認められ、1831年にベルギー国民議会は憲法を制定し、国家の首長としてザクセン・コーブルク・ゴーダ公を迎えベルギー初代国王レオポルド1世(在位1831-65年)が誕生した。しかしオランダがベルギー王国を承認したのはかなり遅れ1839年のことでした。

もともとはブラバン公の私有地だったところ、そして1830年にベルギー独立派とオランダ軍が最初に戦火を交えた場所、そこに現在の王宮やフリュッセル公園や国会議事堂がある。王宮の建物はブラバン公の宮殿を基礎にして、1904年に国王レオポルド2世が内外装ともほぼ全面的に改築したものとされます。王宮は国王の居城ではなく公務を行う場所ですが、毎年夏の期間(7月末〜9月初め)は無料で一般公開されるそうです。運が良ければ、衛兵交代式や儀仗隊の行進に行き逢うこともあるらしい。
広いブリュッセル公園は1835年にフランス式庭園として造園されたといわれます。

09:15 王宮の近くでバスを下車。王宮とブリュッセル公園の間の石畳の広場を中央部まで行く。ドームの頂上にはベルギー国旗がありました。この国旗があると国王が王宮にて執務中なのだそうです。
それから、小雨の中、傘をさしてブリュッセル公園を歩く。うっそうと茂った森の公園を国会議事堂に向ってピンク色の水を吹き上げる噴水まで行きました。
09:34 噴水で折り返した。公園内は彫刻や銅像の類が多いように思いました。うっそうと茂った森の道に落ち葉が多く、秋のムードが一杯・・・。
09:40 公園の正門を出る。
09:44 王宮を出発。 ブリュッセルの王宮

アトミウム(Atomium)と居城:
2005/10/22
アトミウムの遠望
10:00 フリュッセルの北の郊外のアトミウムに到着。1958年の万国博に建設されたモニュメントは鉄の原子をモデルにしたもので高さ100m以上もあるそうです。ピンク色の水の大噴水もあり銀色の巨大なモニュメントとのコントラストの妙が楽しめました。2004年10月1日から2005年12月31日まで修復工事で閉鎖中、写真では巨大クレーンが写ってしまいました。
行きませんでしたが、アトミウムの近くには欧州を代表する建物の小型模型を飾ったミニ・ヨーロッパというものもあるそうです。ビッグ・ベン(ロンドン)、グランプラス(ブリュッセル)、エッフェル塔(フランス)、アクロポリス(アテネ)など、約350のヨーロッパの重要な建造物をミニチュアで再現してあるようです。EUやNATOの本部がある欧州の中心ブラッセルならではの観光施設でしょう。
ここでは約10分のカメラ・ストップでした。
10:10 出発。その後、日本館や中国館などを車窓から見たようなのですが、雨もかなりのもので記憶に残った印象はありません。ベルギー王家の居城は観光バスのカメラ停車は禁止なのだそうです。走る車内から数枚の撮影をしましたが雨で良い写りとはいえません。しかしここのドームの上にも国旗がありました。先刻の執務用の王宮にも国旗がありましたが、さてベルギー国王は何処に? アトミウムと居城

グラン・プラスとその周辺:
2005/10/22
市庁舎の塔とドン・キホーテ像
10:30 またブリュッセル市街の中心部にもどり、近代的なビルが立ち並ぶエリアを通り過ぎた。そしてフランス風に塔が二本立ち並ぶ聖ミッシェル大聖堂(Cathedrale S.S. Michel et Gudule)の前を通過した。 ブリュッセル大司教区の聖堂なのだそうです。前国王の結婚式もこの大聖堂で挙式されたり、内陣にはブラバン公ジャン2世、アルベール大公、イザベル大公妃、オランダ総督シャルル・ド・ロレーヌなどの墓があるそうです。

聖ミッシェル大聖堂を通りすぎ、近くの中央駅で下車となりました。
大通りを横切るとグラン・プラスにある市役所の尖塔が建物の間に見える。下り坂の途中にドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの大きい銅像があった。スペインのマドリードにある本物の複製でしょうか。マドリードでは不可能なドン・キホーテの背後から(作者セルバンテスの目の位置に近い所から)二人の銅像を見ることが出来るのです。歩きながら考えたのですが、ドン・キホーテとブリュッセルは何の因果で結ばれているのでしょう?
テント小屋の店が沢山出ている小広場を通り抜け、そこから少し先のガルリ・サンテュペール (Galeries Royales St Hubert、1847完成) という立派なアーケードに行く。そのアーケードの中央くらいまで歩き、横丁に入った。

