ホテル出発まで
05:30 起床。昨夜は9時過ぎから良く眠った。
うっかりトラベル・シェーバーの充電を忘れ、使えない。1時間の急速充電なので直ぐコンセントに差し込んでおいた。朝食後の使用になる。
06:22 ウェイクアップ・コールあり。窓の外は雨ではないが未だ暗かった。
07:00 朝食レストランに行く。
ブルーと白を基調として清潔感を出したレストランです。並んだ食べ物はコンチネンタル・スタイルに近いものかもしれない。
オレンジジュース、ハム、サラミ、ベーコン、チーズ2種を少量づつ皿にのせ、パン2切れとバター、フルーツ・ヨーグルトも貰った。さらにデザートのドライフルーツと小型の菓子パン、最後にコーヒー2杯です。十分、十分でした。
07:35 部屋に戻った。直ぐ廊下にスーツケースを出す。
08:00 ロビーに下りる。もう皆さんも降りていました。一旦外に出てホテルの写真などを撮る。ホテルの左側は広い空間なので近付いたら鉄道の構内でした。大きな駅の近くらしく、線路数が多かった。

バス移動(→アンボワール城→シュノンソー城) バス移動(→シュノンソー城)
アンボワーズ城
Chateau d'Amboise
11世紀にロワール川(Loire River)が浅瀬になる岬に要塞が作られたが、15世紀前半にフランス王シャルル11世がこの城を押さえた。15世紀も終わり近くになり、2度の大改築が行われ、イタリア人建築家も招かれて影響を与えた。アンボワーズ城の庭は初めてイタリア式の庭園レイアウトが採用され、これが幾何学的なデザインのフランス庭園の発端という説もある。15〜16世紀が最盛期で、シャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世ら国王たちが過ごし、後にはカトリーヌ・ド・メディシスが頻繁に訪れた由緒ある城です。
1515年にレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)はフランソワ1世によりアンボワーズ城に招かれ、城と地下道で結ばれていた「クルーの館(Clos Luce) 」で暮らし始めたという。ダ・ヴィンチは年金暮らし、1519年にこの館で他界した。遺言によりアンボワーズ城内のサン・ユベール教会(Chapelle Saint-Hubert/当時はサン・フロランタン教会)に眠る、とされます。
フランス国内のカトリックとプロテスタントの争いだったユグノー戦争(Wars of Religion)では、この城内で1000人以上もの新教徒が処刑された(アンボワーズ陰謀事件)という悲惨な歴史もある。その後、アンボワーズ城はフランス王家に於ける重要性を失い、凋落したとされる。
フランス革命で破壊されたが、現在は復元されている。城内見学は可です。
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参考サイト:
フランス観光開発: アンボワーズ城
Wikipedia → アンボワーズ城
Wikipedia → レオナルド・ダ・ヴィンチ

08:10 ホテル出発。
座席は後方にした。全員が乗り終えるとすぐ早めの出発でした。空はどんよりした曇です。
今日の最初の見学はロワール川支流のシェール川に造られたシュノンソー城です。トゥールの東方約26kmの小さな村にある。
トゥールの街を出てからロワール川沿いの道を走った。時には紅葉した蔦に覆われた田舎屋などもある。秋らしい風景がおおかった。
アンボワーズ城の遠望:
アーチがたくさん並んだ古い石橋が見え始め、その向こう岸の高台に大きな宮殿らしき建物があった。バスは橋を渡らず、たもとで止まった。サービスのカメラ停車です。
08:40 降りて古い石橋を少し歩き、車が来ない頃合いに横断した。橋の中程近くから見るアンボワール城城はみごとでした。幾代ものフランス国王が居城とした建物です。その裏側に初期のフランス庭園があるようです。イタリアの大天才レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした場所でもあります。詳しくは右上のコラムをお読みください。
08:50 出発。
09:07 シュノンソー城の駐車場に到着。

