ホテル出発まで
06:00 起床。
2人とも足の痛みは消えていない。昨日の歩きは相当こたえたらしい。痛止め(ロキソニン)を食後に服用することにした。ワイフは貼り薬も多用していました。旅も終りに近づくといろいろと疲れが溜まります・・・。
昨日購入したワインは各自のスーツケースに1本づつ分けていれる。未だスペース的な余裕は十分にある。
07:15 廊下にスーツケース2個を出す。その足で朝食レストランに向かった。
レストランの幾つかのテーブルに”Miki Travel”のサインが置いてあり、全員がそれに集まって朝食でした。料理はヴァイキングです。
食べ物の種類は少なく、グリーン・サラダは無かった。パンはクッペと大きなクロワッサンだった。コーヒーは途中で無くなったり・・・。いわゆる、コンチネンタル・スタイルでしょうか?
08:05 自室に戻った。食後の処方薬と痛止めを服用しておく。
08:10 忘れ物のチェックをして、部屋を出る。
08:15 鍵を返すだけのチェックアウト。その後、玄関に停まったバスに乗車。

ニースからモナコに バス移動
空模様は今一でした。今は曇・・・。
今日からプレミアム・バスではなく、通常の観光バスです。ドライバーさんと現地ガイドさん(日本人男性)の紹介がありました。
08:25 出発。
08:35 ニースの中心部は過ぎ、東側の坂道を登った。灯台のある防波堤や小さな港があった。空はどんよりで、車窓の風景もさえなかった。
ニース沖の地中海の雨雲、右は西で既に降っている。(車窓、加工は角度調整とトリミングのみ) 上のような暗い地中海の写真を掲載するような御仁はめったにいない。
旅は人生と同じ、コートダジュール(French Riviera)と云えども晴もあれば雨も降る・・・。

車窓からは入組んだ海岸線が見えた。陸部は直ぐに山陵の傾斜地となることが多く、時々緑に覆われた高所まで高級別荘らしき建物が続いていたりする。そんな所の海は大小のヨットが浮かんだり係留されていたり、要は大金持ちが気が向いた時に気ままに過ごす高級リゾートが続いていました。当の金満家と家族を見かけることなど、まずもって無い。他に、資産家ではないその他の、ホテルや別荘やレストランなどで働くリゾート関係の人達も、街そのものの仕事に携わる人達も、大勢が住んでいるはず・・・、でも黒子はわき役、仕事場でチラッと見かけるだけです。
景色を楽しみながら(?)、モナコまで走りました。

この道のフランスとモナコの国境はトンネル内にある。国境線はライトに照らされて見えるはずですが、それが、電球が切れて暗い・・・。さっさと取り換えればよいものを、費用をどちらの国が出すかでフランスとモナコが裁判で係争中とか・・・。何時、修理開始でしょう?
よくあることですが、金持ちって妙に変な所で小銭を惜しむんですねー。
国境はあっても検問所はない。出入り自由でパスポートにスタンプが押される訳でもなく、国境はあって無きがごとしでした。

09:06 モナコ公国に入ったようです。城壁の傍を走った。

モナコ公国 モナコ公国の地図、Ref.17から借用 モナコ公国・旧市街
モナコ公国の宮殿正面 09:15 この頃でしたか、崖下の大きな建物内の駐車場で下車となった。エレベーターで丘の上の宮殿地区に向かった。

黄色い潜航艇が飾ってある海洋博物館前から大聖堂にむかった。途中の道は雨ながら綺麗な建物があり快適です。大聖堂のエリアには国会議事堂や裁判所があり、少し離れて市役所もある。この一帯をモナコ・ヴィル(Monaco-Ville)といって王宮のある旧市街です。モナコの港周辺(Monte-Carlo)からは見上げる場所となります。
モナコ大聖堂は脱帽して内部の参観をしました。珍しくも大きな工事用車両が中に入り修理中でした。しかし礼拝堂や本陣は拝見できました。大聖堂としては稀と思いますが、礼拝堂の両側に多くの旗が飾られています。意味は分かりません。この聖堂に故グレース王妃の御墓があります。

