旅行記| エジプト紀行 カイロを中心に、( 3日目 /11月20日)
アレキサンドリアの日帰りバスツアー
表紙 | 始め | 行程表 | 前行程 | 1日目 | 2日目 | 3日目 | 4-9日目 | 10日目 | 11日目 | 12日目 | 13日目 | 終り
前頁に戻る 目次:行程表 次頁に進む
◇◆◇

04:15 ツアコンFさんのWakeup Callで目覚めた。濃いコーヒーを二杯も飲みました。
04:45 ホテルのモーニングコール。
05:15 朝食。

昨日と同じくコーンフレークですが、今日はドライフルーツを2種類に砂糖を少々加えてみました。私には甘過ぎる事はありません。ヨーグルト等の加工食品のみで、未だ生野菜には手がでません。パン(普通の欧州式)も美味しいし、コーヒーの味もマァ良い方です。

05:40 部屋に戻るがカードキーではドアーが開かない。赤い服のホテルマンが来て開けてくれた。こんな単純作業が上手くできず大いに劣等感を感じました。
05:55 バスに乗車。夜明けは未だ遠い感じです。

バスでアレキサンドリアに向かう
06:00 出発。早朝なのに、ガイドのアリさんは直ぐいろいろとエジプトのことを話し始めた。宗教的理由によりエジプト人には甘党が多く、唐辛子の味を好むと辛党(冗談)だとか、83%はイスラム教徒で16%がキリスト教徒とか、キリスト教といっても最も原始的な形態を残すコプト教という宗派になる、・・・。駅近くのラムセス2世立像の傍を通ると、ラムセス2世は97歳まで長生きし、67年も統治したと説明した。エジプトで人気のある王様の1人だそうです。

話を聞きながら外の建物をみていると沢山取り付けられたエアコンと洗濯物が薄明かりの中でも目に付いた。夜も洗濯物を取り込まない人がいるようだった。

アリさんは警察の話を始めた。観光警察とは話してもいけないし写真を撮ってもダメという。(私はいろいろ撮影しましたが・・・。) 彼はエジプトの恥部にも触れた。いろいろなことは50ポンドとか100ポンドの賄賂で片付くという。日本円にすると1500〜3000円の感じであろう。交通違反をしたら100ポンド渡せば済むそうだ。警察は事故を好むともいう。法の尊守とか社会的な損失よりも自分の実入りがあるからだ。賄賂を上司に報告したり税務当局に申告する人はいない。全て受け取った人間の小遣いとなる。余禄もかなりのもののようで、エジプトの女性は警官と結婚したがるそうである。
観光ガイドなんか水商売で・・・、等とチョット僻んだことも付け加えた。
ルクソール外国人観光客襲撃テロ事件(1997年)の後は3年間も日本人観光客が来なかったので、その時はフータロウをしたという。

そのうちに高速道路の料金所になった。アレキサンドリアまで225Km走るが、バスの料金は3.00ポンド、トラック6.00ポンド、小型車2.00ポンドという。もしも聞き違いでなければ、かなり安い高速道路の通行料である。ガイドは日本の高速料金に言及しなかった。日本通のアリさんは言っても無駄なことを良く知っているはず・・・。 料金所は土壁色の建物だったが観光客を意識してかエジプトらしいレリーフとヒエログラフで装飾されていた。
高速道路ではネズミ捕りがあるが、午前8時以降とのこと。捕まると150ポンド(\4500)の罰金と1ヶ月の免停処分になるそうである。どの位のワイロで放免かは説明がなかった。

06:30 真っ赤な見事な朝焼けを伴う日の出となった。10分間位は太陽を直視できました。

エジプトの御馳走はハト料理と言われる。もちろん広場のハトを捕まえて料理するのではない。食用ハトを飼育する人が沢山いるのだ。高速道路沿いにも独特な形状のハトの巣を幾つも見ることができた。弾丸とか竹の子に似た形の白っぽい大きい塔でハトの出入りする穴が沢山開いている。止まり木を付けたものが多い。塔1つだけのところ、中には7つの塔が固まっているところもあった。2〜3個の場合が多いようだった。これが食用ハトの巣であるからには、ハトは自分で餌を見つけて食しているであろう。かなり自然な飼育法とみうけました。