ジャンネケ・ピス(Jeanneke Pis):
2005/10/22 Jeanneke Pis
ジャンネケ・ピス ( ⇒ 写真クリック
細い横丁にはレストランが沢山並びブリュッセルの下町を感じさせる。数分先に人だかりが出来ていた。そこには厳重な檻(おり)があり、中に裸でしゃがんだ少女の銅像がある。これが「小便少女/ジャンネケ・ピス(Jeanneke Pis)」とか・・・。1987年にエイズ撲滅運動のために造られたという説明もあるが、恐らくは立前でしょう。世界的に有名な「小便小僧」がグラン・プラスの反対側の先にあるので、その間の観光客の流れを生み出そうという逞しい魂胆ではなかろうか? 結果論として、私にはそうとしか思えません。マア、真の目的や理屈はともかく、小型銅像の類がかなり多いと思える街ブリュッセルの”お遊び”なのでしょう。

グラン・プラス(Grand Place):
2005/10/22
グラン・パラスの市役所
10:54 世界遺産に登録されているグラン・プラス広場に出る。
この広場は11世紀に市場があった場所らしい。その後は貿易の拠点となり、14世紀に豪商らが競って豪華な建物を建てたといわれます。17世紀の終り(1696年)にフランスのルイ14世が破壊したが5年後の18世紀初めには早くも再建されたそうです。
市役所の高さ96mの尖塔はどこからも良く見えて目立ちますが、その先端の像はブリュッセルの守護聖人・大天使ミカエルなのだそうです。グラン・プラス広場を囲む他の建物には王の家(王様は住んだことがないとか)やブラバン公爵の家などが堂々としていますが、立ち並ぶギルドハウスなど他の建物も全て個性的で優雅な外観をしています。1階部分は商店として使用されている建物もあり、花市も毎日開かれていて、好い天候ではなかったのに大勢の人達で賑わっていました。
「ブリュッセルといえばグラン・プラス」と言える程に多くの著名人から賞賛されたきれいな広場で、世界文化遺産に登録されたのも当然と思える雰囲気は素人観光客にも伝わってきました。
11:00 グラン・プラスから再び商店などが並ぶ細い道(Rue de I'Etuve)に入る。広場近く、市役所の反対側のギルドハウスの外壁には横たわったベルギーの英雄セルクラーズ(t'Serclaes)の銅像がある。触ると「幸運に恵まれる」とか「ベルギーに再訪できる」というらしい・・・。銅像はそのためピカピカでした。

マヌカン・ピス(Manneken Pis):
2005/10/22
マヌカン・ピス ( ⇒ 写真クリック
小便小僧(身長56p)は噴水の一種で放尿する少年を模した像、ブリュッセルのものが本家で世界各所にそのレプリカがある。
15世紀ごろか早くとも1388年には存在したらしい。過去に何度も盗難の被害にあったが、現在の像は1619年にフラマン人彫刻家ジェローム・デュケノワにより製作されたブロンズ製のものである。
由来は諸説ある。その一つは、侵略者が城壁を爆破しようとしかけた爆弾の導火線を小便をかけて消し、町を救った少年がいたという武勇伝説。この少年の名はジュリアンJuliaanskeといい、小便小僧の愛称「ジュリアン坊や」はここに由来するといわれている。
[フリー百科事典『ウィキペディア、項目(小便小僧)、文章短縮]
11:04 グラン・プラスから商店街の旗を辿るように歩くと大勢の観光客で埋まった十字路に着く。ここにブリュセル名物の小便小僧がある。我々が訪ねた時、小便小僧は白い帽子に赤いマントを着ていた。身長54センチの小銅像「ジュリアン坊や」は人気者で、世界中のファンから衣装のプレゼントがあり現在は720着以上のご衣裳を持つ衣装持ちです。日本からも柔道着など4着がプレゼントされている、らしい。通常は「王の家」にある市立博物館で保管・展示されているそうです。今日の夕刻に再訪したツアーメンバーは夕方の衣装は昼とは違うものだったといっていた。よく取り替えるとは言われるけれど、観光シーズンには頻繁なようです。
特別コメント: 利尿剤を必要とする人達は「ウラヤマシイ」でしょうネ。
ショップのウィンドウを見ながら再びグラン・プラスに戻り、10分程度自由になりました。といっても大したことはできず、ブラブラと写真を撮ったりしただけに終わりました。
10:30 グラン・プラス発。 小便小僧
10:45 中央駅近くまで歩きバスに乗車。直ぐに出発。