シュノンソー城 シュノンソー城の構内地図 シュノンソー城
シュノンソー城の正面、右側の塔は本館と橋で結ばれる
シェール川に建つシュノンソー城の油彩画(館内にあったもの)
シュノンソー城(世界遺産)
Chateau de Chenonceau
the Ladies Castle
ロワール地方一般は前頁のコラム
  アンドル・エ・ロワール県シュノンソーにある古城でロワーヌ支流シェール川沿い、というか城は川の上にある。後述するが、ディアーヌ、カトリーヌ、ルイーズなどの女性に愛された城なので「貴婦人の城」とか、「6人の奥方の城」といった異名がある。美術館のような、とも形容される。
  1411年に貴族ジャン・マルクの邸宅として建てられたが、国王軍の攻撃により焼失、1430年代になり再びマルクが城と水車を再建した。今ではマルクの塔のみが残っている。事情あり、フランス国王の所有に変わった。国王アンリ2世の20才年上の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエが城主となった。
  国王が没したのち、フランス摂政カトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌにショーモン城を与えてシュノンソー城を我物とし、頻繁な宴会などに使用した。フランス初の花火の打上げは1560年、この城におけるカトリーヌの子息の戴冠祝賀行事の1つだったとされる。
1576年に特徴あるグランド・ギャラリーはシェール川を横切るように増設された。長さ60メートル、幅6メートルで18もの窓がある。
  1720年にブルボン公ルイ・アンリの所有となり、調度品は売り払われ、土地は大地主クロード・デュパンのものとなった。その妻ルイーズ・デュパンは当時の著名人を多く城に招き、城への認知は復活したとされる。
その後、所有者は点々と代わった。
  1913年、チョコレート会社4代目社長のアンリ・ムニエ(Henri Menier、1853-1913)が城を購入し、現在でもムニエ家の所有になっている(とされる)。
  ムニエ家は1816年創業のフランスの名門チョコレート会社ムニエ(ショコラ・ムニエ/Chocolat Menier/Menier Chocolate)の経営者一族。アンリ・ムニエ(4代)は Vaureal の城やカナダはハドソン湾のアンティコスティ(Anticosti)島を購入したり、社長でありながら有能な弟に事業をまかせ、大資産家として趣味三昧の人生を送った人物らしい。1960年代となり、6代目社長を最後に他社との合併を余儀なくされ、紆余曲折のあと、1988年にスイスの巨大会社ネッスル(Nestle S.A.)に吸収された。 フランス・ネッスル社はパリ郊外”the Ile-de-France region”にあるネッスル・チョコレート工場(旧ムニエ・チョコレート工場)の建物を維持し一般公開もしているようです。
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参考サイト:
フランス観光開発機構→シュノンソー城
Wikipedia → シュノンソー城
Wikipedia → Menier Chocolate(英語)
09:07 この頃に駐車場に到着。一旦は並木の道に出て、その先まで少し歩く。
左側に番屋があった。この建物で入園料の支払いがあり、別の出入口から入園になる。見学先のシュノンソー城は本館内にトイレが無いので、ここの建物の裏側にあるトイレで済ませておくのが安全でしょう。(注:園内のトイレは本館からかなり離れたレストラン建屋の裏側にある。緊急なら遠い。)
09:13 団体チケットでゲートを通過。直ぐ濠に架かるコンクリートと鉄格子の小橋を渡った。あたりはうっそうとした森だったが、落葉も進み明るかった。しかし、空模様は今1つ・・・。
落ち葉が散乱した長い並木道を先に進む。右側に城の施設らしい建物が数棟ある。
09:25 並木が終ると左右に立派なスフィンクスがあった。これが中門らしい。その先は開けた庭園があり、かなり遠くの正面にシュノンソー城が見える。
09:30 シュノンソー城で最も古い円形の塔を過ぎ、橋を渡り、本館入口に到着です。濠の石垣には工事用の足場が組まれ、本館の正面の右側は外壁の工事中でした。観光の妨げとならぬよう、工事用の仮橋も作られている。