高速道路沿いにはバナナ畑も見られる。バナナの木はかなり高く成長するが、ここのは低い。実を取るために改良された種類なのでしょう。ワイフはエジプト滞在中に数回もバナナを食べていましたが、味の方は今一のようでした。土地の養分と天候の違いで我々の慣れ親しんだ台湾とかフィルピンのバナナとは少し違う食感なのでしょう。

休憩 07:25 休息のためレストエリアに停車。 外の空気を吸いたくなったので下車して高速道路に出てみた。片側2車線で、日本の道路に比べると大雑把なつくりです。感心したのは両側の広告塔で、出鱈目・バラバラではなかった。幾種類かの大きさの広告が同じ高さと間隔で設置されているのです。広告塔の構造として脚部は太い鉄パイプ1本で上部に両面の広告板が取り付けられている。この形に統一されている。退屈と言えば言えなくもないが・・・。
07:40 出発。果樹園、トウモロコシ畑などが沿道では多かった。畑は赤土でした。

アレキサンドリア: 
09:20頃、アレキサンドリア市街に入った。この古代から有名だったアレキサンドリアはカイロに次ぐエジプト第二の都会で人口約300万人を抱えています。 バスがこの街に入ったらホッとしたものを感じました。 地中海性気候の為にカイロと比較すると緑が多く潤いのある街並だからでしょう。見た目には埃っぽい感じがしないし、建物も比較上は洗ったような外観だった。ただ、冷房機器が外壁に沢山付けられていたり洗濯物が目にとまるのはカイロと同じでした。アレキサンドリアではカイロと違い交通信号は守られるそうです。バスの窓から見る車の動きにも安心させるものがあったのかも知れません。

ナイルデルタの西部地域にありますが、ナイル川氾濫の影響は受けない土地で、北の地中海と南のマレオティス湖に挟まれて防衛上も有利な場所だったと言われます。現在はエジプトの貿易港の役割を担い海路貿易量の90%を扱っているそうです。エジプト金融界の中心でもあり証券市場もここにあると聞きました。欧州風の建築物が多く綺麗な街なので、地中海の花嫁 (または地中海の真珠) と呼ばれるそうです。欧州からの観光客が多い街であると共に、エジプト美人の多い街としても知られているとか・・・。

歴史的には、漁村だったこの地にマケドニアのアレキサンダー大王が紀元前331年に建設した街で、プトレマイオス朝エジプトの首都でした。その王朝最後の女王がクレオパトラでした。その後はローマの支配下に入り、ローマの国教がキリスト教に変ると共に、ビザンチン帝国の時代にはコンスタンチノープル、ローマに次ぐ第3の主教座が置かれた街でした。そして7世紀にアラブ人の侵入を受けたのでした。その後は衰退一途を辿り、僅かな人口の寒村になったが、モハメッド・アリ朝のエジプト近代化 (前頁のモハメッド・アリ・モスクを参照) により復興したといわれます。

古代のアレキサンドリアは東西約8.4km、南北約1.2kmの広さで、幅約28mのカノポス大路の両側に碁盤目に作られた街だったそうです。海上のファロス島を約1.3kmの大突堤でつなぎ、その東側に大港、西側にエウノストス港の複式港を作り海の玄関口でした。ファロス島東端には石造り高さ約110mの大灯台(前279年ころ)が作られ、古代の七不思議の一つに数えられたが、1326年に倒壊しました。その地に15世紀に建築されたカーイト・バイ城砦が現在でも目立った存在になっています。

アレキサンドリアはヘレニズム時代からの古い街ですが、古代のこの街は記述資料から知ることができるのみだそうです。実物遺跡はこれから見学するカタコンベポンペイの柱、その他はコム・アルディッカの円形劇場があるのみといわれます。

