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旅行記|東欧4ヵ国旅行( 5日目/2004年5月23日・日曜 )
ウィーン: シェーンブルン宮殿と郊外
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起床から出発まで: 05:30 昨夜は寒かったが疲れで直ぐに眠りに落ちた。7時間も熟睡すれば十分だった。しかし朝の部屋も肌寒く、珍しくも目覚めた後もベッドの中だった。
06:00 暖かいインスタント・コーヒーを飲む。どんな日でも、これでスタート。しかし、ワイフは完全に風邪をひいていた。
07:20 1階のレストランで朝食。このレストランは個人客用と団体客用の部屋が違っている。個人宿泊用の部屋は欧米人ばかりだった。その奥にある比較上は質素で広い団体用は日本人ばかりだった。オレンジジュース、ドライフルーツにヨーグルト、ハム、チーズ、パンとジャム、コーヒーの朝食。味はクセがなく十分でした。
07:45 一旦、部屋に戻る。窓から外を眺めていたら時間もあるので少し散歩したくなった。
08:00 ホテルの外にでる。ワイフはセーターにコートを着用しガーゼのマスクをした。この白いガーゼのマスクは欧州では珍しいものの1つかもしれない。風邪薬は食後に飲んだが・・・。右側の駅と思しき建物の方向にブラブラと歩く。左側に路面電車が止まっていた。女性運転手が降りてきて、手招きした。近づくと何も言わず、運転席の方に腕を伸ばして「どうぞ」という感じ。何も言わない。多分、「電車に乗って下さい」と言いたかったのだろうが、分からない。珍しいので運転席の写真を何枚も撮らせてもらった。そして下車したら、この人は可笑しそうに笑った。電車は出発し、空のまま何処かへ走り去った。 ホテル近くの散歩
その近くに音楽家と思われる比較的新しい銅像があった。その写真を撮ってみたり、ブラブラ散歩を続けてホテルに向った。
08:30 部屋に戻る。
09:00 ホテルのロビーに集合し、玄関口のバスに乗車し出発。今日は女性ガイド(日本人)が案内となる。涼しい日なのでコートを着用していた。

ベルヴェデーレ宮殿:
ベルヴェデーレ宮殿
09:15 ベルヴェデーレ宮殿の正面入口近くでバスを降りた。南駅の直ぐ近くになる。宮殿ゲートまで前庭風の並木道があり、ゲートを過ぎると大きな池がある。池の向う側に写真の宮殿(上宮)があり、正面左側は綺麗な街並み、右側は宮殿の敷地です。その風景はきれいなものでした。池の右側を歩き、宮殿の右端を回って裏側に行った。そこには緩やかに傾斜した見通しの良い庭園があり、遠い先には別の宮殿(下宮)が小さく見え、ウィーンの市街も遠望できる小高い場所だった。

ベルヴェデーレ宮殿はオスマン・トルコ帝国のウィーン包囲を撃退し(1683年)、スペイン継承戦争でも功績の大きかったハプスブルグ家の名将オイゲン公が建設したバロック様式の豪華な夏の離宮だった。社交・祝典用の上宮(1722年完成)と居住用の下宮(1716年完成)からなる。現在は共に美術館として使用されているが、1955年5月この宮殿においてオーストリアの主権回復(ドイツの一部だったので敗戦国側)を認める条約が米・英・仏・旧ソ連の4ヵ国により調印されました。日本にとってのサンフランシスコのオペラ座に相当する建物なのです。

自由時間となったが下宮まで往復する時間はなく、上宮の建物に沿って反対側まで歩いてみた。この宮殿の周囲には人面(女性)のスフィンクスがある。スフィンクスと言っても建物にマッチした小型のものです。上宮の正面入口にも狛犬のように2体あったが、裏側にも少なくとも4体はあり、下宮近くにも置かれているようです。欧米系の団体も同じく裏側のスフィンクスを囲んでガイドの説明を受けていたので、この宮殿の名物なのでしょう。 ベルヴェデーレ宮殿
09:50 ベルヴェデーレ宮殿を出発。
丁度西側の遠方にあるシェーンブルン宮殿に向って市街地を行く。