それから大公宮殿の前の広場に行く。宮殿の建物(ロマネスク様式)は圧迫感を受けるものではないが、正面入口の両脇に衛兵用のボックスがあり、正装の衛兵1名が立っていた。ここの宮殿でも毎日の昼前(11:55)に衛兵交代式がある。正面入口の左右には昔の大砲が並べて飾られていた。
宮殿の右端は古風な城塞の作りです。モナコは13世紀にジェノバの要塞として始まったとされるが、宮殿のこの古い部分がその時代のものか・・・。時計などがあり、本当に古いのか擬古的に作られたのか分からなかった。
他に、その古い時代を物語る修道士の銅像が広場にある。ジェノバ人フランソワ・グリマルディ(Francois Grimaldi)が修道士に変装して当地に潜入し、モナコ公国を創建したと云われる。現モナコ公家であるグリマルディ家の始祖とされます。

モナコ公国
Principaute de Monaco
Principality of Monaco
宮殿広場の展望台にあった御成婚の記念写真
モナコの詳細は ⇒ モナコ基本情報
モナコ・インフォーメーション
Wikipedia ⇒ モナコ
しばし自由行動となった。宮殿前の広場の東側は展望台になっている。有名な大きなヨットハーバー(モナコ港)を取り囲むようにモナコ市街が広がり、その周囲は小高い丘陵地帯だった。港の対岸が有名なグラン・カジノや高級ホテルが並ぶモンテカルロ地区になる。

その展望台に右の写真があった。アメリカの女優グレース・パトリシア・ケリー(Grace P. Kelly)とモナコ公国レーニエ3世大公が1956年4月18日にモナコ大公宮殿にて法的な結婚式を挙式されました。その日付けが記されている。教会での結婚式は翌日だったようです。
1982年9月13日、車の運転中に王妃は脳梗塞でお亡くなりになりました。享年52才。

長男のアルベール2世 (Albert II de Monaco、1958年3月生) は2005年にモナコ公を継がれ、2010年6月に南アフリカの元水泳選手シャーリーン・ウィットストックとの婚約を発表、2011年7月に結婚の予定とされる。何かと活発で、既に認知した非嫡出子が2人あり(エアフランスFAと1人、アメリカ人女性と1人とか?未確認情報)、ボブスレー選手として冬季オリンピックに出場したり、現在はIOC委員の1人でもある。柔道は黒帯、世界の元首で初めて南極点に達した行動派といわれます。

フランスとの協定が変更となり、モナコ公国はミニ国家として永続することになった。現時点では問題ないのですが、将来の後継者はグリマルディ家の一存でOKなのです。タックス・ヘブン、F1レース、カジノ、マリン・リゾート基地、観光、これら伝統的な産業以外にも発展の道を探るのでしょうか?
モナコ公国は2.02平方Km程度の広さしかなく、バチカン市国に次いで世界第2の小国になる。国籍と納税義務と選挙権のある国民は総人口約36000人(2008年)中の約6000人で、その他の住民はタックス・ヘブンの特権を利用するだけで選挙権はないらしい。

降ったり止んだりの雨天、時には大雨だった。時間も限られ、通り一遍の観光でした。でも、金持ち相手の国なので、ツアー客にはこれで十分かと・・・。
「郷に入っては郷に従え」ならば、カジノやパーティーで欧州人と対等に振る舞える日本人など・・・、日本人向けの極めて特殊な状況説明はともかくとして、まあ居ないとしても当らずと云えども遠からずでしょうね。
10:00 この頃、エレベーターで駐車場に降り、乗車です。
10:10 出発。

エズの香水店
エズの香水店 10:30 この頃、香水店の駐車場に到着。
香水の製造工程の一部を観て、売店に案内された。
購入予定はなく、時間潰し・・・。
11:00 バス乗車。
11:05 出発。
11:14 エズの駐車場に到着。