カタコンベ ( コームッシュアーフ ):  09:30 カタコンベ到着。ツアコンFさんが入場券を購入し全員に配布し、ガイド氏はカメラ撮影券(10ポンド)を購入者に配った。ビデオ撮影券を購入した人は居なかったと思う。デジカメも数分間ならビデオ撮影可能ですが、何処でもカメラ撮影券ですませました(ビデオ機能は使用しない。)
このアレキサンドリアのカタコンベは今こそ住宅に囲まれていますが、1900年に農夫とロバが偶然穴に落ちて発見されたそうです。初めは貴族の墓所でしたが、3世紀頃に共同墓地になったと言われます。実は、カタコンベといわれても、地下にある初期キリスト教時代の墓としか頭にない。歴史的背景など何も知らない。それでガイド氏に合わせて簡単に復習してみることにしました。

カタコンベ; カタコンベはローマ郊外の聖セバスティアヌスの地下墓所に由来する言葉で、ユダヤ教徒などの地下墓所もあるが、通常はキリスト教徒の地下墓地を意味している。小さいものを含めるとローマで約40位が発見されているが、ナポリ、シラクサ、シチリア、アナトリア(小アジア)、北アフリカにも存在します。比較的新しいものはパリにもあるとか。我々は今、北アフリカのカタコンベにいるのです。

古代ローマ(多神教)の埋葬形式は2世紀前半に火葬から土葬形式に移った。地上の墓地の他に、小規模な地下墓室であるヒュポゲウムや通廊で連結した多くの地下墓室をもつカタコンベ形式があった。キリスト教徒もこの伝統に従って2世紀後半から7世紀ころまで地下墓室を使用したといわれる。原則的に殉教聖人の名が冠され、時には避難所や礼拝所としても使われたが、カタコンベは教皇や聖職者やキリスト教徒の墓所なのである。

ローマのカタコンベの一例では、数100平方メートルの敷地をもち、その地下に通廊で連結された多くの墓室あり、しかも 3層〜4層 (3階〜4階) にもなっている。 墓室には壁に穴を掘り石棺を収める(壁龕墓)。通気孔や採光孔をもつ通廊の壁面にも、上下に柵床のように重ねた貧者のための無数の墓が埋めこまれている。

墓室の壁面はフレスコ壁画で飾られ、石棺浮彫とともに初期キリスト教美術の貴重な遺例となっている。2世紀末〜3世紀中ごろの壁画は白地を線で区画し、植物や動物のモティーフを配した単純なものが多い。魚によってキリストを表すといった象徴的表現も見られる。3世紀中ごろ以降に聖書場面が現れるが、アダムとイブをはじめノア、ダニエル、ヨナ、モーセの物語など旧約聖書場面が圧倒的に多い。4世紀に入るとキリスト生涯伝の幾つかの場面や新約聖書の主題も現れる。しかし、教会の勝利の時代となり地上の教会堂にキリスト教美術が開花するようになった。カタコンベの壁画は主流からはずれていった。
[ 以上は平凡社・大百科事典「カタコンベ」から抜粋。文章は変更。]

アレキサンドリアのカタコンベは規模もあり観光する価値はあるのでしょう。らせん状の中空の階段を2〜3階に下ります。螺旋階段の各層にいろいろな部屋への通路がある。数多くの小部屋の壁には石棺を置くための四角い穴が開けられています。規則正しく揃った大きさだったり、不規則だったり、それも大きいもの小さいもの、様々です。石棺の類は無く、単なる壁龕(へきがん)だけでした。石棺類はカタコンベから出され一部は敷地内で青空展示のオブジェになっているのです。

構造的には天井が赤いレンガ面の場所があり珍しいもののようでした。壁に天使とか牛とかを描いたレリーフがありましたが、主題も美術的価値も聞き漏らしました。写真を撮る為に群れから離れる習性があり・・・。