シェーンブルン宮殿:
シェーンブルン宮殿
10:10 シェーンブルン宮殿に到着。正面ゲートから敷地内に入ったが土砂降りに近い雨となった。左側の売店前で一旦解散となった。売店内をブラブラ見歩き時間潰しをする。「シェーンブルン宮殿ガイド・宮殿と庭園を訪ねて(日本語)」というものを購入しておいた。激しい雨も小降りになり、止みそうになった。宮殿前の石畳の広場を歩き、指定された集合場所に向った。宮殿建物近くでは欧州の観光地で時折見かける、蒸気機関車と客車をまねた乗り物や四輪や二輪の馬車が客待ちだった。恐らく宮殿裏側の大庭園を回るのでしょう。
左側の入口から宮殿ホールに入る。少し早く誰もいなかった。見学の人達で大賑わいのホールで土産屋を冷やかしたりして過ごした。

シェーンブルン宮殿はオーストリア最大の宮殿でハプスブルグ家の夏の離宮といわれます。マリア・テレジア女帝(在位1740‐80年、ボヘミアとハンガリーの王、神聖ローマ皇帝カール6世の長女、恋愛結婚で16人の子供)の時代に女帝の個人的指示により猟館が豪華な居城に増改築され今日の宮殿の基本的な外観が整いました。女帝や少女期のマリー・アントワネットもここに住んだのです。そして1780年に女帝が逝去されて間もなく庭園を含める全てが完成したといわれます。チト気になるのは建物の色の名称です。日本での記述では一般的(?)に「マリア・テレジア イエロー」というのですが、当宮殿の売店で購入したガイドブックによれば、1817〜19年に外観が簡素化され、その時に「シェーンブルン・イエロー」の色彩になったとされます。

10:40 シェーンブルン宮殿の左側入口ホールに集合。日本語、英語、スペイン語で書かれた小冊子風のチケットを渡された。宮殿内の写真撮影は禁止といわれ、デジカメのレンズにキャップをする。1階を右手奥にすすみ、階段で見学する2階にあがった。

ハプスブルグ家の宮殿のこと、大広間などヴェルサイユ宮殿の鏡の間を彷彿とさせるものでしたし、ボヘミアン・グラスのシャンデリアなども豪華なものでした。その他、もろもろ、ホーッと感心している間に見学は終わってしまいます。寒冷地に住む人間として、アチコチに設備されている絵柄のある陶器製の大ストーブが印象に残りました。煙突は壁の中です。単純な暖炉より室内暖房の効率は良いような気がしました。

日頃から興味を持ってこの宮殿に関する記述などを読んでいれば1回の見学で細かな事柄まで印象に残るでしょう。しかし事情が違い、今になってガイドブックを見ても幾つかの部屋を思い出すのがせいぜいでした。 シェーンブルン宮殿
11:40 シェーンブルン宮殿の見学を終えて外に出る。天気はすっかり回復していた。

ウィーン中心部に移動・車窓観光: 2つの宮殿を拝見し、午前の予定は終了です。街中を走りドナウ運河まで行き、しばし運河沿いに走行した。途中、石油産出国の組織OPECの建物や屋上に天文台のある建物があったりした。運河から右折してラデッツキー将軍の騎馬像を通り過ぎたあたりで下車した。そこからレストランまで歩いた。

レストランで昼食: 12:10 中心部近くのレストランに入る。
メニューは生野菜とクリームを合えたようなサラダ、魚のフライにポテトなど煮た野菜の付け合せ、ケーキのデザートでした。デジカメで撮影したのですが、全てピンボケ、マクロ設定を忘れていました。実は私のサラダの生野菜が古く、レタスは周辺が全て黄ばんでいた。他の人達のは大丈夫だったようですが、珍しくも好きなサラダに手を付けずそのまま残しました。メーンデッシュとケーキはマァ普通のものでしょう、多分。注文したコーヒーは最後まで私には持ってきませんでした・・・。差別された感じで、面白くなかった。さすが、ハプスブルグ家のお膝元で幾世紀にわたり高貴な人達を見てきた 街、その中心部のレストランだけのことはありますね。

