モン・サン・ミッシェル村、ホテル出発まで
06:20 起床。幸いワイフの風邪は少し良くなっている。
07:15 部屋を出て、朝食レストランに向かう。
朝食は旅行中のほぼ定番、オレンジジュース、パンとクロワッサン、ハム・チーズ・ゆで卵、フルーツカクテル、ヨーグルト、そしてコーヒー2杯でした。
07:50 部屋に戻った。
08:00 スーツケースを廊下に出す。予定どおり 8:15 に持って行った。
外は雨になった。残念・・・。
09:00 ロビーに下り、フロントに鍵を返す。
09:10 乗車。座席表を見ると今日は”当り”、前から2番目でした。

モン・サン・ミッシェル修道院(1) モンサンミッシェル修道院(1)
雨のモンサンミッシェル 09:15 ホテルのあるレ・ポルト・デュ・モン・サン・ミッシェル村から修道院の島は約2Kmで時間はかからない。昨夜ライトアップを観るために少し歩いた道です。
雨の駐車場に到着、
修道院の尖塔はここからは霞すんで良く見えません。
09:23 島と陸の道路に設けられた駐車場から島に向かった。建屋が密集する下部は城壁がある。島に向かって左側の城壁に小さな入口があり、そこから内部に入る。中は中世の石畳の道になった。入口左に観光案内所があった。
直ぐ先の左にラ・メール・プラール(La Mere Poulard)というホテル兼レストランがある。昔から巡礼で訪れた人々に宿や食事を提供してきたが、1888年に巡礼者向けに大きく膨らませたオムレツを考案したとされます。今ではモンサンミッシェル名物となっている。日本語のメニューまであるらしく、観光的に人気があるようです。ツアーの今日のランチもオムレツですが、違うレストランです。

モン・サン・ミッシェル
Mont Saint-Michel
  モン・サン・ミッシェルに最も近いのはモン・サン・ミッシェル湾の最深部にあるアブランシュ(Avranches)だが、西の港町サン・マロ(Saint-Malo)から行くことも多い。修道院のある島のホテルや対岸のホテルに宿泊する場合もあるが、都会のホテルとは様子が異なる。
  モン・サン・ミッシェルは本物の修道院であり、フランス西海岸で潮の干満差が極めて激しいモン・サン・ミッシェル湾(the Bay of Mont St. Michel)にある小島の上に築かれている。宗教的な伝説として修道院の由来は、708年に司教オベール(St. Aubert, bishop of Avranches)が夢で大天使ミカエル(St. Michael the Archangel)から「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受け、礼拝堂を島の岩山に建てたのが始まりとされる。鐘楼と尖塔は意外にも遅く1897年の完成、今日見る姿になった。長く要塞や牢獄として使用されたが、1966年になりモン・サン・ミッシェル修道院(mont saint-michel abbey)が復活し、今も数名の修道士が宗教生活を送っている。さらに修道女が院外の村から通勤(?)している。島の人口は41名(各種サイトの情報)とされる。
  早くも1979年には「モン・サン・ミシェルとその湾」として世界遺産に登録され、1994年10月にラムサール条約の登録地となった。2008年には創立1300周年の祝典が挙行された。
  この地域は潮の満ち引きの差が極めて大きく、特に新月と満月のほぼ一日の遅れで満干差が最大となる。修道院は満潮で島となり、干潮で陸続きになる。大潮で沖合い18kmまで引いた潮が急速に戻る様子は迫力があり、非常に危険でもある。
  フランス本土やカェスノン川(Couesnon River)から約1Km沖にあるモン・サン・ミッシェルの小島まで道がつくられている。その道が潮流を変え自然環境に悪影響を及ぼしているとして、橋に作り変える計画が進行中、2012年に完成の予定とされる。
キリスト教が入る前は、先住民ケルト人がモン・トンブ(墓の山)と呼んだ聖地だったという。
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モンサンミッシェルの地図
修道院の地図/クリックで拡大
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参考サイト:
フランス観光開発機構 → モン・サン・ミッシェル
Wikipedia → モン・サン・ミッシェル
阪急/観光ガイド・モンサンミッシェル
Mont St-Michel (英語)
山側の左は商店やレストランが並び、右は城壁です。先には中門が見える。そこを潜り過ぎると、狭い上り道の商店街でした。グランド・リュ(Grand Rue)といい、いかにも有名修道院の門前町の雰囲気です。建物の上には鉄製の看板が数多く取り付けてあった。傘を広げての歩きで、あまり良く見えない。それでも、足元に気を配り、上を観たり横のウィンドウを覗いたり、写真を撮りながら進んだ。

