ホテル出発まで
06:00 起床。
07:45 スーツケース2個を廊下に出し、朝食レストランに向かう。
朝食は揃ってレストランでしたが、ヴァイキングなので自由です。何時ものとおり、オレンジジュース、ヨーグルト、ハム・ソーセージ・エッグ、パンは多め、コーヒー2杯でした。コンチネンタル・スタイルというのか、料理の種類は少なく、グリーンサラダや果物も無かった・・・。でも、朝食として十分量は頂きました。
08:25 部屋に戻った。
09:55 鍵を返却するだけのチェックアウト。
09:00 バスに乗車。今日から前2列の座席割り当てはなくなり、全員が自由席となった。

エクス・アン・プロヴァンス観光 ○○
エクス・アン・プロヴァンス
Aix-en-Provence
  エクス・アン・プロヴァンスは当地では短く”エクス”と呼ばれることが多い。エクス(Aix)の由来は、紀元前123年に当地で幾つもの泉を発見したローマの総督「セクスチウス(Sextius Calvinus)が地名として自分の名を冠しアクエア・セクスティアエ(Aquae Sextiae)と呼んだことにある。
  マルセイユから北に30km、アルク川とトルス川によって作られた盆地にあり、噴水が100以上もある閑静な街(千の泉の街(city of a thousand fountains)ともいう)、人口は約14万人とされる。印象派の巨匠ポール・セザンヌの故郷として良く知られ、セザンヌが数多く油彩画で描き残したサント・ヴィクトワール山(標高1011m/Montagne Sainte-Victoire)は街の東にある近郊の石灰石の山です。
  街の中心を古い城壁に沿って並木と噴水のミラボー大通り(The Cours Mirabeau)が貫いている。フランス革命の初期に地元貴族ミラボー伯爵が活躍したことを記念して命名された。大通りの南は新市街、北が旧市街になる。16〜18世紀の素晴らしい建物は北側に多い。大通りには1792年の創業で当時のインテリアが楽しめるカフェー、レ・ドゥー・ギャルソン(Les Deux Garcons)、がある。ポール・セザンヌやエミール・ゾラやアーネスト・ヘミングウエーを含む多くの著名人が好んだことで知られます。
  珍しいことですが、日本以外の国では唯一の総檜の能舞台がエクスにあるそうです。日本から移築され、狩野丹秀一門の演能とされます。
  ローヌ川が地中海に注ぐデルタ盆地にあり、冬は0℃以下で夏は40℃以上になる。しがし総じて温暖な地中海性気候、冬季は平均5〜6℃、夏季は平均22℃、年間の平均は17℃とされる。晴天が多く、年間の平均晴天日数は300日に達するという。
参考サイト:
エクス・アン・プロヴァンス観光局
Wikipedia→エクス・アン・プロヴァンス
Wikipedia → Aix-en-Provence (英語)
エクス・アン・プロヴァンス(個人旅行記)
ポール・セザンヌ(後期印象派)
サン・ソヴール大聖堂(Aix Cathedral)
ド・ゴール広場とミラボー大通り
09:26 ジェネラル・ド・ゴール広場(Place du General Gaulle)に到着、そこで降車でした。1860年に作られたロトンド噴水(Rotunda Fountain)の周りはロータリーです。

半周ほど歩き、ミラボー通り(Cours Mirabeau)に入った。この大通りは1649年に城壁を取り払って四輪馬車道として作られたそうです。 広く立派なプラタナス並木で、夜は電飾らしく木々に豆電球のコードが沢山付いている。道の中央の所々に大きなボールの電飾すらぶら下っていた。エクス・アン・プロヴァンスの目抜き通りなので盛り上げているのでしょう。この大通りの南にマザラン地区、北に旧市街が広がっている。

