旅行記| エジプト紀行 カイロを中心に、( 2日目 /11月19日)
ギザのピラミッド・モハメッド アリ モスク
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04:30 目覚めたので起床。トラベルポットで湯を沸かしコーヒーをいれて飲む。5時30分にツアコンのFさん、6時にホテルの係りから Wakeup Call があった。
06:30 Gフロアーのレストランに行きバイキング形式の朝食。シリアルにドライフルーツを混ぜ、ミルクを入れたものをメインにしてフルーツヨーグルト、パン、コーヒー。用心して生野菜と果物には手を出さなかった。普通の人は問題ないとしても、私の場合は・・・。朝食後、一旦は部屋に戻り、出発時刻5分前にG階のロビーに下りる。

07:11 観光バス乗車。観光バスの最前列は我々は座れない。ツアコン1人(Fさん)、現地ガイド1人(アリさん)、現地旅行社ツアースタッフ1人(モハマッドさん)、観光ポリス1人(紹介なし)、これらの人達の座席となる。トルコ旅行前後のエジプト滞在中はこのメンバーが我々のお世話をしてくれるのだ。観光ポリス(Tourist Police)は私服警官で外国人観光客の警備関係を担当しているそうである。ずっと同じ人だったのか毎日替わったのか、その辺は分りません。観光旅行としては珍しく警察の警備が目立ったエジプトです。ホテルの入り口でも4〜5人の制服警官がいます。他に私服警官らしき人もおり、出入りのチェックは厳しいようでした。

07:15 出発。ナイル川西岸にある街、ギザのピラミッドに向う。

カイロの交通事情: 昨夜はツアコンの各種説明があったのと疲れのために車窓外の風景は目に入らなかった。実質的に初めてみるカイロの市街だった。信号は主要交差点にあり、一応は守られているようだった。車線のラインはなく、横断歩道の表示も無い訳ではないという程度。道路巾は広く3〜4台は並んで走れるものも多いのである。しかし、歩道側に二重駐車してる場所も目につく。時には馬車が車道を動いていたり、遊牧民が馬で道を横切ったり、・・・。そのくせ、車はスピードを出して走る。追い越す。ウインカーを出さずに車線(?)を変える。信号無視もかなりある。アラビア特有の布(民族衣装)をまとった男がその中を横切る・・・。大昔と現代が混在する街、それがカイロの第一印象だった。
よくも事故を起こさないものです。「多いですよ」 と現地ガイドは言っていたが・・・。実際には実に器用に運転しているようで、事故現場は滞在中に1度しか見ませんでした。今春に旅行したイタリアでは道路は近代的でも事故をあちこちで見かけたものです。日本でも同じようなものでしょう。これを思うと不思議です。
ガイドの説明によると、「イスラム教の精神にのっとり、事故を起こしても話し合いで済みます。弁償の必要はありません。」 つまり、「お前が悪い。謝れ!」「なんだと。急に曲がったのはそちらだ。俺は悪くない。」 などと大変な口げんかをして、それで終り。 「お前と俺の出会いも、アラーの神の思し召し。それでは、バイバイ。」
分らん、実に不思議です。どういうことでしょう?仮にそうとしても、「100万円あげるから1時間走り回れ」と言われても私ならお断わりします。1分でガッチャーン間違いなしです。ちなみに、後日に通りを散歩した人は 「横断は命がけ、もういやだ。」 処変われば品変わる、こんな呑気な表現なんか・・・。我々日本人の常識が全く通用しない異質の世界を感じた次第です。
個人旅行の方々は無事に自由行動していますし、以上の記述は大げさ過ぎるかも知れません。カイロ在住の日本人も沢山おられるそうですから、慣れると何とかなるのでしょう。