城内に入る。当初、ツアーメンバーはイヤホンガイドで添さんの説明を聞きながら小部屋などを回った。絵画類の飾りが多く、部屋毎に雰囲気が違う。大宮殿のような圧迫感はありません。また寝室を幾つも観たが、キャノピーベッドも使用した高貴な方々の好みを反映しているのか、形も色彩もそれぞれで同じものは無かったと思います。冬季は寒い内陸部なので暖炉は備わっている。その飾りもみな違っている。各部屋が個性的なのです。
1部屋の暖炉が燃えていた。暗い秋の日のこと、その部屋は薪の炎で暖かく快適で、良いもてなしにも思えました。本物の貴族の館では良くマッチしています。こちらでは欧州の宮殿で見かける大きな陶器製のストーブはなかった、と思います。
本館内に小さなチャペルもある。本格的なステンドグラスも使用され立派なものでした。それから一旦は自由行動となり、各自で適当に見歩きました。

グランド・ギャラリー増築の前(出典:城内の絵)
グランド・ギャラリー増築の後(出典:城内の絵)
シュノンソー城は川の上のグランド・ギャラリーが珍しく、特徴ある外観が観光案内で頻繁に紹介されている。これは1577年に川全体を横切るように増設されたものです。内部から見ると、大きな細長いホール、両側は窓と絵が沢山飾られている。太陽光が入り明るいので高価で貴重な油彩画などは飾れないと思います。
2階部分と3階部分は構造が少し違います。2階は窓が1つおきに出窓になっている。奥まで行ってみましたが行き止まり。3階は同じ壁面に窓が並び、最奥部にピアノがあった。優雅に音楽会を催すことがあるのでしょう。
窓からはシェール川が良く見え、ディアーヌの庭やカトリーヌの庭の護岸壁が見える。庭園の眺望には少し低い感じです。

10:00 地下の厨房は未だ見ていなかった。1階ホールで出会った添さんから「地下は?」と聞かれ、辺りに居たメンバーが揃って台所を見に行く事になった。小さく壁面がある厨房には料理道具がいろいろと飾られている。古いものもあったが、観光用に飾っているものもある。でも、ここで舞踏会や宴会の料理も作られたのです。思うよりは狭く感じました。
地下の台所近くには秘密(?)の小舟の出入り口もあった。これは食材や必要物資を運び込むためのものかも知れません。

城内の見学を簡単にすませ、城内の案内所でトイレを確認したら、「レストランにある」という。城から出て橋を渡り、円形の塔を通り過ぎ、また橋を渡り、左側の離れて奥まった細長い建物の先端まで行き、その裏側に近いところにあった。結構、遠いです。

その後は、小雨の中、ゆっくりと庭園(ディアーヌの庭)を散歩して集合時間まで過ごした。
10:20 お城の正面で集合、人数確認後に、固まって駐車場まで歩きです。本城周囲の頑強で防御力がありそうな石垣と濠を除けば、シュノンソー宮殿という印象でした。

10:31 駐車場に到着。群れから少し離れて珍しい紅葉の写真を撮りました。
悪いものを食べた記憶はないが、お腹の調子が良くない。多分、疲れ。下痢止め「セレデート」を服用しておきました。この1回で治まりました。

移動(シュノンソー→ブールジュ)
10:39 出発。
11:10 本格的な雨になった。
11:40 土砂降り。
11:50 急に雨は止み、雲の隙間から陽光もさし始める。しかし、未だ雲は多く厚かった。
それからロアール川支流イエーブル川とオーロン川の合流点にあるブールジュ市街となった。

昼食(街のレストラン) 昼食(ブールジュのレストラン)
レストラン入口 12:15 この頃にブールジュの住宅街らしきエリアで降車した。少し奥まった場所に案内された。レストランの看板も気付かない変わった店でした。多分、旅行会社と専属契約した日本人向けレストランと思いますが・・・。