商事裁判所(Tribunal de Commerce)という古い建物の前を通った。企業破産などを扱う裁判所らしい。その正面入口に二階のバルコニーを支える1対の巨人像があり、面白い。入口から入ってその像の裏壁を見ると、フランスだから、腰痛の湿布がアーティステックに貼ってあるかも・・・(冗談)。
道の中央に植物の帽子を被った小さな泉がある。これは単なる湧水ではなく温泉という。噴き出し口の水は確かに少し生温かった。

09:48 フランス大革命直後の1792年にオープンしたカフェ「レ・ドゥー・ギャルソン」の前にきた。 アーネスト・ヘミングウェー等いろいろな有名人が立寄ったカフェとされ、特に当市で誕生した画家ポール・セザンヌが文豪エミール・ゾラと歓談した場所とされる。そういった話が伝わる観光名所です。しかし今日の天気なら、「道行く人々を眺むれば、そよ風もお茶も南仏の味」と思える素晴らしいミラボー通りのカフェでしょう。

エクス・アン・プロヴァンスは画家ポール・セザンヌ(Paul Cezanne、1839-1906)が生れた街です。父親はフェルト帽子の卸業だったが、1848年にセザンヌ・カバソル銀行を設立しました。セザンヌは1858年にパリに行くが戻り、当地でデッサンや法律を学ぶ。1862年に再びパリなどで過ごし1865年に帰ってきた。その後1度は戦火を逃れるために離れたが、生涯の多くをこの街で送ったとされます。歴史に名を残す画家の多くは経済的に悲惨だったというが、セザンヌはその点で恵まれていました。今日では エクス・アン・プロヴァンス=セザンヌ という感じでして、街のあちこちの歩道にCマーク(右上の写真)が埋められていると聞きました。そこはセザンヌ縁の地、一説では15カ所もあるとされる。

このカフェの反対側には何やら有名な人物の石像も立っている。 善良王ルネ(ルネ・ダンジュー(Rene d'Anjou, 1409-1480))の噴水です。ナポリ王を兼ねた時代があり、石像の左手に葡萄の房を持っているが、この地にイタリアから葡萄の木を導入した功績を称えているそうです。(注:葡萄の木ではなくミュスカ種のワインを持ちこんだともいう・・・。)

マザラン地区(Quartier Mazarin): 
サン・ジャン・ド・マルト教会 カトル・ドーファン広場/ドルフィンの泉 その近くからフレデリック・ミストラル通り(Rue Frederic Mistral)に入る。大昔は馬車の通る道だったらしく作りが古めかしい。しかし、よく手入れされた細い横丁です。この辺りは多くの貴族が住んでいたマザラン地区という。今もなお資産家の邸宅になっているものもあるらしい。フランス映画「愛のめぐりあい(1995年)」のロケ地として有名、ということでした。

サン・ジャン・ド・マルト教会とドルフィンの泉:
交差点の左の奥にサン・ジャン・ド・マルト教会(Elise St.Jean de Malte)やグラネ美術館(Musee Granet/1984年開館)がある。上の写真では見えないが教会の右にグラネ美術館があり、セザンヌの絵も展示されているそうです。セザンヌの絵は世界中に分散し、生誕地ではグラネ美術館のものが全てといいます。

同じ交差点で反対側、右の小道に入った。次の交差点がカトル・ドーファン広場といい、そこに1667年に作られたという古い「ドルフィンの泉」(fontaine des quatre dauphins)がある。小型オベリスクの基部に4頭のイルカが四方に向いて配され、その口から水が出ている。ほぼ350年も昔のものに思えないほど、可愛らしく作られています。内陸で何故イルカなのか、所以はわかりません。制作者もイルカを良く知らなかったのか、鱗(うろこ)がある( 証拠写真 )。ドルフィン? かつてローヌ川に生息し今は絶滅した巨大な珍怪魚かもネ?
冗談はさておいて、住民や車の往来が時々あるが、落ち着いた静かな街でした。