バスはカイロ市内サリーフ・サーリム通りを南西に走った。ガーミア・ムハマンド・アリのかなり手前だったが人の姿の多い街から次第にはなれ、くすんだ空の下に不気味に単調な土埃一色の広大で平坦な市街の光景になった。幾つか大きなモスクのドームとミナレットが突出しているだけで、死んだ世界のようだった。これが砂漠の街の風景なのかと思った。直ぐにこの光景は巨大な城壁(シタデル:12世紀に十字軍の攻撃に耐えたもの)にさえぎられ見えなくなった。この丘にガーミア・ムハマンド・アリ(モスク)があり、暫くするとその大きな姿が見えるようになった。ここは今日の午後に見学の予定である。さらに行くとナイル川を横断する。島でナイルの流れは二分された場所ではあるが、「世界一長い川」の割りには大きさを感じさせず、ロンドンのテームズ川程度に思われた。ナイルデルタの始まりがカイロで川幅は相当なものと想像していたので驚きだった。ローダ島の為かも知れないし、たまたまそう感じさせる場所だったのかも知れなかった。

道中、4〜5階のアパートが密集している地帯を通過した。足場がなく建設中とは思えないが、最上階は柱だけで鉄骨が上に出ている未完成の建物が多かった。そして、住める感じの最上階でも人の住んでいる気配はしない。ガイドのAさん曰く、「カイロでは、アパートの最上階が完成するまでは建物に税金がかかりません。それで、最上階はわざと未完成のまま放置してあるのです。」 なるほど・・・。法の抜け道の活用はどこの国、どんな民族、どんな宗教でも有り得るのですネ。

ギザとピラミッド: 
ギザはピラミッドと周辺の保存された砂漠を取り囲む広大なカイロのベッドタウンのようでした。予想外にギザ市街から クフ王のピラミッドなどが直ぐ近くに見え隠れするのです。そんな街の中をラクダが何頭も何頭も歩いています。観光用のラクダ達で今ピラミッド近くの職場に向う途中なのだそうです。バスはギザ市街の川に沿って走りました。住人のゴミ処理場となっている川は不潔そのもの、ゴミ捨て場となった河川の見本みたいなものでした。
両側の建物はそこそこ立派なものもあると表現できるでしょうが・・・。 この川沿いの道を左折して左に湾曲する坂を登るとクフ王ピラミッドの麓です。

クフ王のピラミッド: 08:05 クフ王のピラミッドの駐車場に到着。ピラミッド入り口が良く見える北側だった。バスに乗ったまま現地ガイドのAさんからピラミッドに関する簡単な説明があった。彼の説明というより、幾つかの資料に基づき簡単に記述しますが、詳しくは適当な最新の解説書とか参考書を御覧ください。
南のダハシュールに有名な屈折ピラミッドがあり、これはフスネル王の建造だった。フスネル王の息子であるクフ王は紀元前2550年頃にギザに最大のピラミッドを建造したのです。それ以前のピラミッドとは大きさの違いだけではなく、二つの神殿を伴ったり、王妃のピラミッドを近くに造営するなど、ピラミッド全体の形式をも大きく変えたと言われます。
ピラミッドの建造理由は昔から諸説がありますが、太陽神と霊魂の不滅に関係しているようで「王の墓」ではなかった、とする説が近年は有力になったようです。ナイル川が氾濫し農耕が不可能な数ヶ月間の失業から民を救済するための公共事業の意味もあったという。建設では奴隷を酷使したと言われていましたが、これも否定されたようです。
数多いピラミッドの中でクフ王のピラミッドが最大で現在の高さは137mです。元来146mだったが頂上部が無くなり、遠望すると確かに頂上が尖っていない。平坦に見えます。本来の高さを示す目的で頂上に鉄棒が立てられているという。金銀のピラミッドが頂上にあったのではないか、とガイドは言うが・・・。これは観光用の説明かも知れません。
基辺は正方形で一辺が230m、勾配51度50分という。各面(基辺)が正確に東西南北を向いていることは良く知られています。230万個の石が使われ、1個の平均重量は2.5トンと推定されている。どれ一つとして同じ形・大きさのものはないといわれます。
表面は化粧石で覆われていたが、全て剥がされ建材として使われてしまった。その面影は隣のカフラー王のピラミッド頂上部に残っています。現在の外壁は巨大な四角い石が剥き出しで階段状になっている。登ることも不可能ではないが、ピラミッド登りは禁止です。