飲物は例の如くビール(小)1つです。籠に入ったパンは小型のバゲットを斜め切り、ここでは生野菜のサラダはなく、変わったものが出ました。ジャガイモのパイ、サッパリ味で良かったように思います。メーンは魚のソテー(フライ?)とフレンチ・フライ。フレンチ・フライは希望の量だけ皿に盛ってくれました。油がきれサッパリ味でした。デザートはアーモンドのケーキ、やはり甘さが違う。

13:02 外に出る。
13:10 バスに乗車。
13:15 出発。
13:20 ブールジュ大聖堂前に到着。

ブールジュ大聖堂(サン・テチエンヌ大聖堂) ブールジュ大聖堂
ブールジュ(世界遺産)
Bourges
  ブールジュはフランスのほぼ中央にあるケルト人時代からの古い街、パリの南約200kmのサントル地域圏シェール県にある。人口は約72000人(2006年)です。
  古くはケルト人集落アウァリクム(Avaricum)があり、ローマ帝国によるガリア戦争の戦場の1つとなり、紀元前52年にユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)に占領された。その後は現在のトゥール、オルレアン、リモージュなどと街道で結ばれ発展した。
  中世には侯爵領の首都となり、15世紀の木骨組みの家、玉石の道などがあり、中世の面影を残す歴史の街です。
サン・テティエンヌ大聖堂
Cathedrale Saint-Etienne
  早くも3世紀には司教座が置かれ、後年に大司教座となる。1195年に着工したゴシック様式のサン・テティエンヌ大聖堂は、1992年に「ブールジュ大聖堂」の名で世界遺産に登録されました。ランス、シャルトル、ルーアン、パリのノートルダムなどと並ぶ大聖堂の1つです。
  大聖堂は5つの入口を持ち、奥行約124m、幅は約41m、身廊高は約37mとフランスでも最大級という。フランス・ゴシック建築の代表作の1つとされるが、ロマネスク様式も残しており、さらに幾度となく繰り返された修復により多くの建築様式が混在する外観となっている。大聖堂内は12〜17世紀の多様な様式のステンドグラスが素晴らしく荘厳な空間を作っている。特に内陣のステンドグラスはすばらしい。
ジャック・クールの館 
Palais Jacques-Coeur
  15世紀、当地の毛皮商人の息子が王室ご用達の金銀細工商になり、王家の会計係までになった立身出世の人物の家。
光の町ブルジュ
Les nuits de lumiere de Bourges
  街中の至る所がライトアップされ、夜の散策もすばらしい。
ベリー博物館など
  他にもモーリス・エステーヴ美術館や装飾芸術美術館などがある。
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参考サイト:
フランス観光開発機構→Bourges
Wikipedia → ブールジュ
フランス 世界遺産 → ブールジュ大聖堂
世界遺産:ブールジュ大聖堂 13:21 門の近くでバスを降り、直ぐ大聖堂の境内に入る。大聖堂なるもの、その多くは開かれた感じが多いが、ここは塀があり、鉄の門扉があった。その中に石段がある。宗教施設としては少し珍しい大きな門でした。
注:大聖堂の門というよりラルシュヴェツェ公園の入口かも知れません。

石段を登りきるとバラなどの庭園があり、その右手前方に風貌が異様とも表現できる巨大な大聖堂が見える。長さは100mを優に越え、身廊の高さは37mというから巨大なもの。北フランスに多いゴシック様式の大聖堂とは趣きがことなり、シャルトル大聖堂と同じくロマネスク様式をも合せ残しているとされる。一説では、シャルトルやランスの大聖堂と並び、フランス・ゴシック建築の最高傑作の一つとされます。
この聖堂は翼廊がなく身廊のみの単純な作りになっている。 12〜13世紀に身廊と西正面が2回に分けて作られたが、当初の建築上の基本概念は継続されたそうです。巨大な上部壁面や屋根を支えるため、内陣の上部外側には巨大な支柱が数多く飛び出して付けられている。それがある故に、石壁を薄くでき、かつ多くのステンドグラスを付けることが可能になった。が、外観は何とも奇妙な雰囲気を醸し出していた。
注: パリはシテ島のノートルダム大聖堂も同じような構造、内陣の外側高部に骨状の支柱が多くあり、外から外壁を支えている。ロンドンのウェストミンスター寺院でも極く一部に外付けの支柱がある。他の欧州の大聖堂でも身廊の上部を外の支柱で支える構造を時々見かけます。