10:05 その後、少しだけ歩いてバスに乗る。
10:08 バス停が続く広い通りに出る。大勢の生徒がバスに乗車中でした。その反対側は大きな校舎らしき建物がある。セザンヌが通った高等学校という。
10:20 丘の上の道でバスを降りる。セザンヌのアトリエに行くが、その前の通りは駐停車禁止らしく、少し離れた場所でした。大した距離ではありません。

セザンヌのアトリエ(Atelier Paul Cezanne) セザンヌのアトリエ
セザンヌのアトリエ 10:25 松が多く生える丘、その中腹にアトリエはある。
この建物は道路から撮影するしかありません。周囲は林です。中は撮影禁止でした。
1902年にセザンヌ自身が設計して建てたアトリエは最後まで制作を続けた場所でした。しかし、1階には客室や台所とトイレしかなく、セザンヌはここでの生活を好まなかったらしい。街のアパートを借りて生活し、毎日アトリエに通ったそうです。絵具で汚れた服のままアパートに向かい、警官に疑われたことすらあったとか・・・。1906年、67才でアパートにて逝去されました。
長い期間ではなかったが、良く知られるサント・ヴィクトワール山の油彩画や静物画の一部や、バーンズ財団やフィラデルフィア美術館、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)に収蔵されている晩年の大作『女性大水浴』もここで制作されたという。生涯では水浴の絵を数多く制作したようです。
アトリエは1954年まで私有物でしたが、同年に売却され、一般に公開されました。
いまは観光事務局が運営している。なお、「ジャス・ド・ブッファンの田舎家」はセザンヌ家が代々所有した家で、アトリエとは別です。

1階は売店。階段で2階に上がると広々したアトリエです。セザンヌが絵に描いたいろいろなものが展示されています。要は画家の仕事場・・・。
セザンヌの絵は穏やかでどこか心を和ませるところがある、と思っています。訪問記念にフレッセ著「セザンヌのアトリエ」なる小冊子(E12.00)や絵ハガキを購入しました。
ついでながら、トイレは裏の別棟に古びた個室が1つだけ、男女兼用でした。
10:50 アトリエを出て、表通りを登ってバスに向かう。丁度入れ違いに他の日本人ツアーの到着でした。

11:00 バスに乗車。人数確認後、すぐ出発。
11:08 旧市街のサン・ソヴール大聖堂に近い場所で降車です。実際にはアトリエから坂道を歩いて下っても大した距離ではないらしい。

サン・ソヴール大聖堂(Cathedrale St-Sauveur) サン・ソヴール大聖堂
サン・ソヴール大聖堂 狭い旧市街の道を南に向かった。観光客などで人通りは多かった。
11:12 道の左側に高い塔をもつ教会が現れた。
この教会の歴史は古い。聖堂の場所自体がローマ以前の多神教の聖地だったと云われる。4〜5世紀頃に洗礼堂が建てられ、その後の増改築により様々な時代の建築様式が混在したままになり、建築様式の博物館的な大聖堂となっています。

聖堂内に入ると、4〜5世紀のものらしい洗礼池やその上のドームなど、古色蒼然たるものが残っている。初期キリスト教時代のものでしょう。こんなに古いものは、クロアチアはポレチュ旧市街にあるエウフラシウス聖堂で見た事がある程度と思います。
この大聖堂は珍しくも身廊(nave)が2つあり、1つはゴシック様式、もう1つはロマネスク様式とされる。

説明など自分の手に負えるものではありません。
で、手持ちガイドブック(Ref.01、pp.298-299)から引用すると、
『前略。精密な彫刻が施された正面扉は中央が16世紀のフランボワイアンゴシック、右側の小さな扉がプロヴァンスロマネスク。内部では中央身廊はゴシックであるのに対して小さい身廊は12世紀のロマネスク、シャペルの丸天井はルネサンス、それを支える円柱はローマの遺跡から切り出したもの・・・。鐘楼は14世紀の建築で典型的なゴシック様式・・・。後略。』