09:33 ツアーがランチに利用するレストラン前を通った。ル・ムートン・ブラン(Le Mouton Blanc)の店で「白い羊のマーク」の看板が出ている。自由時間後はこのレストランで集合するから、場所とマークを忘れないように云われる。このレストランの少し先で商店街は終りでした。

その先からも延々と坂と階段が曲がりながら続く。要塞にも使われた宗教施設のこと、堅牢な建物群に思えました。
09:44 モンサンミッシェル湾の干潟と陸地への道路が見える場所にでた。やはり雨のため駐車場は見えてもクエノン川(couesnon)は霞すんでいる。もう最上部か? と思いきや、さらなる階段が続いている。
09:49 この頃に、本当に展望の良い場所となった。修道院の尖塔も間近に感じられ、やっと最上部に到着だった。入口から約25分だった。添さんによると、約80mも上ったらしい。この島の山はキリスト教が入る以前は先住民族ケルト人の聖地でトンプ山と呼ばれていたらしい。民族は入れ替わっても、”墓の山”から修道院(時には要塞や牢獄)、長い歴史で何か共通点がある使われ方をしてきた小島の山のようでした。その歴史において、今が最も恵まれた観光の時代かもしれません。
しばし、休息片々風景を眺めて過ごす。相変わらずの雨、全てはボーとした灰色に見える。晴なら素晴らしい展望と思えるが、ついていない・・・。

モン・サン・ミッシェル(2) モン・サン・ミッシェル修道院の見学
09:57 モン・サン・ミッシェル修道院付属教会(Eglise abbatiale)の礼拝堂に入る。石柱の先には高い天井までのガラス窓がみえる。修道院のためか、ステンドグラスならず透明ガラスでした。両側には木製の椅子が置いてある。礼拝堂の大きさを除くと一見で質素なものと感ずる。
10:06 売店の傍を通る。
10:06 ラ・メルヴェイユ(La Merveille)の回廊に出る。半周以上したが、数多くの柱が並ぶ中に緑の小庭園があり、雨ながら素晴らしい雰囲気でした。石柱の中には当初からの古いものも混じっているらしい。修道院付属教会の尖塔と最上部の大天使ミカエルが見える場所もある。
10:14 修道僧の食堂だった部屋や厨房のあった場所に入る。太い石柱が数多く立ち並ぶ部屋もあり、山上でよくも建築したもの、と思う。
10:32 大車輪を観る。これは人間4〜5人が大車輪の中に入りハムスターのように回す。高さ約80mの修道院まで必要物資をリフトで引き上げるための動力源だった。
10:34 やっと外に出た。到着時より小降りで見通しも僅かに良くなっている。
10:37 また修道院の内部です。壁面の中央部にピエタがあった。聖母マリアが処刑されたキリストを膝上に置く有名なキリスト教の彫刻テーマです。ここのピエタは残念ながらキリストの頭部が破損し失われている。
10:45 売店に到着。簡単に見ましたが、食指が動かなかった。
10:55 修道院を後にして外に出る。まだ傘が必要でした。

濡れた石段や石畳の足元に気を付けながら下山です。往路で説明された昼食レストラン(ル・ムートン・ブラン)まできました。白い羊の看板が壁から路上方向に出て付けられているので分かり易い。これから暫し自由行動です。集合は確か11時50分、レストラン2階です。

商店街の自由散策

11:14 跳ね橋まで下った。
適当に土産店に入り、絵葉書(E0.60)やキーホルダ(E7.50)を購入した。次に近くの店に移動し、昨日試し買いした塩キャラメルの箱入り数箱と袋入りも購入しておく。柔らかいキャンデーです。当地産のクッキーも評判が良いらしいので、2種・数箱づつ購入しました。レシートが見つからず価格が分かりませんが、高いものではありません。観光客を観ていると、クッキーの購入者は多かった。
土産の買物が終ると他にする事もありません。雨は気分をウキウキさせてくれない・・・。ゆっくりと坂道を上り、レストランに向かった。