イギリスのセントポール大聖堂とかカンタベリー大聖堂も礼拝堂の地下が墓所になっていて、英国史上に名を残した人物の墓碑があります。「地下に御墓を作るなんて・・・」とあきれ驚いた日本人が居ましたが、キリスト教徒にとってはローマ時代からの伝統に基づくもので何ら違和感のないことなのでしょう。カタコンベは何処のものでも1度は訪れるのが 文化的理解のためには良いのかもしれません。

外に出たら空気が美味しかった。ここの駐車場の周囲には大きなネムノキが沢山あった。30cm以上もありそうな巨大な種子の鞘をつけていました。それ以外にも日本ではガーデニングに使う色とりどりの小花を沢山咲かせる紫陽花の一種が露地で大きく成長し満開だった。共に自分で手入れする植物なので庭のことが思い出された。
バスを下りたその場所の近くに独立した建物のトイレがある。有料で50ピアストロのチップが必要でした。 アレキサンドリアのカタコンベ

10:30 出発。
10:35 ポンペイの柱到着。カタコンベの北東方向ですぐ近くです。

ポンペイの柱:  入り口でツアコンが入場料を支払い記念に入場券をくれました。瓦礫化した遺跡の遺物が多く残る丘の上に アスワンの赤い花崗岩で作られたポンペイの柱は孤独にそびえていました。セラピス神殿の隣にあった図書館の柱だったとの説もあるそうです。ここで見るべき古代の遺跡はこの高さ26.85mのポンペイウスの柱だけです。当初は400本も同じ柱があったという説もあり、全部が林立する光景を想像すると見事なものだったと考えられます。

緑の多い麓でガイド・アリさんの説明を聞いて散会、自由に丘を散策しました。我々も柱まで行きましたが、傍にあるスフィンクスなどの写真を撮っただけでした。遺跡とその瓦礫のなかを別ルートで入り口まで歩きました。私の場合には、はっきりと言って、「古代アレキサンドリアの遺跡の1つを訪ねました」としか書きようのない遺跡見学でした。
11:00 出発。車窓から市内観光。

グレコローマン博物館:  11:30 グレコローマン博物館到着。 ツアコンFさんが入場券を購入して配布し、ガイド・アリさんは撮影料10ポンドを徴収し許可証を購入してくれました。注意すべきは、これはフィルム用カメラの撮影料でして、デジカメは使用禁止と言われました。博物館にとっては不快なことでしょうが、「カメラ」とウソを言って持ち込み入館しました。フラッシュはダメです。

欧米の博物館とか美術館の正面と同じく、正面入り口は平らな三角形を六本の石柱で支える形の作りです。中庭もありそれなりに立派な美術館でしたが、正面左側の建物が工事中で少し落ち着きませんでした。この博物館の名称は「ギリシャ・ローマ博物館」となります。主要な収集品はデルタ地域と中エジプトの発掘物といわれます。収集対象はアラブのエジプト侵攻以前のものでヘレニズム・ローマ・ビザンチン時代のもののようです。

クレオパトラとかシーザーの頭部彫刻などの博物館ご自慢の展示物を真っ先に見学しました。その後、 1階部分を現地ガイドのアリさんが説明付きで案内して回りました。圧倒的な大きさのものは無いとも言えるのですが、小型の展示物でも幼児のミイラのような珍しいものもあり、1度は訪問すべき博物館なのでしょう。 ゴレコローマン博物館

チト恐縮ですが・・・。私の場合、空気のよどんだ屋内に入ると急に大汗をかく事があり、下手をするとそれで胃腸の変調をきたすのです。入館した後に大汗が噴出しました。「しまった。これで・・・。」 自由時間となり、直ぐトイレに駆け込む羽目になりました。アー、今まで生野菜も口にしないで気を付けていたのに・・・。この時は、幸いこれで落ち着き、特に胃腸の様子が変った感じはしませんでした。実はその後もビクビクものでしたが、当面は何事もなく良かったです。
12:30 博物館見学終了。出発。