山上の小さなエズ村 (Eze village) エズ村
山上の村エズ 11:15 エズ村(別名:鷲の巣村)は自由散策です。集合は駐車場に12時。山麓の下部にある郵便局や役場を通り過ぎ、山上の集落の入口まで固まってゆきました。
シャトーエザ(Relais du Chateau Ezu)と書かれたホテルを通り過ぎた。一風変わったレセプションがあり、その先の門の中は断崖の途中に作られた駐車場、黒塗りの高級車が数台置いてあった。
古い中世の石造りの建物や断崖を利用した道を上がると、通り過ぎたホテルの庭園が眼下に見えた。絶壁の僅かな平地に芝生が植えられ、泉などが作られている。そこに行く急な鉄製の階段もみえる。
エズ村(Eze)
ニース空港から東に18Kmの地点にあり、車で約30分とされる。
エズ地区は紀元前2千年から人が住み始めたという。その後ローマ人やムーア人が居住したが、1338年まではサヴォイア家の支配下にあった。
海岸近くの429mの岩山にエズ城塞が構築された。城壁や2つの要塞が残っている。中世の建物が密集する急峻な山麓に複雑な細い道があり、観光用の散策路となっている。頂上には熱帯植物園がある。
アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)監督はケイリー・グラントとグレース・ケリーが主演する「泥棒成金(1955年公開)」のロケにエズを使用した。
哲学者ニーチェ縁の小路がある。
現在は人口3千人弱の小さな村です。
参考サイト
ウィキペディア ⇒ エズ(Ese)
エズ
エズ村内は本当に古い石造りの建物と道ですが、観光ルートは石畳の道の中央に赤石を敷き詰めてあり、迷うことはない。また、黒地に金色や白色で書かれた鉄製の看板があちこちにある。
こんな岩山の上でも水が湧くようで泉もあった。近代ものと思ったが、中世からあるらしい。
この古い村の高い場所は標高429mもあるようですが、そこには行けなかった。途中の門扉が閉まっていました。最上部にエズ植物園(Le Jardins Exotiques/Eze Botanic Garden)があり、そこから360度のパノラマが楽しめるそうです。通常のパックツアーなら時間的に無理でしょう。
11:35 バロック様式の村の教会(Parish Church)に到着、その広場の展望台から中世のエズ村を取り囲む風景を楽しみました。よい眺めです。
トンネルを通り抜けて聖堂広場から元の道に戻った。これから駐車場まで下りです。
11:45 駐車場近くの公衆トイレに寄ったが、チケット売り場のような窓口で使用料を払ってから入る。E0.40なのでE0.50硬貨を出したらE0.10の釣りをくれました。
駐車場では時間まで風景写真を撮って時間潰しだった。
ニースのしだれ柳 12:00 乗車。遅れた2名を待った。土産の買物に夢中だったらしい。
12:07 出発。ニースのレストランに向かった。
天気は回復してきたが、曇空でした。
12:37 ニース市街の中心部で降車、レストランまで街中を歩きでした。途中の街路樹に枝垂れ柳があった。この木はパリでも見るし、クロード・モネの睡蓮の絵などにも描かれているが、ニースでも街路樹に使われている。「お化け」の連想はない・・・。

昼食(ニースのレストラン) 昼食
ニース街中で昼食 12:42 レストラン「La Casita」に到着。狭い小路にありました。 普通の街のレストランです。
飲物は缶ビール1本、ワイン用グラスを使った。 食事はスープに魚料理でしたが普通です。
13:35 ビール代を払って、レストランを出る。
13:40 繁華街を歩いて、バスに乗車。
13:42 出発。

ニース空港⇒エールフランス機⇒パリ空港 ニース空港
ニース空港 14:00 ニース空港に到着。ガラス多用の明るいターミナル・ビルだった。皮肉なもので、観光先は雨と曇だったが、移動の空港は素晴らしい天気でした。
フランス中で交通機関を含むストライキが発生中、しかもアラブ系住民も多い国なので空港は”臨戦態勢”なのだそうです。
機内に100g以上のチョコレートやマカロンは持ち込まないように注意があった。液体物と見なされることがあるという。
搭乗券は添さんがまとめて受取り、個別に配付となりました。搭乗手続きはスーツケースを預けるだけ、重量は19.7Kgと17.0Kgで問題はない。
14:20 セキュリテー通過。ベルトは外すように云われる。靴は履いたままでOKでした。
エールフランス・パリ便(AF7715)はゲート17番です。搭乗まで搭乗口でゆっくりしました。
15:30 搭乗開始。
搭乗口17番でボーデングパスとパスポートの検査、さらにブリッジを渡り終え機内に入る直前に同じセキュリティ検査があり、かなり厳しいものでした。

15:40 機材はA320、座席配列は3-3、我々は後ろから2番目の28Bと28Cでした。幸い並んだ座席です。この便は満席でした。後部はほぼ全席が日本人ツアー客で欧米系の人達はポツポツ混じっている程度です。
15:50 定刻に出発。
17:17 シャルル・ド・ゴール空港に到着。