要は極めて古く珍しいタイプの大聖堂、内部を参観すると素人目にも他の大聖堂と一線を画す異なる雰囲気でした。
南側の裏手にはタペストリー美術館(Musee des tapisseries)があり、200〜300年前のタペストリーや大司教の住居の家具調度品が展示されているそうです。

11:30 大聖堂から大学前の小広場にでる。
そこから古く狭い旧市街の道を南に向かった。この道はセザンヌが通学に使ったとかで、路面にCマークが点々と埋められている。直ぐ、道の行く手を遮るような塔が見えてくる。市役所近くの時計塔です。

市庁舎(Hotel De Ville/Town Hall)と青空市場 市庁舎
市庁舎と時計塔 11:34 時計塔の下を潜って市役所前の広場にでました。
この時計塔は1510年に建てられ、ローマ時代に基礎をおく古い道を跨いでいる。かつては鐘楼でありエクスの共同体の力の象徴だった。17世紀半ばに天文時計が設置され、現在も回転の順番に季節を表す古い4つの木像を見ることができる。素朴で単純な彩色人形です。

時計塔の右は1655〜70年に建設された市役所、EUとフランスとエクス・アン・プロヴァンスの旗を掲げている。その前は広場、中心に1755年に作られたチャステルの彫刻の泉(Chastel's sculpted fountain/Fountain of City Hall)があり、その周囲はマルシェ、花市場でした。

青空市場(マルシェ/Marche): 
市役所前は花屋さんが沢山並んでカラフルで見事です。
市役所の建物が直角に曲がって広場の壁になっているが、その建物の向こう側も四角な広場で青果市場でした。そちらに移動する。
集合場所(野菜市場の角)と時刻(12:00)が告げられ、しばし自由行動となりました。

珍しい野菜はないか?と青果市場をゆっくりと一周。カボチャはかなり大型で肉厚、一家分の量を切り売りしている店も幾つかあった。他にも見慣れない野菜が散見される。長ネギなども大きかった。
この広場に繋がる幅広い道路は鮮魚市場になっている。規模的には全体として相当なものです。

ワイフは夜のお八つにするリンゴを買っていた。日本とは違い、小型で表面がデコボコしたり小さな傷みがあったりしても、平気で店頭に並べている。味は欧州リンゴ、でした・・・。
量り売りの露店ながら計量計りに単価を入力し、レシートをプリント。その値段を云って金を受取り、釣りとレシートをくれた。これは驚きでした。日本の市場でもレシートを出す店があるかも知れないが、筆者は知らない。金銭の授受で全て(?)の決済をする現代社会では当たり前に思えますが、青空市場まで徹していることに感服です。
時刻には日本ほど神経を使わないらしく、進んでいる。

Sachet d'olives au chocolat/Flute Olive チョコレート店:  花市場の広場で市役所の反対側に黄色く目立つチョコレート店(ラ・キュール・グルマンドゥ/La Cure Gourmande)がある。自由時間に寄りました。入口の幅に比べて奥行きがあり、天井までの棚にチョコレート類のスイートがびっしりでした。そのサイト La Cure Gourmande をみると、ビスケット・コンフェクショナリー・チョコレートとなっている。また、アチコチの主要都市に店舗があるようで、フランスではある程度知られた店のようでした。フルーツ・オリーブ(Flute Olive/@E8.00/140g)という写真のものは味も良いしカラフルで見た目にも綺麗で土産になる。我々は自家用に2袋買いました。きれいな缶入りもある。写真ページをご覧ください。

高齢者向け小型バス 高齢者専用のバス:  ラ・キュール・グルマンドゥを出たら近くに写真の乗物が止まった。女性ドライバーがカメラにスマイルしてくれました。これは高齢者が買い物で外出する時に利用できる福祉目的の小型バスらしいのです。旧市街の石畳の道なら通常の車両では青空市場や商店街の出入りが難しい・・・。検索エンジンで探しましたが、どうしても制度や名称が分かりません。街で何台か見かけました。