08:25 クフ王のピラミッドで自由行動。バスから降りてクフ王のピラミッドを見上げると圧倒されます。高さ137mの建造物・ビルなど珍しくない御時世ですが、この重量感を伴う端正な形が放つ迫力はここ以外では体験できないものでしょう。
ピラミッドの中に入る予定はありませんが、入り口まで登ることにしました。細い階段状の道が所謂「盗掘用入り口」までありますから危険はありません。良い記念写真が撮影できます。ついでながら、中に入れる人数は1日300人までで、それ以上は入れないという情報もあります。それ程高く登らないので、皆さん上ってきます。ツアリストポリスとか切符もぎり担当者がいるだけで、内部入場の勧誘はもちろんありません。
ここからギザの街の一部がよく見渡せます。観光の街でカイロのベッドタウンと言いますがそんな感じです。ピラミッド下の駐車場を下ると緑豊かなゴルフ場です。エジプトのゴルフ人口は少ないそうで、これは外国人向けかも知れません。 砂と瓦礫の平面と違い、ラクダの排泄物を踏みつける心配もないのがピラミッド近くとか斜面の良いところです。後で知ったのですが、かなり気を付けていたのに、ウォーキングシューズの靴底には妙なもの(ラクダのフン)がかなりつまっていましたネ。皆さん、十分に気を付けましょう。
エジプトの観光地はしつこい物売りが多く不評を買っています。が、朝早いためか、絵葉書10枚セットを1米ドルで売る人が現れただけでした。 クフ王のピラミッド

08:50 クフ王のピラミッド駐車場を出発。

半周して太陽の船博物館の近くまで行った。この建物の中には1954年に発見された「第1の太陽の船」が納められている。木造の船はエジプトに無いレバノン杉で作られているという。バスは建物を見せるために徐行してくれましたが、停車はしなかった。車窓から博物館の写真を数枚撮れただけでした。 太陽の船・博物館
1987年には「第1の太陽の船」の竪坑の西側に全長40mにも及ぶ世界最古の大型木造船「第2の太陽の船」の存在が確認されました。後者も発掘されることが決定しているようです。ピラミッドとか太陽の船を含む古代エジプトの謎の解明に関しては、エジプト考古学の急速な進展があると言われます。W大学の吉村作治教授の研究などの世界的に認められた成果を盛り込んだ最新の解説書を読むのが適切なのでしょう。

カフラー王のピラミッド:  08:58 カフラー王のピラミッドに到着。 ギザの3大ピラミッドの中央にある。偶然か、大きさも3ピラミッドの真ん中である。高さ143.5m、基辺214.5m、勾配53度7分。建造された場所がクフ王ピラミッドより高所になり勾配が急なために、外観はクフ王ピラミッドよりも高いといわれる。ピラミッド外部の化粧岩も上部と下部の一部に残っていて、上部の化粧岩がこのピラミッドを他と区別する良い特徴になっています。スフィンクスも作ったカフラー王は最大のピラミッドを建設したクフ王の次の次の王だったそうです。
有名なガイドブック「地球の歩き方 '02-'03・エジプト」の148頁本文に 「団体客はクフ王のピラミッドしか見ないので、すいていて静かである」 とされています。が、我々は団体の観光バスで乗りつけ、ピラミッドの中にも入りました。他の観光客もけっこう訪れていましたネ。この種のことは時期・曜日・時間によるでしょう。
我々はツアーなのでバス移動でしたが、クフ王ピラミッド傍の太陽の船からカフラー王のピラミッドには歩いてくるグループもかなりいました。大ピラミッドに挟まれた砂漠地域なので気温次第ですが、楽な徒歩圏内です。

09:07 カフラー王のピラミッドの内部に入る。中腰で歩く狭い道を下ってから登る。
09:12 カフラー王のピラミッドの一番奥の部屋に到達。石棺らしき物がある。写真撮影。
09:17 奥の部屋から出口に向う。途中の脇道などは入れないようになっている。
09:22 ピラミッドの外に出る。内部では妙な臭いなどはしなかった。

観光客が見るピラミッド内部はGoogle等の検索エンジンに 「ピラミッド 内部 探検」 と入力すると 報告がリストされます。「探検」代わりに「見学」ならもっと数多くリストされます。いろいろなピラミッドの内部見学報告と写真がありますので、特に興味のある方はそちらも参考にして下さい。
ついでながら、ピラミッド内部の見学用に「懐中電灯」の携帯を勧める旅行記も多いのですが、好奇心旺盛とか研究熱心な人を除いて通常の観光には不要です。観光客の訪れないピラミッドに関しては分りません。なお、ピラミッド内部にトイレはありません。 カフラーのピラミッド