昼食(オムレツ) 昼食(オムレツ)
11:52 白羊のマークの昼食レストラン(ル・ムートン・ブラン)2階に入る。外から想像するよりは広いダイニング・ホールでした。天井部分は古色蒼然とした太い木材が使用されている。ここもホテル兼業、14世紀から営業している老舗ともいう。
飲物は2人でビール(E4.00)をシェアーした。飲物のみ 日本語メニュー がありました。
まず生ハムとサラダの前菜がでる。
メーンデッシュは名物オムレツとフレンチフライ(揚げポテト)です。歯応えのないフアーとしたオムレツでした。正直、ツアー参加者の評判は今一と思いましたが、巡礼者のための食事が元々の料理、グルメとは縁遠いもの。つまり、玉子が高価だった時代に玉子を泡だてて2〜3倍も大きく見せかけて焼いたオムレツ、らしいのだ。現在は修道院として復活しているからオムレツも昔ながらの味と形で提供、です。島内と島の近郊のレストランなら何処でも提供しているらしいが、ネットで調べるとランチセットは結構するようです。
12:54 食後はビール代を支払って直ぐ外にでました。

観光サイトなどの説明では、モンサンミッシェル島内にも小さなホテルが数件あるとされる。このレストラン(ル・ムートン・ブラン/Le Mouton Blanc)はホテル兼業、観光案内所近くでオムレツ元祖のレストラン(ラ・メール・プラール/La Mere Poulard)もホテル兼業です。島内に別の3つ星ホテルを1つ見かけたが、他にもあるかも知れません。

人通りの多い商店街だったが、傘をさして歩きました。
12:58 城壁から外に出ると全く雰囲気が違う。少し明るくなったので修道院の尖塔などの写真を撮っておいた。でも、青空で陽光を浴びるこの修道院の美しさはありません。
13:00 バスに乗車。
13:10 人数の確認後に出発です。
これから延々とロワール地方のトゥールまでバス・ドライブ(約300Km)、4時間30分の予定です。

バス移動(→ トゥール )
ロワール地方
LOIRE
アルプスに発しナントの西で大西洋に注ぐロワール川は全長1020Kmのフランス最長の川です。パリ西南部にはその支流が数多く流れ、広大な肥沃な土地になるが、そこをロワール地方(the Loire Valley)という。大西洋が近いため海洋性気候であり、「冬暖かく夏涼しい」と表現される「厳寒なく猛暑なし」の穏やかな気候、森や田園に恵まれたワインの産地です。 時にはフランスの庭(Garden of France)とも云われる。
歴史的には、シャルル7世が1427年に王宮をシノン城に移してから1589年にヴァロワ朝が終わるまで、ロワールがフランスの政治と文化の中心だった。中世からルネサンスの時代に王宮があったため、王侯貴族の大小さまざまな城が数多く残っている。 観光地として、改造してホテルに、時には個人のシャトーとして利用されている。狩猟が盛んだったためジビエ料理(Gibier/料理用の野生の鳥獣類)が盛んで、特に鹿肉や野うさぎの料理が名物とされるが、秋冬限定らしい。
ロワール地方はパリからの距離が大雑把ではあるが約250km、モン・サン・ミッシェルから約300Km程度とされる。
大小合せると100以上の古城があるとされる。特に有名なのは、 シャンボール城(Chambord/ロワール最大)、シュヴェルニー城(Cheverny)、アンボワーズ城(Amboise/聖ユベール礼拝堂/レオナルド・ダ・ヴィンチの墓)、シュノンソー城(Chenonceaux/the Ladies Castle/フランスで最も優美)、ヴィランドリー城(Villandry)、ランジェ城(Langeais)、ロシュ城(Loches)、アゼ・ル・リドー城(Azay le Rideau)、ユッセ城(Usse)、シノン城(Chinon)、など。他にも、アンボワーズの町にはクロ・リュッセ(Clos Luce)というレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした家(復元)もある。
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参考サイト:
ロワール地方をGoogleマップで表示
フランス観光ガイド → ロワールの古城
The Loire valley castles (英語)
Loire Valley Tourism (英語)
13:10 モンサンミッシェル島を出発、宿泊した「レ・ポルト・デュ・モン・サン・ミッシェル村」を通り抜け、東に向かって大移動です。
道中は相変わらずの雨でした。

目覚めていたのはドライバーさんのみ

せっかく前の席が当りましたが、車窓撮影も水滴が多くて出来ない状況でした。気を張り詰めていたのはドライバーさん1人のみ、ウトウト眠って過ごす以外にありません。モンサンミッシェルの歩きから丁度よい疲労回復ではありました。