犬の落し物:  市役所と広場中央の泉を一枚の写真に撮りたくて花屋の近くにあったプラタナスに近付いた。カメラ・アングルばかり気にして足元を見ていなかった。で、やってしまった。犬の落し物を踏みつけた・・・。
フランスは愛犬家が実に多い国という。日本と違って散歩の際に犬の排泄物はそのまま・・・。それで高圧洗浄機を使い石畳の道を洗い流す作業を時々見かけることになる。パリには犬の落し物専用のヴァキューム・バイクもあるとか・・・。この広場はなんとか大丈夫らしいが、少し引込んだ場所は掃除も行き届かない・・・。「滑って、転んで、骨折で入院」 も時にはあるらしいが、そこまでは・・・。でも、靴底をきれいにするのに悪戦苦闘でした。

11:55 集合時間の少し前に隣の野菜市場にいき、集まるのを待ちました。 このエリアでは20分ほど過ごしただけでした。 人数確認後、旧市街のレストランに徒歩で向かいました。

昼食(エクス・アン・プロヴァンス旧市街) ランチ
12:08 ゴチャゴチャした小路を入った場所のレストラン(Chez Maxime)に到着、昼時なので客数は多かったが右側に席はとってあった。
入口部分は赤地テント、客席の光線も通常と違っている。食事の写真は、案の定、妙な色でした。
飲物は相変わらずビール(小)1つ、値段は記録忘れでしたが3ユーロ前後だったでしょう。パンはバゲットを切ったもの。食事は最初にグリーン・サラダ、メーンはプロヴァンス風ポークにマッシュポテト、デザートでした。

この店のトイレは入口から出て左の奥の建物でした。その出入口近くに他のレストランの透明ビニールの天幕があり、その中は客席のテーブルです。実際に食事中の人もいる。食事しながらトイレ出入りを近くで見ることになる。誰も気にしないらしいが、筆者には無神経に過ぎるように思えました。日本なら一寸した衝立で見えないようにするでしょう? 旧市街は狭いし、何を気にするかは文化的な違いですが・・・。
13:00 レストランを出る。
日本人男性2名がグループに話しかけてきた。JTBのツアーでニースから北上らしい。18人とか、やはり大きなツアーではなかった。

時々ショップやレストランのある旧市街の細い道を行く。途中にはドームが網状の珍しい鐘楼をもつ教会や小広場の泉の傍を通った。
13:12 出発点のド・ゴール広場に戻った。光線の加減か、ロトンドの噴水が見事に思えました。

移動(エクス・アン・プロヴァンス → ニース) 移動( → ニース)
サント・ヴィクトワール山(標高1011m) 13:15 出発。現地ガイドさんが見送ってくれた。
ニースに向かいます。マルセイユを経由して海岸線を東に行くコースではなく、内陸部の道を使いました。
エクス・アン・プロヴァンスを出ると左の車窓から石灰岩のセント・ヴィクトリア山(標高1011m)が見えてきた。セザンヌが約60枚もの絵を残したことで有名です。セザンヌの絵では通常のピークを持つ普通の山のように描かれている。方向が変わり南側が見ると、東西に実に長い白い石灰岩の崖が続いていました。この山は東西に18km、南北に5km、南側は垂直な崖なのです。観光中と違い、午後になると雲が増えました。

セント・ヴィクトリア山を過ぎても白っぽい石灰岩をむき出しにした山々が時々あった。バルカン半島、イタリア、南フランスと石灰岩の山が多い地中海の沿岸部です。
13:45 鐘楼が特別に低い大きな聖堂が車窓からみえた。
13:50 雨になる。