17:38 ラゲジ・クレームに到着。
スーツケースを引いて到着ロビーに出ると、年配の女性ガイド(日本人)が待っていました。

シャルル・ド・ゴール空港からパリ中心部に
ホテルに向かうが、そのバスの外観はプレミアム・バスに似ていた。が、座席は1列4席で通常の観光バスです。明日のパリ観光も同じバスで同じドライバーさんです。

17:50 バスに乗車。中程で運転手側でした。
今日はバスの水は売り切れ。ミネラル・ウォーターはホテルで購入と云われる。パリのホテルは以前ホテル日航パリだった建物、エッフェル塔に比較的近く、セーヌ川のほとりのタワーホテルです。新会社の経営で内容は随分と変わったことでしょう。

18:21 左に円形のサーカー場が見えてきました。スタッド・ドゥ・フランス(Stade de France)といい、1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会の主会場として建設されました。可動式座席を含めると約8万人を収容ができる多目的スタジアム、陸上競技も行われるそうです。なかなか満席にできないのが悩みらしい。日本のサッカーチームもここで試合をした事もあるそうです。

トンネルを通ったが、すごい渋滞でした。今日は11月10日(水曜日)で今は仕事を終えています。明11日は第1次世界大戦終戦記念日の休日です。それで、皆さん、パリ市内で過ごすため全方角から中心部を目がけて大移動中なのです。
19:45 ドライバーさんが会社に電話、道路状況の確認をする。現在のパリ地区は全体で400Km(聞き違いかも?)の渋滞となっているとか・・・。バス会社はレーダー (と説明したが、GPS?) により所属の全てのバスの位置を掌握しているそうです。
大渋滞の交差点で予定を変更し、別ルートでレストランに向かう。
19:55 やっと少し動き出した。
20:05 パリ東駅近くを通る。
20:10 この頃にレストランに到着。
バス車中で2時間20分、パリ到着早々に大都会の交通麻痺に巻き込まれました。

パリで夕食(街のレストラン)
夕食 20:10 レストラン着。遅い夕食となりました。
どういう訳か、パンとサラダの写真しかなく、夕食は情報不足となりました。
飲物は珍しくも白ワイン2つ(@E4.00)、グリーン・サラダはたっぷり、メーンはロースト・チキンにフレンチフライ、デザートはヨーグルトに砂糖でした。
21:00 飲物代を払ってから外に出る。

パリのホテル(Novotel Paris Tour Eiffel) ホテル・ノボテル
ホテル・ノボテル、中央の赤いタワー、手前はセーヌ川 21:45 ホテル・ノボテルに到着。スーペリア・クラスです。
左の写真中央の赤いタワーがノボテル、かつてはホテル日航パリだったので日本人には知られています。現在は経営が変わりました。我々には1999年5月に3連泊してパリの自由散策を楽しんだ記憶がある。

エスカレーターで2階のラウンジに行き、座って部屋割りを待ちました。 幾つか簡単な注意事項を申し渡された。
*貴重品は部屋のセイフティボックスにしまうこと、
*鍵の管理は各自で行うこと、
*このホテルは2連泊で部屋替えはない、
*万一の連絡用に添さんのケータイ番号が伝えられた。
鍵と明朝の予定表を受取って各自で部屋に向かった。

22:07 2814号室に入った。ここで2連泊です。
シングルが2つくっつけたヨーロッパ・スタイルの配置でした。広さは何とかスーツケースを広げ置ける程度、全体的に清潔な感じでした。
22:45 スペアー毛布がクローゼットにないし、ホテルで届けてもくれなかった。添さんに電話してスペアー毛布一枚を届けるよう再度ホテルに頼んでもらった。
22:50 ホテルの男性職員が毛布を届けてくれる。ワイフは1ユーロのチップを渡していた。その後、添さんに毛布は届いたことを電話で知らせておく。
枕チップを忘れがちなので、2ユーロ硬貨をテーブルに出しておいた。
シャワーの後は早々に横になりました。
明朝の予定:
ウェイクアップ・コール(07:30)
朝食(06:00〜): 3階のレストラン、スモーガスボード
荷物出し/なし
ロビー集合(08:50):
出発(09:00)
◇◆◇
HOME旅行記集フランス旅行記TOP現在の頁(8日目)