15:10 高速道路のサービスエリアで停車、トイレ休息でした。
自動販売機でカプチーノ(E3.00)を求め喉をうるおした。
15:30 出発。




ZZZ、zzz、・・・・・




16:30 雲は少し高くなり、雨も小降りになった。
16:55 この頃に トゥールの市街地に入る。中心部では駅舎であろうか、立派な石とガラスの建物がある。

ホテル・メルキュール・セントレ( トゥール/TOURS ) ホテル・メルキュール・セントレ
ホテル・メルキュール・セントレ 17:05 ホテルに到着。
広い通りと鉄道に挟まれた細長い建物のホテルです。しかし、結果的に騒音の問題はなかった。
部屋の割当を待った。フロントは欧州流で小さいものでした。3階の206号室となった。
17:15 入室。実はドアーの解錠に手間取った。風変わりなカードキーを差し込んで、暫くそのままにすると解錠される仕組みだった。抜き取るのが早過ぎ、どうしても開けれなかったのです。誰か教えてくれました。

トゥール
TOURS
人口約13万6千人(2008年)の中堅都市。文豪バルザック(1799-1850)生誕の地。 地理的にはパリの南西にあり、ロワール河とシェール河に挟まれている。古くローマ時代からの長い歴史を誇り、今はアンドル・エ・ロワール県の県庁所在地でロワール地方の1つの中心です。
15世紀のルイ11世はシャルル7世の中央集権化政策を引き継ぎ、 百年戦争後のフランスを統一させるに最も成功した王とされるようです。 そのルイ11世の時代にトゥールが一時的ながらフランスの首都だったこともある。それで王侯貴族が自然や狩りを楽しんだ古城が周囲に数多く残り、今では古城巡りの観光客が数多く訪れる街となった。
観光は主に旧市街、その中心は15世紀の木組みの家が現存するプリュムロー広場になる。8世紀にシャルルマーニュ(カール大帝)が当地に多くの学校を設立したので、現在もトゥール大学など多くの学校や研究機関があり、学生都市としても知られる。
見所は、旧市街とプリュムロー広場、サン・ガシアン大聖堂、サン・マルタン聖堂、トゥール美術館、等々。
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FranceGuide → トゥール(文章変更)
先入観で狭いと思っていたので、それよりは広かった。エントランスは中央ホール、左に洗面所とバスタブの小部屋、右に専用トイレ、その背面がクローゼット、奥が寝室だった。スペース的にスーツケースを広げておける部屋でした。
ただ、調度品類はニスを塗っただけの大衆品に思えるもの、テレビは今流というか、薄型 Samsung でした。

夕食(街のレストラン) 夕食(街のレストラン)
18:00 ロビーに集合。
18:10 街中のレストランに向かう。
古い建物をリノベートした感じのレストランだった。
飲物は小ビール1本、シェアーです。
パンは二種類ある。1つはステンレス・ボールに入ったものでスープ用、食事の折々に食べるパンは籠に入っていた。
今回はこれが初めてだったが、今後も時々出てくるのでスープ用パンについて説明しておきます。
フランス語には”Manger la soupe”という表現があり、直訳では「スープを食べる」になるという。大昔の庶民はライ麦などで作った黒くて固い粗悪なパンをおつゆに浸して食べていた。これが基本的な主食だった。本来的にスープ(Soupe)とはそのパンを意味していた。それが、現代でもパンの小片をスープに入れて食する習慣として残っている。
[出典: Ref.05 、pp.100-103/文章変更]。
メーンはポークソテー(小型・厚切り)に小さく刻んだ野菜のオリーブ油炒めでした。野菜のオリーブ炒めは南仏の料理とされるようです。
デザートは甘いケーキです。
レストランからホテルはやはり雨でした。

19:45 ホテルの部屋に戻った。
20:12 湯を沸かし、持参の天麩羅そばを作った。夕食の味は良かったと思うが、量が少なかった。
その後はシャワーでサッパリして就寝でした。
明朝の予定:
ウェイクアップ・コール(07:15)
朝食(07:00-): 0階のレストラン
荷物出し/ドア外側(07:45)
ロビー集合(08:00):個人精算は済ませること。
出発(08:15)
(注意) イヤホンガイドと傘は忘れないこと。
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