09:25 展望台(パノラマポイント)に向けて出発。
09:33 展望台到着。

展望台/ギザの3大ピラミッド・ラクダ乗り・土産屋:  クフ王とカフラー王のピラミッドは近くから観察しました。さらに、この展望台からの両ピラミッドの姿も雄大です。少しかすんで見えるピラミッドの手前の砂漠に1本の道、そこを観光バスが行く。絵になる光景です。

メンカウラー王のピラミッド: この展望台からは3大ピラミッドの中で一番小型のメンカウラー王のピラミッドが見えます。カフラー王の次の王のピラミッドで、高さ65.5m、基辺105m、勾配51度20分。南側のすぐ傍に小型の王妃のピラミッド3基がある。展望台からは重なって見え、崩れかかったピラミッド1基にも思えるのが残念でした。その近くには行きません。メンカウラー王のピラミッドまで行く観光客はかなり少なく、その中に入るには勇気がいるとも言われます。

砂漠: ここからの眺めは昔ながらの砂漠であろう。あちこちにラクダなどを配置して観光客用の風景を演出しているようである(演出ではなく警備のラクダ警官かも知れませんが)。場所によってはピラミッドと違う方向の遥か砂漠の彼方に高層住宅のスカイラインが少し見えたりする。拡大中のギザの街に囲まれつつあるのです。それでも、初めて両足で立つ本物の砂漠であることに間違いありません。感激でした。

ラクダ乗り: 同じのツアーグループではないようでしたが、ラクダ乗りで遊ぶ日本人観光客が沢山いました。値段の交渉は現地ガイドに頼まないと適正なものか分りません。ガイドブックには一応の水準や注意事項が書いてありますし、個人旅行記などではボッタクリの話も随分流れています。が、チョット乗って少し歩き記念写真を撮る、こんな程度なら安いはずです。要はサービス内容と値段をしっかりと事前確認すること。この時は欧米系より日系観光客に人気がある感じでした。

土産屋: ラクダ乗りとバス駐車場の間に土産品の露店が10軒くらい並んでいた。露店は日除けテントも張らない炎天下そのもので文字通りの露店です。砂上のひな壇みたいな棚と広げた布にピラミッド、スフィンクスからツタンカーメンの黄金のマスク、黒い猫、ラムセス2世立像等々びっしりと並べられていた。ひやかしだけで何も買わなかったことを後悔しています。ピラミッドにあきたのか、欧米系の人達はラクダ乗りよりこちらでした。 ピラミッドを見る展望台

10:00 展望台出発。
10:04 スフィンクス到着。

スフィンクス ( Sphinx ):  クフ王とカフラー王のピラミッドの間をバスは走り、スフィンクスの横の道を下り入口に向った。 ツアコンFさんから入場券を渡され、入口で"もぎり"が指で1cm程度の割き目を入れる。ここから100mくらい 歩いた左側が船着場、奥が神殿、神殿の右がスフィンクスです。
入場したあとは見通しの良い広場状の場所です。左側は多くの椅子が並び、夜の「音と光のショー」の観客席になっている。ショーの場所からはスフィンクスが二大ピラミッドの間に見えるはずです。観光客が歩くところからはカフラー王のピラミッドとスフィンクスが正面から重なり合い、これも写真を撮るの絶好の場所の1つです(旅行記の表紙の写真。)

古代の船着場から神殿に入った。左は河岸神殿、右はスフィンクス神殿で高さ20m、長さ57mのスフィンクス象がある。 このギザのスフィンクスが最大で最古といわれ、男の頭部にライオンの体(人面獣身)である。紀元前2650年頃にカフラー王が建造したもので、百獣の王ライオンが神格化した王ファラオと合体して王権の象徴となったと言われます。今は鼻とあご鬚 (ラムセス2世の髭に似たもの) がなくなっている。その後スフィンクスはメソポタミア、シリア、アナトリア、ギリシアなどに広まった。同時にスフィンクスの性格も変わり、顔が女性になったり、翼を持つようになったりした。有名な「スフィンクスの謎かけ」はギリシアのものでギザの大スフィンクスとは無縁という。