昼食(レストラン):
12:00 中央分離帯が公園になっている大通りのレストランに到着した。
全員が席に着くと、まず若い新婚カップルに旅行会社から記念品が渡されました。全員から祝福の拍手をもらい、幸せそうでした。
昼食は鶏肉料理、デザートはアップルパイ、特に問題はない食事だったと思います。飲物は何にしたのか忘れました。多分コーヒーでも注文したことでしょう。 昼食(街のレストラン)
13:20 レストランを出てバスに乗車。

自由行動(ブラブラ歩きとショッピング):
13:32 王立美術館で20名くらいが下車しました。まず個人的に美術館見学のようです。
我々は中央駅近くで下車して再度グラン・プラスに行きました。特に見物や見学したい場所は決めてこなかったので平凡に商店街のブラブラ歩きと土産のチョコレート類の購入です。

13:48 午前中に団体として歩いたアーケード(ギャルリー・サンテュペール/Galeries St. Hubert)の ノイハウス・チョコレート店(NEUHAUS CHOCOLATERIE) に行く。ニューヨークの5番街にあるデパートで購入し土産とした経験もあり、日本人の間では”本店”とされる店で買ってみたかったのです。まず場所のみ確認して、ブラブラ歩きとウィンドウ・ショッピングを続けました。小路のレストランのトイレを無断借用しましたが、観光客慣れした街のことで誰も気にした様子はありません。

2005/10/22 NEUHAUS CHOCOLATERIE
ハーゲンダッツで休息
アーケードの入口に小さいゴディバの店とアイスクリームのハーゲン・ダッツが並んでいた。ここのゴディバ店は品揃えが極端に少なく「よく商売ができるもの」と内心で思いましたね。ハーゲン・ダッツはカフェなので空き席に座りました。ワイフはカプチーノ、私はカプチーノとワッフル・生チョコ・アイスクリーム・生クリームを皿に盛り合わせたものを注文した。甘いものを食べて生気を取り戻しました。ここはテーブルで清算だった。

2005/10/22 NEUHAUS CHOCOLATERIE
ノイハウス (アーケード)の石碑
15:15 先刻たしかめたノイハウス(Neuhaus Chocolaterie)に行きました。
例え知られた銘柄でも大した予備知識はない。調べてみると、1857年のこと、スイス出身の薬剤師ジャン・ノイハウス(Jean Neuhaus)がブリュッセルの屋根付きアーケードで薬局と菓子の複合屋を開業した。そして二代目がチョコレートの専門店に変え、三代目 Jean Neuhaus,Jr. が中身をチョコレートで包んだプラリネ(Praline/一粒チョコレート)を考案した。このチョコレートの好評によりノイハウスの基礎ができたという。プラリネとその容器はノイハウス社の考案とされるが、ノイハウス社以外のチョコレート会社にも大きな影響を及ぼしたものだった。[参考サイト:Neuhaus (英語)] 三代で事業の基礎をつくるとは何か日本人好みの話ではあります。

確かにここは立派なチョコレートの専門店でした。この店が本店かどうか中年男性の店員に尋ねたところ、「本店かどうか、しかし、ここがノイハウス1番古い店舗です」 という答えだった。特にノイハウスを贔屓する理由はありませんが、当地ではゴデバより評判が良いという話も耳にしました・・・。
Neuhaus gift box with ribon chocolate chocolate
ノイハウスのチョコレート3種(左はチョイスしたギフト用、右2つは自家用)
土産のショッピングはワイフに任せて店内を「美味しそうだナ」と思いながらブラブラです。店内の写真を撮っても嫌がらなかった。そのうち、美味そうな少し大きめのチョコ4個詰めを数箱、三角系の二色チョコレート詰め合わせも1箱だけ自家用に自分で買ってしまった。やはり甘党でした・・・。

お目当ての店でゆっくり買物ができてワイフは満足そうでした。沢山買った訳ではありませんが・・・。担当してくれた日本人女性の店員に、厚かましくも、「ゴデバの本店はどこ?」ときいていた。「ここはノイハウスです! ゴディバの店はグラン・プラスにある・・・」程度に教えてくれました。