側面に添って石畳を歩き、大聖堂の正面に行く。一番大きい中央の入口は工事中、彫刻やドアーは天幕に覆われていた。が、その両袖の計4つのゴシック風の入口は見れた。ファサードには巨大な飾り気のない直線の支柱が外側にあり、バラ窓などもその間で窮屈そうにも思える。建物の醸し出す雰囲気は他の大聖堂とは確かに違うものでした。

13:31 正面ファサードを眺めてから、少し戻って側面の入口から大聖堂に入る。大聖堂なるものは身廊と翼廊で十字形をなすものが多い。ここは巨大な身廊のみのようです。中に入ると、ステンドグラスが驚く程に多用されている。内陣の周囲のステンドグラスは傑作揃いとも評されるようです。

13:51 大聖堂から外に出る。また雨が降っている。
大聖堂近くのトイレをお借りしてから正門に向かいました。
14:05 バスに乗車。

バス移動(ブールジュ→リヨン) バス移動(→リヨン)
14:10 出発。雨です。これからリヨンまで約308Kmの移動、5時間程かかる。
14:47 この頃に大きな虹がかかった。綺麗です。

時々牧場があるが、放牧されている牛は白牛ばかりだった。フランス原産のシャロレー牛(Charolais)という肉用種です。この牛の原産地がブルゴーニュ地方シャロル村だったことからシャロレーと名付けられた。脂肪分が極めて少ない赤肉が多い種とされる。霜降り好きの日本人向きかどうかは不明だが、欧米の動物脂肪離れの人達に好まれて現在は世界の各地で生産されているようです。その原産地シャロル村はリオンの北北東 約120Km にあり、バスはシャロレー牛の牧畜が最も盛んなエリアを走ってリオンに向かっている。

15:08 休息。
売店でエスプレッソ(E1.40)を買う。カップではなく紙コップだった。値段表にはエスプレッソE2.40となっており、何が違うのか? 分からなかったが、云われるままに払った。
ワイフはドライバーさんから水2本(@E1.00)を買っていた。
15:30 出発。
16:30 また虹が見える。しかし、地上から短く立ちあがっただけでした。
16:39 バスの正面に虹が見えました。今回は薄いもので直ぐに消えた。
17:30 休息。
17:43 出発。
18:00 この頃にリオンの街に入る。

リヨンの街はローヌ(Rhone)川とソーヌ(Saone)川が流れ、少し南の下流で合流し、ローヌ川として地中海に流れる。ローヌ川の東側が新市街、2本の川に挟まれた半島がプレスキルという商業地区、ソーヌ川の西側が旧市街(Vieux Lyon)になる。
既に暗く、街明かりはあっても車窓から様子が良くわからなかった。