14:40 短い休息。
イタリアのアッピア街道には丸い松の木が並木になっている。自然の姿か手入れした形なのか分からぬが、このレストハウス周辺にも丸い形の松が多くあった。糸杉と並び、南ヨーロッパを特徴づける木の1つと思います。
14:55 出発。

15:30 ニース空港を通過。
有名なニースの海岸に沿った道を走った。地中海の水の色は明るいブルーで素晴らしいが、晴天にも関わらず砂浜には大きな波が打ち寄せていた。街側は次第に立派な建物も増え、バスは海岸を離れてトラムのある市街地に入った。公園風に整備された幅広い緑地帯や由緒あるような建物群をみながら、街中のホテルに向かった。

フランスは年金支給年齢の引上げ問題などでストライキが勃発中でした。我々のツアーは専用バスで直接の影響はなかったが、パリとニースの移動にTGV(高速鉄道)を予定したツアーは急遽(きゅうきょ)バス移動に変更中と聞きました。後日談ながら、空港の労組もストをうち航空機移動も出来ない日があったらしい。ニースからパリのバス移動は時間的に随分とかかり大変とのことでした。

ニース(Nice) ニース(Nice)
ニース、マセナ広場 (車窓撮影)
ニース
Nice
フランス南部の地中海に面する人口約34万人の都会、アルプ・マリティム県の県都です。コート・ダジュールの国際的観光都市として知られる。北にアルプスの山々を控えており、冬の南仏特有の強風(ミストラル)から守られて気候は温暖です。パリから南東に676Kmもあり、街の西に約7Km行くとニース・コート・ダジュール空港がある。
ニースは古くギリシア植民都市ニカイアが起源とされる。長くサルディニア王国領だった。イタリア独立戦争の1860年に最終的にフランス領となった。18世紀末に外国人(特にイギリス人)の避寒地として発達、19世紀には多くの王侯貴族や文人が訪れた。第2次大戦後はバカンス客でにぎわう。
海岸沿いの約3.5Kmの遊歩道プロムナード・デ・ゾングレ(Promenade des Anglais/「イギリス人の散歩道」の意味)は良く知られ、高級ホテルが立ち並ぶ。
色彩の魔術師と云われるマチス美術館(Musee Matisse)とキュビズムのシャガール美術館(Musee National Message Biblique Marc Chagall)がある。
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参考サイト:
フランス観光開発機構 → ニース
・Ref.06、項目「ニース」、
ホテル(Hotel Apogia) チェックイン
15:56 ホテル前に到着。
荷物はポーターに任せ、ロビーで部屋割りを待つ。
我々は404号室だった。エレベーターは2つのうち1台が故障中、スローでイライラした。上がってホールに出ると強烈な臭気がある。消毒薬か殺虫剤か、何か分からないが嫌な匂いがホールウェーに充満していた。部屋はエレベーターの近くでした。
16:09 入室。
スタンダードなので広さはない。しかし、まあ清潔と書きたいのですが、バスルームはカビがあちこちにあり、バスタブの排水溝から悪臭があり、ワイフは辛かったようでした。この頃になると、忍耐心も薄らいできます。総じて、スタンダード・クラスでも下に位置するホテルに思えました。
スーツケース2個を広げるには工夫が必要でした。部屋の写真だけは撮って、大急ぎで洗面を済ませ、ロビーに向かう。

ニース自由散策
16:30 キーはフロントに預けてバスに乗車。人数確認後に出発でした。
16:42 Galeries Lafayette というデパートが見える交差点で降車です。マセナ広場(Place Massena)で集合場所と時刻が指定され、自由散策となりました。