13:15 昼食を終えてレストランを出た。午後は自由行動となっているが、一組のご夫婦を除いて「ウィーンの森とホイリゲの夕べ」なるオプショナル・ツアーを申し込んでいた。現地の女性ガイドさん、ツアコンFさん、そして13人のメンバーで「ウィーンの森」なる郊外に行くのです。

リヒテンシュタイン城:
リヒテンシュタイン城
14:00 森の中の駐車場から数分歩くと写真のリヒテンシュタイン城が見える場所となる。オーストリアとスイスの中間にリヒテンシュタインという南北25km,東西10km、人口約3万人ほどの小さな国がある。1719年にリヒテンシュタイン公国が成立し、国家として紆余曲折があったが1868年に永世中立国として認知され、第1次世界大戦の終了(1918年)まではオーストリアと同盟関係にあった。現在は通貨とか外交など多くをスイスに依存している。しかしリヒテンシュタイン大公が現在でもこの城の所有者とか。ウィーン市内にリヒテンシュタイン宮殿があるが、こちらは現代美術館になっている。遠方からお城を見てバスに戻った。
14:10 出発。

シューベルト縁の家:
作曲家F.シューベルトさんの人形
14:15 F. シューベルトが1827年に作曲した歌曲「菩提樹」の題名と同じ木があった。その曲はW. ミュラーの詩に旋律を付けたものといわれます。ここはその曲に縁のある場所らしい。それでシューベルトの人形が飾ってある。ただそれだけ・・・。シューベルトのCDをある程度そろえて時々聴いていましたが、そんな著者も全く感激せず「な〜んだ」といったところ。
14:20 出発。


ハイリゲン聖十字架修道院(Heiligenkreuz):
最初の広い中庭、三位一体の塔
14:35 深い森に囲まれた谷間にある修道院に到着。シトー派という宗派で 1133年に創立されたオーストリア最古の修道院だった。 辺境伯バーベンベルク家レオポルドが子息の宗派のシトー派のために1133年に敷地を提供し、1135〜36年に建立された。教会堂は少し遅れて 1160年の完成とか。キリスト磔刑に用いられた十字架 (Heiligenkreuz) の聖遺物が保管されているようです。 入口から直ぐの広い庭の中央にはジョバンニ・ジュリアーニ作の三位一体の塔(1737年)がある。写真の左のもので、ペスト流行をとめた記念碑とのことだった。

修道院の建物の中に入ると手入れの行き届いた中庭と回廊があった。いかにも修道院らしい雰囲気に満ちたところだった。回廊を左に進むと大きな木彫の「キリストがパウロの足を洗う像」がある。師と弟子の関係から常識的には逆のはずだが、そこが多分ポイント。回廊は曲がり、更に進むと木彫「聖母マリアがキリストの足を洗う像」がある。この修道院は”足洗い”で知られるそうだ。回廊のステンドグラスは僅かな色彩が施されただけの質素なものだったが、逆に単純なものの持つ魅力があった。回廊沿いの各種の宗教的な設備を拝見し、聖堂に移動した。ここはパイプオルガンも設置されステンドグラスも大きい立派なものだった。宗教施設を見学した後は修道院内部の土産屋に寄った。買うものも見つからずバスに戻った。 ハイリゲン修道院
15:30 修道院を出発。