旧市街に入った。狭い道を進み、坂道を曲がりながら登った。明るくライトアップされた教会の近くの道路でバスは止まった。
18:35 降車となる。

リヨンの夜景とフルヴィエール寺院 リヨンの夜景とフルヴィエール寺院
リヨン、丘の上のフルヴィエール寺院
リヨン
Lyon
  北東から流れ込むローヌ(Rhone)川と北から流れ込むソーヌ(Saone)川がリヨンの南部で合流する。マシフ・セントラル(Massif Centeral/中央高地)南東を走るセヴェンヌ(Cevennes)山脈の北端とアルプス西端の間の狭い谷、そこにフランス第3の商業都市というリオン(Lyons)がある。(注:フランス観光局は第2の都市としている)。ローマ時代から豊かな水の恵み受けて栄え、すでに2000年以上の歴史を誇っている。ローヌ・アルプ地域圏の首府でローヌ県の県庁所在地でもある。現在は55の市からなるリヨン都市共同体クルリー(Courly)となり、リヨン都市共同体の人口は約126万人とされる。
  ソーヌ川西岸には古代ガリア・ローマ時代の遺跡のあるフルビエールの丘や、中世からルネッサンス時代の面影を良くとどめた旧市街ヴューリヨン(Vieux Lyon)がある。ローヌ川とソーヌ川にはさまれた半島地区プレスキル(Presquile)はローマ帝国の時代から物資集散所だったし、町の中心であった。今日ではローヌ川の東岸の地域にビジネス街が広がっている。
リヨンは古くから「絹の町」として世界に知られている。
  1998年にユネスコ世界遺産に登録されたリヨン歴史地区(Historic Site of Lyons)は中世の細い通り(トラプール)やゴシック建築が多く、サン・ジャン大聖堂(Saint Jean Cathedral)や中世の聖ポール教会(Church of Saint Paul)、聖ジョージ教会(Church of Saint Georges)など宗教施設も多い。フルヴェールの丘には展望台の他に1872年に市民の寄付で建てられたフルヴィエール教会(Bagilique de Fourviere)がそびえる。丘の中腹には紀元前15年に建てられた観客席1万人でフランス最大の野外ローマ円形劇場(Grand Theatre)もあり、現在もオペラやコンサートなどが開催される。隣接地にオデオン(音楽堂)も残っている。
  リヨンは夜のライトアップでも知られ、「美食の都」「絹の街」「金融の街」「ハイテクの街」など様々な称号がある。
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参考サイト:
リヨン観光局
ウィキペディア → リヨン(Lyon)
フランス観光開発機構→リヨン
フランス観光開発機構 → Lyon
外務省:リヨン案内「ようこそ リヨンへ!」
坂道を少し登り、ライトアップされたフルヴィエール寺院(Bagilique de Fourviere)の前までゆく。寺院の内部参観は後にして、左側を先にすすんだ。そこに展望台があり、リヨンの眺望を楽しめる。ツアーはバスですが、徒歩なら287段もの階段を自力で登る。ロープウェーもあるようです。

18:42 その展望台からリヨン市街の夜景を楽しみました。足元に旧市街の大きなサン・ザャン教会、その先にソーヌ川や架かる橋が見える。
ソーヌ川からフルヴィエールの丘の山麓に広がる旧市街には古い歴史があり、紀元前58年にカエサルのローマ軍が当地に基地を設けた記録があるという。パリのシテ島にローマ軍が侵攻したのは紀元前52年とされるから、それより早かった。これを根拠に「フランスで最も古い街」と自慢するリヨン市民もいるらしい。ツアーでは寄らなかったが、フルヴィエールの丘にローマの円形劇場の遺跡がある。

ローヌ川の海運を利用した商業も盛んになったが、リヨンの中心産業は何と云っても絹織物だった。フルヴィエールの山麓には白く大きい絹工場が立ち並び、フランス最大の絹織物の生産地になった。資本の蓄積も進んだとされる。

ローヌ川はジュネーブから南下、西に向きを変え、リオンから再び南に下る。そのカーブの南でソーヌ川と合流するが、2河川に挟まれた陸地を半島という。そこは古い商業地区プレスキルとなっているが、フランスで一番広いとされるベルクール広場もある。展望台から眺める夜の広場は歓楽街の飲食店や劇場などが多く一際明るかった。しかし、そこを除いた全体は暗い街だった。かつてはリオン中心の商業地区だったというが・・・、夜は家庭で過ごす人達が多いのでしょう。