スフィンクスの謎かけ:(1)一つの声、朝に四つ足、昼に二つ足、夜に三つ足となるものは何か?(2)一方が他方を生み、生んだ女が生まれた女によって生み出されるような姉妹とは何か?(3)生まれ出るとき最も大きく、盛りのとき小さく、老いて再び最大になるものは何か? 答えられない人間をスフィンクスは食い殺した。オイディプスが正しく答え、スフィンクスは恥じて死んだという・・・。後世、ギリシアでのお話です。

ガイドはまず河岸神殿に案内した。古代エジプトで使用された石材やその組み合わせ方や角の処理法など説明していた。ここでは赤い御影石も使われていた。右手の坂道を登るとピラミッドの顔近くにでる。ピラミッドは低い処に建造され、観光客の歩く処からは間に涸れ堀がある感じになる。数人がピラミッドの足の部分の修復作業をしていた。風化・劣化も激しいものと想像された。ここからはクフ王のピラミッドとスフィンクスの顔が同時に撮影できるので、欧米人も日本人も盛んに記念撮影でした。観光用の道はスフィンクスの腰の近くまで行けますが、頭の部分近くからの風景が良いと思います。

しばし他の大勢に混じって記念写真の撮影などを楽しみ、そこを後にした。観光客が長年かけて磨き上げた大理石の歩道の模様が面白く感じられた。 スフィンクス
10:50 スフィンクス出発。街の中を走る。

香水の店:  11:30 「香水の店」に到着。 パックツアーは休息・トイレタイム・ショッピングを兼ねて契約した店に連れて行く。この「香水の店」もその種の最初のものだった。店内の両壁には各種の香水容器(ガラス瓶)が処狭しと飾られていた。大きいものから小さいものまで、土産、記念品に適当と思われるデザインの綺麗なものも多かった。まず、椅子に全員が座らされ、エジプト産香水の講義(セールストーク)を受ける。バラとか他の香水5〜6種を見本として腕につけられた。これは暫く匂って嫌だった。そして小型ガラスコップに入れられたアップルティーのサービス。喉が渇いていたので甘酸っぱい味が美味しく感じられた。商品価格は、例えば、ラクダの香水入れ(小)が90ポンド(約\2500)、(大)が130ポンド(約\3500)などだった。表示価格から1割値引きになるが、観察していると香水とか香水瓶の購入者が多かったとは思えませんでした。ポツポツといった感じです。

観光バスの警備 バスに戻ると、バス後方にパトカー1台、前方に自動小銃を構えた警察官。この警備には驚きました。同乗している私服観光ポリスが逐一報告してパトカー等が即時に配備されるのでしょうか。今後いちいち書きませんが、観光先と観光バスの警備はエジプト警察の観点から必要に応じて適切に行われている様子でした。我々観光客は護衛される立場です。現時点の情勢では形式的な護衛にも思われ、特に不安に思う必要はなさそうです。
11:45 「香水の店」出発。

昼食
11:55 レストラン Kahomma Grill 55(シーフード) に到着。
やっと昼ごはんになりました。ツアーグループが使用するテーブルは決まっている。その場所で適当に座れぱよいのだ。まず、飲み物のオーダーになる。ミネラルウォータ(750ml)(LE5.00) と ペプシコーラ(LE7.00) を注文した。STELLAという地元ビールを注文した皆さん、「飲めるヨ、美味い!」と言っていましたネ。直ぐにエジプトの平たいパンとパン用ソース類が運ばれてきた。フラワーを練って薄く丸型にしたものを窯で焼いただけの素朴なパン。でも、それなりに美味い。ソースもパンに合う感じでした。メインディッシュは、白身の魚とイカの揚げ物、ライス、野菜類。塩味などが強いわけでもなく、どちらかと言えばあっさり味で食べれました。旅行社が事前に日本人好みの味付けを指導したのでしょうか。 デザートはオレンジ1個と紫色の小型の果物3個だった。ウェイトレスがオレンジの山から1個床に落とした。ヒョイと戻し 知らぬ顔。おおらかなようである。このレストランはウェィターが料理を出し、ウェイトレスが片付けるシステムでした。 この分業は珍しく感じましたが、男社会なのでしょう。飲み物代を精算するとランチも終りです。