早朝からのバス移動、そして連続する見学、いささか休みたくなっていました。バスは品のよい建物と並木の茂る博物館の地域で我々を乗せ、距離的には近いサアド・ザグルール広場で下車となりました。直ぐ先には地中海がありました。

ホテルのレストラン
12:40 昼食、CECIL Hotel。ホテルG階のレストランの奥にテーブルが用意されていた。ミネラルウォータをまず注文して乾いた喉を潤しました。テーブルの上のバスケットに有った欧州風のパンはソースで食べましたが、クセが少なく美味しく感じました(空腹のためか?) メインディッシュは魚肉のフライ、ソース炒め風のライス、生野菜でした。生野菜以外はそれなりに満足しながら食べました。最後にツアコンとホテルの人が各テーブルを回り、飲み物代の精算です。
アレクサンドリアからカイロに帰る

13:40 ホテル出発。車窓から市内観光。新アレキサンドリア図書館の傍を通る。睡眠。
15:10 高速道路のサービスエリアで休息。果物屋をひやかす。
15:30 出発。

高速道路走行中のバスでガイド・アリさんはエジプト土産の紹介と注文受付をした。まず、ヒエログラフ(古代エジプトの象形文字) のデザインをプリントしたTシャツだった。サイズ・枚数を聞いて回った。最終日に受け取り精算する方式だった。我々は申し込まなかったが、購入者は多かった。次は、エジプト産蜂蜜だった。これは1個5米ドル(約600円)だった。そして、マロングラッセの見本を全員に試食させた。噛んでいるうちに素晴らしい甘さが広がる美味しいものだった。これは缶入りで心配のないものだった。1缶6米ドル(約750円)で10缶買うと1缶おまけと言っている。蜂蜜とマロングラッセはワイフが注文していた。米ドルでの支払いとなる。チョットしたお土産になる品々だった。

ピラミッドに沈む夕日: バスはギザ市街に入り見覚えのある道も通った。進行方向右手に開けた場所があり、空が真っ赤に焼けいてた。バスは一旦通り越したが、ピラミッドの向こうに沈む夕日をゆっくり見せる為にバックしてくれた。時は17時45分頃、メンカウラー王のピラミッドの左側に沈みつつある太陽が見えた。素晴らしい、これぞエジプト一の夕日でしょう。 今日は「日の出」と「日の入り」の両方を眺めた珍しい日でした。一生で何回あるでしょうか。 ピラミッドに沈む夕日

金銀細工の店 (初回):
17:47 金銀細工の店に到着。
大型バスが駐車したり旋回したりできる程度の広場の奥近くにその店はあった。入り口は2ヵ所、路面からは高い作りで階段を少し上る。店内は広い。造作もそこらの土産店を少し高級にし、店員を多く配置している程度に思えた。

この店では同行の皆さんも買い物しています。高いものを物色する人、土産品からお買い得品を探す人、様々です。限られた時間しかないので忙しそうです。欲しいものが決まったら、ガイドのアリさんを呼んで値段交渉をしてもらいます。半値は無理です。1割程度、それ以上を引き出せたらラッキーのようでした。実は値の高安より、チャンスを逃したら買い物をする時間がない。我々もエジプト旅行の小型の記念品をここで夫々購入しました。

18:10 買い物を楽しみ満足したような顔付きの人達が多かった。金銀細工の店を出発。

この機会に土産店案内に関して上記の店には無関係な一般論を書いておきます。
----------
旅行社パックツアーが案内するこの種の土産店について、ネット上の旅行記でも各種のコメントがされている。「高い値段の店だからいやだ」 から 「パックツアーの旅費は安いから、旅行社と土産屋が提携して利益を少しでも上げるのは止むを得ない」 までいろいろです。トルコのガイド氏が言っていたことを書いておきましょう。「以前は繁華街で皆さんに自由行動をしてもらい、ショッピングも各自でしてもらっていました。しかし、ショッピング関係のトラブルがあまりにも多く、自由行動は中止となり、現在のように協力店に案内することになりました。欲しいものがあった場合だけ買ってください。そして店頭価格からの値引きが可能ですから、私に価格交渉は任せてください。ただし、一割ぐらいで、半値などというのは・・・。」 この値引き率は微妙な事もあり得ます。経験上、念のため。