16:48 海岸沿いのプロムナード「イギリス人の散歩道」から地中海に沈む夕日を眺める。
遠くの海は色もきれいですが、近くでは大きく寄せては砕ける荒波でした。海水浴どころか、名高い夏海のリゾートをイメージすることすら難しい状態なのです。しかし、まさに日が沈む時刻、そぞろ歩きの人達や沈みゆく太陽を眺める人達がかなりいる。我々も”頑張って”サンセットを楽しみました。
17:10 体はすっかり冷え切った。オペラ座から更に東に歩き、花市場といわれる所から旧市街の中に入り、裁判所の前にゆく。ここはニース旧市街の中心部になる。知らない故でしょうが、特に珍しさは感じない街並みでした。そぞろ歩きでトラムが走る公園状の広い通りにでる。
17:17 大きな噴水の近くを通る。夕暮れでも良くみえました。

購入したワイン、1999年、27ユーロ デパートの途中に、面白い道の飾り(アート?)がありました。金属製の支柱が高く立ちあがり、その頂点に座した男性の裸像がある。内部にライトがあり暗くてもよく見える。都合、3つありましたが・・・。いろいろなことをするものです。

17:23 Galeries Lafayette というデパートに入る。ここはフランスはパリに本店がある老舗デパートの1つです。ワインを探したかったが0階は化粧品など、店員さんに聞いたら「地下にある」という。大回りしてエスカレーターで地階に行く。売場は直ぐ分かったが本数が多くて正直いって選びようがない。予算30ユーロとして、その棚から年代の一番古いものを2本とりました(@E27.00)。1999年となっているが、等級や産地などが良いワインかどうか全く知りません。
ここはスーパー形式なのでレジで支払い。ギフト用に箱に一本づつ入れて貰いました。フランスに来れば下戸でもワインを買いたくなるものです。ワイフがE50.00を出した。これでワイフの友達が飲む事に決まりですね。何はともあれ、久々に明るいデパートに入れて気分的にはホッとしました・・・。

集合場所までトラムの走る道を電停1区間の歩き、人通りが多くて賑やかな通りでした。
17:52 集合場所に到着。ポツポツ集まっていた。
18:00 集合し、レストランまで歩く。

夕食(街のレストラン) ニースの夕食
18:05 レストランに到着。
テーブル席は入口から随分と奥まったところだった。
飲物はビール(小)1つ。
ニース風サラダといいますが、特に・・・。ドレッシングは瓶入りが出たのが違いだった・・・。メーンも今一の気がしました。
何でも食べておかないと体がもたない。そんな印象でした。
19:00 レストランを出る。
添さんとドライバーさんの間で誤解があり、歩いてバスに乗る場所に行っても居なかった。バスはレストラン近くで待っていた。また延々と戻って乗車となりました。
19:30 この頃、ホテルに向かった。

ホテル(Hotel Apogia) ニースのホテル
ニースのホテル・アポジア ホテル直前の交差点にきたら、違反の駐車で大型バスは曲がれない。ハンドルを切り返しながら小刻みに前進と後進を続け、かなり頑張って何とか曲がりましたが、最後には多くの野次馬がみていました。数人は接触事故がないようドライバーさんを助けて合図する始末・・・。どの国にも身勝手な駐車違反の車がいるものです。
19:50 この頃、何とかホテル前に到着しました。
プレミア・バスは今日まで、パリ出発後ニースまで丸5日間でした。ドライバーさん、御苦労さまでした。みんなで見送りました。明日から通常の観光バスになります。

午前はエクス・アン・プロヴァンスで石畳を歩きまわり、夕方はニースでも歩きました。ツアーの日数も後2日、やはり全体的な疲れも溜まる頃となり、シャワーの後は直ぐ横になりました。ワイフは弾性ストッキングを着用していても脚の痛みが相当なものだった。いろいろ手当てをしてから休んでいました。

明朝の予定:
ウェイクアップ・コール(06:30)
朝食(07:30): 0階のレストランで揃って朝食
荷物出し/ドア外側(07:30)
ロビー集合(08:20):個人精算は済ませること。
出発(08:30)
午後は航空移動なので刃物や液体はスーツケースに納めること。
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