13:00 レストラン出発。
再びナイル川を渡りカイロに入る。ピラミッドの資材を確保した石切り場をバスの窓からながめて、少し丘を登る。ここでも木陰に自動小銃の警備が見え隠れした。

ガーミア・モハメッド・アリ ( モハメッド・アリ・モスク ): 
13:20 ガーミア・モハメッド・アリ到着。
ナポレオンが退却した後、1805年にアルバニア人傭兵隊長モハメッド・アリがオスマン帝国に認知された総督になり、1952年まで続いたモハメッド・アリ朝が誕生しました。そのもとにカイロの近代化が進行した。 その1つが高台にそびえるこのガーミア・モハメッド・アリで、 1857年完成の比較的新しいモスクです。イスタンブールのモスク様式を取り入れて作ったと言われます。確かにイスタンブールのブルーモスク等のようにボコボコした感じの多くのドームを持ち、その両脇に二本の細いミナレット(尖塔)があります。エジプトのモスクはドームがあっても1つで塔も太い感じのものが多い。その意味でガーミア・モハメッド・アリは当時のエジプトでは先駆的なものだったそうです。いわばレンガ造りの東京駅、そのエジプト版だったのでしょうか・・・。

ツアコンFさんが入場券を買って配った。入り口から境内に入り、少し登ると前庭と言えるような空間になった。そこからこのモスクの正面の外観がよく見える。記念写真の撮影にも最適の場所でした。その後、右側のレンガ塀に沿って歩き、まずモスク横手裏の中庭に入りました。
その入り口には緑のガウンが沢山ありました。イスラム寺院には肌を露出して入ることは許されません。ノースリーブとかショートパンツの女性はこの緑のガウンを拝借して体を覆ってから中に入るのです。事前教育の行き届いた(?) 我々のグループの女性は不要でしたが、欧米系女性の着用は目に付きました。思うに、事前教育の違いではなく、実は欧米系と日系の女性の耐寒力の相違が理由の1つでしょう。日系はノースリーブとかショートパンツではエジプトの冷房に耐えられないのです。

裏手の中庭の中心に何か天蓋のある半円球状のものがありました。重要なもののようですが、何であるかは聞き漏らしてしまった。東洋的発想では納骨堂と思えますが・・・。それも周囲の回廊も大理石でつくられた立派なものです。ここから見上げるミナレットは細くロケットのようにも思えます。
靴を脱いでモスクの内に入りました。ドームの天井から吊り下げられたシャンデリアと照明電球が点灯されており、きれいで見事でした。もちろん、その上の連なるドームの装飾も筆で表現できないほどに精巧で美しいものです。モスクの屋根が沢山のドームの寄せ合せなのは、構造的強度もさることながら音響効果が良いためといわれます。床は赤い絨毯が敷き詰められています。我々はその上に座り、ガイドのアリさんを囲みました。アリさんはアスワン近郊の出身で、自分の顔付きは歴史的な典型的エジプト人と言っています。それ故か、国教のイスラム教の説明は実に熱が入っていましたネ。以下、ガイド氏の説明そのものではありませんが、イスラムの宗教について・・・。

イスラム教: アラブの預言者ムハンマド610年に創唱した一神教で、西アジア、アフリカ、インド亜大陸、東南アジアを中心に現在ほぼ6億の信者がいると言われます。信者をムスリムいい、「絶対的に服従する者」の意味です。イスラム教では、モーゼもキリストもムハンマドも、みな神のつかわした予言者です。スンナ派シーア派(10%)に大別され、前者が多数派です。形式的には「六信」と呼ばれる基本的信条、つまりアッラー、天使、啓典、預言者、来世(アーヒラ)、予定を受け入れ、基本的義務として「五行(五柱)」と言われるイスラム教の中心的教えを実践します。五行とは:

1.信仰告白: アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの信徒である。
2.礼拝: メッカに向かい1日5回(スンナ派) 夜明け、正午、午後、日没、夜半。
3.ザカート(喜捨): 義務。資金は貧しい巡礼者、債務者等々の弱者救済に使用。
4.断食: 日の出から日の入りまで断食(日中断食)。第9月。太陽暦では変動。
5.巡礼: 経済的に余裕のある場合はメッカに巡礼。第12月。

礼拝など、時刻的には厳密ではなく、やむを得ない事情があるなら「夜明け」の礼拝は次の正午までに行う、となるようです。断食など「イスラム教徒の太る時期」とも表現され、言葉からのイメージとは違うようです。ラマダンは日本語では「日中断食」とするのが適切なのでしょう。巡礼も子育てに費用のかかる人や病人などはする必要はありません。ローン(借金)で巡礼など「とんでもない」ことなのです。
他にも、一夫多妻制は興味本位でよく知られていますが、「公平に全正妻を愛さなくてはならない。男は大変ネ(大笑い)」とのことでした(抜け道もあるはず・・・?)。日本の戦国ドラマに良く出てくる武将と正室・側室の関係とはかなり異なるようです。
豚肉を食べない、酒は飲まない、賭け事はしない等は生活上のリスク低減の教えとして理解できますが、「金利」も宗教的には認めないとか・・・。どのような理屈をもって現代の産業活動にすり合わせしているのか、興味深々ですがわかりません。現時点ではイスラム教諸国で各種の方法が模索されているようです(News Week, December 30, 2002, pp.18-19)。
例えば、非イスラム教国の住宅ローンは、個人が銀行から借金をして住宅を購入し、元利合計を一定期間に返済します。あるイスラム教国では、個人が銀行に住宅の購入を申し込むと、銀行が住宅を購入し元利合計相当額で申込者に販売し、分割払いで返済するのです。これなら銀行は利子を取ったことになりません。売買差益はイスラム教の教えに反しないことを利用した方法です。

ガイド・アリさんのなが〜い説明も終り、自由行動となりました。モスク内の写真もかなり撮ったが、光量不足でブレたものも多くがっかりでした。

出口で靴を履き、モスクの西側の庭からカイロ市内の風景を眺めました。市内はよく見渡せます。が、近くの大きな建物の屋根が穴だらけの凸凹でかなり傷んでいる。廃墟みたいですが、雨の無い街のカイロでは困らないのかも知れません。この辺は少し淋しく寒々とした光景でした。空気が澄んでいるとギザのピラミッドもここから見えるそうですが、あいにくスモッグ状の霞がかかっていました。 モハマッド・アリ・モスク

境内を後にして入り口の外でバスの到着をまちました。トイレに入ったら、50ピアストロ(LE0.50)取られました。ここは不潔ではありませんが、慣れるまで・・・。
14:35 モハメッド・アリ・モスク出発。

ハン・ハリーリ ( ハーン・イル・ハリーリ ): 
15:00 スーク(ハンハリーリ)に到着。 一口に言えば、「定番の外国人観光客向けスーク。」 観光バスを下りると右側に小さい公園(ホセイン広場)、その奥に個性的な天幕(日除け?)があり、そのまた奥がガーミア・ホセインというモスクだった。公園の左側は広場でカフェが数軒ありテーブルを表に並べていた。知られた観光市場なので人は多かった。ハン・ハリーリはこの辺一帯の事らしいが、幾つかの小路に入ると商店がびっしりと並びスーク(マーケット)らしくなる。

広場の奥、ガーミア・ホセインの角の向かいに小路の入口がある。ガイドはそこから入るように言った。水パイプ、 銅細工、貴金属、革製品、銀製品、宝飾、絨毯、etc.小規模だが数多くの店が並んだ小路だった。ショーウィンドウを少しでも覗くと客引きが始まる。どんなものがあるのか、ゆっくり見れたものではない。従ってブラブラ奥まで歩くだけだった。それでも客引きがしつこく煩く感じられた。これでは良い印象は決して残らないであろう。賑やかと言っても、実際の商談の声が飛び交うというより、一方的な客引きの声であった。店のなかには日本人の姿は少なく欧米系の観光客のほうが遥かに多かったと記憶している。我々としては、楽しいショッピンクエリアという印象は残念ながら・・・。