プレスキルの先は左右に明るい光が続くが、そこはローヌ川です。川や橋は見えなくとも直ぐそれと分かる。
ローヌ川の先、つまりリオン東側は新市街といわれ、モーリス・ラベル音楽堂や商業センターやビジネス・センターが新たに作られている。旧商業地区プレスキルから新商業センターに街の中心は移動した、と云われます。
左側に旧市街から新市街まで明るい大通りがあった。その北側(左)の遠方にはオペラ座と思しき緑のドームすら見える。雨上がりで空気がきれいです。夜景の光は遠方まで見えました。

18:45 戻って、脱帽してフルヴィエール寺院に入る。正式にはノートルダム・ド・フルヴィエール寺院というらしい。1872年から24年をかけて建立された教会堂です。比較的新しいと云えましょうが、内の柱の彫刻なども立派なものでした。
内陣の近くには行かず、入口近くのみの見学でしたが、主祭壇は油彩画ではなく大理石彫刻の聖母子像でした。また、入口上部にパイプオルガンも見えず、ここに大きな宗教画が飾ってある。建立された時代の反映か、普通の大寺院とは少し違うところがあるようです。観光客も参観していましたが、信者の方々らしき姿も見受けられます。

18:50 寺院から通りに出て、バスに向かった。これでリヨン観光は終了、後はホテルで泊り、明朝は南フランスに向かうだけです。
人数の確認後に直ぐ出発でした。

リヨンのホテル(ベスト・ウェスタン・サフィール) リヨンのホテル
リヨンのホテル、ベスト・ウェスタン・サフィール 19:03 新市街や商業エリアと反対方向(フルヴィエール寺院の西側)に坂を下った。すぐホテルに到着です。このホテルのポーターは半分だけのサービス、つまりバスからロビーは各自、ロビーから部屋はポーターでした。
添さんが宿泊手続き中は狭いロビーで休みました。街中のホテルで以前は(旧名)チューリップイン サフィールといったらしい。客室数111となっているから、中規模です。
部屋割りがあり、鍵を受取った。
夕食はホテルのレストラン、ロビーに19時30分に再集合です。
19:10 自室に入る。
シングルベッドが2個のツイン、特に広くはないがスーツケース2個は何とかひろげておける。バスルームも清潔で安心でした。写真を撮ったり、スーツケースを広げていたり、直ぐに時間となりました。
19:30 集合場所のロビーに行く。

夕食(ホテルのレストラン) 夕食の写真はホテル写真頁にあります。
19:40 この頃にレストランに入る。
飲物は何時も通りにビール(小/E4.00)をシェアーです。
パン、グリーンサラダ、リオン風ソーセージとポテト、デザート。
上品かも知れないが、量的に少々不足に感じました。このレストランは日本語の飲物メニューがある。ツアーの利用が多いのでしょう。
20:35 この頃、レストランを出る。わざわざ街のレストランまで行かずにすみ、楽でした。

一旦、フロントに寄り、ワイフのスペアー毛布を一枚借り受けた。ワイフの風邪はやっと抜けてくれたようでした。
部屋に戻って気付いたが、通常の厚い布地のカーテンはない。無地織りの薄いレースのまま窓のブラインドを閉める。
シャワーはカーテンなしのガラス戸だった。ところがガラスの幅が不足で湯が床に飛びやすく、注意しながらのシャワーとなった。ただ、湯の出は十分でサッパリしました。
充電器で使うコンセントは机の壁に2個あり、使い易かった。

疲れたので早々に休みました。明朝は5時30分起床の予定です。
ところが、何がいけなかったのか、2人とも寝付きが極めて悪かった。深夜に起きてカップヌードルを作ったり、自参した和菓子類を食べたり、・・・。それでも寝付けず、薬の力を借りざるを得なかった。
明朝の予定:
ウェイクアップ・コール(06:15)
朝食(07:15-): 0階のレストランで揃って朝食
荷物出し/ドア外側(07:15)
ロビー集合(08:00):個人精算は済ませること。
出発(08:15)
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