女性専用の修道院: その後、比較的近い女性の修道院に寄ったが、ワイフの体調も良くないし撮影禁止なのでバスに残った。皆さん、直ぐ戻ってきて、「覗いただけ」という。

ホテルに戻り休息: その後、シューベルトが「鱒」の曲想を練ったと説明されたヘレン渓谷(日本のどこにでもあるような平凡な谷)や温泉宿が固まった谷間の集落(バーデン/Baden)を走り抜けた。このあたりの秋は”紅葉”ではなく”黄葉”とか。付近には山の上に古城があったり、水道橋なども車窓から見えた。そこそこの規模の馬の調教場の傍を走ったりした後にウィーン市街地にでた。
17:00 ホテル到着。部屋でインスタントコーヒーを飲み1時間ほど休息した。が、どこかの気のきいたカフェでコーヒーとケーキにしたいもの、と思った。ウィーンのケーキは”美味しい”との評判が高いので・・・。でも、まぁ〜、部屋の中が一番無難かも・・・。

ホイリゲで夕食: 18:10 ロビーに集合。車寄せに駐車していたバスに乗車した。
18:15 出発。参加者は13人で現地の日本人女性ガイドさんの案内でした。Fさんはツアーに関係した航空会社の用件を片付けるとかで不参加でした。


ホイリゲ Viener Music の入口
18:45 郊外タグリッチのホイリゲ”Wiener Musik”に到着。手持ちの旅行ガイドブック数冊には地名も店名も見当たらないが、ここにも幾つものホイリゲがあるので大型観光バスが集まり道は詰った感じになっていた。

ところでホイリゲ( Heurige )はドイツ語で”今年の”とか”今年産の新ワイン”を意味している。ウィーンでは”今年とれた新ワインを出す居酒屋”のことで、皇帝ヨーゼフ2世が「年間300日以内なら自家製ワインと簡単な食事を出しても良い」という許可をブドウ農家に与えたことがその発端のようです。昔から丸太にトーヒ類の葉を束ねたボンボリを付けたものがホイリゲの印、道路近くの目立つ場所に斜めに掲げてある。まあ、短いメイポールを店先に斜めに掲げる、といえば当たらずと言えども遠からず、でしょうか?

我々が行った Wiener Musik というホイリゲは、入口近くはハムなどの売店だった。右手に大きな部屋があり、簡単な仕切り等でテーブル・エリアが区切られている。居酒屋というだけあってテーブルや椅子なども木製の質素なものです。ただし頑丈な感じではありました。我々2人だけ余ったテーブルについた。通路を挟んだ向いのテーブルはしばらくは全て空席でしたが、我々が帰るまでには満席になっていた。

食事はサラダ(レタスとトマト)、野菜スープ、焼きブタ厚切り、ポテト、デザート(アップルパイ)。飲み物はもちろんウィーン産の白ワイン、通常のワイングラスではなく小型ジョッキで持ってきた。ローストポークの厚切りは見た目には美味しそうでもハーブ(?)の味付けが効きすぎていた。全く口に合わず、少し食べただけです。そしてポテトの量の多いこと、驚きだった。「どうせ肉は食わないから芋でも食べろ」と言われたような気がする・・・。残念ながら、最後のデザート(アップルパイ)は再度ウェイトレスに頼まなければならなかった。忙しいと忘れるようです。

ホイリゲの特色の1つは、一説では、ギターとアコーディオンを伴奏に歌う大衆音楽シュランメルといわれます。今夜はバイオリンとアコーディオンと”無言歌”でしたが、それでもプロの流し、やはり陽気な雰囲気を上手に生み出しました。我々のいた大部屋は4コマくらいに仕切られていたが、それぞれを演奏しながら回るのです。手拍子は普通で、欧米系の人達には踊りだす人達も出て賑やかなものでした。見ているとチップも結構集まるようです。バラの花を抱えて売って回る人も入ってくる。本当に庶民的な居酒屋でした。 ホイリゲで夕食

20:40 外は暗くなっていた。ホイリゲを出てバスを待った。

ホテルに戻る: 21:10 ホテルに到着。他の大きな日本人ツアーが到着したばかりでロビーは込み合っていた。ワイフは現地ガイドさんにスペアー毛布とヘヤードライヤーの手配を頼んだ。フロントでは彼女の依頼には直ぐに応じてくれた。

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