ガーミア・ホセインまで戻り、モスクに沿った道を奥に歩いてみる。お祈りを終えた人達が次々にモスクから出てきた。向かいの商店の中でも店の人が床に布を広げ例のお祈りをしている姿もあった。そんな時間帯のようだった。雑多な商品を並べた店の外に小さい合皮製の手作りラクダがあった。幾らか訊ねると、LE2.00(\54)という。信じられなかったが、それだけ渡すと袋に入れてくれた。

広場に戻ると皆さんカフェに集まっていた。買い物をした様子は全くなく、テーブルにはコーラの缶があった。我々も喉を潤すことにした。カプチーノを注文したが、まずかった。外のテーブルなので物売りが物凄い。次々にガラクタ類を持ってきては買ってくれという。落ち着けたものではなかった。赤ん坊を抱いた女性が来たときには、向かいの同行の日本人女性が同情から買って上げた。エジプトの売り子は本心から嬉しそうな笑顔で礼を言って去った。しかし、直後、大勢の警官が急いでバリケードで囲み、物売りが近づけないようにした。内心ホッとしたが、反面これは一時の気休めとも思った。 ハン・ハリーリ

15:45 集合。離れた駐車場に行ったバスがなかなか戻った来なかった。フセイン広場の通りにはパトカーが行列状態に駐車している。ここは外国人観光客の多い処だから特別な警戒態勢なのであろう。公園の低いフェンスの基礎部(コンクリート製)に上がりあたりを眺めた。フセイン広場は欧米系観光客と現地のエジプト人でごったがえしの状況だった。道路の広場入り口近くには自動小銃を持った警官が立っていた。フェンスから降りるとき、その鉄棒(先端が矢じり状)で綿パンの腰の部分をかぎ裂きしてしまった。「やると思っていた」と近くの人から言われてしまう。バスがきた。
16:00 出発。

ホテルで休憩 ホテルに帰り夕食まで休息。鍵裂きしたズボンは処分した。
18:55 ロビーに集合。
19:00 出発。夕食のレストランへ。店が変更になり鶏肉料理となった。

夕食: 
バスを下りると、広いレストラン敷地内の奥に案内された。池の傍のテーブルが用意されていた。その向こうにはライトアップされた中華風の朱色の建物が二つあった。「経営者は中国人では?」という声がしたが、特に説明はなかった。ラマダン中は酒類禁止のレストランでしたが、エジプトの観光会社 TRAVCO の人が交渉して特例としてアルコールをだすことになったのです。これには皆さん正直に喜んだ表情でした。普段は全く酒類を口にしない我々も"お付き合い"することにしました。

注文は大体エジプト産グラスワインかエジプト産ビールでした。外国製で日本人にも知られた名の飲み物もあるのですが、エジプト産を試したい気持ちが勝っていました。ワインもビールも「飲める!」という結論でした。エジプトのパンにソースを付けて食べ、ワインで喉を潤す。それなりに乙なものでした。
メインディッシュは一皿です。鶏の腿肉を開いて焼いたもの、ライス、フレンチフライでした。特別に美味とは言えないでしょうが、安心して食べれるし、味付けもクセが少なく最後まで食べれました。欲を言えば、小鉢に温野菜があれば日本人旅行者には十分でしょう。
今回のツアー旅行は、今年還暦の男性数名と60代の男性数名の1人参加組みがいます。同類は群れやすく、このテーブルに集まりました。我々2人も仲間に入りました。飲みながら気軽に適当なことを言い、「ワッハハ、ワッハッハ〜」が多いので、話さない私も肩がこらずに済みました。夕食がすぐ終わった感じです。 エジプト初のディナーも飲み物・味・雰囲気共々それなりに楽しめて満足しました。

レストランのあちこちに大灯篭のようなラマダンの飾りが置かれ、明かりが燈されている。ステンドグラス風のがっちりした作りの大きいものですが、日本の盆提灯に似た感じとも言えます。これは珍しかった。 20:50 レストランを出発。

ホテル
21:10 ホテル到着。
デジカメの充電をセット、そしてポットでお湯を沸かして梅昆布茶を作り、煎餅を食べて寛ぎました。よく動き、いろいろ見学と体験をした観光初日でした。
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