2005/10/22 Godiva
ゴディバ (グラン・プラス)
15:45 言われたようにグラン・プラスに行く。アーケードから最も近い入口の右の建物(天使の館?もし間違いならスミマセン)の1階にゴディバの店があった。大きな店ではありません。しかしベルギー人の若い女性店員は面倒がらずに愛想よくワイフの注文どおりのチョイスでいろいろな種類を箱付めにしてくれました。 チョイスの場合は注文の箱数を最初に言って、後は希望のチョコレートを指差せばOKです。1個づつ箱に入れてくれる。黙っていてもリボンをかけてくれる。後は会計だけ。
Godiva gift box with ribon Orangettes
ゴディバのチョコレート2種(左はチョイスしたギフト用)
ところが、ワイフは現金を使い果たしていた。 私は急いで店内のコーナーに行きウェストポーチの内側のポケットをゴソゴソして100ユーロを出した。その時に店員さんは何をしているのか不審に思ったらしい。ワイフが金を数える真似をしてみせたら、納得したそうです。ゼスチャーは世界共通語!渡したユーロで支払を済ませていました。

さて、日本にもゴディバの店はかなり増えてアチコチにあるし、高級チョコレートとしての評価も定着している。そのサイトの説明によると、ゴデバ・チョコレートの創業者はジョーゼフ・ドラップス(Joseph Draps)といい、1926年にグラン・プラスの石畳の道に面してショップをオープンした。英国コベントリーのLady Godiva伝説からその名を付けたチョコレートはたちまちベルギーの人々の人気を獲得し、第二次大戦後はチョコレート事業の国際展開を積極的に実行、現在ではベルギーとアメリカの工場で生産した製品を全世界で販売するまでになっている。日本を含むアジアではベルギー工場で生産されたチョコレートが販売されている。[参考サイト:Godiva (英語)

先のノイハウス店は第一号店であることは店員さんやサイトで確認したし、店頭に石碑があるので間違いないことでしょう。上のゴディバ・サイトの記述からは、我々が寄ったゴディバのグラン・プラス店もやはり第一号店のようです。ただ、日本流に「本店」として良いかどうか? 両社とも本社や工場はその国際事業の規模からして別の場所にあり、我々が立寄った店は今となっては街中の一販売拠点に過ぎないのです。
さらなる蛇足ですが、ノイハウスは三代目がプラリネ(一口チョコレート)を考案し、それ故にチョコレート会社としての高い評価を獲得したとしています。反面、ゴディバはプラリネは17世紀に台所の偶然から生まれたものとサイトで主張しています。両社の一号店はお互いに近所といえるのに、サイトをみるとライバル意識もチラリ・・・。 ( しかし17世紀のチョコレートはカカオ飲料の一種だったはず・・・? 私は何か誤解しているのかな・・・。)

甘党なのでチョレートの話には少し時間をかけてしまった。日本で知られた上記の2社のみならず、ベルギーのチョコレートはどの店の製品も 美味しいようです。知らないブランドの品質は「?」と思うかもしれませんが、我々の経験ではベルギー産チョコレートの味はどの店であれ決して「?」ではない、と思います。

その後しばらくはグラン・プラスの店屋や周辺の商店をザッと見歩きました。先刻に買い物をしたゴディバ店の直ぐ近くにノイハウスのグラン・プラス店もあった。ブラブラしていると時にはツアーメンバーに出会ったりもしました。同じような過ごし方の人達もいるようです。それから中央駅のタクシー乗場に行きました。買物の荷物をホテルの自室に置きに”一旦”戻るのです。
しかし、実際には我々の自由行動はここで終わったので、グラン・プラス付近の写真はここにまとめておきます。 グラン・プラスで自由行動
16:35 タクシーに乗車。
16:45 タクシー下車(16.50E+1.50E)。ホテルに帰るには早すぎる時間なのですが、我々よりも先にホテルに戻った人達もいたのです。後で知りましたが、グラン・プラスからホテルまで散歩した人達もいました。街のブラブラ歩きも気ままに楽しめる国際都市なのです。

ブリュッセル泊(クラウン・プラザ・ブリュッセル・ヨーロッパ/2泊目):
16:50 自室に入る。洗面などを済ませたら疲労で眠くなり、遅い昼寝となった。その間、ワイフは退屈したらしいが、といって出かける程の元気も残っていなかったのです。
18:30 目覚め。
実は夕食やグラン・プラスの夜景を見るため夜の散歩に出かけるつもりだった。しかし面倒になりカップヌードルや砂糖煎餅など手持ちの食べ物で済ませることにした。美食の街ブリュッセルで夕食を楽しまないとは、まったくお粗末の限り・・・、今でもすごく残念に思います。しかし自宅を出てから8日目、疲れが溜まっていたのでしょう。その後はシャワーを済ませてまた直ぐ眠ってしまいました。
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