アラビア語とアラビア数字(日本で言うアラビア数字ではない)だけの理解不可能な環境のなかで、商店街を自由に動き、入った商店で身振り手振りの値引き交渉をすることを想像してください。確かに不可能ではありませんし、個人旅行者の多くが経験を書いています。しかし、安心できる品を有利な値段で購入する事など、現地に何年も住んで苦い経験を重ねてから可能になることではないでしょうか。たとえ旅行社や現地ガイドがある程度絞り込んだ土産店に案内し、多少は高めの値段で購入するとしても、愚かな買い物と決め付けることは難しいでしょう。願わくば、良心的な商店の選択を旅行社にお願いしたいものです。
----------

夕食:
18:25 夕食のレストラン到着。 ナイル川に係留された船がレストランになっている。Applebee という名の店だったと思う。船へのブリッジは新しかったので最近できた設備のようだった。陸とは反対のナイル川を眺めることの出来る場所にテーブルが用意されていた。このレストランはラマダンのためアルコール類は一切ださない。それでエジプト産のノーアルコール・ビール (8ポンド) を注文してみた。下戸の私にはビールそのものの味でしたが、周りの人達は良い味だけど少し気が抜けた感じ、と言っていましたネ。

デッキが騒がしい。エジプト娘4人が何かの記念写真を撮っていて、はしゃぎ大騒ぎだった。デジカメを向けると「撮ってよ〜」とポーズ。あたりを次々に巻き込んで楽しんでいた。ワイフの傍に1人きたので一緒に撮ってあげた。このお嬢さんは英語が話せた。メールアドレスをくれて、「ここに写真を送って。」「2週間後にね。」 彼女は仲間と騒ぎながら何処かへ消えた。(帰国後、メールを送信。しかし受取人アドレス不詳で返却になりました。)

今度は同じ船室の中央部が賑やかになってきた。誕生パーティが始まり、「ハッピーバースデー、ツーユー。」の繰り返しと賑やかなリズムをとる大きな手拍子。どうやらパーティのメンバーを超えて、知らない周りの若者を巻き込んでの騒ぎに発展しているようだった。「エジプトの若人はこんなパーティをするのか。」 と、その1例を傍で楽しみました。手足と体でリズムを取りながら近づくと直ぐ仲間の輪に入れてくれるようでした。

さてノーアルコール・ビールも飲み、食事となった。鶏肉料理だったと思うが、写真も撮らずメモにもなく記憶にもありません。例によって問題のない夕食だったと思います。そのうち、エジプト人の中年男がデッキの椅子に座って水パイプをやり始めた。珍しいので1人、2人と食事を終えたツアーメンバーが近づき、写真を撮ったりしていた。物好きな人がパイプを借りて吸い始めた。すると何人かが続いた。あとで「水パイプのタバコは乾いた味」と感想を言っていた。( 陰の声:パイプの回し吸いは不衛生な気持ちの悪いものとしか思えませんが・・・。日本の男性諸氏は勇気があるようです。)

まだ誕生パーティの賑わいが続いている最中でしたが、我々はこの船を後にしました。19:45 バスは出発、ホテルへ向いました。これでエジプト観光の前半は完了したことになります。ツアコンのFさんは帰路の車中で明日の予定を伝えてくれました。

ホテル
20:15頃 ホテル到着。
トルコに向けて出国する明日は8時のモーニングコール、ゆっくりした朝になります。
電気ボットでお湯を沸かして茶菓子を楽しみました。アレキサンドリアで心配した胃腸の具合も落ち着いた状態です。エジプトの観光2日間の疲れを少しでも癒して新鮮な気持ちでトルコに向いたいものです。
◇◆◇
HOME旅行記集エジプト旅行記・トップ当ページ(3日目)
前頁に戻る This Page Top ▲ 次頁に進む